「残念なことに、我が皇家とお前の家との結びつきは無碍にできない。家の顔を立てて、一年間は正妃の座につくことを許可してやる」
傲岸不遜な物言いで発せられた言葉を、種 咲華はつんとすました顔で聞いていた。
続きを促すように顎を上げれば、緋色の隻眼で彼女を見下ろす男は、身の内に宿る苛烈さを隠すことなく言い放つ。
「だが、正妃とは形だけだ。我がお前を愛することはない。お前の家——種家は後宮の庭院を世話する花匠だ。その役割どおり、泥にまみれて徒花を咲かせておけ」
そこまで言って満足したのか、男は豪奢な外套を翻そうとした。
「望むところですよ」
それまで黙って話を聞いていた咲華が、口を開いた。
その静かな、そして挑発的な声音に男は再び咲華に向き直る。
「……なに?」
「望むところと申したのです。わたくしも花匠としての使命を帯びて参りました。花を咲かせるのが役目ですので、正直に申し上げて陛下に興味はございません。陛下の方こそ、万が一にも徒花たるわたくしにお心を寄せてしまわぬよう、ご注意くださいませ」
そう告げた咲華は、小柄な体で凛と胸を張る。
不遜な態度に動揺を隠せない男——熾栄帝の頬が引きつっている。
窓辺から射し込む陽射しが、部屋にただよう埃を金粉のように彩る。
甘さとは程遠い契約が、埃まみれの部屋で交わされた瞬間だった。
***
話はそれから半日前に遡る。
色とりどりの花で飾られた輿がしずしずと進んで行く。
その輿を引く者も生花をふんだんに使った簪を身につけており、一歩進むごとにさらさらと花びら同士が触れ合って音を立てた。
輿の周りにはを管絃を奏する楽団が付き添う。かぐわしき花の香りを音に乗せた伸びやかな旋律は、見物人たちの山を超えてこの輿が向かう先——後宮へと届かんばかりだった。
大路を行く輿をひと目見ようと、見物人たちは押し合い圧し合い前に出る。小さな揉め事も起きてはいたが、そうしたやりとりの中で漏れ聞こえる声がいくつかあった。
「いよいよ皇家と縁深い種家が、最も高貴な“花”を捧げなすったか」
「でも、今の帝はちっとも後宮に目をくれないお方なんでしょう?」
「そうそう。まったく、輿の中にいらっしゃる”花”もお可哀想に。負け戦とわかっていて嫁がせるなんて、お偉い方々も大変だ」
「ああ……何せ陛下は側妃様に首ったけらしいものねえ。それも亡くなられた側妃様」
本心からの哀れみか、興味本位での戯言か。
それを聞き分けるのも馬鹿馬鹿しいとばかりに、輿の中で咲華はふわあと欠伸をした。
花冠がしゃらしゃらと音を立てて揺れる。重たげな被り物に首が凝ってきたので、着崩れないように気をつけつつ、軽く指でうなじを揉んだ。
「咲華様……どうして、こんなこと言われて欠伸をしていられるんですか」
口を尖らせたのは向かいに座る侍女の桃鈴だ。
彼女の問いに、咲華はけろりとした顔で答えた。
「家を出る前からさんざん聞かされてきたもの。わたくしはお飾りの正妃なんでしょう?」
「ですが、こんなあからさまに言われるなんて! 種家といえば、建国の時代から皇家に尽くしてきた御家。そのご息女たる咲華様に伴するのがわたしひとりだなんて、こんな、咲華様を軽んじるようなこと……許せません。この日のために準備なさってきた努力を思うと、わたし、悔しくて……」
桃鈴が俯いてきゅっと裳の膝あたりを掴む。
その手に咲華はそっと自分の手を重ね合わせた。
「ありがとう。桃鈴が代わりに憤ってくれるから、わたくしは冷静になれているのよ」
「咲華様……」
