ぱちん、ぱちんと金属の音が響く。
咲華と桃鈴は剪定した花々を花瓶に活けていた。
桃鈴が物置から拝借してきた花瓶に、咲華は丁寧に花を活けていく。
この花々は嫁入りの時に乗っていた輿を彩っていたものや、庭に咲くものの中から見繕って咲華が剪定したものだ。
花瓶からこぼれんばかりの蘭を瑞々しく活けた咲華の手つきに、桃鈴はほうと息を漏らす。
「やはり咲華様のお手は素晴らしいです。元から美しい花が、咲華の手の中でもう一度新たな生命を得たような……」
「そう? それなら、きっと師匠が良かったのよ」
咲華は照れくさそうに、だが誇らしげに微笑んだ。
「旦那様はわたしのような身分の者にも、とてもお優しく、葉の一枚一枚をも愛おしまれるお方です。なのに、お姿は牡丹もかくやと言うほどに威厳に満ち溢れていらして……」
「ふふ、桃鈴はわたくしの父様が大好きね」
「も、申し訳ございません」
真っ赤になって首を振る桃鈴の頭を咲華は撫でてやる。そして、花瓶に向き合い改めて背筋を伸ばした。
「わたくしも父様が好きよ。花匠としてのいろはを教えこんでくださったお師匠様だもの。だけど……」
そこで咲華のまなざしにふと影が落ちる。
「宮中へ行けなどというから花匠として働けると思ったのに、まさか妃になれだなんて……父様はお花と話すのは得意だけれど、わたくしには言葉が足りなすぎるわ」
「だ、旦那様は……咲華様ならその意をお汲み取りになれると思われたのではないでしょうか。咲華様の才は花匠としてのみ発揮されるものにあらず。お妃様として、皇帝陛下を助け……ひいては、この歪に傾く宮中を花咲き誇る桃源郷になさりますようにと、そう託されたのでは」
訥々と語る桃鈴に、咲華は軽く頷く。
「なんだか桃鈴のほうが実の娘みたい」
「す、すみません、さしでがましいことを……っ」
頭を深く下げた桃鈴が膝で下がろうとするのを、咲華は留めて首を振る。
「いいの。桃鈴がそう言ってくれることで、わたくしも自分の立ち位置をきちんと認識できるから」
ひとつの花瓶を活け終わった咲華は、改めて耳飾りを外す。
「我が家に伝わる種……これを目覚めさせ、対話し、扱えるようになるのがお役目」
咲華は自分に言い聞かせるように呟いた。
ひとつ、またひとつ。
宮中に花が咲いていく。
「あら、こんなところに花なんて活けてあった?」
「さあ……」
「さあ、じゃないわよ。おかしいと思わない?」
ある女官が花瓶に気づいて声を上げた。すると、数人が集まりだして花瓶を取り囲む。
そのうちのひとりが腰に手を当てて顎を上げた。
「これのお世話もしろってこと? 仕事ばかり増やさないでよね」
「そうそう、陛下が後宮を広げないから余った働き手は次々解雇されて、結局残ったあたしたちが大変な思いをしてるのに」
口々に交わされる言葉にはトゲが目立つ。ため息混じりの愚痴はその場の空気を澱ませる。
そこに通りがかった別の女官が、花瓶を見て声を上げた。
「ああそれ? 少し前から置いてあるわよね。ずっと綺麗に咲いてるのに、萎れたものや花殻は見当たらないわよ。誰かが手入れしてるんじゃない?」
「そうそう。ここだけじゃなくて、向こうの棟にも似たようなものが置いてあるわ。水もいつのまにか誰かが替えているみたい」
また別の女官も話に加わり、ひょいと花瓶の中を覗いた。すると、訝しんだひとりが眉をひそめた。
「誰かって……誰? あたしは今日初めて気づいたのよ。あんたたちだって見ているだけで手入れしているわけじゃないでしょ?」
見渡すと、その場にいた全員が無言で頷いた。
そこに、花瓶に活けられた花がふわりと香った。甘く芳醇な美酒を思わせる香りに、女官たちの表情がゆるむ。
「……いい香り」
「綺麗だし、悪いものじゃないから放っておきましょうか」
