「葵……! 葵、しっかりしろ……っ!」
雨の匂いと、冷たい水滴。
そして、それらをすべて押し流すような、高城の強烈な体温と柑橘系の香りが俺を包み込んだ。
床に座り込んでいた俺の体は、高城の長くて力強い腕によって軽々と抱き上げられていた。
視界は熱で歪み、高城の顔もろくに見えない。けれど、俺を支える高城の腕が微かに震えているのだけは分かった。
「た……かぎ……ごめ……俺……」
「喋るな! 馬鹿野郎……!」
怒声に近い声。けれど、その響きには破裂しそうなほどの焦燥と恐怖が滲んでいた。
高城は着ていた自分の大きな上着を脱ぐと、雨で濡れた俺の体に乱暴なくらい手際よく巻きつけた。そして俺を抱きかかえたまま、土砂降りの雨の中へと飛び出していく。
バシャバシャと水たまりを跳ね上げる足音。
俺の耳元で聞こえる高城の荒い息遣いと、早鐘のように打つ胸の鼓動。
(高城の胸……すごく速い……。俺のせいだ……俺が……)
「タクシー……! 止まれ……っ!」
大通りに出た高城が、雨の中で強引にタクシーを止めるのが見えた。
後部座席に俺を滑り込ませ、自分も乗り込んでくる。高城はドライバーに短く行き先を告げると、濡れた俺の体を再び抱き寄せ、その頭を自分の胸元へ強く引き寄せた。
「高城……服、濡れる……っ」
「黙ってろつってんだろ。いいから、大人しく包まれてろ」
高城の大きな手が、濡れた俺の髪を何度も何度も愛おしむように撫でる。
その手が、俺の額に触れた。
「熱……めちゃくちゃ高いじゃないか。お前、いつから体調悪かったんだ」
「えっと……今日の朝……ううん、昨日から、ちょっと……」
「なんで言わなかった」
「高城に……迷惑、かけたく……なかったから……」
途切れ途切れに呟いた瞬間、高城が息を呑む気配がした。
俺を抱きしめる腕の力が、壊れ物を抱くかのようにギチギチと強くなる。
「迷惑だと……? お前、俺がどれだけ探したと思ってるんだ……。連絡もつかなくて、サークルの奴らに聞いても『瀬名なら一人で作業してる』って……。もし俺が倉庫に行かなかったら、お前どうなってたと思ってんだ……!」
低く震える声。高城の額が、俺の濡れた髪に押し付けられる。
「俺に迷惑かけないことが、お前の『頑張り』なのかよ……」
「っ……」
責め立てるような言葉の裏にある、痛々しいほどの優しさと後悔。
それに答える気力もなく、俺は高城のシャツの胸元をキュッと指先で掴んだまま、急速に意識を失っていった。
「……ん……っ……」
次に目を覚ました時、俺は柔らかくて温かいベッドの上にいた。
ぼやける視界。天井に見覚えはない。
白とグレーを基調としたシンプルで洗練された室内。部屋の中にはほのかに、高城と同じ香水の匂いが漂っていた。
(ここ……高城の家……?)
体を起こそうとしたが、全身が鉛のように重くて指一本動かない。
熱で頭がガンガンと痛み、呼吸をするたびに喉の奥が熱く焼けるようだった。
ふと、自分の体に違和感を覚えて視線を落とす。
(えっ……!?)
濡れていたはずのシャツやパンツは綺麗に脱がされていて、代わりに高城のものと思われるブカブカの黒いTシャツとスウェットパンツを着せられていた。
Tシャツの袖は肘のあたりまで余り、首元もゆるゆるで鎖骨が完全に出てしまっている。
(着替えさせてくれたの……高城が……!?)
