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紗和は誰もいない中庭の隅で、あの日握らされていた短刀をひとり振るっていた。
「っ……、はぁっ……!」
何度も空を斬るが、ろくに刃物など握ったことのない華奢な腕では、太い木の枝ひとつ満足に両断できない。
これでは、憎き叔父の喉元を掻き切ることなど到底不可能だ。
「そんなへっぴり腰では、化け物の皮一枚裂けやしないぞ」
ふいに、背後から冷ややかな声が降ってきた。
振り返ると、討伐から帰還したばかりの永火が立っていた。
漆黒の軍服にはどす黒い返り血が斑点のようにこびりつき、彼の周囲だけ空気がねっとりと重い。
これが、彼が一人で抱え込んでいるという『穢れ』の瘴気なのだろうか。
よく見れば、永火の顔色はいつも以上に透けるように白く、微かに呼吸が荒い。
「……お帰りなさいませ。ですが、私にはこの短刀しか……っ!?」
紗和が言い返すよりも早く、背後に回った永火の大きな身体が、紗和をすっぽりと包み込んだ。
手袋越しに、短刀を握る紗和の小さな両手が、外側から力強く拘束される。
「私を殺すための練習だろう? いいだろう、付き合ってやる」
耳元で囁かれる低い声。
背中に密着する厚い胸板からは、体温が伝わってくる。
「刃の軌道がブレている。殺したい相手がいるなら、迷うな。骨ごと断つ気で踏み込め」
永火の腕に誘導されるまま、紗和が短刀を振り下ろす。
鋭い風切り音が鳴り、先ほどまで微動だにならなかった太い枝が、見事に真っ二つに斬り落とされた。
「……すごい」
「刃物とはこう使う。分かったら、今日はもう休め」
永火は紗和からぱっと離れると、わずかに眉根を寄せ、自らの胸元を強く押さえた。
隠しきれない苦痛の吐息が漏れる。
周囲を舞っていた紅い蝶たちが、彼の苦しみに呼応するように明滅し、ポロポロと光の粉を落として消えていく。
(……限界なんだわ)
他人の『穢れ』をその身に溜め込み、内側から身を焼かれるような苦痛。
紗和は短刀を地面に落とすと、踵を返そうとする永火の軍服の袖を、強く握りしめた。
「何をしている。……離せ、今の私は気が立って――」
紗和は永火を真っ直ぐに見据えたまま、自らの着物の襟元を大きく広げた。
白い陶器のような首筋と、華奢な鎖骨があらわになる。
昨日、永火が牙を立てたばかりの真新しい噛み跡が、痛々しくも蠱惑的に晒された。
「……正気か、お前。私に喰い殺されたいのか」
「昨日言ったはずです。血なら枯れ果てるまで差し上げると。それに……」
紗和は、苦痛に歪む美しい死霊の王の赤い瞳を、逃げずに見つめ返した。
「あなたは私の、復讐のための牙になってくださるのでしょう? 肝心の刃がこんなにボロボロで折れそうでは困ります。……だから、早く……」
それは、紗和なりの精一杯の強がりだ。
ただの取引相手。
復讐のための駒。
そう言い聞かせていなければ、この恐ろしくも不器用な化け物に絆されてしまいそうだったから。
紗和は誰もいない中庭の隅で、あの日握らされていた短刀をひとり振るっていた。
「っ……、はぁっ……!」
何度も空を斬るが、ろくに刃物など握ったことのない華奢な腕では、太い木の枝ひとつ満足に両断できない。
これでは、憎き叔父の喉元を掻き切ることなど到底不可能だ。
「そんなへっぴり腰では、化け物の皮一枚裂けやしないぞ」
ふいに、背後から冷ややかな声が降ってきた。
振り返ると、討伐から帰還したばかりの永火が立っていた。
漆黒の軍服にはどす黒い返り血が斑点のようにこびりつき、彼の周囲だけ空気がねっとりと重い。
これが、彼が一人で抱え込んでいるという『穢れ』の瘴気なのだろうか。
よく見れば、永火の顔色はいつも以上に透けるように白く、微かに呼吸が荒い。
「……お帰りなさいませ。ですが、私にはこの短刀しか……っ!?」
紗和が言い返すよりも早く、背後に回った永火の大きな身体が、紗和をすっぽりと包み込んだ。
手袋越しに、短刀を握る紗和の小さな両手が、外側から力強く拘束される。
「私を殺すための練習だろう? いいだろう、付き合ってやる」
耳元で囁かれる低い声。
背中に密着する厚い胸板からは、体温が伝わってくる。
「刃の軌道がブレている。殺したい相手がいるなら、迷うな。骨ごと断つ気で踏み込め」
永火の腕に誘導されるまま、紗和が短刀を振り下ろす。
鋭い風切り音が鳴り、先ほどまで微動だにならなかった太い枝が、見事に真っ二つに斬り落とされた。
「……すごい」
「刃物とはこう使う。分かったら、今日はもう休め」
永火は紗和からぱっと離れると、わずかに眉根を寄せ、自らの胸元を強く押さえた。
隠しきれない苦痛の吐息が漏れる。
周囲を舞っていた紅い蝶たちが、彼の苦しみに呼応するように明滅し、ポロポロと光の粉を落として消えていく。
(……限界なんだわ)
他人の『穢れ』をその身に溜め込み、内側から身を焼かれるような苦痛。
紗和は短刀を地面に落とすと、踵を返そうとする永火の軍服の袖を、強く握りしめた。
「何をしている。……離せ、今の私は気が立って――」
紗和は永火を真っ直ぐに見据えたまま、自らの着物の襟元を大きく広げた。
白い陶器のような首筋と、華奢な鎖骨があらわになる。
昨日、永火が牙を立てたばかりの真新しい噛み跡が、痛々しくも蠱惑的に晒された。
「……正気か、お前。私に喰い殺されたいのか」
「昨日言ったはずです。血なら枯れ果てるまで差し上げると。それに……」
紗和は、苦痛に歪む美しい死霊の王の赤い瞳を、逃げずに見つめ返した。
「あなたは私の、復讐のための牙になってくださるのでしょう? 肝心の刃がこんなにボロボロで折れそうでは困ります。……だから、早く……」
それは、紗和なりの精一杯の強がりだ。
ただの取引相手。
復讐のための駒。
そう言い聞かせていなければ、この恐ろしくも不器用な化け物に絆されてしまいそうだったから。



