徒花妃の開花録

 咲華の入宮から数日で、後宮は一気に花があふれるようになった。
 庭にはそれぞれの方角に即した草花が植えられ、野放図に伸びていた枝は丁寧に剪定されてあるべき姿に正されている。
 それは宮中も同じだ。
 素朴で可憐な野花が揺れる一輪挿しに、外の風に煽られぬようにと大ぶりの花瓶に守られる大輪の花。
 ひとひらの花びらから生み出される生の息遣いが、後宮を鮮やかに彩り始めた。

「これは……」
 
 とある花瓶の前に佇む人影があった。 熾栄である。
 風雅な花瓶に大輪の牡丹がよく合っている。
 目を留めた時から、まるでこちらに笑むように咲いた牡丹。
 淑やかさと大胆さ、双方を兼ね備えたうつくしい姿に、熾栄は目を奪われていた。
 ここに至るまでの道すがらにも、いくつか見慣れぬ花が活けてあったことを思い出す。そのどれもが、花瓶と花の相性はもちろん、その場ごとの陽射しや方角を考えられたものであった。
 熾栄は花瓶の置かれた台座を見る。花殻も花粉も落ちていない。
 それでも牡丹から漂う甘い香りは本物だ。

「……っ」
 
 熾栄は左目に違和感を覚えて手で覆った。
 長い間、左目に燻ってきた熾火。あかあかと己の内を舐めるその火は、絶えずまなこの裏側を苛んでいる。
 このちりちりとした痛みは強さを増すことはあれど、薄らぐことはなかった。
 しかし、この感触は。
 
「……痛みが、薄れている……?」
 
 勘違いかと瞬きを繰り返す。だが、今まで勘違いなど起こしたことはなかったのだ。
 氷水で冷やそうが薬草を当てようが、一切薄らぐことのなかった痛みが、確かに軽くなっている。
 動揺する熾栄の目の前で、はらりと花びらが一枚落ちた。
 今まで色鮮やかな桃色をしていたはずなのに、落ちた花びらはすっかり枯れ果てたように沈んだ色だ。
 
「何が……起きている?」
「花が陛下の呪いを吸ってくれたということです」
「!」
 
 ひとり言に答えが返ってきた熾栄は勢いよく振り向く。そこには咲華が立っていた。
 
「……種 咲華」
「覚えていてくださり光栄です」
 
 礼儀正しく頭を下げた咲華は、すっと顔をあげると静かな面差しのまま熾栄に近づいてくる。
 
「やはり、そのお目は呪いですね」
「おい、無礼だと思わぬのか」
「なにがでしょう? 陛下はわたくしに、花匠として後宮に居よと仰いました。これはその役目を果たしているだけのこと。それに——花は嘘をつきません」

 咲華は熾栄の前でぴたりと止まる。腕を伸ばせばぎりぎり触れられそうな距離だ。
 しかし咲華は熾栄に視線を向けることなく、まっすぐ牡丹を見て、悲しそうに眉を寄せた。
 
「ご覧ください、あんなに色鮮やかだった花が、陛下がお側にいるだけでこのように」
 
 咲華が示す通り、落ちた花びらを追って、他の花びらも萎れていく。その色はどんよりと沈み、花は己の重みに耐えきれずにぐったりと頭を垂れていた。
 
「その牡丹には少しばかり不思議な力がございます。清める花……とでも言いましょうか。普通の花が光と水を養分とするように、これは清らかな気を糧として咲く花なのです」
「ふん、そういった花を扱うのもお家芸ということか」
「ええ。むしろこちらの方が本分ですね。そして、花の役目を遂げさせてやることもまたわたくしの仕事。この牡丹は陛下の御前で咲き——そして枯れていった」

 咲華の言い回しには含むところがある。
 熾栄はぎろりと咲華をねめつけた。

「清らかな花が我のせいで枯れたと? 我が穢れているとでも言うつもりか。この目をして呪われた帝などと——お前も噂を耳にしたようだな」

 しかし、熾栄のまなざしを前にしても、咲華は一歩も引かずに見つめ返す。

「噂は聞きました。しかし、わたくしは皇帝陛下が穢れているとは思いません」

 きっぱりとした口調。
 おもねるような視線は感じられない。
 見定めようとする熾栄にも臆さずに、咲華は言葉を続ける。

「わたくしは申し上げました。この牡丹は清らかな気を養分として咲く花だと。そして、これは陛下の御前で咲いたのです。それこそがすべての答え」
「……花が、判断基準だと?」
「ええ。この花瓶の前に立ったのが幾多の血を浴びた人間でしたら、この牡丹は咲くことはありません。むしろぼろぼろに朽ちてしまいます。ですが、牡丹は陛下のために咲きました。牡丹は王者の花と呼ばれております。それゆえ、この牡丹は王者たる陛下のため、その御身を蝕む呪いを肩代わりしてでも助けたいと願い、その生命を散らしたのでしょう」

