禍津神の最愛なる生贄 〜復讐の刃を抱く花嫁は、死霊の王に情愛で溶かされる〜



「奥様の髪は、本当に黒曜石のように美しいですね。……ああ、でも少し毛先が傷んでおります。後で椿油を多めに引いておきましょう」

ルイはパタパタと立ち働きながら、実によく喋った。
この城には生きた人間が紗和しかいないため、この西洋人形型のあやかしは、主の妻の世話を焼くのが楽しくて仕方ないらしい。

足元では、もふもふとした獣のあやかしであるマリオが、心地よさそうに丸まっている。

「そうだ。今日の夕餉は、精のつくお肉料理にいたしましょう! ……今夜は旦那様、きっとひどくお疲れになってお戻りになるでしょうから……」

ふと、ルイのガラス玉の瞳が微かに伏せられ、カチリと寂しげな音を立てた。

「お疲れに……?」

紗和がオウム返しに問うと、ルイは櫛を入れる手を止め、ぽつり、ぽつりと零すように話し始めた。

「ええ。昨夜から、帝都の端でまた『禍憑き』の群れが出たのです。旦那様は極夜部隊を率いて、それを討伐に向かわれました」

「……討伐。化け物……いえ、あやかしを殺すということ?」

「人間たちから見れば、そうでしょうね。でも、旦那様は違うのです。禍憑きをただ斬り捨てるのではなく、彼らの内に溜まっている負の感情――『穢れ』を、ご自身の中に取り込んで浄化しておられるのです」

紗和は目を丸くした。
昨夜、自分から血を奪った時の、あの氷のように冷酷で傲慢な姿からは想像もつかない話だった。

「穢れを取り込むって……そんなことをすれば、自分自身が……」

「はい。だから討伐の度、旦那様はひどい熱と痛みに苦しまれるのです。人間に穢された哀れな同胞たちの苦痛を、旦那様がお一人で肩代わりしているのですよ」

足元で丸まっていた獣のあやかしが、主人の痛みを想像したのか「ぴぅん……」と悲しげな声を上げた。

「旦那様がこの『常夜の城』で、誰とも深く関わらずにお一人で暮らしておられるのもそのためです。穢れを取り込みすぎてご自身が暴走した時、周囲を傷つけないようにと……。ずっと、何百年もそうやって、お一人で暗闇の中を……」

そこまで一気に語ったところで、ハッと気づいたようにルイが両手で口を塞いだ。

「ああっ、いけません! 私としたことが、奥様についお喋りを……っ! 今の話はどうかお忘れください。旦那様は、ご自身の行いを美談にされたり、哀れまれたりすることを何より嫌悪なさいますから……!」

ルイは慌てふためき、「お食事の準備をしてまいります!」と逃げるように部屋を出て行ってしまった。

一人残された紗和は、微睡む獣を抱き上げると、柔らかな毛並みを撫でながら、ぼんやりと窓の外を見た。
帝都の空は、厚い雲に覆われている。

(……『私の内にある淀みが、心地よく凪いでいく』)

昨夜、自分の血を啜ったあとの、永火の静かな声を思い出す。

あの時は「栄養をつけるため」だと思っていた。
だが、もし自分の血が、彼が独りで抱え込んでいる『穢れ』の痛みを和らげるための薬になるのならば。

「……だからって、私が同情する義理はないわ。彼は私の復讐のための牙なのだから」

紗和は自分に言い聞かせるように呟いた。

しかし、首筋に残る噛み跡をそっと撫でた時、昨日感じたあの冷たいはずの恐ろしい男が、なぜかひどく不器用で、孤独な存在に思えてならなかった。