冷徹陰陽師は、健気な契約妻を手放せない

 大正と呼ばれる時代になり、しばらく。
 異国の文化が混じり始めた帝都では、夜毎魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)し、人々を悩ませていた。

 そんな都の片隅。
 月の明るい晩のことだった。
 数百年も前から続く、あやかし退治を生業とする倉掛宮(くらかけみや)家の一室に、三名の影があった。
 一人は倉掛宮の当主、源一郎(げんいちろう)。一人はその姪、紗樹(すず)
 そうして残る一人は──。

「では、式は明後日(みょうごにち)に」

 墨よりも濃い艶やかな黒髪、切れ長の鋭利な瞳。
 歳は二十の半ば頃だろうか。
 洋間のソファに腰掛けた黒い詰襟軍服の男──白陵路(はくりょうじ)千早(ちはや)は、背筋を伸ばしたまま、そう告げた。
 真向かいに座った紗樹は、驚きに言葉も出ない。

(わたしが、結婚……? この方と?)

 その夜。部屋で繕い物をしていた紗樹は、帰宅した伯父に呼び出され、彼と対面させられた。
 紗樹が客間に足を踏み入れるなり、名と職業の簡素な挨拶をされたあと、伯父は、彼に嫁ぐようにと言った。しかも式は明後日だという。

 あまりに急な話に、紗樹はようやく働き出した頭で口を開く。

「お待ちください。あの」
「黙れ。話の途中だ」

 久しぶりの会話だというのに、隣に座った伯父の態度は変わらずすげないものだった。紗樹とは寸分も目を合わせようとせず、ただひたすらに言うことを聞かせようとする。
 逆らえば手酷い折檻が待ち受けていることを思えば、紗樹は口をつぐむほかなかった。
 伯父は、気を取り直すように目の前の青年へ猫撫で声をかける。

「申し訳ございません、白陵路殿。幾分世間知らずな娘ではございますが、これでも我が倉掛宮の端くれ。きっとお役に立ちましょう」

 千早が、ちらりと伯父を見やる。
 男はなんの感情も伺えない、静かな瞳をしていた。

 ──白陵路家は倉掛宮家と同様、あやかし退治を生業とする一族だった。しかしその実績には、天と地ほどの差があった。
 日々あやかしを研究し、人々のため討伐に精を出す白陵路と、その才に溺れ、努力を怠ってきた倉掛宮。その溝は年々広がり、今では埋め難いものになっている。

 だからこそ紗樹は不思議に思った。
 なぜ、かの高名な白陵路家の嫡男が、わざわざ落ち目の倉掛宮と縁談を結ぼうとするのか──。

 しかしその謎は、すぐに解かれた。
 
「結構です」

 千早はにこりともせず頷く。

「役目さえ果たしてくだされば、どのようなお嬢さんでも。ただ、姪御殿にも、危険はご承知おきいただきたい」
「ええ。ええ。それはもちろん」

 ……『役目』? 『危険』?

 まだ話が見えず、紗樹は伯父と千早とを交互に見てしまう。その際、はっきりと千早と目が合ってしまい、微かに目を見開かれるのがわかった。──紗樹が青い目を持つ女だと、知らされていなかったのかもしれない。
 気味が悪いと思われただろうか。紗樹はさりげなく目線をそらす。
 千早は何事もなかったかのように、話を続けた。

「伯父上から、まだ聞かされていないのですね」
「……はい」

 戸惑いながら頷けば、「急だったもので」と伯父が焦ったように言った。
 千早は、やはり何の感情も見せなかった。
 
「構いません。これからお話しすれば。──紗樹さん、とおっしゃいましたか。あの事件はご存知でしょうか」

 あの事件。
 一つだけ心当たりがあり、紗樹はそっと言葉を紡いだ。

「花嫁ばかりがあやかしに狙われているという……あの?」

 千早は音もなく頷く。夜のように静かな男だ。

「ええ。そうです」

 しっかりと肯定され、紗樹はやっと、全てが腑に落ちた気がした。気が抜けて、張り詰めていたものが緩んでいく。

 ああ。〝そういうこと〟ね。
 
 ここ数ヶ月巷を騒がせている『花嫁失踪事件』。
 それなりに裕福な、嫁いで数週の娘ばかりが狙われることから、その名が付いたという。
 攫われた娘は誰一人として戻っておらず、帝都は今、その話題で持ちきりだった。
 そうして目の前の縁談相手──白陵路千早は、事件を担当している帝都の守刀・妖対策課の筆頭陰陽師だった。

 点と点が繋がり、驚愕よりも先に納得してしまう。

「つまり、わたしは……」
「ええ。囮役をお願いしたく参上いたしました。陰陽一族の年頃の女性を探していたのですが、是非にと名乗りをあげてくださったのが倉掛宮様だったので」

 伯父がここぞとばかりに会話に割って入る。

「あやかしの事件となれば我が倉掛宮も他人事ではございませんから。説明が前後しましたが、世のため人のためになるのなら、紗樹も喜んで身を差し出しましょう。なあ? 紗樹」