顔を上げた桃鈴の目が潤んでいる。咲華は自分の袖で桃鈴の目尻を撫でてやった。
がたん、と輿が揺れる。どうやら到着したようだった。
「さ、涙を拭いて。おめでたい門出よ。わたくしには妃としての仕事以上に、やらなきゃならないことがたくさんあるんだから!」
「……っはい! わたし、精一杯、咲華様をお支えします!」
互いに励ましあったふたりが輿を降りる。
そこには——誰ひとり、迎えのものがいなかった。
「…………こんなこと、あるのねえ」
「あ、あんまりじゃないですか!?」
怒りを通り越して感心してしまった咲華が輿を見遣れば、担ぎ手たちも顔を見合せて戸惑っている。しかし彼らに説明を求めるのは筋違いだ。
何か手違いがあったのかと訝しむが、正妃の輿入れに手違いなどあるはずもない。
つまり、これは予定通りの事態なのだ。
担ぎ手たちを帰してしまうと、先程までの華やかさが夢と見まごうほどに、静けさがあたりを包んでいた。
直前まで華やかかつ威容溢れる道中だったために、風の音ひとつとってもより厳しく感じられる。
咲華は斜め後ろに控える桃鈴を見遣るが、泣き出しそうに青ざめた唇を噛み締めていた。
「桃鈴、手を」
咲華は桃鈴の手を取ると、自分の手で包みこんでさする。顔を近づけて、はあと吐息を吹きかけてあたためた。
「咲華様、そんな、もったいない」
「わたくしの可愛い桃鈴が風邪を引いたら大変だもの。羽織れるような衣装でなくてごめんなさいね」
咲華は着せられた婚礼衣装をぐるりと見遣る。花びらを思わせるひらひらとした生地の重なりは見た目こそ絢爛豪華だが、実用的ではない。
「おやまあ、ずいぶんと仲のよろしいこと」
そこに夕暮れ時の風よりも冷ややかな声が、ふたりの間をすり抜けた。
咲華は声の主を見る。桃鈴の手を静かに離して前に出た。
逆光ではっきりと顔は見えないが、中央に年嵩の女官、そして彼女を挟むように幾分年若の女官がふたりずつ。
「種 咲華様ですね。遠路はるばるようこそおいでくださいました」
「丁重なお迎えに感謝いたします」
深々と一礼して礼を述べる。
嫌味をこめたつもりだが、女官たちにはどこ吹く風だ。
「長旅お疲れでしょう。お部屋にご案内さしあげます」
そう言うが早いか、年嵩の女官は咲華の視線を振り切って歩き出す。
咲華は桃鈴と目配せして足を進めた。
そう歩くことなく案内されたのが、埃にまみれた薄暗い部屋だった。
後宮の奥深くにあるべき正妃の部屋ではない。
部屋に射し込む日の少なさも設えも、何もかもが咲華の身分と不釣り合いだ。下女の相部屋よりマシといった程度である。
埃を吸い込まないように袖で口元を被った咲華の後ろで、桃鈴がくしゃみをこらえているのが感じとれた。
「なんて野趣溢れるお部屋でしょう。ここをわたくしのためにご用意くださったのですね」
「ええ。皇帝陛下の御意思です。これから、あなたさまを訪ねるものはおりませんので、どうぞごゆるりとおくつろぎくださいませ」
その言葉に引っかかりを覚えたのは、咲華ならずとも当たり前だ。
婚礼の日に訪ねてくる者がいないはずがない。女官はそうした咲華の視線を感じて鬱陶しげに首を振った。
「お立場を鑑みれば、何も不思議はございませんでしょう」
それだけ言い残して、つんと顎を上げた年嵩の女官は他の者を伴って部屋を出ていった。
残された咲華と桃鈴は唖然としてその後ろ姿を見送る。
「あのう……咲華様」
桃鈴はなんと声をかければいいかわからずに、それでもおずおずと呼びかけた。
