俺の目の前には、進路を真剣に考える大学生がいる。
たまにメモをとりながら、俺たちの説明に真剣に耳を傾けている。
ああ。
俺もこんなだったよな。
職員の人に見られてると思って、少し大きめの相槌なんか打ったりしてさ。
別に知り合いでもなんでもないただの後輩だけど、がんばれよって思う。
がんばれよ、って思う、けど。
学内の企業説明会。
俺は隣町の市役所職員としてブースにいる。
OBの若手職員として駆り出されたのだ。
職員課の人がひと通り説明を終えると、
「彼は君らのOBだよ」
と話を振られた。
視線が俺に集中する。
「あ、ここの法学部出身で、今は福祉課で働いています」
と軽く頭を下げた。
微妙な沈黙が流れる。
「……今もハワイアンカフェあるの?」
と共通の話題を探そうとした。
学生がうんうんと頷くと、
「あそこのハンバーガー美味かったなぁ」
そう言うと学生たちが笑顔を浮かべた。
あ、よかった。
ちょっと距離が縮まったかな。
すると、ある学生が、
「先輩はどういうところにやりがいを感じていますか」
と真っ直ぐ俺を見つめた。
そんな真っ直ぐ見つめないでくれ。
「やっぱり、ありがとうって言われると嬉しいよね。役に立てたかな、って思うから」
あ。
ありきたりだったかな。
「公務員はね、自分は究極のサービス業だと思ってて」
学生はこくりと頷き、次の言葉を待っている。
「効率だけじゃダメだと思ってて。生活の基盤を支える責任ある仕事だと思ってる」
学生は真剣にメモをとっている。
……なんだかな。
「これ、面接で使っていいよ」
学生たちが笑った。
俺はその後も「責任ある仕事をさせてもらってる」とか「大変なこともあるけど人の役に立てる仕事だと思う」とか、学生が来るたびに充実している先輩でい続けた。
その度に、腹の底に重いものが積み重なっていった。
「いい感じだったよ、ありがとう」
説明会後、職員課の人が片付けながら笑顔を向けた。
「いえ」
とっさに作った笑顔は顔が引きつりそうだった。
荷物の積み込みだけ手伝い、自分は大学に残った。
「久しぶりに来たんだから、ゆっくりしていきなよ」
職員課の人が気を利かせてくれた。
キャンパスを歩く。
ああ、懐かしいな、この感じ。
楽しそうな学生たちが目に入る。
今のうちに楽しめよ。
その時間、貴重なんだぞ。
眺めながら苦笑した。
……。
君島先生、いるかな。
いや、忙しいか。
でも、せっかく来たんだし。
覗くだけ覗いてみようかな。
法学部棟へ向かう。
相変わらず静かな廊下。
懐かしい掲示板。
研究室までもう少し。
曲がり角を曲がったその時。
「あれ」
聞き慣れた声がした。
「……先生」
君島先生が、書類を片手に立っていた。
「珍しいね」
「あ、お久しぶりです」
軽く頭を下げた。
スーツ姿の俺を見て、
「仕事で?」
「あ、ええ。企業説明会で」
「なるほど」
君島先生はうんうんと頷く。
「元気だった?」
「……まあ」
即答できなかった。
君島先生は少しだけ首を傾げた。
「この後、時間ある?」
「え?」
「研究室、覗いてく?」
「あ……」
「コーヒーくらいは出るよ」
君島先生は小さく笑った。
「はい」
「じゃあ、おいで」
君島先生はきびすを返した。
研究室は何も変わっていなかった。
ああ、懐かしい。
本棚も。
窓際の観葉植物も。
あの頃のままだ。
……ここにいた時は楽しかったな。
「適当に座ってて」
「はい」
君島先生は書類を置き、コーヒーを作り始めた。
「砂糖いる?」
「あ、いえブラックで」
「うん」
研究室にコーヒーの香りが広がる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
君島先生は自分の分を作りながら、
「企業説明会、どうだった?」
「……」
ちらりと君島先生を見上げる。
先生は角砂糖を入れていた。
「……先生」
「ん?」
「俺……学生に嘘ついちゃいました」
君島先生は俺をちらりと見ると、甘そうなコーヒーを一口飲んだ。
「……だって、俺、本当は辞めたいと思ってるんです」
「うん」
「なのに、人の役に立つ仕事です、とか、やりがいがあります、とか」
「うん」
「学生にあんなこと言っておいて、自分は辞めたいなんて思ってる」
「……」
「最低ですよね」
君島先生の顔を見れなかった。
先生はどんな顔で俺を見てるんだろう。
「本当に嘘だった?」
「え?」
「学生に話したこと」
「……」