「そうね。見ているだけでいいなら、なんだか癒されるし」
「あなた、現金ねえ」
けらけらとひとりが笑った。それにつられて微笑みの波が辺りを攫う。
自然と彼女たちの口調からもトゲが抜けていった。
「そりゃあ、お世話しなくても綺麗なままなら、それが一番いいじゃない。ね、早くお掃除終わらせて点心でも食べない?」
「いいけど、そんな用意してないわよ」
「ほら、この間正妃様がいらしたでしょ。あのお祝いでわたしたちにも恩恵があるみたいよ」
「本当? いいところのお嬢様だもの、気前がいいのね」
「美味しかったら、お礼を言う名目でおねだりしてもいいかも」
「そううまくいくかしらねえ……」
女官たちは足取り軽く、それぞれの持ち場へと散っていく。
それとすれ違った桃鈴は、袖の中で小さく拳を握って手応えを確かめた。
***
ある日、庭院で花の植え替えをしている咲華の元に、女官が数人連れだってやってきた。
どれもが見知らぬ顔だ。
「あの、お手伝いさせてください!」
突然の申し出に、咲華も桃鈴もそろって目をぱちくりさせる。
すると、女官たちは手をまごまごと動かしながら懸命に言葉を続いた。
「ご正妃さまがお手を泥で汚しているのを拝見して、何かせずにはいられなくって」
「お花を飾ってくださっているのもご正妃さまですよね? あのお花、見ていて勇気づけられるんです。だからわたしたちにも何かできたらって」
咲華と桃鈴は顔を見合わせて頬を緩める。額の汗を軽く拭うと、彼女たちを手招きした。
女が数人揃えば、どんな身分だろうと自然におしゃべりの花が咲く。
「ねえ、あなたたちにいろいろ聞いてもいいかしら? 後宮に入ったはいいけど、わからないことばかりなの」
「は、はいっ! わたしたちでわかることなら、なんなりと」
目を輝かせた女官の意気込みを微笑ましく思いつつ、咲華はそっと内緒話をするように顔を寄せる。
熾栄個人に興味はなくても、自分の置かれている境遇を客観的に知らなければ、うまく立ち回れない。
そのためは、こういうおしゃべりは貴重な情報源だ。
「皇帝陛下っていつもあんなにムスッとされているの?」
「む、ムス……!?」
咲華の言い様が面白かったのか、女官たちはくすくす笑う。
するとひとりが口を開いた。
「ご機嫌が悪い……というか、焦ってらっしゃるように見受けられます。それも皇太子時代からずっと」
「嫡子ではないのに皇太子になったから、早く帝位につきたかったのでしょうか?」
「でも、皇帝陛下の地位についても変わらない気がするわよ」
「それにあのお目! 今まで数えきれないほどの薬師や祈祷師を呼ばれましたが効果はなくって……それも原因なのでしょうか」
ひとりが口火を切ると次々に連鎖して止まらない。それに耳を傾けつつ、咲華は考えを巡らせる。
「あのお目はお病気なの? ご幼少のころからお悪いのかしら」
それに関しては女官たちはそろって首を横に振った。
「いいえ、帝位につかれてしばらくしたら……だったかと」
「はじめは、側妃様を亡くされたことで、深いお悲しみのあまり病を得たと噂されていました」
「しょっちゅうどこかへ御文を出されているのですが、優秀な薬師を探しているのかと」
側妃、蒼鳴。
嫁いで早々に聞かされた、いまだ皇帝陛下のお心を掴んで離さぬ亡き妃。
「蒼鳴様というのは、どんな方だったの?」
「ええと、鴆という家の出身で……下級官僚のご息女だったと」
「え? 市井の娘って聞いたわ」
「侍女じゃないの?」
たちまち錯綜した情報に、ひとりが気まずそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。今、ここで働いている者は蒼鳴様を拝見したことがないのです」
「誰も……いない?」
直接仕えておらずとも、何かの折に見かけているだろうと踏んでいた咲華は面食らった。