咲華は泣きも憤りもせずに——笑った。
「ふふ、ふっふふ……わかりやすいわ。権謀術数渦巻く後宮なんて言われるけど、こうまで簡単に説明してくれるなんて、ある意味ではとってもお優しいことよね?」
そのままぴょんと飛び跳ねそうな咲華に、桃鈴は頭を抱えた。
「あんな嫌味な視線を受けてはしゃぐの、咲華様だけですよ」
「だって、女官の力関係とか、そういうどろどろしたもののことで悩まなくて済むじゃない。わたくし、妃同士の小競り合いよりも剪定する枝のことで悩みたいもの」
咲華は小さな窓に駆け寄ると、埃っぽい桟に構わず窓の向こうをじっと見つめる。
その目が探すのはまだ見ぬ植物だ。
「うーん、ぱっと見たところ、あまり手入れがされていないわねえ……これは仕事のしがいがあるわ」
婚礼衣装を腕まくりしそうな勢いできょろきょろと見渡す咲華の動きに合わせて、耳飾りがりんと音を立てて揺れた。
「さて、まずは着替えて散策にいかないと。こんなに殺風景な部屋だもの、花瓶のひとつも欲しいわ。物置はどこかしら」
咲華はさっそく身軽になろうと、肩口につけられていた飾りや冠を外し始める。
「咲華様、そのようなことはわたしがやりますからっ」
慌てた桃鈴も咲華に倣って袖口を帯に挟もうとするが、咲華は外した冠を桃鈴に渡して動きを封じてしまった。
「自分のことは自分でやるから。桃鈴はここで待っていて」
「咲華様ぁ~」
半泣きになった桃鈴に咲華は微笑む。
その時、開け放されたままの部屋の入口に影が差した。
「耳障りな声だ」
一瞬にして空気が凝固する。
低い声と共に部屋に足を踏み入れたのは、重たげな長い黒髪をきりりと結い上げた隻眼の青年だった。
その左目は眼帯で覆われているものの、眼光の鋭さは隻眼とて侮れるものではない。
後宮に本当の意味での男はひとりしかいない。
この国の頂点を預かるにふさわしい威容と気品が、その視線からも伝わってくる。
「熾栄の帝……」
「いかにも」
咲華の呟きに短く答えた男——熾栄は、ちらりと彼女を見たきり視線を外した。
咲華は素早く礼の姿勢をとって恭しく頭を下げた。
「ずいぶんな部屋だな」
部屋を軽く見渡して男は眉間に力を入れた。
「皇帝陛下のお心づくしと先ほどお伺いしました。御礼申し上げます」
「……は、白々しい」
嘲る声音を隠しもしない熾栄だが、話を終わらせるつもりはないようだった。
窓の外を見つめながら口を開く。
「種 咲華。お前がここにいるのはお前が望まれたわけではない。皇家と種家との繋がりゆえだ」
冷ややかな声色で言い放たれたその言葉に、咲華は顔を伏せたまま目を開く。
「本来ならば我とて蒼鳴以外の女の顔など見たくない。それをこうしてわざわざ足を運んだのは、お前の家に対する礼儀だ」
苛立たしい様子を隠すことなく言葉を続ける熾栄に、咲華の口がほろりと開いた。
「蒼鳴……それが、側妃様のお名前ですか」
「お前がその名を呼ぶな」
これ以上ないほどに凍てついた響きだった。
咲華は思わず身を固くする。後ろに控えている桃鈴が震えていやしないだろうかと心配になった。
「お前からしたら蒼鳴は過去の女。それも取るに足らぬ家の出身だろう。だが血筋の貴さが何にも勝る訳ではない。くだらぬ伝統やしがらみのせいで蒼鳴は正妃になれぬままこの世を去った。その穴を埋めるようにと押しつけられたのがお前だ」
そこで熾栄は言葉を切って視線を咲華に向けた。
ちりちりと肌を焼くような視線が痛い。咲華は顔を上げた。
耳飾りが彼女のまなざしを伝えるようにりんと鳴る。
