狐神様との契約婚は、一年で終わるはずでした

 座敷に通された瞬間、芽衣(めい)は「ああ、この見合いは破談になるな」と直感した。

 芽衣の直感は、これまで外れたことがない。
 父親には申し訳ないが、芽衣にとっては好都合であった。

 床の間を背にして座る狐堂陸生(こどう りくお)は、噂に違わぬ美丈夫だった。

 人ならざるものが当たり前に隣り合って暮らすこの街であっても、彼は別格と言えた。
 彼は大店「狐堂屋」の若旦那であり、涼やかな目元にも、着流しの肩の線にも、どこか人外めいた美しさがあった。

 それもそのはず。
 狐堂家は代々「人間の娘を娶り、その生気を糧に力を保つ」という謂われを持つ、由緒ある狐神の血筋──れっきとした「人ならざるもの」なのだから。

 芽衣より二つ三つ年上に見えるその男は、芽衣が座るなり、軽く視線を向けた後、まるで品定めを終えたとでも言うような、退屈しきった目を庭先へと向けた。

 見合いの席などより、外の景色の方に興味があるとでも言いたげだった。



 ──芽衣の生家である柊木(ひいらぎ)家は、数年前から傾き始めていた。

 父は既に、家を畳む算段をつけている。
 ただ、一人娘である芽衣の行く末だけは、案じずにいられなかったのだろう。こうして見合いの席を設けられることは、今に始まったことではない。

 今回の見合いも、家の再興のためではない。
 せめて娘の身の振り方だけはつけておきたい、という親心からだった。

(お父様には申し訳ないけれど……)

 芽衣自身の考えは、また別のところにあった。

 それは「神に嫁ぐ」という、ある種の生け贄めいた役目に辟易しているからであり、何より、よく知らない相手と婚姻を結ぶなど真っ平だったからだ。

「そちらから、何か聞きたいことは?」

 陸生の声には、義務的な響きしかなかった。何度目かも覚えていない、あらかじめ用意された台詞なのだろう。
 芽衣は少し考えてから、思ったことをそのまま口にした。

「随分と退屈そうですね」

 陸生の眉が、わずかに動いた。不遜な物言いだと、自分でも思う。
 けれど、先に失礼を働いたのはどう見ても陸生の方だった。

 陸生は、最早隠す気もないのだろう。煩わしげに短く息を吐いた。

「当たり前だろう。こんな茶番」

 そう言って、面倒そうに頬杖までつく始末だ。

「みな、俺の容姿と地位に媚びるだけだ。誰も彼も同じに見える。このようなやり取りに、意味があるとは思えない」

 その口調には、諦めと、微かな自嘲が混じっていた。
 芽衣はそれを聞いて、「当たり前だろう」と思った。

 思ったから、口にした。

「当たり前じゃないですか」

 少しの間があった。
 陸生が、初めてまともにこちらを見た。

「──は?」
「皆、貴方のことを、それしか知らないんですから」

 自意識過剰とは言わない。
 事実、陸生は美しく、地位も申し分ない。けれど、それとこれとは別問題なのだ。

 芽衣は構わず続ける。

「貴方の性格や内面を知らないまま、お見合いさせられているのです。顔と家柄しか知らされていない相手に、それ以外の何を差し出せると言うんです」

 陸生は口を開きかけたが、続く言葉が出てこないのか、そのまま黙り込んだ。

「それに──私は、むしろ断られたいんです」

 だから、そもそも媚びる必要などない。──芽衣は言外にそう言い切った。

 座敷に、しんとした沈黙が落ちた。

 陸生の、大儀そうについていた頬杖が、ふ、と外れる。
 微かに、息を呑んだ気配があった。

 退屈しきっていた陸生の視線が、初めて何かを探るような色に変わった。

 しかし、それ以上言葉を交わす暇はなかった。
 廊下の向こうから控えめな咳払いと共に、次の来客を告げる女中の声がかかる。

 見合いの持ち時間は、とうに尽きていたのだ。