 澱みない咲華の口舌を聞き、熾栄は唇を歪めて嗤う。

「ずけずけとものを言う女と思えば、今度は世辞か。今更何が目的だ。媚びを売れば我が絆されると思ったのか」

 嘲りで咲華を一蹴すると、熾栄は更に語気を強める。

「この花が我のために? 馬鹿な献身をする花だな。奇術でも使ったと言われるほうがよほど納得がいく」

 その言葉を聞いた途端、きっと咲華は熾栄を見据えた。
 
「それは花匠に対する——いいえ、花への侮辱でごさいます」
 
 枯れゆく牡丹を見つめていた時のまなざしではない。眉に力が入り、瞳の奥には燃え上がらんばかりの炎が見える。
 熾栄はその挑発にあえて乗ろうと、わざと声色を軽くした。
 
「なんだ、怒ったのか? 図星か」
「わたくしを軽んじるだけなら構いません。わたくしには口があり、こうして言い返すことができます。ですが、花に口はないのです。何も持ち合わせてはおらず、枯れればそれきり。それゆえ、わたくしには花匠として花を守る義務があります」

 咲華の語気も強まる。最高権力者たる皇帝を前にしても一歩も引かぬその姿勢のまま、言葉で立ち向かい、切り結ぶ。

「牡丹はその生命を精一杯使い切ったのです。それを馬鹿にするなど言語道断」

 真っ向からそう言い切った咲華に、流石の熾栄も絶句した。
 頬を引きつらせる熾栄に咲華は追撃を緩めない。

「花はいずれ枯れます。それゆえに、その花にとって一番うつくしく咲ける時と場を与えてやりたい。それが花匠の心根です」
「そのうつくしく咲ける場を台無しにしたのが、我とでも言いたいのだろう」
「台無しとは申しておりません。この花は己の役割を果たしたのです。その結果として起きたことは、陛下が御身を持ってご存知かと」
 
 熾栄は萎れた牡丹を横目で見る。こうして話している間にも花びらが一枚、また一枚と散っていく。
 それと引き換えに、左目の奥が流水に浸かっているように冴え冴えとしていくのだ。
 
「やはり——呪い、なのですね」
 
 咲華が静かに眼帯の奥を見つめる。熾栄はその視線には応えない。
 しかし、咲華を見ることなく口を開いた。
 
「お前は矛盾している」
「矛盾?」
「花匠は花をうつくしく咲かせるのが仕事だと言った。そして我についての噂を知っていた……ならば、なにゆえ花をわざわざ枯らすような真似をする。お前の行いこそ、花を冒涜しているのではないのか」
 
 熾栄は散るより早く台座に落ちてしまった花を丸ごと掴む。そして咲華に見せつけるように、ぐしゃりと握りつぶした。
 熾栄が手を開けば、乾いた残骸が虚しく空を舞う。
 咲華は床に落ちた残骸を見下ろし、振り切るように顔を上げた。
 
「——陛下、すべてのものには役割がございます。その役割を果たしてこそ、うつくしく咲けるのです。それは花であろうと人であろうと同じこと。この花の役割は、ただ行き交う人々の目を楽しませることではございません。これはこの宮中に巣食うけしからぬ気配を炙り出すために咲いて、散ってもらいました」
「けしからぬ……」
「ええ。うつくしく咲いたことで、こうして陛下のお目に留まりました。そして、陛下の御身の内を苛む呪いを浄めることで役割を終えたのです。花匠は、花それぞれに役割を与え、そうとは知れぬままに散らせます。こたびは陛下のお身体に関することでしたので、こうしてお知らせ申し上げましたが、本来でしたら静かに次の花と取り替えております」
「……ということは、他にもお前の息のかかった花があるということか。おそらく別の役割とやらを任じられた花々が」
「お察しの通りです。ご聡明な陛下、一から十、否、千をも見通していらっしゃる」
 
 淡々と返した咲華に、熾栄は目を細めた。
 
「あからさまな世辞はいらぬ。元よりお前に花匠として後宮に居ることを任じたのは我だ」

 ふ、と熾栄は息をついた。身じろぎひとつせぬ咲華の輪郭をその隻眼で見定める。

「お前はいつも、誰に対してもそうなのか?」
「そう……とは?」

 そこで咲華は、はじめて強張っていた表情を緩めた。額が少しなごやかになる。

「苛烈で、凛として……お前の出で立ちは花というより火花だ」

 そう。ふわりと穏やかに咲くというよりかは、その一瞬にすべてを賭けて生きていると言うべきか。
 熱く、まっすぐで、裏表がない。
 咲華はそこで気まずそうに眼を泳がせた。
 
「……花に関しては熱くなりがちで、見境がなくなる自覚はあります。言葉が過ぎました」

 一転して素直に頭を下げられて、熾栄は苦笑した。
 本当にこの娘は、植物を愛しているようだ。
 愛する者のためならどんな相手にも立ち向かう。
 その勇気に、重なるものがあった。
 ふ、と熾栄の心の紗が揺れる。
 そこからまろびでたのは思い出だった。
 
