禍津神の最愛なる生贄 〜復讐の刃を抱く花嫁は、死霊の王に情愛で溶かされる〜



人間たちの醜い欲望が渦巻く帝都の裏側で、生者の立ち入れない『常夜の城』には、嘘のように穏やかな時間が流れていた。

紗和は、ひどく手持ち無沙汰な日々を送っていた。

衣食住は完璧に保証され、何もしなくても西洋人形のルイや獣のあやかしが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
だが、長年叔父の家で、使用人に等しく、朝から晩までこき使われてきた紗和にとって、一日中部屋でじっとしているのは逆に落ち着かなかったのだ。

「……少し、体を動かしましょう」

ある日の昼下がり、紗和は着物の袖をたすき掛けにすると、与えられていた部屋を抜け出して、長い廊下へと出た。
すると、大広間の隅で奇妙な光景が広がっているのを発見する。

『あァ……ここ、まだ埃ガ……』

『ちガう、モット優シク拭カナイト……!』

紗和の血の匂いに惹かれ、彼女に涎を垂らしていたあの恐ろしい異形たち――獣の頭を持つ者や、着物を着た骸骨たち――が、大きなモップや雑巾を持って、熱心に床を掃除していたのだ。

紗和が近づく足音に気づくと、彼らは小さな悲鳴を上げて壁際に縮こまった。
永火から「次にあれに手を出したら塵にする」と脅されているため、紗和の存在を恐れきっているようだ。

「あ……ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったの。でも、その拭き方じゃ汚れが広がってしまうわ」

紗和は怯える骸骨のあやかしに歩み寄ると、その手からひょいと雑巾を奪い取った。

「貸してちょうだい。こういうのは、木の目に沿って拭くのよ」

『オ、奥様!? ダメデス、ソノヨウナ雑務ヲサレテハ、我々ガ王ニ殺サレマスゥゥ!』

「私が勝手にやっているのだから気にしないで。ほら、見ててね」

紗和は慣れた手つきで、楽しそうに床を磨き始めた。

最初はガタガタと震えていた異形たちだったが、紗和が一切の嫌悪感を持たず、自分たちを「化け物」としてではなく「同じ城の住人」として接してくれることに、次第に戸惑いと喜びを感じ始めた。

『奥様……上手、デス……』

『奥様……イイ匂イ。デモ、もう喰ワナイ。……奥様、優シイから』

「ふふっ、ありがとう。じゃあ、そっちの窓ガラスも手伝ってくれる?」

気がつけば、あれほどおどろおどろしかった異形たちは、紗和の周りにぽわぽわとした空気を漂わせて集まっていた。

骸骨が一生懸命に窓を磨き、獣頭のあやかしが紗和のために庭から綺麗な一輪の花を摘んできて、恥ずかしそうに差し出す。

「まあ、綺麗な椿ね。ありがとう」

紗和が花を受け取って優しく微笑んだ、その時だった。

「――お前は、私の城の使用人にでもなったつもりか」

背後から降ってきた呆れ声に、異形たちは再び悲鳴を上げて平伏した。
討伐から帰還した永火である。
彼は、自分の所有物であるはずの妻が、たすき掛け姿で下級のあやかしたちと和気あいあいと掃除をしている光景に、盛大に眉をひそめていた。

「永火様。おかえりなさいませ」

「……何をしている。お前に雑用など命じた覚えはないぞ」

「私がしたくてしているだけです。ずっと部屋にいると、どうにも落ち着かなくて」

悪びれもせずケロリと言う紗和に、永火は毒気を抜かれたように小さく息を吐いた。
かつて人間から迫害され、穢れに当てられて醜い姿になったこの異形たちに、屈託なく笑いかける人間の少女。
それは、永火が長い時の中で見ることのなかった、ひどく奇妙で……温かな光景だった。

「……好きにしろ。だが、掃除は終わりだ。茶にするぞ」

永火は紗和の腕を軽く引くと、平伏する異形たちには目もくれず、歩き出した。

「ふふ、はい。……みんな、また後でね」

紗和が手を振ると、異形たちは嬉しそうにパタパタと手を振り返した。

(本当に……不思議な人たち)

彼らの中にあるのは、人間が忌み嫌うような『悪意』ではない。
人間の身勝手さによって歪められてしまっただけで、本当は純粋な魂なのだ。

紗和は、自分を先導する永火の広い背中を見つめた。

この城のあやかしたちを厳しくも守り、その穢れを一人で引き受けている死霊の王。
復讐の刃を研ぐための鳥籠は、紗和にとって、いつしか『世界で一番心安らぐ場所』になりつつあった。