徒花妃の開花録

 牡丹、芍薬、茉莉花、木瓜、桔梗、薔薇、菊、水仙——。

「ええと、これらはいったい……?」

 咲華の手にあるのは熾栄から渡された紙片だ。そこに書かれた花の名前とにらめっこして頭を悩ませている咲華に、熾栄はことも無げに答えた。

「後宮に植えるつもりの花だ。これだけ咲けばさぞ華やかだろう」
「あ、あの……陛下。恐れながら花には咲く時季がございます。これらすべてが同時に咲くのは難しいかと……」
 
 一流の花匠とて、頭を悩ませる問題だ。
 しかし、熾栄には初耳だったらしく、大仰に目を見開いた。
 
「……そうか。花には詳しくなくてな。思いつく限りを並べただけだ」
「はあ……後宮を花畑になさるなんて、いったいどういう風の吹き回しですか」
「おかしなことを。妃の住まう場を花で飾ることなど当たり前だろう」
 
 さらりと返された内容に、今度は咲華の方が目を丸くした。

 熾栄の痣が消えてからひと月が経った。
 幸いなことに痛みの再発もない。鴆の呪いはかの種によって完全に浄められたと見て間違いないようだ。
 咲華は、その立役者たる花を見つめる。
 熾栄の生命を救った花は、今もなお、熾栄の私室をその純白で清めるように咲き誇っていた。
 かつて咲華が育てた牡丹は、熾栄の痣を撫でるように清めるだけで枯れてしまったが、この花はあれだけの呪いを芯から消し去りつつも、萎れる気配すら感じさせない。
 言い伝え通り、かの種に宿った力は、尽きせぬ泉のようだ。

 そして、その力を受けた熾栄はというと——。
 
「改めて、そなたの立后式を執り行うため日取りを占わせている」

 そう。お飾りの妃であった咲華を、正式に熾栄の皇后として認めることにしたのだ。
 輿入れ以来、とんと放っておかれた身の上ゆえにどうにも現実感が持てない咲華だが、熾栄の号令の元で周りは着々と準備を進めている。

「そうだ、弟を帰還させる手筈も整ったぞ。近く都へ戻ると連絡があった。空気の良いところで療養させていたのが功を奏したらしく、最近は体調を崩すことも少なくなったそうだ」

 熾栄の低いながらも弾む声で伝えられた朗報に、咲華も手を打って喜ぶ。
 
「それはおめでとうございます! では、弟君はこのままこちらで暮らすのですか」
「ああ。あやつめ、少し見ないうちにますます切れ者になりおって……我の補佐役としてならこちらに帰ってもいいなどと言い出してな。おかげで我はこのまま玉座に縛り付けられる羽目になった。兄を相手に駆け引きするなどと不敬なやつだ」

 そう毒づきつつも、熾栄の表情は明るい。
 久しぶりに再会した兄弟は、真っ先にどのような言葉を交わすのだろうか。
 それを考えただけで微笑ましくなり、咲華は頬を緩めた。
 だが、熾栄はため息と共に手紙を畳む。頬杖までついた姿に、咲華は首を傾げた。
 
「それにしてもだ」
「なにか……お困り事でも?」
「ああ。知っての通り、弟は才気溢れる若者だ。見目は……兄の目からすると線が細すぎるが、それがいいと黄色い声を上げる女も多い」
 
 そこで熾栄は言葉を止めた。無言で見つめられ、咲華はどきまぎとする。

「な、なんですか」
「そなたまで弟に夢中になられたら、我も考えねばな——と案じただけだ」

 真顔で告げられた内容に、咲華は脱力した。

「まだわたくしは弟君のお顔を見てもいないのに……杞憂ではないですか」
「ふん、どうだかな。我の目を盗んで弟と文を交わした仲ではないか。そなたもあの流麗な筆蹟を見ただろう。あれがあいつの人柄そのものだ。繊細かつ芯のある器量だ。たいていの女人はころりと参るぞ」
「人聞きの悪いことを仰らないでください! あの文は緊急事態だったのですよ。そ、それに……」

 咲華は不自然な間をもって口ごもる。続きを急かすように熾栄が顎を向けた。

「それに……わたくしは、陛下の、妃……なのです、から、そうしたご心配は……杞憂、かと」
 
 いつもはきはきと快活な咲華には珍しく、しどろもどろな口調で語尾が消え入りそうだった。
 ようやく口を閉じた頃には頬はかっかと燃えるように熱く、耳まで赤くなっている。

「そんな顔は初めて見たな」

 悪戯小僧のように口の端を上げた熾栄が、目を爛々と光らせて席を立つ。
 座っている肘掛け椅子に覆い被さらんばかりに近づかれ、咲華は目を白黒させた。

「へ、陛下。近い、です」
「何を今更」

 熾栄の豊かな黒髪が咲華の肩にすべるように流れ落ちる。
 緋色の瞳は隻眼ですら威容を放っていたのだ。こうして対の眼となるとさらに迫力が増す。
 
「こ……此度の期間は!」

 咄嗟に口走った内容に、さしもの熾栄も動きが止まった。

「期間?」
「また……一年間なのですか」
「また?」

 言葉を交わすも話が噛み合わない。
 咲華はきゅっと唇を引き結んで思考を整理すると、意を決して言い放った。
 
「此度の——立后の期間は、また一年間のお約束なのですか」

 前回のような口約束を繰り返して、またもやたやすく反故にされてはたまらない。
 今度はきちんと書面に残すつもりで筆を取ろうとした咲華だが、熾栄はその手を掴んだ。

「……そなた、何もわかっておらんな」
 
 ため息混じりに熾栄がかぶりを振る。

「何も、とは」
「もう……徒花を咲かせろなどとは申していない」

 熾栄は咲華の手首を掴んだまま、手のひらを包み込んだ。固い指の腹が薄い皮膚を優しく撫でる。

「花が咲き実をつけるまで……いや、その先までも我の隣にいろ。花匠として数多の花を咲かせ、またそなた自身も凛と咲き誇っていてほしい」

 求婚の文句にも似た響きだ。だが、咲華は甘い囁きに素直に身を任せられるような性格ではなかった。

「それは……気の長いお話ですね」

 色気のない返事に熾栄は苦笑する。しかし、咲華の反応を楽しんでいるようにも見えた。

「ああ。まだ我らは互いのことをよく知らぬ。だからこそ、ゆっくりと育まねばならないことが山とある。確かに先は長いが……そなたとならば、音を上げずにやっていけそうだと信じている。我の生命を再び咲かせてくれたそなたとならば、な」

 熾栄の瞳が揺れている。
 彼の瞳の奥にちらつくのが、いつもの傲岸不遜な自信だけではないことを感じ取って、咲華はあえて返答に間を置いた。

「それは……大役ですね」
「怖じ気づいたか?」

 悪戯っぽく笑う熾栄に、咲華も負けじと強気な表情で微笑み返す。

「望むところです」
 
 互いの瞳に映り込む距離で交わされる言葉。これはかつての再現だ。

「陛下こそ——わたくしに寄せたお心を離さぬようにご注意くださいませ」
 
 咲華の笑みに、熾栄も吐息で笑う。
 
「は……そう、そうだ。それでこそ我が妃よ。火花のように激しく咲きながらも、その芯には慈しみの心が宿る花——咲華。そなたと共に育てる花は、どのような実を結ぶのだろうな」
「それは……わたくしたちの心がけ次第です」

 咲華がすっと腕を伸ばして熾栄の頬を包む。

 ひとつになった影を、純白の花だけが見つめていた。