上着を勝手に着たのが気持ち悪かったのかもしれない。勝手にリュックに触って荷物を詰めたのが嫌だったのかもしれない。もっと根本的な何かが気に入らなかったのかもしれない。
そんな風に落ち込んでいても夜は来て、朝になる。
つまり、俺が波止場を起こしに行く時間が来るわけだ。
「はぁ、緊張する……」
俺は手鏡で自分の顔を確かめる。よし、顔は今日もばっちりだ。何度か笑顔の練習をしてから、玄関扉を開けた。
「おはようございます」
ご両親に挨拶してから波止場の部屋へ向かう。階段をのぼる足が僅かに重く、手が緊張で強ばっていた。
とうとう部屋の前に辿り着き、一度息を飲んでから扉を開ける。
「お、おはよう……王子くん」
既に波止場は起きており、ベッドから降りるところだった。
彼はぎこちなく笑うと、そのまま俺の隣を抜けてリビングへ向かってしまう。
俺が起こす前に彼が起きているのも、たった一言だけで挨拶を済ませられるのも、こんな風に逃げられるのも初めてだ。
完全に避けられていた。
気付けば手に持っていた紙袋を強く握っていた。紙袋には波止場が置いていったジャージの上着が入っている。手渡すタイミングはなかった。
目立つようベッドの上に紙袋を置き、リビングへ向かった。波止場は既に暗い顔をしながら朝食をとっていた。
波止場の両親が会話しない俺たちを見て、不安そうに眉を顰める。何か感じ取っているのかもしれない。
結局無言のまま身支度は終わり、俺たちは一緒に家を出た。
外はよく晴れ、青空が広がっていた。しかし俺たちの間にある空気は重く澱んでいる。
「波止場」
「……な、なに? 王子くん」
返事はするが、波止場は自分の手元を見つめたままだ。こちらを見ようとしない。
「その、何かあったか?」
怒らせたか? ときこうと思った。けど、はいと言われるのが怖くてきけなかった。そんな奴じゃないとは分かっているのに。
波止場は唇を引き結んだ後、誤魔化すように指先をいじる。
「……なに、も」
嘘だ。けれど、指摘できない。
彼に拒絶されるのも逃げられるのも初めてで、全てが怖くて仕方ない。
ひたすらに気まずい空気の中、俺は「そっか」としか言えなかった。
「あの、王子くん」
波止場が逃げるように背を丸める。つま先が不安そうに揺れていた。
「し、しばらく、一緒にいられない、かも」
一瞬、何を言われたか分からなかった。
数秒かけてその言葉を理解する。今度は頭がぶっ壊れるような目眩を覚えた。
「なっ」
なんで。どうして、とそんな言葉ばかりが喉の奥から膨れ上がった。しかし声にはならず、舌は「な」と細切れの音を差し出すばかりだ。
頬が引き攣る。王子様の表情が崩れていく。
「王子くんのせいじゃないよ。王子くんが悪いんじゃなくて、俺が悪いんだ」
彼の足が止まり、こちらを見やるように首を動かす。しかし視線を向ける直前で、恐れるようにまた下を向いてしまった。
波止場はただ、足元を見ている。
「……いつも、ごめん」
顔は見えない。けれどその声は泣き出しそうに震えていた。
その声を前にすると、何も言えない。
「な、泣くな。泣くなよ……」
「うん……」
「俺も悪かった、から」
「王子くんに悪いところなんてないよ!」
急な大声に驚き、肩が跳ねた。しかし波止場は俺以上に驚いており、自分が信じられないと言ったように口を塞ぐ。
「ご、ごめん。勝手だよね。本当にごめんね……」
波止場が怯えるように指先を震わせた。髪の隙間から見える顔色はとても悪い。
きっとここで俺がするべきことは、波止場を心配して励ますことだったのだろう。気にしてないと、勝手じゃないと言えるのは俺だけなのだから。
けれど、この時の俺は出来なかった。
波止場とずっと一緒に生きてきて、彼に拒否されたことなんて一度もなかったから。
ショックで、耐え難いほど傷ついて、心臓の裏側辺りが死にそうなほど痛かったから。
「……ごめん、王子くん」
逃げるように波止場が走り出す。背中が遠ざかっていくその様は、まるで曖昧な夢みたいだ。