「誰かの役に立ちたいと思って市役所に入ったんじゃないの?」
「はい」
「ありがとうって言われると嬉しい?」
「……はい」
「生活を支える仕事だと思ってる?」
「はい」
「じゃあ、どこが嘘だったんだろう」
何も言えなかった。
嘘は言わなかったけど……。
「……辞めたがってる奴が魅力を語るって、なんか騙してるような気がして」
君島先生は黙ってコーヒーを飲んでいる。
卒業したゼミ生にいきなりこんなこと言われても困るよな。
音のない時間が続いた。
「辞めたい理由は?」
「え?」
「辞めたいんだよね?」
「……はい」
君島先生は首を傾げて俺の答えを待っていた。
「……助けられないんです」
君島先生は黙って頷いた。
「……制度で決まってるから。目の前で困ってる人がいるのに……俺にはどうにもできなくて」
「うん」
「すみませんって言うしかない……」
唇を噛む。
目線を上げられない。
「……自分の無力さばっかり感じて」
大きなため息を吐きながら、手で顔を覆った。
「そう」
「……」
「苦しいね」
手で顔を覆ったまま頷いた。
自分の目が赤くなっているのがわかった。
君島先生がカップを置く音が聞こえた。
「助けられた人はいた?」
「え?」
「今まで」
「……います」
「うん」
「生活保護が決まってお礼の手紙くれた人、いました」
「うん」
「でも……助けられなかった人の方が忘れられなくて」
だって。
あの人たちにとっては、人生かかってるから。
「助けたかったんだね」
「はい……」
涙が頬を伝った。
君島先生はハンカチを差し出してくれた。
俺が涙を拭くのを静かに待っている。
「その苦しさは、すぐにはなくならないかもしれないね」
「え?」
「今の仕事を続けても、別の仕事をしても」
君島先生は指を組んだ。
「助けたいと思う人は、多分、苦しむ」
「……」
「だから、辞めるかどうかは『苦しいから』で決めるんじゃなくて」
君島先生は俺を真っ直ぐ見た。
「君がどう働きたいかで決めたらいい」
研究室を出て廊下を歩いていると、学生たちの笑い声が聞こえた。
すれ違いざま、
「今日は企業説明会ありがとうございました」
と頭を下げられた。
「こちらこそ」
学生に笑顔を向けた。
さっきよりは、自然に笑えた。
たまにメモをとりながら、俺たちの説明に真剣に耳を傾けている。
ああ。
俺もこんなだったよな。
職員の人に見られてると思って、少し大きめの相槌なんか打ったりしてさ。
別に知り合いでもなんでもないただの後輩だけど、がんばれよって思う。
がんばれよ、って思う、けど。
学内の企業説明会。
俺は隣町の市役所職員としてブースにいる。
OBの若手職員として駆り出されたのだ。
職員課の人がひと通り説明を終えると、
「彼は君らのOBだよ」
と話を振られた。
視線が俺に集中する。
「あ、ここの法学部出身で、今は福祉課で働いています」
と軽く頭を下げた。
微妙な沈黙が流れる。
「……今もハワイアンカフェあるの?」
と共通の話題を探そうとした。
学生がうんうんと頷くと、
「あそこのハンバーガー美味かったなぁ」
そう言うと学生たちが笑顔を浮かべた。
あ、よかった。
ちょっと距離が縮まったかな。
すると、ある学生が、
「先輩はどういうところにやりがいを感じていますか」
と真っ直ぐ俺を見つめた。
そんな真っ直ぐ見つめないでくれ。
「やっぱり、ありがとうって言われると嬉しいよね。役に立てたかな、って思うから」
あ。
ありきたりだったかな。
「公務員はね、自分は究極のサービス業だと思ってて」
学生はこくりと頷き、次の言葉を待っている。
「効率だけじゃダメだと思ってて。生活の基盤を支える責任ある仕事だと思ってる」
学生は真剣にメモをとっている。
……なんだかな。
「これ、面接で使っていいよ」
学生たちが笑った。
俺はその後も「責任ある仕事をさせてもらってる」とか「大変なこともあるけど人の役に立てる仕事だと思う」とか、学生が来るたびに充実している先輩でい続けた。
その度に、腹の底に重いものが積み重なっていった。
「いい感じだったよ、ありがとう」
説明会後、職員課の人が片付けながら笑顔を向けた。
「いえ」
とっさに作った笑顔は顔が引きつりそうだった。
荷物の積み込みだけ手伝い、自分は大学に残った。
「久しぶりに来たんだから、ゆっくりしていきなよ」
職員課の人が気を利かせてくれた。
キャンパスを歩く。
ああ、懐かしいな、この感じ。
楽しそうな学生たちが目に入る。