熱のせいだけではない熱さが、一気に顔へ吹き出した。
意識のない間に、高城に体を拭かれて着替えさせられたのだと悟り、恥ずかしさで布団に潜り込みたくなる。
その時、ガチャリと静かにドアが開いた。
入ってきたのは、濡れた髪をタオルで拭きながら、トレーを持った高城だった。
トレーの上には、冷えピタ、解熱剤、スポーツドリンク、そして氷水に入ったタオルが乗っている。
「……起きたか」
高城は俺が目を覚ましているのに気づくと、すっと表情を緩め、ベッドの脇に腰を下ろした。
「高城……ここ……」
「俺の家だ。お前のアパートまで運ぶのは無理だったから連れてきた。勝手に着替えさせたのは悪かったけど、濡れたままだと余計冷えるだろ」
「う、うん……ありがとう……助かったよ……」
消え入りそうな声で礼を言うと、高城は冷えピタのフィルムを剥がし、俺の額にそっと貼り付けてきた。
ひんやりとした感覚が心地よくて、思わず「ふう……」と息が漏れる。
「体温、測るぞ」
高城が体温計を俺の脇に差し込んでくる。
ピッピッ、と電子音が鳴り、高城がそれを確認すると、途端に眉間に深いシワを寄せた。
「三十八度八分。……やっぱりな」
「うぐ……そんなにあるんだ……」
「当たり前だろ。連日徹夜して、雨の中で重い荷物運んで……お前、バカなのか?」
高城の厳しい言葉に、俺は首をすくめた。
高城はスポーツドリンクのキャップを開け、ストローを挿して俺の口元へ差し出してきた。
「ほら、少しでも飲め」
「あ、自分で持てる——」
「いいから口開けろ」
高城の拒絶を許さない眼差しに負け、俺は差し出されたストローをくわえてちびちびと水分を補給した。
喉を潤していく冷たい液体が体に染み渡り、少しだけ人心地がついた気がする。
高城は俺が飲み終えるのを見届けると、グラスをテーブルに置き、ベッドの端に手を突いて俺を上から覗き込んできた。
距離が近い。高城の整いすぎた顔が、暗い部屋の中でハッキリと見える。
その切れ長な瞳は、熱っぽく俺の顔のパーツひとつひとつを辿っていた。
「葵」
「……なに……?」
「なんであんな無理したんだ」
静かだが、逃げられない問いかけだった。
「サークルの裏方の仕事、お前一人に押し付けられてただろ。断れなかったのか?」
「断らなかったんだよ……俺が、自分からやるって言ったんだ……」
「なんでだよ。お前、人混みもガヤガヤしたノリも苦手だろ。無理して一軍の輪に入ろうとして、体壊して……何の意味があるんだよ」
高城の声に、苛立ちと悔しさが混ざる。
俺を守りたいのに、俺が自ら傷つきにいっているのが理解できないという顔だった。
俺は布団をきゅっと両手で握りしめた。
熱のせいで頭がぼーっとしていて、心のストッパーがうまく機能しない。
高城に隠しておきたかった、一番惨めでダサい本音が、ぽろぽろと口から溢れ出していった。
「……高城の隣に……いたかったからだよ……」
「……は?」
高城が目を見開いた。
「俺……高城の隣にいても恥ずかしくない奴になりたかったんだ……っ」
視界がじわじわと涙で滲んでいく。
熱い涙が頬を伝ってポロポロと落ち、枕を濡らした。
「高城は……何でもできて、かっこよくて、サークルでもみんなから頼にされてて……。それに比べて俺は、ただの擬態陽キャで、喋るのも下手で、すぐテンパって……高城に助けてもらってばっかりで……」
しゃくりあげながら、必死に言葉を紡ぐ。
「このままだったら……高城に『やっぱり手がかかって面倒なやつだな』って……いつか呆れられちゃうんじゃないかって怖くて……! だから、俺だってサークルでちゃんと役に立てるって……高城に認められたかったんだ……っ!」
子供みたいな言い分だった。
高城に迷惑をかけたくないと言いながら、結局一番迷惑をかけているのは自分だ。
情けなくて、惨めで、俺は顔を両手で覆って声を殺して泣いた。
静まり返る室内に、俺の鼻をすする音だけが響く。
高城は何も言わなかった。
呆れて絶句しているのかもしれない。やっぱり、面倒なやつだと思われたに違いない。
(終わった……俺、完全に引かれた……)
絶望感に打ちひしがれ、さらに泣きじゃくっていた、その時だった。
がたっ、とベッドが大きく揺れた。
