狐神様との契約婚は、一年で終わるはずでした

 結局あの日の見合いは、陸生が何も言わないまま、あっさりと終わった。
 返事も、次の話も、何もなかった。断られたわけでもない。

「手応えは、正直微妙かと」

 芽衣は父に、そう告げた。
 ……本音を言えば、話にすらなっていないだろう。しかし、敢えてそう伝える必要はないと判断した。

 狐堂家との見合いが難しいことは周知の事実であり、もちろん芽衣の父も承知の上だった。
 だから、特に詮索されずに済んだ。



 文が届いたのは、それから五日後のことだった。

 差出人は狐堂陸生。
 内容は簡潔で、「話がある、屋敷まで来られたし」とだけ書かれていた。

 呼び出しの理由も書かれていない不躾な文面に、芽衣は少し眉をひそめたが、無視するという選択肢はなかった。相手はまだ「柊木家の縁談相手」のままなのだ。

 通された部屋は、見合いの時とは違う、簡素な離れだった。
 華美な調度こそないが、置かれた品のひとつひとつに、確かな目利きが窺えた。

 陸生は先に来て、脇息にもたれかかっていたが、芽衣が座るなり、意外にもまっすぐ体を起こした。

「単刀直入に言う」

 前置きもなく、陸生は切り出した。

「お前と、契約を結びたい」

 芽衣は、一拍おいてから聞き返した。

「……契約ですか? 婚姻ではなく」

「婚姻の形は取る。だが夫婦としての実態は求めない。同居も、それらしい振る舞いも、情のやり取りも、一切必要ない」

 淡々とした説明だった。
 まるで商談でもしているかのような口ぶりに、芽衣はかえって落ち着いて聞くことができた。

「政略結婚であることは、誰の目にも明らかだ。夫婦が別々に暮らしていようと、そう不思議に思われないだろう」

 彼の提示した条件は、芽衣にとっては願ってもない内容であった。
 しかし──。

「……貴方側の利点がわかりません。何のための婚姻なのです?」

「体裁だ。……正直、見合いには、ほとほと疲れている」

 その言葉に、芽衣は目を見開いた。
 見合いに疲れているのは、芽衣も同じだからだ。

「お前は、断られたいと言ったな」
「はい。良く知らぬ相手との婚姻など、したくもありません。お父様には申し訳ないですが、もし結婚するのであれば……自分が惹かれた相手を、自分で選びたいのです」

 ──「狐堂家に何という口の利き方を」と、諫められても不思議ではない。
 けれど陸生は、小さく息を吐くように笑った。

「相変わらず、はっきりと物を言う」

 それは、呆れているような──けれど、どこか感心しているような表情だった。

 だがそれも、束の間だった。
 陸生は小さく息を吐くと、表情を引き締め、居住まいを正した。

「一年でいい」

 芽衣も姿勢を正し、続きを待った。

「俺としても、『結婚したが、うまくいかなかった』という事実があれば、『二度目の婚姻には慎重になっている』という体裁が成り立ち、以降の縁談を断りやすくなる。……どうだ? お前にとっても悪い条件ではないだろう」

(……柊木の面目は保たれ、私も、次の縁談を急かされずに済む)

 狐堂側の事情をさておいても、芽衣にとっては願ってもない話だった。

「ただし、月に一度だけは顔を合わせてもらう。『それなりにうまくいっていた』上での破局なら、より説得力が増すだろうから」
「月に一度の顔合わせ──具体的に、何をするのです?」
「互いの近況を確かめる程度でいい。茶の一杯、それだけの時間で済む」

 芽衣は少しの間、条件を頭の中で並べ直した。

(──うん。何から何まで、悪い条件じゃない。むしろ、好条件過ぎるほど)

 断る理由は、どこにもなかった。

「そのお話、お受けいたしましょう」

 芽衣は静々と三つ指をついた。

 芽衣の「この見合いは破談になる」という直感は、ある意味で的を射ていた。
 これは、一年後に終わることが前提の契約に過ぎないのだから。

 かくして、二人は契約を交わし、夫婦となった。
 それは愛のない、期間限定の婚姻。

 ──そのはずだった。