 有無を言わさぬ伯父の圧に、紗樹は頷くしかなかった。

 なるほど。と思っていた。

 普通の娘を囮に使うのは気が引けるが、倉掛宮の紗樹なら、立場も年齢も妥当だと目をつけられたのだろう。
 それにたとえ万が一があったとしても、伯父は〝紗樹ならばいい〟と考えたに違いない。成功すれば恩を売れるし、失敗しても目障りな姪が消えるだけ。
 詰まるところこの縁談は、ていのいい厄介払いも兼ねているのだった。

 ──人攫いのあやかし。
 それはどのような姿をしているのだろう。恐ろしい異形だろうか。
 お役目を果たしたとき、わたしは、無事でいられるのだろうか。

 宵闇は、どんどん深くなっていく。

 千早が言った。

「とは言っても、対象に偽りの夫婦と知られるわけには参りません。どうか、内情はご内密に。婚姻は正式に結ばせていただきますが、あやかしを捉えたのちは解消いたしますから」

 終わりの決まっている契約結婚だと、彼は告げていた。

「異論がなければ、話を進めたいのですが……」
「ええ、構いません」

 事情を理解した上で躊躇わなかった紗樹に、千早はわずかに眉を寄せた。変わった女だとでも、思われただろうか。

「微力ながら、尽力させていただきます」

 そう了承しながら、ふと千早の背中越し、窓硝子に映った自分を見つめる。
 黒い髪に、不吉だと言われ続けた青い瞳。
 
 そう。こんな女を娶ろうとする物好きなど、いるはずがないのだった。


 ──紗樹は幼い頃、両親を病で亡くしていた。
 以来、亡き父の兄にあたる男、源一郎に引き取られ育てられた。
 しかし、その生活は幸福とは程遠いものだった。
 紗樹の顔立ちは異国人混じりで、その上目の青さが歳を重ねるにつれ、増していったからだ。

『なんとも気持ちの悪いことだ』

 伯父の言葉と嫌悪するような目つきは、まるで呪詛のようだった。紗樹の心を芯から傷つけ、手折り、枯れさせていく。
 紗樹の目が青い理由は、母が異国の者だったためだそうだが、父と折り合いの悪かった伯父は、姪である紗樹のことも激しく毛嫌いした。
 不吉の予兆に違いないと罵り、幼い紗樹は用事以外は出てくるなと離れに閉じ込めた。

 それからずっと、紗樹は女中のようにこき使われている。厄介な仕事のときにだけ呼び付けられ、危険なお役目を背負わされる。

 そう。今回も同じ用件だったのだ──。




 詳しい話はまた、と言い置いて千早は屋敷を去っていった。

 解放された紗樹は、屋敷の離れ、六畳ほどの小さな建屋に戻る。
 と、小鬼のあやかし、(さと)に出迎えられた。

「おかえり、紗樹! 大丈夫だったか? オヤジさんはなんだって? また、虐められたりしてないか?」
「ふふ、大丈夫よ。お嫁に行けと言われただけ」
「ええ!」

 悟が大袈裟に驚いて飛び上がる。
 赤っぽい肌に、ツンと生えた二本の角。身長は大人の膝丈までしかなく、袖のないぼろ布のような着物を身に纏っている。イタズラ好きのあやかしだった。
 けれど悟は、紗樹にはやさしい。

「お嫁って大丈夫かよー、うちを出ていくのか?」

 心配そうに見上げられ、紗樹は「安心して」と膝を折り目を合わせた。

「お仕事みたいなものなの。離縁してすぐに帰ってくるわ」
「なあんだ、よかったぜ〜」

 悟が、ほっとしたように大口を開けて笑う。
 心ばかりの牙が可愛らしく覗き、紗樹のざわついた気持ちをそっと鎮めてくれた。

(結婚……か)

 失敗したら、また仕置きをされるのだろうか。それとも、いよいよ追い出されるだろうか。
 空想し、紗樹はそれならそれでいいのかもしれないと思った。
 紗樹は今年で十九になる。金も行く当てもないが、どうにか屋敷の外で生きられる年齢にはなった。悟を連れて、どこか遠く人の少ない場所で平和に暮らせたら……。それもいいかもしれない。
 擦り切れた着物の裾を握りしめ、そんな願望を抱く。

「紗樹〜やっぱり元気ないのか? 俺も嫁ぎ先についてってやろうか?」
「平気よ。それにお相手はとっても優秀な陰陽師様なの。悟は陰陽師様、嫌いでしょう?」
「うーん。嫌いだけど、紗樹がそんな奴のところにいるのはもっと嫌だからな」

 腕を組み葛藤してみせる悟が可愛らしかった。
 けれどこうしてあやかしと仲良く話しているところを誰かに見られたら、また気味悪がられるのだろうと思った。紗樹は、屋敷の使用人たちからも敬遠されている。源一郎が不吉な娘だと吹聴しまわっているからだ。

(でもまさか、結婚なんて)

 突拍子もない事態に、思わずため息が溢れてしまう。
 滅多に顔を見せることのない伯父一家と、腫れ物を扱うかのような使用人たち。
 そんな人々に囲まれて育ったせいだろう。気づけば紗樹が心を許せるのは、時折遊びにきてくれるあやかしと、小鬼の悟だけになっていた。

 細い蝋燭に灯りを付け、揺らぐ橙色を見ながら、ぼんやりと考える。
 結婚ってどんなものなのかしら。
 うまく花嫁を演じられるかしら。
 宵闇の向こうに、千早の冷えたまなざしを思い出していた。