「波止場、帰る準備できたか?」
とある日の放課後。教室で自分の荷物をまとめる波止場に、俺は声をかけた。
波止場は将棋部で俺は英会話部だが、どちらも活動は週一しかない。二人とも部活がない日は一緒に帰るのが決まりだった。
この学校は勉強ばかりで部活に力を入れておらず、週五活動している文化部はほとんどない。
「王子くん。ちょ、ちょっと待って」
波止場はまとめた荷物をせっせとリュックに詰める。しかし焦っているからか荷物がぽろぽろ落ちてしまった。
「あー、もう。落ちたぞ。そんな焦らなくていいから」
落ちたそれをいくつか拾い上げ、渡す。波止場は「ありがとう」と言いつつも申し訳なさそうに眉を下げる。
そこで、教室の入口から声がした。
「すみませーん……」
か細い声だった。思わず振り返ると、教室の入り口にツインテールの女子生徒が一人立っているのが見えた。どこかで見たことがある顔なので、俺たちと同じ二年生だろう。
彼女が現れた途端、教室に残っていた生徒たちがざわめき始める。
何せ、その女子生徒は可愛かった。小さな肩は守ってあげたくなるような儚さに満ちていて、低い位置で結ばれた髪はうさぎの耳のように愛らしく、瞳は溢れんばかりに大きい。絵本の中のお姫様といった雰囲気だ。
「すみません……」
彼女は不安そうに視線をあっちこっちに向けた後、波止場を見つけた。その瞳が安心しように細められ、唇を可憐な笑みが彩る。
「湊くん……!」
「あれ……? 三国さん……?」
波止場が振り向く。その拍子にリュックが倒れ、教科書やペンケースやジャージなど荷物が全部床に散らばってしまった。がっしゃん! と激しい音が鳴る。
「あっ! あ、あぁ……」
女子生徒を気にしつつも必死にそれらを拾う波止場。しかし気がせいているのか、拾ったペンケースを何度も落としてしまう。
落とすことでますます焦り、ますます落とすという地獄みたいな悪循環だ。
「み、湊くん……」
その様を眺める女子生徒はひたすら申し訳なさそうにしている。拾うのを手伝いたいが、勝手によその教室に入る訳にもいかないと思っているのだろう。
俺は波止場の代わりに教科書を拾い、彼が拾い損ねたペンケースも拾った。
「波止場、呼ばれてるから行ってこいよ。俺、拾っておくから」
「で、でも、悪いよ」
「いいからいいから。あんまり女の子、待たせるなよな」
女子生徒を視線で示す。波止場はちらりと彼女を振り返り、小さく頷く。
「……そうだね。ごめんね、王子くん。いってくる……」
彼はぺこぺこ頭を下げた後、急いで彼女の元へ向かった。女子生徒は申し訳なさそうにしつつも小さく微笑む。
「湊くん、忙しい時にごめんね。ちょっと用事があって……来てもらってもいいかな」
二人揃って教室から離れていく。他の生徒たちもぞろぞろ出ていき、残ったのは俺一人だ。
夕暮れに染まる教室で、散らばった荷物を拾い集める。
「三国……さんか。知らない人だな」
俺と波止場は基本的に一緒なので、波止場の知り合いや友達はだいたい把握している。
しかし今の『三国さん』は知らない人だ。俺が知らない人ということは委員会や部活など、同行できないところでの知り合いだろう。
好きな人が知らない美少女に呼び出されている、そう思うと心の底がもやもやする。
「委員会か部活なら……業務連絡か?」
あえてそう言った。言葉にするともやもやが少しだけ収まる。
そりゃ波止場は格好いいので警戒は怠れないが、ちょっと呼び出されただけで嫉妬していたら身が持たない。余裕を持つのも王子様のつとめだ。
感情を落ち着かせるように教科書や、飛び散ったプリントやらを拾った。
そして、リュックから落ちたジャージも拾う。
「…………」
無言のままジャージの上着を広げた。波止場は俺より十センチ近く大きいので、当然上着も大きい。
今日は体育があったものの直前で保健体育に変更されたため、ジャージは未使用だ。ジャージからは波止場と波止場の家の匂いがしている。
「(着たい……!)」
さっきまでのもやもやを吹っ飛ばし、欲望が頭をもたげた。思わず一旦廊下まで出て人気を確認する。誰もいない。
「誰も見てない……見てない、よな? なら着てもいい……いいか……?」