咲華は熾栄をまっすぐ見つめる。
「……お前に遠慮はないのか」
「正妃が帝のご尊顔を拝するのに何の遠慮がございましょう」
きっぱりと言い切った咲華に、熾栄は眉間に力を込めるのも忘れ、信じられないものを見る目で咲華を凝視する。
「知らぬわけではないだろう。お前は本来の意味の妃ではない。飾りだ。実を結ぶことのない花だ」
「飾りだろうとわたくしはあなたさまの妃としてここに参りました。花がどのような実をつけるかは花のみぞ知ること。ならば花は咲くのみでございます」
その声音は恐ろしいほどよく澄んだ。
埃まみれの部屋には似つかわしくないほどに清らかな響きに、熾栄は叱責することをやめて口の端をひくつかせる。
「……花にしては弁の立つ。咲き急ぐ花はもたぬぞ」
「ご忠告、痛み入ります」
一歩も引かぬ咲華に、熾栄はため息混じりにゆるりと頭を振った。
豊かな黒髪が重たげに揺れる。
「……残念なことに、お前の家との結びつきは無碍にできない。家の顔を立てて、一年間は正妃の座につくことを許可してやる」
「一年間?」
「そうだ。花の蔓が絡みつくが如く、我が皇家にまとわりついてきた種家の娘よ。花匠として代々そなたの家が仕えてきたならば、お前は正妃という花瓶に座していろ。我はお前を愛することはない。実を結ばぬ花は一年後に剪定する。それまで、徒花を咲かせておけ」
一瞬の静寂。
熾栄は咲華の目を見る。
泣くか、喚くか。
その答えを見ずして外套を翻しかけたところ——咲華が口を開いた。
「望むところですよ」
咲華はそのまなこいっぱいに喜色を浮かべて熾栄を見据えた。
そして、弾む声音で畳みかける。
「陛下の方こそ、万が一にも徒花たるわたくしに心を寄せてしまわぬよう、ご注意くださいませ」
こうして、お飾りの正妃は後宮の隅でしっかりと根を張ったのであった。
傲岸不遜な物言いで発せられた言葉を、種 咲華はつんとすました顔で聞いていた。
続きを促すように顎を上げれば、緋色の隻眼で彼女を見下ろす男は、身の内に宿る苛烈さを隠すことなく言い放つ。
「だが、正妃とは形だけだ。我がお前を愛することはない。お前の家——種家は後宮の庭院を世話する花匠だ。その役割どおり、泥にまみれて徒花を咲かせておけ」
そこまで言って満足したのか、男は豪奢な外套を翻そうとした。
「望むところですよ」
それまで黙って話を聞いていた咲華が、口を開いた。
その静かな、そして挑発的な声音に男は再び咲華に向き直る。
「……なに?」
「望むところと申したのです。わたくしも花匠としての使命を帯びて参りました。花を咲かせるのが役目ですので、正直に申し上げて陛下に興味はございません。陛下の方こそ、万が一にも徒花たるわたくしにお心を寄せてしまわぬよう、ご注意くださいませ」
そう告げた咲華は、小柄な体で凛と胸を張る。
不遜な態度に動揺を隠せない男——熾栄帝の頬が引きつっている。
窓辺から射し込む陽射しが、部屋にただよう埃を金粉のように彩る。
甘さとは程遠い契約が、埃まみれの部屋で交わされた瞬間だった。
***
話はそれから半日前に遡る。
色とりどりの花で飾られた輿がしずしずと進んで行く。
その輿を引く者も生花をふんだんに使った簪を身につけており、一歩進むごとにさらさらと花びら同士が触れ合って音を立てた。
輿の周りにはを管絃を奏する楽団が付き添う。かぐわしき花の香りを音に乗せた伸びやかな旋律は、見物人たちの山を超えてこの輿が向かう先——後宮へと届かんばかりだった。
