眠る巨獣の背中で町づくり――夢の景色は消せないので、仲間と動かせる暮らしを始めます

 翌朝、レントが最初に見たのは、家畜ではなく草地だった。

「減ってないな」

 昨日、葉を噛み切られた短い草は、地面が見えるほど減ってはいない。数頭が短時間食べただけなのだから当然ではある。それでも、この広さだけで毎日の腹を満たせるとは思えなかった。

 少し離れた収容位置では、ガルドが家畜の腹と足元を順に確かめている。呼吸へ耳を澄まし、歩かせ、残されたものまで見た後で、ようやく立ち上がった。

「今のところ、昨日の草で明確な異常はない」

「食欲は?」

「通常飼料は食った。足も乱れていない。だが、一晩無事だっただけだ」

「分かってる。安全宣言にはしない」

 レントは短い草の区画を振り返った。

「ただ、別の問題がある。ここだけじゃ量が足りない」

「昨日の一口で、そこまで分かるのですか」

 セラフィナが隣へ来る。

「食べた跡と残り方を見れば、大体は。増える速さが分からなくても、今ある量が少ないのは分かる」

「だから青い草へ戻る、と言うつもりではありませんね」

「その顔で先回りされると、言おうとしていたみたいになるな」

「違うのですか」

「半分は」

 セラフィナの視線が冷たくなる前に、レントは手を上げた。

「草を一括で試すのをやめる。少量ずつ、別の場所で家畜に選ばせる。同じ短い草でも場所が違えば、食べ方が変わるかもしれない」

 ガルドはすぐには頷かなかった。

「頭数は増やさない。時間も昨日より延ばさない。それでも悪い反応が出たら、全部やめる」

「全面撤退か?」

「必要なら」

「その言葉を忘れるなよ」

 家畜を試験区画へ移すと、昨日と同じ一頭が先に短い草へ鼻を寄せた。慎重に匂いを確かめ、それから葉を巻き込む。

 他の家畜も続いた。

 レントは食べる順番と場所を目で追う。中心へ集まるのではなく、端から少しずつ選んでいる。昨日より長く噛んでいるが、必要量にはまだ遠い。

「隣へ移してみる」

「押し込むな」

「選ばせるだけだ、ガルド」

 短い草の区画から、青い草の近くへ進める。家畜は一度止まり、鼻を鳴らした。

 一頭だけが、青い葉へ口を付けた。

「食べた」

 レントが身を乗り出す。

「まだ見るな。戻れ」

 ガルドの声が低くなる。

 家畜は二口目を取らなかった。首を強く振り、前脚で地面を踏む。隣の一頭が押されるように身を寄せ、群れの後ろまで落ち着きなく鳴き始めた。

「止める」

 レントは即座に腕を上げた。

「全頭、青い草から離す」

 ガルドは返事をせず動いた。綱を引き、青い草から距離を取らせる。レントも退路を空け、後ろの家畜が詰まらないよう進路を広げた。

 通常飼料のある位置まで戻ると、群れの足踏みは少しずつ収まった。

 ガルドは青い草を睨んだ。

「撤退する」

「青い草からは賛成だ」

「違う。草の試験そのものからだ」

 レントはすぐに反論できなかった。

 食料基盤を早く形にしたい。短い草だけでは量が足りない。成長の速い青い草が使えれば、話は一気に進む。

 だが、今見た反応を都合よく小さく扱えば、次に負担を受けるのは家畜だった。

「分かった。今日の試験は止める」

 ガルドがレントを見る。

「全部か?」

「今の条件では全部だ。青い草へ触れさせたまま続ける気はない」

「成果が消えるぞ」

「消えない。短い草を一度食べた事実は残る。青い草を外す理由も増えた」

 悔しくないわけではなかった。だが、悪い結果まで結果だ。

「家畜へ責任を押しつけて、青い草が悪かったで終わらせる気もない。条件を分けられないなら撤退する」

 ガルドは何も言わず、家畜の呼吸を確認し直した。

 そのとき、高い毛の上にいたモフルが動いた。

 青い草へ向かって、丸い体がするりと降りてくる。家畜が避けた場所へ近づき、鼻先を葉へ寄せた。耳が前を向き、毛がわずかに膨らむ。

「モフル、それは家畜が嫌がった草だぞ」

「ふる」

 返事だけはしたが、離れない。

「毛玉が寄るなら、危険じゃないんじゃないか」

 ガルドの言葉に、レントは首を振った。

「モフルと家畜では基準が違う。こいつは夢の気配が強い物へ寄る。家畜に食べさせていい証拠にはならない」

「むぅ」

「不服そうですね」

 セラフィナが言う。

「安全判定から外されたのが気に入らないらしい」

「最初から判定役ではありません」

 モフルは青い草へさらに近づいた。

 ガルドは追わなかった。横から回り込み、逃げ道を塞がない位置で足を止める。

「外」

 低く、短い声だった。

 モフルの耳がガルドへ向く。

「そこは家畜を入れない場所にする。外へ出ろ」

