この世は、とかくままならぬものである。
「水神様! 弟君を退けられたご手腕、見事なものでした!」
「次は伴侶をお迎えにならなければなりませんね!」
「後継あってこその盤石な治世ですからね!」
だから……と意味ありげに言葉を切る重臣たちに、俺はじとりと冷めた目を向けた。
あえて言われずとも、その後に続く言葉など明白だった。
――だから、我が娘を伴侶にいかがですか?
誰も彼もがそう言いたがっているのだ。
……不要だ! 俺の気も知らないで!
そう感情任せに叫びそうになったが、ぐっと堪えて俺は何一つ感情の乗らない声を出した。
俺はあえて「弟を幽閉する兄」になったのだから。
一世一代の決意と覚悟を、少し煽られた程度で無に帰するわけにはいかなかった。
「水神の命は長い。俺には『伴侶』など、まだ早い話だ」
「いえいえ、そうおっしゃらず……」
「すまないが、少し疲れたから下がる」
そう言ってやれば、さすがに重臣たちも引き下がった。
だが、それでもぎりぎりまで食い下がってきたのが、彼らもまた一世一代の勝負をかけてきていたという証左であるのだろう。
……まあそれはそうか。娘が水神の伴侶となれば、ましてその娘が子を産めば、己は外戚としてこれまで以上の権力を持てるかもしれないのだから。
「それでも! 『火神』どもに舐められないためには、明日の彼らとの宴には伴侶を――あるいはせめて伴侶になる予定と言い張れるような女の一人くらいは、お連れになったほうが良いかと思われますよ! あちらは後継者も誕生したとのこと! 『今代の水神は豊穣の神も兼任しているというのに、伴侶も後継もないなんて「豊穣」が聞いて呆れる』などと水神様のことを馬鹿にしてくる可能性があります!」
……そして地味に痛いところを突いてくるから困るのだ。
分かっているさ。俺だって、それくらいのことは。
そして「水神」としての矜持もあるから、口喧嘩程度でも安直に屈辱を受け入れることは受け入れがたかった。
それでも火神との勢力争いに負けず劣らず、いやそれ以上に重要なことが俺にはあるのだから。
その日に向けて確実に対処をしなければならないから、火神に少しくらい舐められても良……くはないが、それでもどうしても伴侶探しなどにかかずらわっている場合ではないのだ。
はあ、と重臣たちに気取られぬようにため息を吐きながら執務室を出た、その瞬間。
「水神様、お話がございます」
目の前に現れたのは、なぜかにこにこと微笑んでいる「地の上からやってきた女」だった。
「何用か?」
「宴席があると伺いました。水神様、私をあなたの伴侶としておそばに置いてくださいませ」
――この私が火神からも重臣からも盾になりましょう。
「はっ!」
人間の娘が水神に向かって何と不遜なことを言うものか、と思った。
しかし同時に、彼女を利用すればどの臣下ともしがらみの無い「伴侶」を隣に置くことが出来るのか、とも思った。
伴侶さえいれば、変に火神に舐められて水神という存在の格を落とすこともなくなるはずだ。
そう。俺亡き後、あの子に遺すこの国は、できるだけ最上のものであるべきだ……。
そんな打算が、計画で固められた俺の未来に不確定因子という一石を投じてしまった。
「まあ……状況が状況ゆえ、やむを得ぬか」
――そうして、その三日後。
屋敷を来訪した「火神」との宴席にて。
「どうしてこうなった……」
俺の隣にはあの女――千香という女が立っていた。
どうしてなどと呟いてしまったが、どうしてもこうしてもなく、全ては三日前の自分の判断ゆえだということは分かっている。
それでも不意にその一言が俺の口からこぼれ落ちてきたのは、隣に立つ女のあまりにもにこやかな顔の裏にある本音がどうにも見えてこない苛立ちが大きかった。
「この女、何を考えている……」
「水神よ、どうした?」
「いや、なんでもない。あえて言うならば我が伴侶が疲れてはいないかと思っただけだ」
「……ふうん」
ただ「伴侶」を隣に置いた効果については――そして火神の反応については、全て予想通りだった。
火神はことあるごとに水神に突っかかってくるのだが、今日は落ち着いているように見える。
……いや、落ち着いているというのは語弊がある。
火神は全てこちらの予知通りに動いている。
だから何事も対応がしやすいのだ。
「……神の天命は変えられぬ。たとえ神でも、結末は変えられぬ。もし神の天命を変えられる者がいるとしたら、それはただ一人。天が遣わし、すべての神に愛されし『天子』のみ。ただ、そのような奇跡など雲を掴むような話だな……」
ほとんど空気に溶けるような声で囁くと、火神はこてりと首を傾げた。
「水神、何か言ったか?」
「……いいや」
そう。すでに定められている俺の天命は変えられないのだ。
「そうか。まあ良い。遺言がないなら、ここでお前は終わりだ!」
瞬間、銀のきらめきが目の前をほとばしった。
……ああ、弟に聞いた通りだ。
あまりにも予知通りすぎる光景に、俺はいっそ笑いが込み上げてきた。
――水神・凪は宴席で火神に殺される。
それが俺の天命。
そのはずだったのに。
「水神様!」
だから、この光景は決してありえるはずがなかったのに。
「……千香?」
なぜ、あの女の腹に銀のきらめきが刺さっているのだろう。
「なぜ変えられぬはずの神の天命が変わったのだ……?」
呆然とする俺を、千香はどこか得意げな眼差しで見遣っていた。
***
「水神様! 弟君を退けられたご手腕、見事なものでした!」
「次は伴侶をお迎えにならなければなりませんね!」
「後継あってこその盤石な治世ですからね!」
だから……と意味ありげに言葉を切る重臣たちに、俺はじとりと冷めた目を向けた。
あえて言われずとも、その後に続く言葉など明白だった。
――だから、我が娘を伴侶にいかがですか?
