冷徹陰陽師は、健気な契約妻を手放せない

 ◇ ◇ ◇

「よお、新婚さん」

 紗樹と偽りの祝言を挙げた翌日。職場である帝都治安維持局へ出勤した千早は、さっそく同僚に捕まった。首にしっかりと片腕を回され、これでもかと顔を近づけられる。
 同じ課に所属する軍人──歌根(うたね)幸弥(ゆきや)だった。歳は同年の二十四。幼馴染の陰陽師でもあり、何かと仕事で組まされている。今回の事件もだ。
 性格は明るく適当。
 悪い奴ではないのだが、いかんせん、うるさかった。

「で、どーだった? 噂のお嬢さんは」
「離れろ鬱陶しい」

 幸弥の腕を払い退ける。しかし、親友のにやけた口元は直らなかった。

「あーなんだよその顔。さては好みだったな?」
「馬鹿を言うな」
「じゃあ、惚れられた?」
「……いや」

 立ち止まり深く眉間に皺を寄せた千早に、幸弥が意外そうに目を丸くした。

「なんだよ、何かあったのか?」

 幸弥は、紗樹との結婚が契約上のものだと知っていた。知っていて、仮初の結婚に踏み切った千早を面白がっていた。
 しかし、こんなふざけた調子の男でも、実力は折り紙つきだし仲間は仲間だ。
 事件の早期解決のためにも、紗樹の人となりは共有しておくべきだろう。
 千早は眉間の皺を崩せないまま、幸弥に向き直った。

「……変わった娘だった」
「へー?」
「小鬼を連れていて」
「使役してるってこと?」
「いや。……友人だそうだ」

 幸弥のにやけていた顔がわずかに固まる。そうだろう、そんな話、千早だって聞いたことがない。

「しかも、祓うなと言われた」
「……………確かに、変わってるな」

 言葉に詰まった幸弥の態度に、少しだけ胸のつっかえが取れたような気がして、千早は安堵の息を漏らした。

「彼女からの条件は飲んだ。だから、言うことも聞かせやすくなったと思う」
「いいじゃん」
「ああ」

 連れ立って歩き出す。
 帝都の中央。都中を監視するように(そび)え立つ帝都治安維持局。
 西洋建築を取り入れた白亜の重厚な建物。
 千早たちが所属する妖対策課は、その管轄下にあった。
 職務内容は名の冠する通り、帝都の治安を維持することで、千早たち妖対策課は、怪異や幽鬼、あやかしといった人ならざる者を相手としている。
 陰陽の(ことわり)を学び、修行を積んだ千早たちは呪術を用いて帝都を守っていた。守刀と通称される所以である。

 紗樹の実家、倉掛宮家も似たような仕事を請け負うが、あちらは公的機関ではなく、個として活動していた。

「けど、次で七人目かぁ」

 対策課の自席につくなり、幸弥はうだるようにぼやいた。千早も資料を取り出しつつ、席に腰を下ろす。机に半分顔をあずけながら幸弥が言った。

「ほいで? 嫁さんにはいつから動いてもらうんだ?」
「早い方がいいだろうな」

 でなければ、急いで結婚した意味がなくなってしまう。千早は、紐で括られた被害報告書の束をめくった。

 事件の発端は三ヶ月前。
 一人目の失踪者は陸軍大臣の娘で、相思相愛の幼馴染に嫁いだばかりだった。日課の散歩に出かけた折、忽然と姿を消したそうで、散歩道にはわずかにあやかしの痕跡が残っていた。身代金目当ての誘拐の線もあげられたが、一向に誰からの連絡もなく、そのため、あやかしの犯行と目されている。
 報告書をめくる。
 二人目は呉服屋の娘。
 三人目は質屋の娘……と、同じように事件は続いていた。
 どの娘も、夫婦円満だったと言う。

