分かれ身の乙女と孤高の水神様の贄婚 〜煩わしき君に恋煩うまで、あと×日〜

「それでは、祝言(・・)を始めよう。誉れ高き『神の花嫁』よ、さあここに」

 深夜、水神湖の周りには一族の主だった面々が正装で集結していた。
 継母も、異母妹も、もちろん当主たる父も。
 父の一言で、白無垢をまとった私はしずしずと水の際まで歩みを進めた。

「千香よ。お前の『夫』のもとまで、自分の足で歩いていきなさい(・・・・・・・・・・・・・)
「……はい」

 曲がりなりにも自分の娘に自分の足で入水させようだなんて正気じゃない、などと正面切って言えるような常識人はこの場に存在しない。
 唯一の常識人である志賀には「仕事」を任せたのでここにはいない。
 だが、それで良い。
 というより、正確に言えば、そんなことは全てどうでも良いことだった。

 ――だって私は、これでようやく生まれてからずっと背負ってきた「贄」の役目という呪縛から解き放たれることができるのだから。

「……気の毒に」

 なけなしの善性を見せたらしい誰かがそう呟いたような気もしたが、むしろ私の新たな門出を寿(ことほ)ぐべきだとすら思った。

 ――ざぶん。

 深い水底へと沈む前、最後に見えた一族の面々の顔はどこか驚愕しているようにも見えた。
 死にゆくはずの私が泣きも怒りもせず、場違いにも心底嬉しく思っている気持ちが顔にまで出てしまっていたのかもしれない。
 違和感を持ったかもしれないが、だからといって今更どうということもないだろう。
 それよりも、と私は全身に意識を巡らせる。

 ――よし、見つけた。私の「片割れ」へと続く道を!

 「分かれ身の術」――それが今回、私が使った異能の力の名称だった。
 その名の通り、自分の分身を作る術だ。
 今水底に沈みゆく私は、ある種の思念体。
 元々の体は、水神湖の近くにある管理小屋に置かせてもらっている。
 志賀が見守ってくれているそこへと思念を飛ばせば、思念体の(みなそこにしずみゆく)私は消え、小屋の私が目を覚ますという算段だ。

「〈分かれ身の術〉……」

 あとは「解除」と唱えさえすれば、万事終わり……の、はずだった。

「かい……っ!?」

 ところがその瞬間、何か恐ろしく強い力に足を引っ張られてしまったのだ。
 そのせいで体がどんどんと水面から離れ、暗い水底へと沈んでいってしまう。
 あまりの勢いに体勢を立て直すこともできなければ、焦りからか使えるようになったはずの異能もうまく扱えない。

「や、め……っ!」

 あと少し、本当にあと少しで私は自由を手に入れられたはずなのに。
 もはや今の私には、流れに身を任せることしかできない。

 ――ああ……ごめんなさい、志賀。私が戻るまで、もうしばらく私の体を頼みます。

 届くはずのない詫びを心の中で呟いてから数瞬、私の意識は闇の中へと沈んだ。

***