大路を行く輿をひと目見ようと、見物人たちは押し合い圧し合い前に出る。小さな揉め事も起きてはいたが、そうしたやりとりの中で漏れ聞こえる声がいくつかあった。
「いよいよ皇家と縁深い種家が、最も高貴な“花”を捧げなすったか」
「でも、今の帝はちっとも後宮に目をくれないお方なんでしょう?」
「そうそう。まったく、輿の中にいらっしゃる”花”もお可哀想に。負け戦とわかっていて嫁がせるなんて、お偉い方々も大変だ」
「ああ……何せ陛下は側妃様に首ったけらしいものねえ。それも亡くなられた側妃様」
本心からの哀れみか、興味本位での戯言か。
それを聞き分けるのも馬鹿馬鹿しいとばかりに、輿の中で咲華はふわあと欠伸をした。
花冠がしゃらしゃらと音を立てて揺れる。重たげな被り物に首が凝ってきたので、着崩れないように気をつけつつ、軽く指でうなじを揉んだ。
「咲華様……どうして、こんなこと言われて欠伸をしていられるんですか」
口を尖らせたのは向かいに座る侍女の桃鈴だ。
彼女の問いに、咲華はけろりとした顔で答えた。
「家を出る前からさんざん聞かされてきたもの。わたくしはお飾りの正妃なんでしょう?」
「ですが、こんなあからさまに言われるなんて! 種家といえば、建国の時代から皇家に尽くしてきた御家。そのご息女たる咲華様に伴するのがわたしひとりだなんて、こんな、咲華様を軽んじるようなこと……許せません。この日のために準備なさってきた努力を思うと、わたし、悔しくて……」
桃鈴が俯いてきゅっと裳の膝あたりを掴む。
その手に咲華はそっと自分の手を重ね合わせた。
「ありがとう。桃鈴が代わりに憤ってくれるから、わたくしは冷静になれているのよ」
「咲華様……」
顔を上げた桃鈴の目が潤んでいる。咲華は自分の袖で桃鈴の目尻を撫でてやった。
がたん、と輿が揺れる。どうやら到着したようだった。
「さ、涙を拭いて。おめでたい門出よ。わたくしには妃としての仕事以上に、やらなきゃならないことがたくさんあるんだから!」
「……っはい! わたし、精一杯、咲華様をお支えします!」
互いに励ましあったふたりが輿を降りる。
そこには——誰ひとり、迎えのものがいなかった。
「…………こんなこと、あるのねえ」
「あ、あんまりじゃないですか!?」
怒りを通り越して感心してしまった咲華が輿を見遣れば、担ぎ手たちも顔を見合せて戸惑っている。しかし彼らに説明を求めるのは筋違いだ。
何か手違いがあったのかと訝しむが、正妃の輿入れに手違いなどあるはずもない。
つまり、これは予定通りの事態なのだ。
担ぎ手たちを帰してしまうと、先程までの華やかさが夢と見まごうほどに、静けさがあたりを包んでいた。
直前まで華やかかつ威容溢れる道中だったために、風の音ひとつとってもより厳しく感じられる。
咲華は斜め後ろに控える桃鈴を見遣るが、泣き出しそうに青ざめた唇を噛み締めていた。
「桃鈴、手を」
咲華は桃鈴の手を取ると、自分の手で包みこんでさする。顔を近づけて、はあと吐息を吹きかけてあたためた。
「咲華様、そんな、もったいない」
「わたくしの可愛い桃鈴が風邪を引いたら大変だもの。羽織れるような衣装でなくてごめんなさいね」
咲華は着せられた婚礼衣装をぐるりと見遣る。花びらを思わせるひらひらとした生地の重なりは見た目こそ絢爛豪華だが、実用的ではない。
「おやまあ、ずいぶんと仲のよろしいこと」
そこに夕暮れ時の風よりも冷ややかな声が、ふたりの間をすり抜けた。
咲華は声の主を見る。桃鈴の手を静かに離して前に出た。
