眠る巨獣の背中で町づくり――夢の景色は消せないので、仲間と動かせる暮らしを始めます

 レントは青い草の前へ目印を置き、少し離れて眺めた。

「見栄えはいい。柔らかそうだし、まとまって生えている。最初に試すなら、ここだろう」

「却下とは申しません。ただし、こちらから群れを入れるのは避けてください」

 セラフィナが示した先では、巨獣の長い毛が密に重なっていた。人間二人なら問題なく通れても、家畜が続けて踏めば、重みが同じ場所へ集中する。

「では、外側から回す」

「そちらは退避方向と重なります。家畜が騒いだとき、戻す群れと進める群れがぶつかります」

「朝から厳しいな」

「昨日、現地の反応に合わせて変えると決めたのはレントです」

「まだ何も来ていないのに、もう二回変えさせられてる」

 レントは目印を拾い、経路を引き直した。青い草への近さより、毛の密度と地上へ戻る方向を優先する。仮設拠点からも距離を取り、自然採水点へ家畜が迷い込まない位置を選んだ。

 その間、モフルは少し高い毛の上から二人を見ていた。レントが手招きしても、耳を一度動かしただけで降りてこない。

「モフルも経路を確認してくれないか」

「ふる」

「今のは承諾か?」

「面倒だと言われたように聞こえました」

「俺には前向きな返事だった」

 モフルは背を向けた。

「訂正します。明確な拒否です」

 朝が深まる頃、地上へ続く経路から低い鳴き声が響いた。

 先頭に現れたのはガルドだった。その後ろを、少数の家畜が慎重な足取りで進んでくる。さらに後方には通常飼料がまとめられ、すぐ引き返せるよう地上側へ近い位置に残されていた。