ジャージを広げながら悩む。流石にちょっとまずいか? という気持ちと、このチャンスを逃したくない気持ちと、使用済みじゃないんだから許されるだろうという気持ちと、彼シャツしたいという果てのない欲望があった。
多分、さっきまでもやもやしていたのも原因だ。俺はもっと波止場に近付きたかったのだ。
「……い、一瞬だけ。だいたい波止場の服、でかいし。下心なしでもサイズ展開が気になるって言うか」
言い訳しながら上着をはおる。途端に波止場の匂いがした。長い袖は手をすっぽり覆い、布の重みは程よく俺を包んでくれる。
ドキドキする。漫画とかでよく「彼シャツすると抱きしめられてるみたい」と言われているが、その気持ちがよくわかった。
だからこそ、波止場の体温がここにないのを寂しく思ってしまう。本当に抱きしめて欲しいなんて気持ちが疼き、その感情を蹴散らすように強く目を閉じた。
自分の心臓の音が聞こえる。それはいつもよりずっと早く脈打っている。
その時、足音がした。はっと振り返る。それと波止場が教室に戻ってきたのは同時だった。
「(見られた……!?)」
やってしまった。慌てて上着を脱ぐ。さぁ、と頭の中が怖いくらい冷たくなった。
なんで目なんてつぶってしまったんだろう。なんで心臓の音が足音をかき消してしまうと予測できなかったんだろう。後悔が一瞬で押し寄せる。
波止場は何も言わない。彼は俺を見た後、目を逸らした。硬い仕草だった。
「…………」
波止場はひたすら押し黙っている。その表情は髪に隠れてよく見えないが、隙間から見える顔色はあまり良くない。
気持ち悪がられたか、嫌がられたか。そんな選択肢ばかりが脳裏に浮かんだ。
「は、波止場……」
「王子くん。荷物……拾ってくれてありがとう」
彼は荷物の詰まったリュックを手に取る。
「じ、じゃあね」
そして、走って去っていった。渡し損ねた上着が教室に残される。波止場の足音が響き、遠ざかっていく。
「……な、なんで……!? 一緒に帰るんじゃなかったのかよ!」
波止場に置いていかれたショックと見られたショックで頭がぐらぐら揺れた。教室が急激に広くなったように感じる。胸の中にあったもやもやは吹っ飛び、痛みに書き換えられた。
縋るように上着を掴んだ。波止場は戻ってこなかった。
とある日の放課後。教室で自分の荷物をまとめる波止場に、俺は声をかけた。
波止場は将棋部で俺は英会話部だが、どちらも活動は週一しかない。二人とも部活がない日は一緒に帰るのが決まりだった。
この学校は勉強ばかりで部活に力を入れておらず、週五活動している文化部はほとんどない。
「王子くん。ちょ、ちょっと待って」
波止場はまとめた荷物をせっせとリュックに詰める。しかし焦っているからか荷物がぽろぽろ落ちてしまった。
「あー、もう。落ちたぞ。そんな焦らなくていいから」
落ちたそれをいくつか拾い上げ、渡す。波止場は「ありがとう」と言いつつも申し訳なさそうに眉を下げる。
そこで、教室の入口から声がした。
「すみませーん……」
か細い声だった。思わず振り返ると、教室の入り口にツインテールの女子生徒が一人立っているのが見えた。どこかで見たことがある顔なので、俺たちと同じ二年生だろう。
彼女が現れた途端、教室に残っていた生徒たちがざわめき始める。
何せ、その女子生徒は可愛かった。小さな肩は守ってあげたくなるような儚さに満ちていて、低い位置で結ばれた髪はうさぎの耳のように愛らしく、瞳は溢れんばかりに大きい。絵本の中のお姫様といった雰囲気だ。
「すみません……」
彼女は不安そうに視線をあっちこっちに向けた後、波止場を見つけた。その瞳が安心しように細められ、唇を可憐な笑みが彩る。
「湊くん……!」
「あれ……? 三国さん……?」
波止場が振り向く。その拍子にリュックが倒れ、教科書やペンケースやジャージなど荷物が全部床に散らばってしまった。がっしゃん! と激しい音が鳴る。
「あっ! あ、あぁ……」
女子生徒を気にしつつも必死にそれらを拾う波止場。しかし気がせいているのか、拾ったペンケースを何度も落としてしまう。
落とすことでますます焦り、ますます落とすという地獄みたいな悪循環だ。
「み、湊くん……」
その様を眺める女子生徒はひたすら申し訳なさそうにしている。拾うのを手伝いたいが、勝手によその教室に入る訳にもいかないと思っているのだろう。
俺は波止場の代わりに教科書を拾い、彼が拾い損ねたペンケースも拾った。
