君島准教授、ちょっといいですか。

なんとなくここまで来てしまったけど。
この扉一枚の壁が、厚い。
大学のキャリアセンター。
ガラス越しに職員と話す学生が見える。
たった一枚の隔たりなのに、中の学生と僕とではとんでもなくかけ離れているように思う。
はぁ。
扉から少し離れる。
……やっぱりやめよう。
そう思って歩き出したのに、気づけばまたキャリアセンターの前まで戻ってきていた。
僕の行動はきっと相当怪しかったのだろう。
「入らないの?」
通りかかった君島先生が首を傾げている。
「あ、えっと」
「相談?」
「多分」
「多分?」
「……何を相談すればいいかわからなくて」
「そう」
「……」
気まずい。
失礼します、と僕が言うより先に、
「歩く?」
「え?」
君島先生が僕を目で誘った。

キャンパスをゆっくり歩く君島先生の隣をとぼとぼ歩く。
先生は何も話さない。
ふとリクルートスーツの学生が目に入った。
みんな、ちゃんと就活してるな。
僕の視線の先に気付いたのか、
「焦ってる?」
君島先生は前を向いたまま尋ねた。
「うーん……まあ、はい」
「人は順調そうに見えるよね」
「はい」
グラウンドから笑い声が聞こえる。
君島先生はそちらにちらりと目を向けた。
「先生は就活、どうだったんですか?」
「僕は研究室に残って、そのままなんとなく先生になっちゃったからね」
「でも、今は好きな仕事なんですよね?」
「まあ、そうだね」
「いいな」
ぽつりと漏れた。
君島先生は黙っている。
だけど、時折垂れ下がる長い前髪をかき上げながら、いつの間にか僕の歩幅に合わせてくれていた。
「あの」
「ん?」
「公務員って、どう思います?」
「どうって?」
「まあ、仕事として」
「あー。どうだろう、僕も公務員やったことがないからわからないけど、安定はしてるよね」
「そうですね」
「公務員になりたいの?」
「いや、なりたい、というわけでも」
「ん?」
「だからってなりたくないわけでもなくて」
「うん」
僕は小さく息を吐き、
「親が」
とだけ言った。
「あー」
「まあ、なってほしいと」
はあぁ。
大きなため息が漏れた。
「親が公務員で。先生が言ったとおり、なんだかんだやっぱり安定してるから受験しろ、って」
「なるほど」
「僕も地元に帰ろうとは思ってて。地元は田舎だから、まあ確かに公務員はありかなとも思うけど」
「うん」
「やりたい仕事か、って言われると自分でもわからなくて」
「うん」
「でも一応勉強はしてるという……」
ほんと中途半端だよな。
だけど。
「親の気持ちもわからないわけでもないし。僕のことを考えてくれてるのがわかるから」
「うん」
「だから、どうしてもやりたいことがあるわけでもないのに断るのもなんか……」
だんだん声が小さくなる。
「期待されるのってありがたいことなのに、なんでこんなに苦しいんでしょう」
ずっと体の中にあったもやを吐き出してしまった。
口にしてしまった。
なんだろう、この罪悪感。
「君は……期待に応えたい?」
「はい」
「どうして?」
どうしてだろう。
すぐには答えが出なかった。
「……やっぱ、県外の私大に進学させてもらってるし。それだけお金かけてもらってるし」
「うん、ありがたいことだよね」
「はい」
そう。
父も母も働いていて、忙しそうにしているのをずっと見てきた。
僕のために稼いでくれているのを知ってるから。
期待を裏切りたくない。
「君の親御さんは、君が公務員になったら喜びそう?」
「はい」
「君は?」
「……」
僕は……
「わからないです」
「そっか」
君島先生は静かに歩く。
学生たちの楽しそうな声が聞こえる。
僕らの周りだけしんとしてる気がする。
すると、
「僕はね、期待に応えたい気持ちも、自分の気持ちも、どっちも大事だと思うよ」
そう言って、君島先生は微笑んだ。

「じゃ、僕そろそろ会議だから」
「あ、はい。ありがとうございました」
そう言って頭を下げているうちに、君島先生は足早に去っていった。
「あ、やば」
なんて呟きながら。