 頬杖をつき、思考する。

 あやかしの目的と、攫った方法がわからない。
 悲鳴一つなく姿を消した花嫁たちは、どうやって拐かされたのか。そして、身体は、命は無事なのか。

 行き詰まった捜査に、皆焦燥を募らせていた。

(……明日にでも夜歩きをしてもらうか)

 思いながら、資料を閉じる。

 ──倉掛宮の紗樹。夜の湖にも似た、青い瞳をした風変わりな娘。
 事前に源一郎から、異国の血が混じった娘だとは聞いていたが。あんなにも澄んだ色だとは思いもしなかった。初めて会った瞬間は、思わず凝視してしまったことを思い出す。いささか不躾だったかと、帰宅してから反省した。
 ふと源一郎のしわがれた、まとわりつくような声を思い返す。

『あの娘は、物の怪に取り憑かれておるのです。弟も、同じ色の目をした西洋女の虜となり命を落としました。ですがご心配には及びません。あれは幼少の頃よりわたしどもがきつく躾けておきましたので。きっと白陵路様のお役に立ちましょう』

 まるで道具だな。

 その点は、哀れに思わないこともない。
 なるべく無傷で返してやりたいと思っているが、さて、どうなることか。

 思ったところに、能天気な声が届く。

「まぁ、とりあえずデートからだな。次に膝枕で耳かきだろ? で、愛妻弁当にお見送り。あー忘れ物を届けてもらうってのもいいな」

 指折り不可思議な出来事を並べ立てはじめた幸弥に、千早はぐしゃりと顔を歪めた。

「なんの話だ」
「や、だって(やっこ)さんに夫婦ですって主張しないとだろ?」
「……」
「今更そんな顔すんなって。おまえのほうが強いから花婿役になったんだろーが。気張れ気張れ」

 どれもこれも、あやかしを誘き寄せるため。
 千早は、心の中でそう繰り返した。

 ◇ ◇ ◇

「おかえりなさいませ、旦那様」
「……」
「? ……旦那様?」

 新婚二日目の夕刻。
 夕食を作り終えたところで、千早が仕事から戻ってきた。しかし玄関で出迎えた彼はなぜか、気難しそうな顔をしていた。
 じっと見つめられ、紗樹は落ち着かなくなる。

「あの?」
「……ただいま」

 ようやく千早が動く。

「っ、ええ、お帰りなさい。ご飯の支度できていますよ」
「ありがとう」

 千早はやはり気難し気な顔のまま「着替えてくる」と二階へ上がっていった。なんだか、ひどく疲れているようだった。
 帝都の守刀──妖対策課で、普段から倉掛宮とは比べ物にならないほどたくさんのあやかしを相手にしているのだ。無理もない。
 今夜は奮発して牛肉にしてよかった、と紗樹は台所へと戻る。

 夫婦らしさを醸し出すため、通いで雇っていた使用人にはしばらく休暇を出していた。だから屋敷中の掃除と洗濯、料理などは全て紗樹の仕事になった。外目には、献身的な妻に見えるだろう。
 当面の生活費といって渡された札束は家族四人がゆうに一年は暮らせるほどだったが、だからといって無駄に浪費するつもりはない。
 実家にいた頃から節約を余儀なくされていた紗樹の腕の見せ所だった。

「どうでしょう、お口にあいますか?」
「……ああ。美味い」

 茄子とお豆腐の味噌汁を啜り、千早は小さく呟いた。よかった、と紗樹は胸を撫で下ろす。
 料理は得意な方だけれど、他人に振る舞ったのはこれが初めてだった。実家ではいつも一人で準備していたから。
 西洋風の長テーブルで向かい合うように座り、二人きりの夕食を進める。
 献立は、なかなか満足のいくものになった。
 安売りされていた牛肉は牛蒡と合え、お味噌汁とご飯を用意し、香の物は、すでに作られていたものを添えた。
 と、千早が小鉢を見て箸を止める。