妃の住まう後宮で働いていて、仕える主の顔を知らぬなどありえない。
咲華が絶句していると、桃鈴が代わりに質問を引き取ってくれた。
「で、でも……あなたたちは後宮に長く勤めているんでしょう?」
「話でしか知らないのです。皇太子時代に出会い、彼女を皇后にしたいがゆえに、先帝に強引に譲位を迫られたそうで」
「ですが、譲位は実現し即位が決まった頃、急な病か事故で蒼鳴様は……それ以来、妃は空位のままなのです」
目を伏せた女官の表情が暗い。
「それでは、皇帝陛下以外に彼女を知る人はいないのですか!」
目を丸くした桃鈴の、本質に切り込んだひと言に、女官たちはそろって頷いた。
咲華は口もとに手をあてて思案する。
「亡くなられた方を思い続けるなんて、陛下はとても一途な方というのはわかったけれど……でも、お立場がそれを許すの? お世継ぎはどうなさるおつもりなのかしら」
咲華はあの日以来、熾栄と会話をするどころかその姿を見てすらいない。
女官たちの話す内容からして、一夜限りの慰めを求める性格でもなさそうだ。
市井の民とて、家業を継ぐために、お家のために婚姻を結ぶ。
それが皇家ならなおのこと。お世継ぎを設けることは義務だ。
「本来なら、弟君が帝位につくはずだったのです」
女官のひとりがぽつりと呟いた。
「ええ、先帝のご正妃……皇太后様には公子様がいらしたのです。少し体の弱いお方でしたがご聡明で、お優しくて。陛下の母君は身分の低い方だというのに、ささいなことから陛下は弟君を遠方の地に追いやって帝位につかれて……」
「お目を患われているのも……蒼鳴様への悲しみというよりかは、弟君を追放された罰があたって呪われたのだとも言われております」
一気に言い切った女官の肩が大きく上下している。
これを口にするのは、相当の勇気が必要だったに違いない。
咲華は彼女の肩をそっと抱く。
そして周りに目配せすれば、彼女たちも心配そうに頷いた。
「いろいろと聞きにくいことを聞いてごめんなさい。今日はもう下がっていいわ」
「い、いえ……わたしたちも、何もわからないままこの後宮で勤めているのが怖くなる時があったので、話を聞いて頂けて感謝しているのです」
口々にそう言っては頷く彼女たちを見るに、虚言で咲華を翻弄しようとしているようには見えない。
おそらく本心だと見て取っていいだろう。
ただ、あまり彼女たちを引き止めることで、このことが大っぴらに他の者の目につくのもよろしくはない。
下がらせた彼女たちの背中を見守りながら、咲華はぽつりとつぶやいた。
「ねえ、桃鈴。追放された弟君はどうなったと思う?」
「それは……辣腕で知られる陛下が、ご自分の地位を脅かす方をどう思われるかは……」
そこで桃鈴は言葉を濁した。最高権力者に疎まれた者が、追放先で奇禍に遭うというのは珍しい話ではない。
しかし、すべては憶測だ。
それよりも、気になるのは側妃のことである。
「おかしいと思わない? ご寵愛の深かった彼女のことをどうして誰も知らないの? いくら直接お目にかからなくても、人となりくらいは漏れ聞こえるものでしょう。いくら皇太子時代の話といえど、あえて隠すにしたって巧妙が過ぎるわ」
「そうですよね……蒼鳴様というのは、そこまで秘するような存在なのでしょうか」
「それにしたって、我が種家が知らないというのは変よ」
きっぱりと言い切った咲華に、桃鈴はきょとんと首を傾げる。
「種家は、植物に関しては皇家御用達よ。縁の深い方を亡くされたからには弔花の依頼がくるはず。なのに、うちの記録簿にはそんなご依頼はなかった」
「あっ……」
咲華は枯れた花を引き抜き、ぼこりとあいた穴を見つめる。
「側妃、蒼鳴様……謎多きお方のようね」
あるべきものを失った空洞に、咲華の呟きが落ちた。
