分かれ身の乙女と孤高の水神様の贄婚 〜煩わしき君に恋煩うまで、あと×日〜

 お嬢様の意識が戻らぬまま、四日目――その瞬間は、あまりにも唐突に訪れた。

「すまない、誰かいるか?」

 早朝、介抱の合間に仮眠を取っていた私は、小屋の入り口から響く声に驚いて意識を浮上させた。
 こんな辺鄙な場所を訪ねてくる人など、基本的には皆無だ。
 しかし数年に一度くらいは、山中で道に迷った旅人などが一宿一飯を求めてやって来ることも無いわけではなかった。
 とはいえ、もしそういう人だったとしてもお嬢様をお守りしている今、部外者を無駄にこの小屋の中に入れたくはない。
 そんな葛藤の中で、それでも声に応えて小屋の入り口の扉を細く開けたのは、純粋に諦め悪くいつまでも扉を叩いていてうるさかったからである。

「あの、何か御用で……?」
「おお、このようなところに本当に人がいたか!」

 私の姿を見た瞬間、簡素な、しかし質の良さを隠しきれていない旅装束に身を包んだ青年が大仰に驚いてみせた。

「……? まあ、良いです。特段御用が無いようでしたら、少々立て込んでおりますのでどうかお引き取りを……」
「ああいや、失礼した。叶うならば、少し水をもらえないだろうか?」
「水ですね。承知しました。すぐに差し上げます」

 なるほど。やはりこの人は、ただの道に迷った旅人……。

「ところでお嬢さんは『水神湖』の場所を知っているだろうか?」
「それはもちろ……えっ?」

 ……いや、旅人などと安直に考えてはいけないかもしれない。

「なぜそのようなことを、お聞きになるのですか……?」
「ふむ……こんなところに住んでいるならお嬢さんは加須良の関係者だろうし、『贄婚』のことも知っているだろうから話しても差し支えないか。実は先日、加須良の当主が『贄婚』の儀式が終わったと皇家に報告してきてな。それを聞いた我が父に命じられて、父の名代として私が様子を見に来ることになったのだよ。だが不覚にも道に迷い、当主が派遣しているはずの迎えとも合流できず、御覧の通り帝都から連れてきたわずかな供回りとともに山中を徘徊して今に至っているというわけだ」
「……っ!?」

 つまりこの人は、ただの道に迷った旅人などではなかったのだ。

 この人は、加須良の当主の「上司」にあたるような貴人の息子で。
 そして、あろうことか加須良の当主が迎えを出している人でもあるのだ。
 より正確に言えば、この人を探して加須良の手のものが今もこの山中を駆けずり回っているということに他ならない。

「……はい、水です! 湖は右手にまっすぐ進んでいただければ到着します! もう大丈夫ですよね? では、失礼します!!」

 ……この人に関わっていては、お嬢様の体を加須良家の人々に発見されてしまう危険性が跳ね上がる!
 瞬時にそう悟った私は、竹筒になみなみと注いだ水を青年の手に押し付け、さっさと小屋を閉めきろうと扉に手をかけた。

 だが――私の行動は、一歩遅かったらしい。

「……さま? 宮様? 三の宮様! こちらにおいででしたか!!」
「おお、加須良の当主か。うまく合流できずに悪かったな」

 ……ああ、来てしまった。加須良の当主本人が、直々に。
 しかも「三の宮様」ということは、恐れ多くもこの青年は帝の三番目の御子息ということだろうか。
 あまりのことに震える私の前で、二人の男性は私の存在など目に入らぬように声を上げ続けた。

「ご無事で何よりです! お疲れでしょう? お水などご入用ですか?」
「いや、そこのお嬢さんにもらったのでひとまずは事足りている」
「お嬢さん? ああ、お前か」

 そうして、ご当主様は私の存在をようやく意識の中に置いたのである。
 叶うことならば、気付かぬまま二人でここから去ってくれれば良かったのに。
 気付いたとしても、私のことなど無視してくれたら良かったのに。
 しかし世の中は、得てして考えうる中でも最悪の方向へと進んでしまうものであるらしい。

「宮様。粗末な小屋ですが、よろしければ湖に向かう前に少しご休息なさいますか?」
「そうだな」
「……えっ?」

 呆ける私を、当主がせっつく。

「ほら、何をしている。宮様を丁重にお迎えせよ」
「えっ……は、いえ、しかし、こんな粗末なところでは、むしろ失礼では……?」
「なに、私は些事など気にせぬよ」

 いいえ、どうか気にしてください――などと私ごときが言えようはずもなかった。

「で、でも……!」
「ええい、まどろっこしい! 早う戸を開けぬか!」

 これ以上開けてしまってはお嬢様のお姿を見られてしまう、と思っても当主(おとこ)の力には敵うはずもなかった。

「お、お待ちくださ……っ! ああ……!」

 ――こうして、私が命をかけてでも守るべき「秘密」はあっけなく白日のもとに晒されてしまったのだった。