君島准教授、ちょっといいですか。

数日前、ダメ元で君島先生にメールを送った。
『27日に仕事で大学の近くへ行くのですが、もしお時間があれば、ご挨拶だけでもできたらと思いまして』
返信は短かった。
『15時以降なら大丈夫です』
相変わらず、必要なことしか書いていない。
だけど、久しぶりに君島先生を感じて嬉しかった。

仕事が終わって大学に着いたのは15時過ぎだった。
スーツのままキャンパスを歩く。
わ、懐かしい。
学生の頃は当たり前だった景色が、少しだけ新鮮に見えた。
卒業して数年しか経っていないのに、ここの空気は若い。
自分が大人になったことを実感する。

研究室へ続く廊下は相変わらず静かだった。
角を曲がると君島先生の研究室。
扉の前で息を吐く。
学生の頃はなんの抵抗もなくしょっちゅうノックしていたのに。
扉をノックすると中から「どうぞ」と懐かしい声がした。
君島先生だ。

「お久しぶりです」
研究室に入ると、びっくりするくらい何も変わっていなかった。
壁面いっぱいの本、窓際の観葉植物。
そして、自分の机で作業している君島先生。
「久しぶりだね。元気だった?」
「はい、おかげさまで」
「そう」
君島先生は目を細めた。
「君島先生は……びっくりするくらい変わらないですね」
「それは、褒め言葉だよね?」
「もちろんです!」
いつも学生といるから老けないのだろうか。
「あ、そうだ」
私はバッグから小さな袋を取り出した。
「これ、今地元で人気のお菓子なんです。先生、甘いもの好きでしたよね?」
「あ、いいの?ありがとう」
君島先生は満面の笑みでお菓子を受け取ってくれた。
「掛けて。コーヒーいれるから」
「ありがとうございます」
ああ、懐かしい、この感じ。
ほんとなんにも変わらない。
「研究室、全然変わってませんね」
君島先生はコーヒーをいれながら、
「変えるとね、物の場所がわからなくなるんだよ」
と笑った。
「ミルクと砂糖は?」
「あ、ブラックでお願いします」
「ん」
君島先生はカップを机の上に置き、私が持ってきたお菓子を開けてくれた。
「あ、お土産なのに」
「一緒に食べようよ」
「はい」
君島先生は自分の椅子の背もたれに身を預けた。
「仕事はどう?」
「けっこう大変ですよ」
「そうなんだ」
「もう毎日バタバタです」
私はいつもの日々を思い出して笑った。
「大きな会社じゃないですからね。ほんと私、なんでも屋です。入社した頃は『こんなことも私がやるの?』ってびっくりしましたよ」
「忙しそうだね」
「先生、慣れって怖いです」
私はコーヒーをひと口飲んだ。
「先生は相変わらずですね」
「相変わらずだね」
君島先生はお菓子をつまんだ。
「わ、おいしいね、これ」
「ですよね!良かった、お口に合って」
君島先生はお菓子の入っていた箱を裏返す。
「覚えておこう」
「このお菓子ね、友達の結婚式の引出物だったんですよ」
「へえ」
「結婚ですよ、友達が。もうそんな歳なんですよね、私」
「いくつだっけ?」
「26です」
「そっか」
「私なんて彼氏すらいませんよ。あ、やっぱこれおいしい」
上品な甘さが口に広がる。
「マッチングアプリとかもしたことあるんですよ」
「そうなの?」
「でも3日でやめました」
「早いね」
「なんか違うーってなって」
「そうなんだ」
「先生、マッチングアプリしたことあります?」
「ないよ」
「ですよね」
君島先生は楽しそうに笑った。
「ま、切羽詰まってないんでしょうね。友達と休みの日にご飯行ったりヨガ行ったり。ひとりで映画観に行ったり。結局そっちの方が楽しいから」
「なるほどね」
君島先生はカフェオレをひと口飲んだ。
「充実してそうだね」
私は少し考え、
「充実、なのかな。仕事はけっこう大変なんですけどね。まあ、でも」
君島先生はこちらを見ている。
「まあまあ楽しんでます」
と笑った。

「先生、また来ますね」
「うん。また寄って」
「ありがとうございます」
そう言って私は研究室を出た。
静かな廊下を歩く。
変わらずそこにいてくれる。
それだけで、なんだか嬉しかった。
足取りは軽かった。