逆光ではっきりと顔は見えないが、中央に年嵩の女官、そして彼女を挟むように幾分年若の女官がふたりずつ。
「種 咲華様ですね。遠路はるばるようこそおいでくださいました」
「丁重なお迎えに感謝いたします」
深々と一礼して礼を述べる。
嫌味をこめたつもりだが、女官たちにはどこ吹く風だ。
「長旅お疲れでしょう。お部屋にご案内さしあげます」
そう言うが早いか、年嵩の女官は咲華の視線を振り切って歩き出す。
咲華は桃鈴と目配せして足を進めた。
そう歩くことなく案内されたのが、埃にまみれた薄暗い部屋だった。
後宮の奥深くにあるべき正妃の部屋ではない。
部屋に射し込む日の少なさも設えも、何もかもが咲華の身分と不釣り合いだ。下女の相部屋よりマシといった程度である。
埃を吸い込まないように袖で口元を被った咲華の後ろで、桃鈴がくしゃみをこらえているのが感じとれた。
「なんて野趣溢れるお部屋でしょう。ここをわたくしのためにご用意くださったのですね」
「ええ。皇帝陛下の御意思です。これから、あなたさまを訪ねるものはおりませんので、どうぞごゆるりとおくつろぎくださいませ」
その言葉に引っかかりを覚えたのは、咲華ならずとも当たり前だ。
婚礼の日に訪ねてくる者がいないはずがない。女官はそうした咲華の視線を感じて鬱陶しげに首を振った。
「お立場を鑑みれば、何も不思議はございませんでしょう」
それだけ言い残して、つんと顎を上げた年嵩の女官は他の者を伴って部屋を出ていった。
残された咲華と桃鈴は唖然としてその後ろ姿を見送る。
「あのう……咲華様」
桃鈴はなんと声をかければいいかわからずに、それでもおずおずと呼びかけた。
咲華は泣きも憤りもせずに——笑った。
「ふふ、ふっふふ……わかりやすいわ。権謀術数渦巻く後宮なんて言われるけど、こうまで簡単に説明してくれるなんて、ある意味ではとってもお優しいことよね?」
そのままぴょんと飛び跳ねそうな咲華に、桃鈴は頭を抱えた。
「あんな嫌味な視線を受けてはしゃぐの、咲華様だけですよ」
「だって、女官の力関係とか、そういうどろどろしたもののことで悩まなくて済むじゃない。わたくし、妃同士の小競り合いよりも剪定する枝のことで悩みたいもの」
咲華は小さな窓に駆け寄ると、埃っぽい桟に構わず窓の向こうをじっと見つめる。
その目が探すのはまだ見ぬ植物だ。
「うーん、ぱっと見たところ、あまり手入れがされていないわねえ……これは仕事のしがいがあるわ」
婚礼衣装を腕まくりしそうな勢いできょろきょろと見渡す咲華の動きに合わせて、耳飾りがりんと音を立てて揺れた。
「さて、まずは着替えて散策にいかないと。こんなに殺風景な部屋だもの、花瓶のひとつも欲しいわ。物置はどこかしら」
咲華はさっそく身軽になろうと、肩口につけられていた飾りや冠を外し始める。
「咲華様、そのようなことはわたしがやりますからっ」
慌てた桃鈴も咲華に倣って袖口を帯に挟もうとするが、咲華は外した冠を桃鈴に渡して動きを封じてしまった。
「自分のことは自分でやるから。桃鈴はここで待っていて」
「咲華様ぁ~」
半泣きになった桃鈴に咲華は微笑む。
その時、開け放されたままの部屋の入口に影が差した。
「耳障りな声だ」
一瞬にして空気が凝固する。
低い声と共に部屋に足を踏み入れたのは、重たげな長い黒髪をきりりと結い上げた隻眼の青年だった。
その左目は眼帯で覆われているものの、眼光の鋭さは隻眼とて侮れるものではない。
後宮に本当の意味での男はひとりしかいない。