「んっ……!?」
次の瞬間、俺の視界は真っ暗になった。
高城が俺の上から覆いかぶさり、その長い腕で俺の体を押し潰さんばかりの力で抱きしめてきたのだ。
高城の顔が俺の首元に埋められる。
彼の荒い吐息が直接肌に当たり、俺の全身に鳥肌が立った。
「……葵」
高城の声が、狂おしいほどの感情を帯びて震えていた。
「お前……本当、どこまでバカなんだよ……」
「た……高城……?」
「俺が呆れる……? 嫌いになる……? 冗談だろ……」
高城の手が、俺の背中に回され、服の上から肉を絞るように強く抱きすくめられる。
「俺がどれだけお前に執着してるか……お前、ひとつも分かってなかったんだな」
高城の頭が上がり、暗闇の中で彼の瞳がギラリと怪しい光を放っていた。
そこにあったのは、これまで見せたことのない、剥き出しの「庇護欲」と「独占欲」——そして、溢れんばかりの情熱だった。
雨の匂いと、冷たい水滴。
そして、それらをすべて押し流すような、高城の強烈な体温と柑橘系の香りが俺を包み込んだ。
床に座り込んでいた俺の体は、高城の長くて力強い腕によって軽々と抱き上げられていた。
視界は熱で歪み、高城の顔もろくに見えない。けれど、俺を支える高城の腕が微かに震えているのだけは分かった。
「た……かぎ……ごめ……俺……」
「喋るな! 馬鹿野郎……!」
怒声に近い声。けれど、その響きには破裂しそうなほどの焦燥と恐怖が滲んでいた。
高城は着ていた自分の大きな上着を脱ぐと、雨で濡れた俺の体に乱暴なくらい手際よく巻きつけた。そして俺を抱きかかえたまま、土砂降りの雨の中へと飛び出していく。
バシャバシャと水たまりを跳ね上げる足音。
俺の耳元で聞こえる高城の荒い息遣いと、早鐘のように打つ胸の鼓動。
(高城の胸……すごく速い……。俺のせいだ……俺が……)
「タクシー……! 止まれ……っ!」
大通りに出た高城が、雨の中で強引にタクシーを止めるのが見えた。
後部座席に俺を滑り込ませ、自分も乗り込んでくる。高城はドライバーに短く行き先を告げると、濡れた俺の体を再び抱き寄せ、その頭を自分の胸元へ強く引き寄せた。
「高城……服、濡れる……っ」
「黙ってろつってんだろ。いいから、大人しく包まれてろ」
高城の大きな手が、濡れた俺の髪を何度も何度も愛おしむように撫でる。
その手が、俺の額に触れた。
「熱……めちゃくちゃ高いじゃないか。お前、いつから体調悪かったんだ」
「えっと……今日の朝……ううん、昨日から、ちょっと……」
「なんで言わなかった」
「高城に……迷惑、かけたく……なかったから……」
途切れ途切れに呟いた瞬間、高城が息を呑む気配がした。
俺を抱きしめる腕の力が、壊れ物を抱くかのようにギチギチと強くなる。
「迷惑だと……? お前、俺がどれだけ探したと思ってるんだ……。連絡もつかなくて、サークルの奴らに聞いても『瀬名なら一人で作業してる』って……。もし俺が倉庫に行かなかったら、お前どうなってたと思ってんだ……!」
低く震える声。高城の額が、俺の濡れた髪に押し付けられる。
「俺に迷惑かけないことが、お前の『頑張り』なのかよ……」
「っ……」
責め立てるような言葉の裏にある、痛々しいほどの優しさと後悔。
それに答える気力もなく、俺は高城のシャツの胸元をキュッと指先で掴んだまま、急速に意識を失っていった。
「……ん……っ……」
次に目を覚ました時、俺は柔らかくて温かいベッドの上にいた。
ぼやける視界。天井に見覚えはない。
白とグレーを基調としたシンプルで洗練された室内。部屋の中にはほのかに、高城と同じ香水の匂いが漂っていた。
(ここ……高城の家……?)
体を起こそうとしたが、全身が鉛のように重くて指一本動かない。
熱で頭がガンガンと痛み、呼吸をするたびに喉の奥が熱く焼けるようだった。
ふと、自分の体に違和感を覚えて視線を落とす。
(えっ……!?)
濡れていたはずのシャツやパンツは綺麗に脱がされていて、代わりに高城のものと思われるブカブカの黒いTシャツとスウェットパンツを着せられていた。
Tシャツの袖は肘のあたりまで余り、首元もゆるゆるで鎖骨が完全に出てしまっている。
(着替えさせてくれたの……高城が……!?)
