君島准教授、ちょっといいですか。

「先生、明日のレジュメ印刷させてください」
君島先生はちらりと顔を上げ、
「どうぞ」
と言うと書類に視線を戻した。
研究室のパソコンにUSBを差し込む。
ああ、よかった、明日のゼミに間に合って。
印刷ボタンを押すと、プリンターが低い音を立て始めた。
印刷する音だけが研究室に響く。
君島先生は気にも留めずに書類を読んでいる。
読みながら机の上のカップに手を伸ばし、ゆっくりと口に運んだ。
なんか、手持ち無沙汰……。
「先生」
「ん?」
「先生って、推しとかいます?」
「え?」
君島先生がふと顔を上げた。
「推しですよ、推し」
「カフェオレ」
「それは飲み物です。そういうことじゃなくて、推してる人ですよ」
「いない」
「えーそれ、絶対損してますよー」
「そうかなぁ」
「そうです!推しがいた方が人生絶対楽しい!」
「ふーん」
「全然興味ないじゃないですか」
君島先生は笑いながら「うん」と頷いた。
「君は推しがいるの?」
「それ、聞きます?長くなりますよ?」
「あ、じゃあいい」
君島先生は顔の前で手を払った。
「聞いてくださいよ」
「話したいんでしょ」
「はい」
君島先生はくすくす笑った。
「まず、顔です。もうドストライク」
「ほう」
「で、スタイルいいし、歌もダンスも上手いし、努力家だし、優しいし。もう完璧なんです!」
「へえ」
「そんな興味なさそうな返事しないでくださいよ。先生が聞いたんですから」
「はい」
「で。もう、ライブが最っ高なんです!初めてライブ参戦した時なんて、『あ、ほんとにこの世に存在してるんだ!』って思って感動して泣いちゃいましたもん」
「よかったねぇ」
「しかもですよ!私、『ウィンクして!』って書いたうちわ持ってたんですけど!」
「うん」
「私の方見てウィンクしてくれたんです!ファンサもらえたんです!」
「ふーん」
「今、それは勘違いじゃないか?って思いませんでした?」
「なんでわかったの?」
「先生、わかってないです」
「はあ」
「あれは、私へのファンサ。誰がなんと言おうと。もうそういうことなんです」
「そういうことなのね」
君島先生は楽しそうに笑った。
「でもね、先生」
「ん」
「お金かかるんですよ、推し活は」
「そうなの?」
「今月ライブあったから、もう金欠もいいとこです」
「いくら使ったの?」
「……言います?」
「うん」
「……14万」
君島先生がむせた。
「14万⁉︎」
「はい。だから今私、めっちゃ貧乏です」
「どうしてそんなにかかるの?」
「遠征したから旅費がかかったし、グッズも買わなきゃいけないじゃないですか」
「買わなきゃいけないの?」
「そりゃそうですよ。ツアー限定グッズですよ?」
「限定」
「二度と買えないんですよ?」
「なるほど」
「だから、お金がかかるんです」
「遠征代はバイトで?」
「もちろんです。そのためにバイトしてるようなものですもん」
「すごい情熱だ」
「あー、今月はもやしと納豆で乗り切らないと」
「もやしと納豆?食事はちゃんと摂ってほしいなぁ」
「しょうがないですよ。推し活のためには切り詰めないと」
「でも、君が体を壊したら元も子もないじゃない」
君島先生は眉を下げている。
「まあ、そうなんですけど」
「推しも喜ばないんじゃない?」
「え?」
「長く応援してもらいたいんじゃないかな。わからないけど」
そう言うと君島先生は目を細めた。

印刷が終わったレジュメをトントンと机で揃えた。
「先生」
「ん?」
「私、長く愛するに一票!」
「うん」
「推し活予算、組む!」
「うん、いいね。あ、生活の予算もね」
「はい」
「じゃ、先生、失礼します」
ドアノブに手をかけ振り向き、
「先生にも推しができたら教えてくださいね」
そう言うと君島先生は、
「できたらね」
と笑った。