誰も彼もがそう言いたがっているのだ。
……不要だ! 俺の気も知らないで!
そう感情任せに叫びそうになったが、ぐっと堪えて俺は何一つ感情の乗らない声を出した。
俺はあえて「弟を幽閉する兄」になったのだから。
一世一代の決意と覚悟を、少し煽られた程度で無に帰するわけにはいかなかった。
「水神の命は長い。俺には『伴侶』など、まだ早い話だ」
「いえいえ、そうおっしゃらず……」
「すまないが、少し疲れたから下がる」
そう言ってやれば、さすがに重臣たちも引き下がった。
だが、それでもぎりぎりまで食い下がってきたのが、彼らもまた一世一代の勝負をかけてきていたという証左であるのだろう。
……まあそれはそうか。娘が水神の伴侶となれば、ましてその娘が子を産めば、己は外戚としてこれまで以上の権力を持てるかもしれないのだから。
「それでも! 『火神』どもに舐められないためには、明日の彼らとの宴には伴侶を――あるいはせめて伴侶になる予定と言い張れるような女の一人くらいは、お連れになったほうが良いかと思われますよ! あちらは後継者も誕生したとのこと! 『今代の水神は豊穣の神も兼任しているというのに、伴侶も後継もないなんて「豊穣」が聞いて呆れる』などと水神様のことを馬鹿にしてくる可能性があります!」
……そして地味に痛いところを突いてくるから困るのだ。
分かっているさ。俺だって、それくらいのことは。
そして「水神」としての矜持もあるから、口喧嘩程度でも安直に屈辱を受け入れることは受け入れがたかった。
それでも火神との勢力争いに負けず劣らず、いやそれ以上に重要なことが俺にはあるのだから。
その日に向けて確実に対処をしなければならないから、火神に少しくらい舐められても良……くはないが、それでもどうしても伴侶探しなどにかかずらわっている場合ではないのだ。
はあ、と重臣たちに気取られぬようにため息を吐きながら執務室を出た、その瞬間。
「水神様、お話がございます」
目の前に現れたのは、なぜかにこにこと微笑んでいる「地の上からやってきた女」だった。
「何用か?」
「宴席があると伺いました。水神様、私をあなたの伴侶としておそばに置いてくださいませ」
――この私が火神からも重臣からも盾になりましょう。
「はっ!」
人間の娘が水神に向かって何と不遜なことを言うものか、と思った。
しかし同時に、彼女を利用すればどの臣下ともしがらみの無い「伴侶」を隣に置くことが出来るのか、とも思った。
伴侶さえいれば、変に火神に舐められて水神という存在の格を落とすこともなくなるはずだ。
そう。俺亡き後、あの子に遺すこの国は、できるだけ最上のものであるべきだ……。
そんな打算が、計画で固められた俺の未来に不確定因子という一石を投じてしまった。
「まあ……状況が状況ゆえ、やむを得ぬか」
――そうして、その三日後。
屋敷を来訪した「火神」との宴席にて。
「どうしてこうなった……」
俺の隣にはあの女――千香という女が立っていた。
どうしてなどと呟いてしまったが、どうしてもこうしてもなく、全ては三日前の自分の判断ゆえだということは分かっている。
それでも不意にその一言が俺の口からこぼれ落ちてきたのは、隣に立つ女のあまりにもにこやかな顔の裏にある本音がどうにも見えてこない苛立ちが大きかった。
「この女、何を考えている……」
「水神よ、どうした?」
「いや、なんでもない。あえて言うならば我が伴侶が疲れてはいないかと思っただけだ」
「……ふうん」
ただ「伴侶」を隣に置いた効果については――そして火神の反応については、全て予想通りだった。
火神はことあるごとに水神に突っかかってくるのだが、今日は落ち着いているように見える。
……いや、落ち着いているというのは語弊がある。
火神は全てこちらの予知通りに動いている。
だから何事も対応がしやすいのだ。
「……神の天命は変えられぬ。たとえ神でも、結末は変えられぬ。もし神の天命を変えられる者がいるとしたら、それはただ一人。天が遣わし、すべての神に愛されし『天子』のみ。ただ、そのような奇跡など雲を掴むような話だな……」
ほとんど空気に溶けるような声で囁くと、火神はこてりと首を傾げた。
「水神、何か言ったか?」
「……いいや」
そう。すでに定められている俺の天命は変えられないのだ。
「そうか。まあ良い。遺言がないなら、ここでお前は終わりだ!」
瞬間、銀のきらめきが目の前をほとばしった。
……ああ、弟に聞いた通りだ。
あまりにも予知通りすぎる光景に、俺はいっそ笑いが込み上げてきた。
――水神・凪は宴席で火神に殺される。
それが俺の天命。
そのはずだったのに。
「水神様!」
だから、この光景は決してありえるはずがなかったのに。
「……千香?」
なぜ、あの女の腹に銀のきらめきが刺さっているのだろう。
「なぜ変えられぬはずの神の天命が変わったのだ……?」
呆然とする俺を、千香はどこか得意げな眼差しで見遣っていた。
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