「むぅぅ」

 毛を膨らませたまま、モフルは一歩だけ退いた。それから青い草とガルドを交互に見て、柵の外側へ移る。

 ただし、立ち去りはしない。境界のすぐ外に座り込み、不満そうに尾を揺らした。

「聞いたな」

 レントが笑う。

「従ったわけじゃない。捕まえられないと分かったから、条件を飲んだだけだ」

 ガルドは青い草を見た。

「悪戯で寄っているわけでもなさそうだな。匂いが違うのか」

「モフルには、たぶん強く分かる。でも、それを家畜の基準へ流用はできない」

 セラフィナが青い草の区画へ歩いた。しゃがみ込み、掌を地面近くへかざす。次に、昨日短い草を食べた場所へ移り、同じように確かめた。

「レント。こちらへ来てください」

「何かある?」

「草だけを見ないでください。地面に近いところです」

 レントも手を下ろす。

 青い草の周辺には、わずかだが熱がこもっていた。風の差ではない。短い草の区画より、巨獣の体温がはっきり高い。

「同じ背の上でも違うのか」

「巨獣が何を望んでいるかは分かりません。ただ、青い草の場所は温かく、昨日の区画は穏やかです。家畜の反応と比べる条件にはできます」

 神意でも、答えでもない。ただの差だ。

 だが、その差なら試せる。

 レントは草の種類だけを見比べていた自分の考えを捨てた。

「区画で分ける」

「何をだ」

 ガルドが問う。

「草の見た目だけじゃない。地面の温かさ、家畜が先に選んだ草、食べた量、食後の落ち着き。全部を同じ場所ごとに重ねる」

「青い草は?」

「外す。体温が高い場所も、今は入れない」

「それで残る草は少ないぞ」

「分かってる」

 量が欲しい。だが、量を理由に不安定なものを混ぜれば、基盤にはならない。

「足りないまま進める。危ない物を足して、足りたことにはしない」

 ガルドはしばらくレントを見ていたが、やがて顎をしゃくった。

「比較するなら最少範囲だ。穏やかな場所の短い草だけ。少しでも乱れたら、今度こそ全部引く」

「それでいい」

「祭守殿は?」

「巨獣への圧力と体温の変化を見ます。家畜の状態はガルド殿へお任せします」

「なら、もう一度だけだ」

 午後、体温の穏やかな小区画へ家畜を戻した。

 押し込まず、綱も緩める。先頭の一頭が自分から短い草へ進み、昨日と同じように葉を噛んだ。もう一頭も少し離れた場所で草を選ぶ。

 青い区画のときの首振りはない。足踏みも増えない。食後、群れは互いを押さず、静かに鼻を鳴らしていた。

 ガルドは長く観察してから、ようやく息を吐いた。

「残すなら、ここだけだ」

「青い草は全部除外する」

「成長は速そうだぞ」

「だから惜しい」

 レントは青い葉を見た。見栄えがよく、量も期待できる。昨日までなら、どうにか使う方法を探していたかもしれない。

「でも、速く増える草より、家畜が落ち着いて食べる草を選ぶ」

「珍しく堅実ですね」

「セラフィナ、俺を何だと思ってる?」

「成果が出ると、次の構想を三つほど増やす方です」

「二つだ」

「減っていません」

 日が傾く前に、家畜は再び通常飼料のある収容位置へ戻された。短い草だけで夜を越させることはしない。

 青い草の区画には、入れないための目印を置く。体温の高い場所も試験対象から外した。

 柵の外では、モフルがまだ青い草を眺めている。

「モフル。外だ」

 ガルドが呼んだ。

 モフルの耳がぴくりと動く。自分へ向けられた音だと分かったらしく、青い草から視線を外してガルドを見る。

「そこにいろ。家畜の中へ入るな」

「ふる」

 モフルは不満げに毛を膨らませたが、柵外から動かなかった。

「名前で呼んだな」

 レントが言うと、ガルドは肩をすくめた。

「毛玉では、どの丸いのか分からん」

「他にいないだろ」

「今後も増えないとは限らん」

「増やす予定はない」

「お前の予定は信用していない」

 レントは言い返そうとして、やめた。否定しきれなかったからだ。

 短い草の区画は小さい。必要量には届かない。長く食べ続けても平気か、乳へどう影響するかも分からない。

 それでも、残す草と捨てる草は決まった。

 見栄えでも、成長の速さでもない。家畜が選び、食後も落ち着き、巨獣の体温が穏やかな場所にある草だけを残す。

「足りないな」

 レントが言う。

「ああ」

 ガルドも否定しない。

「ですが、危険な草を混ぜて量を満たすよりは前進です」

 セラフィナの言葉に、レントは小さな区画を見下ろした。

「次は、この少なさをどう使うかだ」

 草を増やすのではない。家畜を動かし、食べた場所を休ませる。

 その方法を試すだけの基準は、今日の失敗から残っていた。