咲華と桃鈴は剪定した花々を花瓶に活けていた。
桃鈴が物置から拝借してきた花瓶に、咲華は丁寧に花を活けていく。
この花々は嫁入りの時に乗っていた輿を彩っていたものや、庭に咲くものの中から見繕って咲華が剪定したものだ。
花瓶からこぼれんばかりの蘭を瑞々しく活けた咲華の手つきに、桃鈴はほうと息を漏らす。
「やはり咲華様のお手は素晴らしいです。元から美しい花が、咲華の手の中でもう一度新たな生命を得たような……」
「そう? それなら、きっと師匠が良かったのよ」
咲華は照れくさそうに、だが誇らしげに微笑んだ。
「旦那様はわたしのような身分の者にも、とてもお優しく、葉の一枚一枚をも愛おしまれるお方です。なのに、お姿は牡丹もかくやと言うほどに威厳に満ち溢れていらして……」
「ふふ、桃鈴はわたくしの父様が大好きね」
「も、申し訳ございません」
真っ赤になって首を振る桃鈴の頭を咲華は撫でてやる。そして、花瓶に向き合い改めて背筋を伸ばした。
「わたくしも父様が好きよ。花匠としてのいろはを教えこんでくださったお師匠様だもの。だけど……」
そこで咲華のまなざしにふと影が落ちる。
「宮中へ行けなどというから花匠として働けると思ったのに、まさか妃になれだなんて……父様はお花と話すのは得意だけれど、わたくしには言葉が足りなすぎるわ」
「だ、旦那様は……咲華様ならその意をお汲み取りになれると思われたのではないでしょうか。咲華様の才は花匠としてのみ発揮されるものにあらず。お妃様として、皇帝陛下を助け……ひいては、この歪に傾く宮中を花咲き誇る桃源郷になさりますようにと、そう託されたのでは」
訥々と語る桃鈴に、咲華は軽く頷く。
「なんだか桃鈴のほうが実の娘みたい」
「す、すみません、さしでがましいことを……っ」
頭を深く下げた桃鈴が膝で下がろうとするのを、咲華は留めて首を振る。
「いいの。桃鈴がそう言ってくれることで、わたくしも自分の立ち位置をきちんと認識できるから」
ひとつの花瓶を活け終わった咲華は、改めて耳飾りを外す。
「我が家に伝わる種……これを目覚めさせ、対話し、扱えるようになるのがお役目」
咲華は自分に言い聞かせるように呟いた。
ひとつ、またひとつ。
宮中に花が咲いていく。
「あら、こんなところに花なんて活けてあった?」
「さあ……」
「さあ、じゃないわよ。おかしいと思わない?」
ある女官が花瓶に気づいて声を上げた。すると、数人が集まりだして花瓶を取り囲む。
そのうちのひとりが腰に手を当てて顎を上げた。
「これのお世話もしろってこと? 仕事ばかり増やさないでよね」
「そうそう、陛下が後宮を広げないから余った働き手は次々解雇されて、結局残ったあたしたちが大変な思いをしてるのに」
口々に交わされる言葉にはトゲが目立つ。ため息混じりの愚痴はその場の空気を澱ませる。
そこに通りがかった別の女官が、花瓶を見て声を上げた。
「ああそれ? 少し前から置いてあるわよね。ずっと綺麗に咲いてるのに、萎れたものや花殻は見当たらないわよ。誰かが手入れしてるんじゃない?」
「そうそう。ここだけじゃなくて、向こうの棟にも似たようなものが置いてあるわ。水もいつのまにか誰かが替えているみたい」
また別の女官も話に加わり、ひょいと花瓶の中を覗いた。すると、訝しんだひとりが眉をひそめた。
「誰かって……誰? あたしは今日初めて気づいたのよ。あんたたちだって見ているだけで手入れしているわけじゃないでしょ?」
見渡すと、その場にいた全員が無言で頷いた。
そこに、花瓶に活けられた花がふわりと香った。甘く芳醇な美酒を思わせる香りに、女官たちの表情がゆるむ。
「……いい香り」
「綺麗だし、悪いものじゃないから放っておきましょうか」
「そうね。見ているだけでいいなら、なんだか癒されるし」
