永火は、目を丸くして紗和を見つめていた。
人間が、己の痛みを和らげるために、自らその白い首を差し出している。
彼が八百年近くも見つめ続けてきた、身勝手で愚かな人間たちとは違うのかもしれない。
この少女だけは。
「…………ああ、本当に。お前という小娘は」
永火の唇から、甘く、ひどく切なげな吐息が漏れた。
彼は紗和を引き寄せると、今度は一切の乱暴さもなく、壊れ物を扱うかのように優しく彼女を抱きすくめた。
「後悔しても遅いぞ、私の花嫁」
熱を帯びた唇が、紗和の首筋にそっと落とされる。
そして、昨日よりもずっと深く、けれど甘く痺れるような優しさで、永火の牙が紗和の肌に立てられた。
「っ……、んっ……」
流れ込んでくる永火の力と、吸い上げられていく己の血。
快楽にも似た奇妙な感覚に、紗和の膝からカクンと力が抜ける。
それを支える永火の腕はひどく力強く、そして、先ほどまでの恐ろしい冷たさが嘘のように、温かな熱を帯び始めていた。
どれほどそうして血を分かち合っていただろう。
永火が顔を離すと、彼の顔色からは病的な蒼白さが消え、周囲には再び輝きを取り戻した紅い蝶たちが嬉しそうに舞い踊っていた。
「……痛手は、癒えましたか」
「ああ。極上の血だった」
永火は紗和の首筋に残った血の滴りを舌で舐め取ると、かつてなく柔らかな――甘い微笑みを浮かべた。
「私の命が続く限り、お前の望みはすべて叶えよう。……たとえ、この帝都すべてを灰に変えることになったとしてもな」
紗和から血を与えられ、痛みが引いていく中で、永火は自らの腕の中で気を失った彼女を冷ややかに見下ろしていた。
(……馬鹿な女だ)
復讐という己の目的のためなら、己が喰い殺されるかもしれない恐怖すらねじ伏せ、化け物に自ら血を差し出す。
永火がこれまで見てきた人間は、皆一様に自己保身に走り、他者を蹴落とし、いざとなれば見苦しく命乞いをする者ばかりだった。
だからこそ、この「常夜の城」の主として何百年も生きる中で、永火にとって人間とはひどく退屈で、浅ましい塵芥(ちりあくた)に過ぎなかった。
しかし、この小娘はどうだ。
絶望の底に突き落とされながらも決して膝を屈さず、死霊の王たる自分を「復讐のための道具」として使いこなそうとしている。
永火は、シーツに散らばる紗和の黒髪を一瞥し、首筋に残した自らの真新しい噛み跡を指先でなぞった。
(だが……)
彼女の血は、永火の内にある『穢れ』の痛みを劇的に鎮めた。
これほど上質な「浄化装置」は、長い時を生きてきた中でも初めてだった。
単なる気まぐれと利害の一致で結んだ契約。
だが、この命知らずで傲慢な小娘がどこまで足掻くのか、最後まで見届けてやるのも一興かもしれない。
「血の対価だ。お前を嵌めた阿呆どもには、相応の地獄を見せてやろう」
永火の赤い瞳には、慈愛など微塵もない。
そこにあったのは、極上の『玩具』を見つけた捕食者としての、底知れない暗い愉悦だけだった。