「予定どおり、少数だけだ」

「ありがとうございます、ガルドさん。こちらが昨日話した祭守の——」

「セラフィナと申します」

 セラフィナは家畜ではなく、まずガルドの足元と荷の位置を見た。

「ガルド・ネイヴァだ。巨獣を守る祭守殿というのは、あんたか」

「はい。家畜の状態はガルド殿へお任せします。ただし、巨獣への負担が大きいと判断した場合は止めます」

「家畜を危険な場所へ押し込む気はない。止める理由は具体的に言ってくれ」

「承知しました」

 礼儀正しい会話だったが、互いに一歩も譲った様子はない。

 レントが口を挟もうとしたとき、家畜の一頭が鼻を鳴らした。

 毛の高みから、モフルが滑るように降りてくる。群れの正面へ回り込み、全身の毛を大きく逆立てた。

「むぅぅ」

 先頭の家畜が足を止める。後ろの一頭がぶつかり、群れがざわついた。

「モフル、そこは通り道だ」

 レントが手のひらを見せる。

 モフルはレントを見た。合図を理解していない顔ではない。だが動く気もないらしく、さらに低く身を沈めた。

「その毛玉がモフルか」

 ガルドは近づかなかった。家畜の前へ割って入ることも、モフルの逃げ道を塞ぐこともしない。少し横へ立ち、低い声を出す。

「群れへ近づくな、丸いの」

「むぅ」

「会話が成立してるように見えるな」

「互いに拒否しているだけです」

 セラフィナの指摘と同時に、群れの一頭が横へ逃げようとした。毛の密な場所へ蹄が沈み、隣の家畜まで引かれて進路を乱す。

「止めてください」

 セラフィナの声が鋭くなる。

 レントはすぐに腕を上げた。

「進行中止。いったん戻す」

 ガルドが綱を引き、家畜を地上側へ寄せる。群れが落ち着くまで待ってから、セラフィナは予定経路を指した。

「鳴き声と足踏みが一か所へ集中しています。このまま進めれば、巨獣の毛を踏み固めます」

「なら、進路を広げよう。二方向へ分ければ——」

「通る範囲が増えます」

「一度にかかる重さは減る」

「巨獣が受ける範囲は広がります。私は認めません」

 即答だった。

 レントはガルドを見る。

「家畜側は?」

「今の群れを二つに割れば、片方がもう片方を追う。慣れない足場でやる価値はない」

「二対一か」

「毛玉も入れれば三対一ですね」

 モフルは退かなかった。家畜を誘導するつもりではなく、ただ自分の生活圏へ入れたくないのだ。

 レントは青い草と、連れてきた家畜と、地上へ戻る道を順に見た。

 全部を通す方法ではなく、何を捨てれば試験が成立するかを考える。

「頭数を減らします」

 ガルドの眉が動く。

「ここへ入れるのは、さらに少数だけ。残りは通常飼料と一緒に地上側へ留める。経路も変える。モフルのいる場所は通さない」

「どこを使うつもりですか」

「毛の薄い横道です。幅は狭いが、一列なら通れる。戻る方向も塞がない」

 セラフィナは横道へ歩き、足元を確かめた。毛の沈み方を見てから、群れとの距離を測る。

「短時間なら。家畜同士を詰めすぎないでください」

「俺が間隔を決める」

 ガルドが言った。

「一頭が止まったら、後ろを押さない。それでいいなら入れる」

「お願いします、ガルドさん」

 群れの大半を通常飼料のそばへ残し、ごく少数だけが横道へ入った。

 モフルは追わなかった。高い場所へ移り、家畜の動きを警戒したまま見下ろしている。

 今度は足音が重ならない。家畜は鼻を動かしながら、ゆっくりと青い草へ近づいた。

「よし。そのまま」

 レントは声を落とした。青い葉が揺れ、先頭の家畜の鼻先へ触れる。

 家畜は匂いを嗅いだ。

 そして、顔を背けた。

「……あれ?」

 別の一頭も青い草へ鼻を寄せたが、口を開かない。そのまま脇へ逸れ、目立たない短い草へ向かった。

「待て。そっちは試験対象じゃない」

「家畜に説明してみろ」

 ガルドは止めなかった。

 短い草の前で、家畜が鼻先を何度か動かす。やがて葉を巻き込み、ゆっくり噛み始めた。

 乾いた音でも、通常の草を食べる音とも少し違う。だが確かに、自分の意思で口へ入れている。

 レントは青い草と家畜を見比べた。

「見栄えなら、こっちの方がよかったんだが」

「食べるのはお前じゃない」

「分かっています。ガルドさん、どう見ます?」

 ガルドはすぐに答えず、家畜の口元へ視線を据えた。噛む速さ、飲み込む間、鼻息を確認し、足取りを見る。

「食わせ続けろとは言わん。だが、自分から選んで口にした。吐き出してもいない」

 セラフィナも周囲を見回した。

「この場所なら、先ほどより圧力が分散しています。退避方向も空いています」

「では、ここを試験区画に変える。青い草は外す」

「ずいぶん簡単に諦めるんだな」

「三人と家畜に否定されれば、さすがに考え直します」

「モフルを数へ入れないでください」

 高みから「ふる」と声が落ちてきた。

「本人は入れてほしそうだ」

「勝手に解釈するな」

 ガルドが短く言い、家畜のそばへしゃがんだ。腹の動きに乱れはなく、呼吸も急ではない。歩かせても足取りに明らかな異常はなかった。

 それでも、ガルドは表情を緩めない。

「今日分かったのは、一度食ったことだけだ。腹を壊さないとも、明日も食うとも、乳が増えるとも言えん」

「増頭はしません。同じ頭数、同じ経路、同じ区画で反応を見る」

「食べたからといって、時間も延ばすな」

「分かっています。異常が出れば、試験は止める。家畜側の判断は任せます」

 ガルドは家畜から目を離さないまま言った。

「お前は成果が出れば、次を増やす男だと思っていた」

「今も増やしたいですよ」

「なら、なぜ止める」

「ここで増やして失敗したら、損をするのは俺の構想じゃない。ガルドさんの家畜です」

 レントは短い草を噛む家畜を見た。

「今日の成功は、食べたことまでです。次に進む条件は、次の観察で決める。失敗の負担を家畜側だけへ押しつけるつもりはありません」

 ガルドがようやく顔を上げた。

「量を数える前に夢を語る癖は残っているが、止めどころは覚えたらしいな」

「褒めています?」

「半分だけだ」

「では、残り半分は次で取ります。ガルド」

 呼び方を変えても、ガルドは気にした様子を見せなかった。ただ、短く鼻を鳴らす。

「先に結果を取れ、レント」

 そのとき、通常飼料の袋へ近づいていたモフルを、ガルドが見つけた。

「毛玉。それは家畜の分だ」

「ふる」

 モフルは一歩だけ近づく。

 ガルドは追いかけず、袋とモフルの間へ立った。横には逃げられる空間を残している。

「近づくな」

 低い声に、モフルの耳が伏せた。毛を膨らませたまま、飼料ではなく別の横道へ退く。

「言うことを聞いたな」

「違う。面倒な人間だと覚えただけだ」

 ガルドの言葉に、レントは笑った。

 日が傾く前に、家畜は短い草の区画から離された。試験区画のすぐ外には通常飼料が置かれ、地上へ戻る経路も空けたままだ。未知の草だけを頼りに、夜まで残すことはしない。

 青い草は一口も食べられなかった。継続して使えるかも、身体へ影響がないかも、まだ分からない。

 それでも、短い草が噛み切られた跡は残っていた。

 レントはその小さな跡を見下ろす。

「食卓には、まだ何も増えていませんね」

 セラフィナが隣で言う。

「ああ。でも、家畜が選ぶ草を見つける方法は分かった」

「人間が美しいと思う草ではなく?」

「俺の案を無視した草だ」

「それは信頼できそうです」

 高みではモフルが丸くなり、家畜とガルドを警戒したまま見張っている。ガルドもまた、家畜の呼吸と足取りから目を離していなかった。

 最初の採食は成功した。

 ただし、その成功を大きくしないことまで含めて、ようやく次へ進めるのだった。