今のうちに楽しめよ。
その時間、貴重なんだぞ。
眺めながら苦笑した。
……。
君島先生、いるかな。
いや、忙しいか。
でも、せっかく来たんだし。
覗くだけ覗いてみようかな。
法学部棟へ向かう。
相変わらず静かな廊下。
懐かしい掲示板。
研究室までもう少し。
曲がり角を曲がったその時。
「あれ」
聞き慣れた声がした。
「……先生」
君島先生が、書類を片手に立っていた。
「珍しいね」
「あ、お久しぶりです」
軽く頭を下げた。
スーツ姿の俺を見て、
「仕事で?」
「あ、ええ。企業説明会で」
「なるほど」
君島先生はうんうんと頷く。
「元気だった?」
「……まあ」
即答できなかった。
君島先生は少しだけ首を傾げた。
「この後、時間ある?」
「え?」
「研究室、覗いてく?」
「あ……」
「コーヒーくらいは出るよ」
君島先生は小さく笑った。
「はい」
「じゃあ、おいで」
君島先生はきびすを返した。
研究室は何も変わっていなかった。
ああ、懐かしい。
本棚も。
窓際の観葉植物も。
あの頃のままだ。
……ここにいた時は楽しかったな。
「適当に座ってて」
「はい」
君島先生は書類を置き、コーヒーを作り始めた。
「砂糖いる?」
「あ、いえブラックで」
「うん」
研究室にコーヒーの香りが広がる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
君島先生は自分の分を作りながら、
「企業説明会、どうだった?」
「……」
ちらりと君島先生を見上げる。
先生は角砂糖を入れていた。
「……先生」
「ん?」
「俺……学生に嘘ついちゃいました」
君島先生は俺をちらりと見ると、甘そうなコーヒーを一口飲んだ。
「……だって、俺、本当は辞めたいと思ってるんです」
「うん」
「なのに、人の役に立つ仕事です、とか、やりがいがあります、とか」
「うん」
「学生にあんなこと言っておいて、自分は辞めたいなんて思ってる」
「……」
「最低ですよね」
君島先生の顔を見れなかった。
先生はどんな顔で俺を見てるんだろう。
「本当に嘘だった?」
「え?」
「学生に話したこと」
「……」
「誰かの役に立ちたいと思って市役所に入ったんじゃないの?」
「はい」
「ありがとうって言われると嬉しい?」
「……はい」
「生活を支える仕事だと思ってる?」
「はい」
「じゃあ、どこが嘘だったんだろう」
何も言えなかった。
嘘は言わなかったけど……。
「……辞めたがってる奴が魅力を語るって、なんか騙してるような気がして」
君島先生は黙ってコーヒーを飲んでいる。
卒業したゼミ生にいきなりこんなこと言われても困るよな。
音のない時間が続いた。
「辞めたい理由は?」
「え?」
「辞めたいんだよね?」
「……はい」
君島先生は首を傾げて俺の答えを待っていた。
「……助けられないんです」
君島先生は黙って頷いた。
「……制度で決まってるから。目の前で困ってる人がいるのに……俺にはどうにもできなくて」
「うん」
「すみませんって言うしかない……」
唇を噛む。
目線を上げられない。
「……自分の無力さばっかり感じて」
大きなため息を吐きながら、手で顔を覆った。
「そう」
「……」
「苦しいね」
手で顔を覆ったまま頷いた。
自分の目が赤くなっているのがわかった。
君島先生がカップを置く音が聞こえた。
「助けられた人はいた?」
「え?」
「今まで」
「……います」
「うん」
「生活保護が決まってお礼の手紙くれた人、いました」
「うん」
「でも……助けられなかった人の方が忘れられなくて」
だって。
あの人たちにとっては、人生かかってるから。
「助けたかったんだね」
「はい……」
涙が頬を伝った。
君島先生はハンカチを差し出してくれた。
俺が涙を拭くのを静かに待っている。
「その苦しさは、すぐにはなくならないかもしれないね」
「え?」
「今の仕事を続けても、別の仕事をしても」
君島先生は指を組んだ。
「助けたいと思う人は、多分、苦しむ」
「……」
「だから、辞めるかどうかは『苦しいから』で決めるんじゃなくて」
君島先生は俺を真っ直ぐ見た。
「君がどう働きたいかで決めたらいい」
研究室を出て廊下を歩いていると、学生たちの笑い声が聞こえた。
すれ違いざま、
「今日は企業説明会ありがとうございました」
と頭を下げられた。
「こちらこそ」
学生に笑顔を向けた。
さっきよりは、自然に笑えた。