現実感が伴わないまま、俺はただ呆然と彼を見送った。
そんな風に落ち込んでいても夜は来て、朝になる。
つまり、俺が波止場を起こしに行く時間が来るわけだ。
「はぁ、緊張する……」
俺は手鏡で自分の顔を確かめる。よし、顔は今日もばっちりだ。何度か笑顔の練習をしてから、玄関扉を開けた。
「おはようございます」
ご両親に挨拶してから波止場の部屋へ向かう。階段をのぼる足が僅かに重く、手が緊張で強ばっていた。
とうとう部屋の前に辿り着き、一度息を飲んでから扉を開ける。
「お、おはよう……王子くん」
既に波止場は起きており、ベッドから降りるところだった。
彼はぎこちなく笑うと、そのまま俺の隣を抜けてリビングへ向かってしまう。
俺が起こす前に彼が起きているのも、たった一言だけで挨拶を済ませられるのも、こんな風に逃げられるのも初めてだ。
完全に避けられていた。
気付けば手に持っていた紙袋を強く握っていた。紙袋には波止場が置いていったジャージの上着が入っている。手渡すタイミングはなかった。
目立つようベッドの上に紙袋を置き、リビングへ向かった。波止場は既に暗い顔をしながら朝食をとっていた。
波止場の両親が会話しない俺たちを見て、不安そうに眉を顰める。何か感じ取っているのかもしれない。
結局無言のまま身支度は終わり、俺たちは一緒に家を出た。
外はよく晴れ、青空が広がっていた。しかし俺たちの間にある空気は重く澱んでいる。
「波止場」
「……な、なに? 王子くん」
返事はするが、波止場は自分の手元を見つめたままだ。こちらを見ようとしない。
「その、何かあったか?」
怒らせたか? ときこうと思った。けど、はいと言われるのが怖くてきけなかった。そんな奴じゃないとは分かっているのに。
波止場は唇を引き結んだ後、誤魔化すように指先をいじる。
「……なに、も」
嘘だ。けれど、指摘できない。
彼に拒絶されるのも逃げられるのも初めてで、全てが怖くて仕方ない。
ひたすらに気まずい空気の中、俺は「そっか」としか言えなかった。
「あの、王子くん」
波止場が逃げるように背を丸める。つま先が不安そうに揺れていた。
「し、しばらく、一緒にいられない、かも」
一瞬、何を言われたか分からなかった。
数秒かけてその言葉を理解する。今度は頭がぶっ壊れるような目眩を覚えた。
「なっ」
なんで。どうして、とそんな言葉ばかりが喉の奥から膨れ上がった。しかし声にはならず、舌は「な」と細切れの音を差し出すばかりだ。
頬が引き攣る。王子様の表情が崩れていく。
「王子くんのせいじゃないよ。王子くんが悪いんじゃなくて、俺が悪いんだ」
彼の足が止まり、こちらを見やるように首を動かす。しかし視線を向ける直前で、恐れるようにまた下を向いてしまった。
波止場はただ、足元を見ている。
「……いつも、ごめん」
顔は見えない。けれどその声は泣き出しそうに震えていた。
その声を前にすると、何も言えない。
「な、泣くな。泣くなよ……」
「うん……」
「俺も悪かった、から」
「王子くんに悪いところなんてないよ!」
急な大声に驚き、肩が跳ねた。しかし波止場は俺以上に驚いており、自分が信じられないと言ったように口を塞ぐ。
「ご、ごめん。勝手だよね。本当にごめんね……」
波止場が怯えるように指先を震わせた。髪の隙間から見える顔色はとても悪い。
きっとここで俺がするべきことは、波止場を心配して励ますことだったのだろう。気にしてないと、勝手じゃないと言えるのは俺だけなのだから。
けれど、この時の俺は出来なかった。
波止場とずっと一緒に生きてきて、彼に拒否されたことなんて一度もなかったから。
ショックで、耐え難いほど傷ついて、心臓の裏側辺りが死にそうなほど痛かったから。
「……ごめん、王子くん」
逃げるように波止場が走り出す。背中が遠ざかっていくその様は、まるで曖昧な夢みたいだ。
現実感が伴わないまま、俺はただ呆然と彼を見送った。