「お前を見ていると……幼い自分を思い出す」

 そこで咲華は顔を上げた。自分の噂について聞いているのなら、弟のことも多少は知っているのだろう。

「弟は体が弱くてな。あれでは帝位に着くまでに体がもたぬと……義兄弟たちや口さがない大人たちにも言われていた。俺がいくら憤慨しようと、受け流せなどと……あの年で弟に諭されるとは思わなかったが、その頃からあいつは心根が大人だった」

 熾栄は思い出の中で弟の枕元にいる。
 荒い呼吸のなか、氷嚢を当てられてほころぶ口元が痛々しい。
 なにより、何もしてやれぬ我が身が情けない。
 だというのに、周りは弟の命の灯を吹き消さんばかりに不吉なことばかり吹き込んでくる。
 だから、せめてそういったものから弟を守りたかった。

「我は幼い時から体躯だけは一丁前だったからな。義兄たちに飛びついては弟に謝れと食って掛かったものだ。ぼろぼろに負けた時もある。逆に腫物を扱うようにされたこともある。だが……後悔はしていない」

 熾栄の焦点が、幼い日から今この瞬間に引き戻される。
 彼の目の前に立つのは幼い自分ではない。
 どこかあの時の自分と似た、信念を持ったひとりの女人だ。

「我は間違ったことをしていないのだからな。昔も——今も」

 そうだ、自分はあの時から何も変わっていない。
 歯がゆさに身を焦がし、それでも足掻き続けている。
 それをこの娘に思い知らされたのは、偶然なのだろうか。

「間違っていないと……?」

 そう繰り返した咲華に、熾栄は頷く。

「誰もわかってくれずとも、己だけが知っていればいいこともある」
「それは……陛下を知るのは、蒼鳴様だけでよいと……いうことなのでしょうか」
 
 蒼鳴。
 その響きを他人から聞くと妙な気持ちになる。
 日記帳を読み上げられたような落ち着かなさが体中を駆け巡る。

 熾栄は枯れた牡丹を見下ろす。
 その生命いっぱいに咲いたというのに、時に任せるままにもできず、他人によって散らされることを役目として散った、儚き命の残骸だ。
 
「この花は、我を恨んでいるだろうな」
 
 そこで咲華は不可解な表情を見せた。澱みなく熾栄に答えていた自信溢れるまなざしではない。
 熾栄の言うことが理解しかねると言わんばかりに、かすかに首を傾げている。
 
「……仰る意味が、わかりかねます」
「お前が申していたではないか。花に与えられたそれぞれの役目とやらを。それによれば、こやつは咲く前から我の代わりに散り果てるというさだめを背負わされていたのだろう。誰かのために命を捨てることを押し付けられては……花とてたまらん」
 
 そこで熾栄は静かに床に膝を着いた。
 咲華がぎょっとしてその様を見下ろす。
 
「へ、陛下?」
「お前に額づいたわけではないわ」
 
 そう毒づきながら、熾栄は己の手のひらに、落ちた残骸を拾い集める。
 
「……もっと咲いていたかったろうに」
 
 熾栄の指先が花びらをつまむ。その途端にもろくも崩れ、粉になってさらさらと床にこぼれ落ちる。
 
「陛下、そのようなことはわたくしが」
 
 咲華は手巾を取り出すと、熾栄の手の下で受けるように広げる。熾栄は形を保ったまま拾えたものと、咲華を交互に見て、無言で手の中のものを手巾に落とした。
 
「花匠は花を弔うのも役割か」
「ええ。ひとひらずつに感謝し、また次の生命を育むための堆肥にします」
「そうか。なら——弔ってやってくれ」
 
 静かに花びらを受けた咲華は目を伏せた。
 そのまま、ゆっくりと口を開く。

「……よろしければ、蒼鳴様にも、花を手向けたく思いますが」
「いらぬ。余計な気を回すな。我のために散る花はこれ以上あってはならぬ」

 その時、熾栄がはじめて、咲華を真正面から見つめた。
 緋色のまなざしで目の前の花を見据える。
 
「種 咲華……顔を上げろ」
 
 素直に応じた咲華の面差しを、熾栄はその隻眼で貫かんばかりに見据える。
 やはり、この娘を正妃にするわけにはいかない。
 花をもって人心を平らげ、自らの信念のために譲ることのない芯を持つ、稀有なる娘。
 この瞳に業火が燃え上がろうが、焼き尽くすものはひとつしか残してはおけぬのだ。

「……ご苦労。花匠として、励め」
 
 そう言い残して熾栄は立ち去った。


 熾栄を見送ったあともしばらくその場に留まっていた咲華だが、やがて顔を上げる。そして熾栄が拾いきれなかった花を手箒で手早く集めていった。
 
「呪いを受けているのは本当なのね……ただ、その由来はわからない」

 その時、耳飾りがりんと鳴った。
 とっさに触れるが、もう音は鳴らない。
 ただ、嵌め込まれた種がかすかに脈打っているのを感じる。

「どういう、こと?」
 
 その問いに答えるものはいない。
 とくん、とくん。
 耳を揺らす鼓動を感じて咲華は考えを巡らせる。

「文を……書かないと。陛下の文に合わせて出せば着くはず」
 
 誰とはなしに呟いて、咲華は掃除を手早く済ませた。