擬態陽キャは隠しきれない〜人見知りな俺、過保護なハイスペ男子に甘やかされています〜

(名前……呼ばれちゃった……)

あの日、電話越しに高城から低く甘い声で「葵」と呼ばれてからというもの、俺の脳内はキャパシティを完全に超えていた。

翌日からも、高城の過保護ぶりは加速する一方だった。
朝は講義棟の前で待っていてくれ、昼休みはわざわざ人の少ない学食の隅や喫茶店へ連れ出してくれ、講義が終われば「帰るぞ」と駅まで送ってくれる。

サークル内でも、高城が俺の隣を固め、周りの派手なメンバーから守るようにさりげなく盾になってくれていた。
そして何より、二人きりになると、彼はごく自然に俺を「葵」と呼ぶようになったのだ。

「葵、これ次回のレジュメ」
「葵、口元にクリームついてる」
「葵、今日うちに来るか?」

(〜〜〜っ! 心臓がいくらあっても足りない……!)

名前を呼ばれるたびに跳ね上がる心臓を落ち着かせるのが、最近の俺の日課になっていた。

だけど、高城の存在が大きくなればなるほど、俺の胸の奥で小さな黒いモヤが膨らんでいくのを感じていた。

高城はサークルでも大学でも完璧で、誰からも憧れられる存在だ。
それに比べて俺は、未だに人と話すだけで緊張して胃が痛くなるような、情けない擬態陽キャ。

(高城は『お前のままでいろ』って言ってくれたけど……。このまま高城に守られてばかりで、迷惑ばかりかけてたら、いつか『やっぱり手がかかって面倒だな』って呆れられちゃうんじゃないか……?)

「高城の隣にいても恥ずかしくない奴になりたい」

その強い思いが、俺の中で少しずつ暴走を始めていた。

6月中旬。サークル『アルカディア』では、初夏のメインイベントである大型新歓パーティーの準備が佳境を迎えていた。

「今回のイベント、他大学からも百人以上集まるからさ! 幹部だけじゃ手不足なんだよね。準備スタッフやってくれる奴いない?」

サークルのミーティングで、部長が呼びかける。
いつもなら「俺なんて……」と後列で気配を消すところだった。

だけど俺は、息を呑んでギュッと拳を握りしめた。

(今変わらなきゃ。高城に守られるだけじゃなくて、俺だってサークルの一員としてちゃんと役に立てるって証明したい……!)

「あ……あの! 俺、やります!」

勢いよく手を挙げると、ミーティング教室が一瞬静まり返った。

「えっ、瀬名くんが!? 助かる〜!」
「マジで!? 瀬名サンキュー!」

周囲から歓声が上がる。
俺は「あはは、任せてよ! 頑張るね!」と必死に笑顔を作ってみせた。

ふと横を見ると、高城が険しい表情で俺を見つめていた。
切れ長な瞳を細め、あからさまに不機嫌そうなオーラを纏っている。

「……葵」

「え、あ、なに……? 高城……」

「お前、なんで手挙げた。イベントの裏方なんて、会場手配から協賛集めまでめちゃくちゃタフだぞ。お前がやる必要ない」

低い声で制止してくる高城に、俺は首を振った。

「ううん、俺がやりたいんだ。いつも高城に助けられてばかりだったから……俺もちゃんとした大学生になりたいし、頑張ってみたいんだよ」

高城は俺の固い決意を感じ取ったのか、苦々しい顔で言葉を呑み込んだ。

「……無理だけは絶対すんなよ。何かあったらすぐ俺に言え」

「うん! ありがとう、高城!」

この時の俺は、自分の「必死な強がり」がどんな結果を生むか、まだ何もわかっていなかった。

それからの数日間は、怒涛の忙しさだった。

講義の合間をぬってイベントの備品買い出しに走り、夜は居酒屋の予約調整や参加者リストの作成。
他のスタッフたちが「今日バイトあるから頼む〜」「課題あるからよろしく!」と仕事を押し付けてきても、俺は断ることができなかった。

「任せて! 俺がやっておくから大丈夫!」

(頼にされている。俺もちゃんとみんなの輪に入れてるんだ……!)