「あなた、現金ねえ」
けらけらとひとりが笑った。それにつられて微笑みの波が辺りを攫う。
自然と彼女たちの口調からもトゲが抜けていった。
「そりゃあ、お世話しなくても綺麗なままなら、それが一番いいじゃない。ね、早くお掃除終わらせて点心でも食べない?」
「いいけど、そんな用意してないわよ」
「ほら、この間正妃様がいらしたでしょ。あのお祝いでわたしたちにも恩恵があるみたいよ」
「本当? いいところのお嬢様だもの、気前がいいのね」
「美味しかったら、お礼を言う名目でおねだりしてもいいかも」
「そううまくいくかしらねえ……」
女官たちは足取り軽く、それぞれの持ち場へと散っていく。
それとすれ違った桃鈴は、袖の中で小さく拳を握って手応えを確かめた。
***
ある日、庭院で花の植え替えをしている咲華の元に、女官が数人連れだってやってきた。
どれもが見知らぬ顔だ。
「あの、お手伝いさせてください!」
突然の申し出に、咲華も桃鈴もそろって目をぱちくりさせる。
すると、女官たちは手をまごまごと動かしながら懸命に言葉を続いた。
「ご正妃さまがお手を泥で汚しているのを拝見して、何かせずにはいられなくって」
「お花を飾ってくださっているのもご正妃さまですよね? あのお花、見ていて勇気づけられるんです。だからわたしたちにも何かできたらって」
咲華と桃鈴は顔を見合わせて頬を緩める。額の汗を軽く拭うと、彼女たちを手招きした。
女が数人揃えば、どんな身分だろうと自然におしゃべりの花が咲く。
「ねえ、あなたたちにいろいろ聞いてもいいかしら? 後宮に入ったはいいけど、わからないことばかりなの」
「は、はいっ! わたしたちでわかることなら、なんなりと」
目を輝かせた女官の意気込みを微笑ましく思いつつ、咲華はそっと内緒話をするように顔を寄せる。
熾栄個人に興味はなくても、自分の置かれている境遇を客観的に知らなければ、うまく立ち回れない。
そのためは、こういうおしゃべりは貴重な情報源だ。
「皇帝陛下っていつもあんなにムスッとされているの?」
「む、ムス……!?」
咲華の言い様が面白かったのか、女官たちはくすくす笑う。
するとひとりが口を開いた。
「ご機嫌が悪い……というか、焦ってらっしゃるように見受けられます。それも皇太子時代からずっと」
「嫡子ではないのに皇太子になったから、早く帝位につきたかったのでしょうか?」
「でも、皇帝陛下の地位についても変わらない気がするわよ」
「それにあのお目! 今まで数えきれないほどの薬師や祈祷師を呼ばれましたが効果はなくって……それも原因なのでしょうか」
ひとりが口火を切ると次々に連鎖して止まらない。それに耳を傾けつつ、咲華は考えを巡らせる。
「あのお目はお病気なの? ご幼少のころからお悪いのかしら」
それに関しては女官たちはそろって首を横に振った。
「いいえ、帝位につかれてしばらくしたら……だったかと」
「はじめは、側妃様を亡くされたことで、深いお悲しみのあまり病を得たと噂されていました」
「しょっちゅうどこかへ御文を出されているのですが、優秀な薬師を探しているのかと」
側妃、蒼鳴。
嫁いで早々に聞かされた、いまだ皇帝陛下のお心を掴んで離さぬ亡き妃。
「蒼鳴様というのは、どんな方だったの?」
「ええと、鴆という家の出身で……下級官僚のご息女だったと」
「え? 市井の娘って聞いたわ」
「侍女じゃないの?」
たちまち錯綜した情報に、ひとりが気まずそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。今、ここで働いている者は蒼鳴様を拝見したことがないのです」
「誰も……いない?」
直接仕えておらずとも、何かの折に見かけているだろうと踏んでいた咲華は面食らった。