「波止場、呼ばれてるから行ってこいよ。俺、拾っておくから」
「で、でも、悪いよ」
「いいからいいから。あんまり女の子、待たせるなよな」
女子生徒を視線で示す。波止場はちらりと彼女を振り返り、小さく頷く。
「……そうだね。ごめんね、王子くん。いってくる……」
彼はぺこぺこ頭を下げた後、急いで彼女の元へ向かった。女子生徒は申し訳なさそうにしつつも小さく微笑む。
「湊くん、忙しい時にごめんね。ちょっと用事があって……来てもらってもいいかな」
二人揃って教室から離れていく。他の生徒たちもぞろぞろ出ていき、残ったのは俺一人だ。
夕暮れに染まる教室で、散らばった荷物を拾い集める。
「三国……さんか。知らない人だな」
俺と波止場は基本的に一緒なので、波止場の知り合いや友達はだいたい把握している。
しかし今の『三国さん』は知らない人だ。俺が知らない人ということは委員会や部活など、同行できないところでの知り合いだろう。
好きな人が知らない美少女に呼び出されている、そう思うと心の底がもやもやする。
「委員会か部活なら……業務連絡か?」
あえてそう言った。言葉にするともやもやが少しだけ収まる。
そりゃ波止場は格好いいので警戒は怠れないが、ちょっと呼び出されただけで嫉妬していたら身が持たない。余裕を持つのも王子様のつとめだ。
感情を落ち着かせるように教科書や、飛び散ったプリントやらを拾った。
そして、リュックから落ちたジャージも拾う。
「…………」
無言のままジャージの上着を広げた。波止場は俺より十センチ近く大きいので、当然上着も大きい。
今日は体育があったものの直前で保健体育に変更されたため、ジャージは未使用だ。ジャージからは波止場と波止場の家の匂いがしている。
「(着たい……!)」
さっきまでのもやもやを吹っ飛ばし、欲望が頭をもたげた。思わず一旦廊下まで出て人気を確認する。誰もいない。
「誰も見てない……見てない、よな? なら着てもいい……いいか……?」
ジャージを広げながら悩む。流石にちょっとまずいか? という気持ちと、このチャンスを逃したくない気持ちと、使用済みじゃないんだから許されるだろうという気持ちと、彼シャツしたいという果てのない欲望があった。
多分、さっきまでもやもやしていたのも原因だ。俺はもっと波止場に近付きたかったのだ。
「……い、一瞬だけ。だいたい波止場の服、でかいし。下心なしでもサイズ展開が気になるって言うか」
言い訳しながら上着をはおる。途端に波止場の匂いがした。長い袖は手をすっぽり覆い、布の重みは程よく俺を包んでくれる。
ドキドキする。漫画とかでよく「彼シャツすると抱きしめられてるみたい」と言われているが、その気持ちがよくわかった。
だからこそ、波止場の体温がここにないのを寂しく思ってしまう。本当に抱きしめて欲しいなんて気持ちが疼き、その感情を蹴散らすように強く目を閉じた。
自分の心臓の音が聞こえる。それはいつもよりずっと早く脈打っている。
その時、足音がした。はっと振り返る。それと波止場が教室に戻ってきたのは同時だった。
「(見られた……!?)」
やってしまった。慌てて上着を脱ぐ。さぁ、と頭の中が怖いくらい冷たくなった。
なんで目なんてつぶってしまったんだろう。なんで心臓の音が足音をかき消してしまうと予測できなかったんだろう。後悔が一瞬で押し寄せる。
波止場は何も言わない。彼は俺を見た後、目を逸らした。硬い仕草だった。
「…………」
波止場はひたすら押し黙っている。その表情は髪に隠れてよく見えないが、隙間から見える顔色はあまり良くない。
気持ち悪がられたか、嫌がられたか。そんな選択肢ばかりが脳裏に浮かんだ。
「は、波止場……」
「王子くん。荷物……拾ってくれてありがとう」
彼は荷物の詰まったリュックを手に取る。
「じ、じゃあね」
そして、走って去っていった。渡し損ねた上着が教室に残される。波止場の足音が響き、遠ざかっていく。
「……な、なんで……!? 一緒に帰るんじゃなかったのかよ!」
波止場に置いていかれたショックと見られたショックで頭がぐらぐら揺れた。教室が急激に広くなったように感じる。胸の中にあったもやもやは吹っ飛び、痛みに書き換えられた。
縋るように上着を掴んだ。波止場は戻ってこなかった。