そう自分に言い聞かせ、貼り付けた笑顔で引き受け続けた。
『頼りになる瀬名くん』という評価を守るために、深夜までアパートのパソコンで作業を続けた。

睡眠時間は連日二〜三時間。
食事も喉を通らず、コンビニのゼリー飲料だけで済ませる日々が続いた。

当然、異変には高城が一番に気づく。

「葵、顔色悪いぞ。今日も作業手伝う」

「えっ!? いいよいいよ、高城は明日テストでしょ? 俺一人で全然平気だから!」

「平気な顔じゃないだろ。目の下、クマだらけだ」

「大丈夫だってば! ほら、笑顔! 全然余裕〜!」

高城の手を振り払い、大げさに笑ってみせる。
高城が手を貸そうとしてくれるのを拒んだのは、高城に迷惑をかけたくなかったからだ。高城の手を煩わせたら、「やっぱり一人じゃ何もできないやつ」に逆戻りしてしまう気がしたのだ。

「……お前、最近俺のこと避けてるろ」

「えっ……! 避けてなんて——」

「じゃあなんで俺の顔見ないんだよ」

高城の声に、ズシリと重い情熱と焦燥が混ざっていた。
だけど俺は、胸の鼓動をごまかすように「気のせいだよ! さ、作業戻らなきゃ!」と逃げるように走り去ってしまった。

背後で高城が低く舌打ちをする音が聞こえたが、振り返る余裕さえなかった。

そして迎えた、イベント前日の夕方。

季節外れの強い雨が降り注ぐ中、俺は大学の倉庫で一人、イベントで使う巨大な看板や音響機材の搬出作業をしていた。

「う、重い……っ」

雨で濡れた段ボールを持ち上げようとするが、膝がガクガクと震えて力が入らない。
視界がぐにゃりと歪み、頭の奥でガンガンと激しい痛みが脈打っていた。

(おかしいな……体が熱い……。息がうまく吸えない……)

体の芯から焼けるような熱が込み上げてくる。
連日の徹夜と無理な作業、そして緊張とストレスで、俺の体はとっくに限界を超えていたのだ。

「はぁ……はぁ……っ……」

冷たい雨が倉庫のトタン屋根を激しく叩く音だけが響く。
壁に背中を預け、ずるずるとその場に座り込んでしまった。

手足が氷のように冷たく、逆に頭は煮え立つように熱い。視界に黒い霧が広がり、思考がまとまらなくなっていく。

(だめだ……明日、イベントなのに……俺が倒れたら……みんなに迷惑がかかっちゃう……)

必死に立ち上がろうとしたが、腰が抜けたように力が入らない。
手元からスマートフォンが滑り落ち、床でカチャンと寂しい音を立てた。

画面が光り、発信者の名前に『高城柊真』と表示される。

着信音の電子音が遠く聞こえる。手を伸ばそうとしたが、指一本動かすことができない。

(高城……ごめんね……。俺、結局……何もできなかったや……)

一人ぼっちの暗い倉庫。雨の音に包まれながら、俺の意識は急速に深い闇へと沈んでいこうとしていた。

その時だった。

バタンッ!!

倉庫の古びたドアが、激しい音を立てて弾け飛ぶように開いた。

「葵……っ! 葵!!」

雨に濡れた黒髪を振り乱し、息を荒らして駆け込んできたのは——高城だった。

視界が霞む中で見えた彼の顔は、これまで一度も見たことがないほど、青ざめて歪んでいた。

「た……か……ぎ……?」

掠れた声で名前を呼んだ瞬間、俺の身体は強い力で抱き上げられていた。