妃の住まう後宮で働いていて、仕える主の顔を知らぬなどありえない。
咲華が絶句していると、桃鈴が代わりに質問を引き取ってくれた。
「で、でも……あなたたちは後宮に長く勤めているんでしょう?」
「話でしか知らないのです。皇太子時代に出会い、彼女を皇后にしたいがゆえに、先帝に強引に譲位を迫られたそうで」
「ですが、譲位は実現し即位が決まった頃、急な病か事故で蒼鳴様は……それ以来、妃は空位のままなのです」
目を伏せた女官の表情が暗い。
「それでは、皇帝陛下以外に彼女を知る人はいないのですか!」
目を丸くした桃鈴の、本質に切り込んだひと言に、女官たちはそろって頷いた。
咲華は口もとに手をあてて思案する。
「亡くなられた方を思い続けるなんて、陛下はとても一途な方というのはわかったけれど……でも、お立場がそれを許すの? お世継ぎはどうなさるおつもりなのかしら」
咲華はあの日以来、熾栄と会話をするどころかその姿を見てすらいない。
女官たちの話す内容からして、一夜限りの慰めを求める性格でもなさそうだ。
市井の民とて、家業を継ぐために、お家のために婚姻を結ぶ。
それが皇家ならなおのこと。お世継ぎを設けることは義務だ。
「本来なら、弟君が帝位につくはずだったのです」
女官のひとりがぽつりと呟いた。
「ええ、先帝のご正妃……皇太后様には公子様がいらしたのです。少し体の弱いお方でしたがご聡明で、お優しくて。陛下の母君は身分の低い方だというのに、ささいなことから陛下は弟君を遠方の地に追いやって帝位につかれて……」
「お目を患われているのも……蒼鳴様への悲しみというよりかは、弟君を追放された罰があたって呪われたのだとも言われております」
一気に言い切った女官の肩が大きく上下している。
これを口にするのは、相当の勇気が必要だったに違いない。
咲華は彼女の肩をそっと抱く。
そして周りに目配せすれば、彼女たちも心配そうに頷いた。
「いろいろと聞きにくいことを聞いてごめんなさい。今日はもう下がっていいわ」
「い、いえ……わたしたちも、何もわからないままこの後宮で勤めているのが怖くなる時があったので、話を聞いて頂けて感謝しているのです」
口々にそう言っては頷く彼女たちを見るに、虚言で咲華を翻弄しようとしているようには見えない。
おそらく本心だと見て取っていいだろう。
ただ、あまり彼女たちを引き止めることで、このことが大っぴらに他の者の目につくのもよろしくはない。
下がらせた彼女たちの背中を見守りながら、咲華はぽつりとつぶやいた。
「ねえ、桃鈴。追放された弟君はどうなったと思う?」
「それは……辣腕で知られる陛下が、ご自分の地位を脅かす方をどう思われるかは……」
そこで桃鈴は言葉を濁した。最高権力者に疎まれた者が、追放先で奇禍に遭うというのは珍しい話ではない。
しかし、すべては憶測だ。
それよりも、気になるのは側妃のことである。
「おかしいと思わない? ご寵愛の深かった彼女のことをどうして誰も知らないの? いくら直接お目にかからなくても、人となりくらいは漏れ聞こえるものでしょう。いくら皇太子時代の話といえど、あえて隠すにしたって巧妙が過ぎるわ」
「そうですよね……蒼鳴様というのは、そこまで秘するような存在なのでしょうか」
「それにしたって、我が種家が知らないというのは変よ」
きっぱりと言い切った咲華に、桃鈴はきょとんと首を傾げる。
「種家は、植物に関しては皇家御用達よ。縁の深い方を亡くされたからには弔花の依頼がくるはず。なのに、うちの記録簿にはそんなご依頼はなかった」
「あっ……」
咲華は枯れた花を引き抜き、ぼこりとあいた穴を見つめる。
「側妃、蒼鳴様……謎多きお方のようね」
あるべきものを失った空洞に、咲華の呟きが落ちた。



