徒花妃の開花録

 その夜、熾栄は自室でひとり筆を走らせていた。
 
「もうじき……すべて終わる。待っていろ」
 
 その筆運びは時折呻き声により途切れ、紙の所々には墨が飛び散って読めない箇所もあった。
 書き終えたのは文だ。
 荒い呼吸を落ち着かせながら読み返した熾栄は、自分の手蹟が往時に比べて目も当てられないことを目の当たりにし、苦笑する。
 
「この程度……あいつなら読みこなすだろう。いや、読んでもらわねば困るな。我の弟なのだから」
 
 ずきん、と眼帯の奥が熱く痛む。
 
「う……っ」
 
 手のひらを押し当てて文机に突っ伏しかけたが、痛みの波は次第に去っていった。
 
「は……やはり、あの花とやらは一時しのぎに過ぎなかったか」
 
 だが、一度も和らいだことがなかった痛みが、ほぼ消え失せたのも事実だ。
 熾栄は花とともにひとりの少女を思い出す。
 種咲華。
 正妃としての家柄を後ろ盾に後宮入りしたにもかかわらず、宙ぶらりんな身分しか与えられぬ娘。
 
「それを与えたのは俺だがな」
 
 冷遇すれは出ていくと踏んでいた。この宮は危険だ。巻き添えを食うものはひとりでも少ないほうが良い。
 だが、彼女は出ていくことはしなかった。
 なかば言い訳として任じた花匠の仕事に励み、後宮を——そして、熾栄の目を浄めてしまった。
 清らかな娘なのかと思いきや、はじめの日に見せた、あの苛烈な表情は決して忘れられない。
 皇帝に宣戦布告する妃など見たことがない。
 そして先程見せていた、花の名誉を傷つけられたことへの怒り。
 激情に突き動かされるのは、必ずしもいいことではない。だが、同じ気持ちを抱いていたもの同士、それを止めるのは心が痛む。
 あれはまだ熾栄が幼い頃だ。小柄で病弱な弟が、他のきょうだいに蹴られてうずくまっていたとき、蹴散らす勢いで立ち向かっていったことを思い出す。
 あの時の自分を見るようだったのだ。
 
「……そうだな、あの時の気持ちを忘れてはならぬということだ。思い出させてくれて礼を言うぞ、種咲華」
 
 熾栄の口の端がふっと上がる。
 文の宛名は——弟だ。