桃娘蜜月伝〜虐げられた姫は、時をこえ狼帝の孤独を溶かす〜


  *  *  *


 皇城の片隅には、ぽっかりあいた枯れ池がある。
 これを、みな『幽池』と呼んでいる。

「雨が降っても水がたまらず、夜には火の玉が飛んでいる……怪談話にはもってこいね。冬だけど」

 そんな不気味な話が持ち上がったのは、いつの話か。
 当然、だれも近寄りたがらない。だから荒れ放題なのだ。

「……はぁ、はぁ……ふぅ」

 雪をかき、落ち葉を掃き、足を取りそうな小石は脇にどかす。
 とほうもない作業に没頭しているうちに、あっという間に日が暮れてしまった。

「おなか、すいたな……」

 雪でも食べたら、すこしは満たされるだろうか。
 道ばたに座り込み、ぼんやりと考え込む。

「あーらお姉さま! お仕事を投げ出すなんて、いけないひと!」

 ろくに思考が働かない脳内に、きぃん、とかん高い声が響いた。
 声の主がだれかなんて、問うまでもなく。
 ふり向けば、思ったとおりの人物が、手提げ灯ろうを持った侍女たちを引き連れてやってきた。

「……美鈴、さま」
「はぁあ? 気安く呼ばないでちょうだい!」
「申し訳ございません……公主さま」

 すかさず平伏する。
 雪に埋もれたひたいが、冷たい。

「まったく、これだから卑しい血すじの役立たずは……」

 人形のようにととのった愛らしい顔つきで、鬼のように罵詈雑言を吐く少女──美鈴。
 わたしと、半分だけ血のつながった妹。
 くすくすと聞こえる嘲笑(わら)い声は、美鈴の侍女たちのものだろう。

「いいこと? 翌月にはわたくしの成人の儀がひかえているわ。その祝いに、とびきり豪華な離宮をくださると陛下もおおせなの」
「おそれながら……のろまなわたしでは、手に余ります。せめて人手を……」
妾腹(しょうふく)の分際で、わたくしに指図するというの!?」

 あぁ……まただ。

「気色悪いのよ! この白い髪も、陰気な目つきも!」
「きゃ……!」

 ぎりりと、髪をつかみ上げられる。

「わたくしが絶対なの。何度も言わせないで!」

 美鈴はそういって、わたしを突き飛ばした。
 これは、いつもの癇癪。
 黙って受け入れて、許しを乞う。
 そうするしか、わたしに道は残されていない。

「申しわけ……」

 だけど、でも。
 見てしまった。見えてしまったの。
 ひらひら、と。
 大事に大事にふところにしまっておいたはずの母の形見が、北風に飛ばされるさまを。
 ──さぁっと、血の気が引いた。

「待って! だめ!」

 身をひるがえして、一目散に駆け出す。

「いやだわ、あんなぼろ布のために」

 くすくす、くすくす。
 もう、だれに嘲笑われたっていい。

「母さまっ……!」

 わたしの、たったひとつの宝物。
 取り戻したくて、守りたくて。
 夢中でつかんだ、次の瞬間。

「……あっ」

 がくんと、ひざから崩れ落ちる。
 でこぼこした地面に、足を取られたんだ。

(……やってしまった)

 この先は、深い深いがらんどうの池。
 ちょっとした高所から、身を投げたようなものだ。
 打ちどころが悪ければ、最悪──

(でも、母さまに会えるなら、それで……)

 領巾を胸に抱きしめる。
 諦めかけた、そのとき。
 にじむ視界に、月が映った。

「えっ……」

 見間違いじゃない。月だ。
 いつの間にだろう。
 枯れ池が水で満たされ、満月を映し出していた。

(なんて……きれいなのかしら)

 まるで現実味のない光景に、見惚れた刹那。
 ──わたしは、月に呑まれた。