「これは? 見かけない野菜だな。ん……これも美味い」
「でしょう? 悟くんが持ってきてくれたんです」

 千早がむせそうになる。なんとか水を飲んで堪えたあと、こちらを怪しげな瞳で見つめてきた。

「あやかしが拾ってきたものを食わせたのか?」
「……ちゃんとした野草ですよ。それにあやかしの方が、栄養価も高くてみずみずしいものを見つけられます」

 紗樹は言って、自分も野草のおひたしを食べてみせた。

「いらないならわたしにください」
「いや……食べるが」

 紗樹が伸ばした手から守るように、千早は自分の小鉢を掴む。

 千早はそれ以上何も言わなかったが、米一粒残すことなく完食してくれた。
 片付けをしながら、あやかし以外と食事をとったのもこれが初めてだと気づき、紗樹はなんともこそばゆい気持ちになった。

 食後の茶を用意すると、千早は静かに切り出した。

「明日は一緒に出かけよう。うまくいけばあやかしが寄ってくるかも知れない」

 紗樹があやかしに襲われることを期待されていた。

「わかりました。用意しておきます」
「俺もついているから、怪我をするようなことはないと思う」

 言って千早は、大きな茶封筒を渡してきた。分厚い紙の束が詰まっていた。

「これは……?」
「事件のあらましと、調査報告をまとめたものだ。きみは協力者だから閲覧を許可した。目を通しておいてくれ」
「わかりました、拝読いたします」
「それと、きみは呪術は使えるのか? 使役しているあやかしは?」

 紗樹は首を横に振る。

「すみません。どうしてもあやかしを祓うのは苦手で。……ただ」
「ただ?」

 千早が端正な顔を少しだけ傾ける。
 紗樹は膝上に置いた手をぎゅっと握りしめた。

「ただ……わたしは、あやかしを惹きつけることができます」
「……──本当に?」
「ええ。全てのあやかし、というわけではないのですが。この青い目が珍しいから寄ってきてしまうようです。何度もとられそうになりました。ほら、人も変わったものや、新しいものに群がったりするでしょう? それと同じようです」

 だから紗樹は、伯父に家業を手伝わされていた。
 伯父たちは、紗樹を生き餌に悪鬼を惹きつけ、一斉に仕留める作戦を得意としていた。
 その現場には、人の怒気とあやかしの悪意が満ち、吐き気を催すほどだった。たとえそのあやかしたちが、人に悪さをしていると知っていても。紗樹はあのひりつくような場所が苦手だった。

 思い出すだけで苦しくなった紗樹の耳に、千早の低い声が届く。

「ああ、合点がいった。それで伯父上はきみを推薦したのか」
「ええ。……だと、思います」

 西洋ランプの灯りが揺れ、千早の整った顔を照らしあげる。
 あやかしを惹き寄せる女なんて、不吉がすぎる。近寄りたくないと思われたかもしれない。なのに。

「それは助かるな」

 思いがけずかけられた言葉に、紗樹ははっと顔をあげた。千早は、今まで見た中でいちばん穏やかな顔をしていた。

「この事件には願ったり叶ったりの能力だ。存分に働いてもらうぞ。紗樹」
「は……はい」

 役に立つ。わたしが?

「これを、肌身離さず持っていてくれ」

 紗樹の動揺には気づくことなく、千早は懐から一枚の護符を取り出し手渡してきた。流麗な線で五芒星と呪文字が記されている。この護符には、千早の使役するあやかしが宿っているそうで、千切るだけで彼に危険を知らせてくれるそうだった。

「あやかしに拐かされたときに使ってほしい」
「わかりました」

 しっかりと握りしめ、頷く。
 彼は現存する陰陽師の中でも指折りの実力者だ。きっと高価なものに違いない。

「湯は先に使え。俺はまだ仕事が残っているから」

 話しは終わったとばかりに、千早は廊下へと姿を消した。

 新婚生活二日目。夫婦らしくできているかは不安だけれど、少しずつ距離を縮めていこう。護符を握りしめ、紗樹は気持ちを新たにした。