この国の頂点を預かるにふさわしい威容と気品が、その視線からも伝わってくる。
「熾栄の帝……」
「いかにも」
咲華の呟きに短く答えた男——熾栄は、ちらりと彼女を見たきり視線を外した。
咲華は素早く礼の姿勢をとって恭しく頭を下げた。
「ずいぶんな部屋だな」
部屋を軽く見渡して男は眉間に力を入れた。
「皇帝陛下のお心づくしと先ほどお伺いしました。御礼申し上げます」
「……は、白々しい」
嘲る声音を隠しもしない熾栄だが、話を終わらせるつもりはないようだった。
窓の外を見つめながら口を開く。
「種 咲華。お前がここにいるのはお前が望まれたわけではない。皇家と種家との繋がりゆえだ」
冷ややかな声色で言い放たれたその言葉に、咲華は顔を伏せたまま目を開く。
「本来ならば我とて蒼鳴以外の女の顔など見たくない。それをこうしてわざわざ足を運んだのは、お前の家に対する礼儀だ」
苛立たしい様子を隠すことなく言葉を続ける熾栄に、咲華の口がほろりと開いた。
「蒼鳴……それが、側妃様のお名前ですか」
「お前がその名を呼ぶな」
これ以上ないほどに凍てついた響きだった。
咲華は思わず身を固くする。後ろに控えている桃鈴が震えていやしないだろうかと心配になった。
「お前からしたら蒼鳴は過去の女。それも取るに足らぬ家の出身だろう。だが血筋の貴さが何にも勝る訳ではない。くだらぬ伝統やしがらみのせいで蒼鳴は正妃になれぬままこの世を去った。その穴を埋めるようにと押しつけられたのがお前だ」
そこで熾栄は言葉を切って視線を咲華に向けた。
ちりちりと肌を焼くような視線が痛い。咲華は顔を上げた。
耳飾りが彼女のまなざしを伝えるようにりんと鳴る。
咲華は熾栄をまっすぐ見つめる。
「……お前に遠慮はないのか」
「正妃が帝のご尊顔を拝するのに何の遠慮がございましょう」
きっぱりと言い切った咲華に、熾栄は眉間に力を込めるのも忘れ、信じられないものを見る目で咲華を凝視する。
「知らぬわけではないだろう。お前は本来の意味の妃ではない。飾りだ。実を結ぶことのない花だ」
「飾りだろうとわたくしはあなたさまの妃としてここに参りました。花がどのような実をつけるかは花のみぞ知ること。ならば花は咲くのみでございます」
その声音は恐ろしいほどよく澄んだ。
埃まみれの部屋には似つかわしくないほどに清らかな響きに、熾栄は叱責することをやめて口の端をひくつかせる。
「……花にしては弁の立つ。咲き急ぐ花はもたぬぞ」
「ご忠告、痛み入ります」
一歩も引かぬ咲華に、熾栄はため息混じりにゆるりと頭を振った。
豊かな黒髪が重たげに揺れる。
「……残念なことに、お前の家との結びつきは無碍にできない。家の顔を立てて、一年間は正妃の座につくことを許可してやる」
「一年間?」
「そうだ。花の蔓が絡みつくが如く、我が皇家にまとわりついてきた種家の娘よ。花匠として代々そなたの家が仕えてきたならば、お前は正妃という花瓶に座していろ。我はお前を愛することはない。実を結ばぬ花は一年後に剪定する。それまで、徒花を咲かせておけ」
一瞬の静寂。
熾栄は咲華の目を見る。
泣くか、喚くか。
その答えを見ずして外套を翻しかけたところ——咲華が口を開いた。
「望むところですよ」
咲華はそのまなこいっぱいに喜色を浮かべて熾栄を見据えた。
そして、弾む声音で畳みかける。
「陛下の方こそ、万が一にも徒花たるわたくしに心を寄せてしまわぬよう、ご注意くださいませ」
こうして、お飾りの正妃は後宮の隅でしっかりと根を張ったのであった。



