徒花妃の開花録

「咲華様、わたしを思ってくださるのでしたら、もう少し控えめになさってください! 本当に心の臓が止まりかけたんですから」
「ごめんなさいね。桃鈴をどうにかしたかったわけではないのよ。ただ、ああも好き勝手言われると一矢報いたくなってしまって……」
「皇帝陛下に一矢報いたら謀反です! ああもう、命があって良かった……」

 あの後、用が済んだとばかりに熾栄は部屋を後にした。
 咲華の不遜な言い分に取り合うのも煩わしいと言わんばかりの、あからさまな態度だ。
 そしてこの部屋には、言いたいことを言い切ってすっきりした表情の咲華と、青ざめて失神寸前の桃鈴が残されたというわけである。

 胸に手を当てて安堵のため息をつく桃鈴を横目に、咲華は右の耳飾りをぷちりと外す。
 そして手のひらで転がしてため息をついた。こちらは安堵ではなく落胆のようだ。

「うーん、不発。動きはないわね」
「それは……旦那様が持たせてくださったお輿入れの耳飾りですか?」
「そう。我が種家に伝わる宝物の種よ」

 咲華は耳飾りに嵌めこまれた種を取り出して、桃鈴にも見えるようにした。
 つるりとした表面に、黒と白が雲のように互いに渦巻いて混ざり合おうとしているようだ。
 
「これは人の強い気持ちに感応して発芽するの。皇帝陛下にあんなに睨まれていたから、敵意に反応して動くかと思ったけど違ったわね。残念」
「残念って……。強い思いということは、なにも敵意だけではないですよね? 慈しんだり、愛おしい気持ちですとか、そういうものもあると思うのですが」
「そうね。でもそれは違う気がするの」
「なにか心当たりがあるのですか?」
 
 こともなげに返した咲華に、桃鈴はさらに尋ねる。
 
「だって、愛情ならば桃鈴にたっぷり感じているもの。それならもうこの種が芽吹いていないとおかしいわ」
「……っ、もう、咲華様ったら!」

 真正面からの告白に、桃鈴はぱっと手で頬を覆った。
 満更でもないようだ。
 そんな桃鈴の頭を撫でてやりつつ、咲華は種をつまんでかざす。

「持ち主の強い想いに応えてくれるとか、持ち主を守るために芽吹くとか……記述は多岐に渡っていて、曖昧なものも多いのよ。だからこそ、父様はわたくしに持たせたんだわ。代々皇家に仕える花匠、種家を背負っての婚姻。つまりわたくしが父様の後を継いで立派な花匠となるにはこの種を芽吹かせることが肝心なの」

 咲華は強いまなざしで種を見つめる。

「正直、あんな物言いをする皇帝陛下の正妃の座なんて興味はないけれど、わたくしの肩には花匠の仕事がかかっている。そのお役目を蔑ろにするつもりはないわ。それに目の前に種があるなら咲かせてみせたいもの!」

 しゃんと背筋を伸ばした咲華は、種を両手で包み込んで拳を握る。

「実を結ばぬ徒花だろうが花は花。お飾りの徒花妃だろうが、このお役目、まっとうしてみせるわ」

「しょ、咲華様、凛々しいです……!」

 意気込んだ咲華にあてられて、桃鈴も頬を紅潮させる、その手は拍手が止まらない。
 だが、咲華はくるりと顔を背け、盛大にくしゃみをした。
 
 ——この部屋には「ほこり」が満ちている。
 
「……まずはお掃除しましょう」

 そうしてふたりは宮中を散策がてら、水汲み場にたどり着いたのだった。

 
「綺麗な花瓶がたくさん! こんなにどうするんですか?」
「決まってるでしょ。活けるために使うのよ」
 
 咲華と桃鈴は、庭園の一角にある水場で花瓶を洗っていた。
 当てずっぽうで探し当てた物置から拝借した花瓶は、上品な薄い色合いが多く、華やかな花を活けることで美しさが引き立ちそうだ。
 咲華が花瓶をゆすいで桃鈴が水気を拭き取る。ふたりの息はぴったりだ。
 
 「このようなこと……正妃ならしなくてもよいお仕事ですのに」
 「ふふ、わたくしは楽しいわよ? 本当に正妃になっていたら部屋の奥に閉じ込められてしまうもの」

 鼻歌交じりに花瓶を清めながら、咲華は辺りを見渡す。
 木々は植えられてはいるものの枝が剪定されていなかったり、間引かれておらずに実が不格好についているものが目に留まる。
 そして何より、後宮に暮らす妃たちを楽しませる、目にも鮮やかな花々が少ない。
 
「この宮中……広さに対して人が少なすぎるわ。それに殺風景じゃない?」
「皇帝陛下は、昔ご寵愛されていた側妃様を亡くされて以来、他にどなたもお迎えになりませんでしたから……女性が好むものも少ないのかもしれませんね」
「妃がいなくともここで働く女性はいるでしょうし、なにより美しいものを愛でたいのは男も女も変わらないはずよ」
「うーん……そもそもこの後宮、植栽にまで気を配る人がいないんじゃありませんか?」
「そうなのよねえ……」

 咲華は花瓶を洗う手を止めて考えを巡らせる。
 お飾りの皇后。
 妃の少ない後宮。
 女官や宦官も数えるほどしか目にしていない。
 なんのための後宮なのか。
 用意されているのは虚ろな器。そこに咲く花がない。
 何もかもが絵空事のようだ。
 
「この現状が……皇帝陛下のお心を映しているということ?」
 
 咲華は洗い終えた最後の花瓶を拭きあげる。
 
「愛する人を失ったのはお気の毒とは思うけど、そういう時こそ花は寄り添ってくれるものよ」
 
 咲華は空の花瓶に咲く花を想像する。
 威厳たっぷりに場の空気を支配する大輪の花。
 こまやかな風に揺れては人の生活に寄り添う、野に咲く小花。
 それぞれの花瓶に、それぞれの花。
 
「塞ぎ込んでばかりじゃ心だけではなくこの後宮……いいえ、国だって色を失ってしまうわ。花は枯れる前に動かなければ、手遅れになってしまう」
 
 すっくと立ち上がった咲華は辺りを見渡す。
 野放図なだけで、生きている生命は山とある。
 
「生きたいと願う花があるなら生かすのが花匠。ここには生命が溢れているということを皇帝陛下に教えてさしあげましょう」