熱のせいだけではない熱さが、一気に顔へ吹き出した。
意識のない間に、高城に体を拭かれて着替えさせられたのだと悟り、恥ずかしさで布団に潜り込みたくなる。
その時、ガチャリと静かにドアが開いた。
入ってきたのは、濡れた髪をタオルで拭きながら、トレーを持った高城だった。
トレーの上には、冷えピタ、解熱剤、スポーツドリンク、そして氷水に入ったタオルが乗っている。
「……起きたか」
高城は俺が目を覚ましているのに気づくと、すっと表情を緩め、ベッドの脇に腰を下ろした。
「高城……ここ……」
「俺の家だ。お前のアパートまで運ぶのは無理だったから連れてきた。勝手に着替えさせたのは悪かったけど、濡れたままだと余計冷えるだろ」
「う、うん……ありがとう……助かったよ……」
消え入りそうな声で礼を言うと、高城は冷えピタのフィルムを剥がし、俺の額にそっと貼り付けてきた。
ひんやりとした感覚が心地よくて、思わず「ふう……」と息が漏れる。
「体温、測るぞ」
高城が体温計を俺の脇に差し込んでくる。
ピッピッ、と電子音が鳴り、高城がそれを確認すると、途端に眉間に深いシワを寄せた。
「三十八度八分。……やっぱりな」
「うぐ……そんなにあるんだ……」
「当たり前だろ。連日徹夜して、雨の中で重い荷物運んで……お前、バカなのか?」
高城の厳しい言葉に、俺は首をすくめた。
高城はスポーツドリンクのキャップを開け、ストローを挿して俺の口元へ差し出してきた。
「ほら、少しでも飲め」
「あ、自分で持てる——」
「いいから口開けろ」
高城の拒絶を許さない眼差しに負け、俺は差し出されたストローをくわえてちびちびと水分を補給した。
喉を潤していく冷たい液体が体に染み渡り、少しだけ人心地がついた気がする。
高城は俺が飲み終えるのを見届けると、グラスをテーブルに置き、ベッドの端に手を突いて俺を上から覗き込んできた。
距離が近い。高城の整いすぎた顔が、暗い部屋の中でハッキリと見える。
その切れ長な瞳は、熱っぽく俺の顔のパーツひとつひとつを辿っていた。
「葵」
「……なに……?」
「なんであんな無理したんだ」
静かだが、逃げられない問いかけだった。
「サークルの裏方の仕事、お前一人に押し付けられてただろ。断れなかったのか?」
「断らなかったんだよ……俺が、自分からやるって言ったんだ……」
「なんでだよ。お前、人混みもガヤガヤしたノリも苦手だろ。無理して一軍の輪に入ろうとして、体壊して……何の意味があるんだよ」
高城の声に、苛立ちと悔しさが混ざる。
俺を守りたいのに、俺が自ら傷つきにいっているのが理解できないという顔だった。
俺は布団をきゅっと両手で握りしめた。
熱のせいで頭がぼーっとしていて、心のストッパーがうまく機能しない。
高城に隠しておきたかった、一番惨めでダサい本音が、ぽろぽろと口から溢れ出していった。
「……高城の隣に……いたかったからだよ……」
「……は?」
高城が目を見開いた。
「俺……高城の隣にいても恥ずかしくない奴になりたかったんだ……っ」
視界がじわじわと涙で滲んでいく。
熱い涙が頬を伝ってポロポロと落ち、枕を濡らした。
「高城は……何でもできて、かっこよくて、サークルでもみんなから頼にされてて……。それに比べて俺は、ただの擬態陽キャで、喋るのも下手で、すぐテンパって……高城に助けてもらってばっかりで……」
しゃくりあげながら、必死に言葉を紡ぐ。
「このままだったら……高城に『やっぱり手がかかって面倒なやつだな』って……いつか呆れられちゃうんじゃないかって怖くて……! だから、俺だってサークルでちゃんと役に立てるって……高城に認められたかったんだ……っ!」
子供みたいな言い分だった。
高城に迷惑をかけたくないと言いながら、結局一番迷惑をかけているのは自分だ。
情けなくて、惨めで、俺は顔を両手で覆って声を殺して泣いた。
静まり返る室内に、俺の鼻をすする音だけが響く。
高城は何も言わなかった。
呆れて絶句しているのかもしれない。やっぱり、面倒なやつだと思われたに違いない。
(終わった……俺、完全に引かれた……)
絶望感に打ちひしがれ、さらに泣きじゃくっていた、その時だった。
がたっ、とベッドが大きく揺れた。
「んっ……!?」
次の瞬間、俺の視界は真っ暗になった。
高城が俺の上から覆いかぶさり、その長い腕で俺の体を押し潰さんばかりの力で抱きしめてきたのだ。
高城の顔が俺の首元に埋められる。
彼の荒い吐息が直接肌に当たり、俺の全身に鳥肌が立った。
「……葵」
高城の声が、狂おしいほどの感情を帯びて震えていた。
「お前……本当、どこまでバカなんだよ……」
「た……高城……?」
「俺が呆れる……? 嫌いになる……? 冗談だろ……」
高城の手が、俺の背中に回され、服の上から肉を絞るように強く抱きすくめられる。
「俺がどれだけお前に執着してるか……お前、ひとつも分かってなかったんだな」
高城の頭が上がり、暗闇の中で彼の瞳がギラリと怪しい光を放っていた。
そこにあったのは、これまで見せたことのない、剥き出しの「庇護欲」と「独占欲」——そして、溢れんばかりの情熱だった。


