眠る巨獣の背中で町づくり――夢の景色は消せないので、仲間と動かせる暮らしを始めます

「町を見たい、という問い合わせが増えています」

 保管設備の前で、ユアンは新しい工具より扱いにくそうな顔をしていた。

「取引ではなく?」

「取引に興味がある者もいます。ですが、その前に一度見たい。どんな場所で作られているのか、どんな者が暮らしているのか。そういう話が多いですね」

「見せないと言ったから、見たくなったのか」

「隠された箱を振らずにいられる人間は少数派です」

 レントは入口へ続く連絡足場を振り返った。町の奥まで通さなくても、入口近くに範囲を区切ればいい。住居にも工房にも近づけず、交易品と町の作りの一部だけを見せる。

「入口に見学用の区画を作るのはどうだ。人数と時間を絞れば、交易の入口にもできる」

「おすすめしません」

 ユアンは即答した。

「商人に見せる場所を作れば、それは案内できる場所として広まります。見られる町だと知られれば、次は誰が入れるのか、何を見せるのかという話になります」

「見学区画そのものが宣伝になる、ということですか」

 セラフィナの声は静かだったが、視線は入口の先へ向いたままだった。

「ええ。しかも、見せた範囲だけで満足するとは限りません」

「私も反対です。巨獣の背と、ここで暮らす者の生活を、興味を満たすための場所にはできません」

 完全に閉ざせば、品の確認や設備に関わる相談まで地上側だけで済ませることになる。外からの関心をすべて敵扱いするつもりもない。

 レントは腕を組んだ。

「なら、作る前に試す。数日だけ、今の入口を使う。入れるのは仕事で確認が必要な者だけだ。そこで何が邪魔になるかを見る」

「見物だけの者は?」

「地上側で断る」

 セラフィナがレントを見た。

「試行中でも、立入範囲は私が止めます」

「頼む。ユアンは入る理由と人数を先に聞いてくれ」

「断った相手に町の印象を悪くされない言い方まで、私の担当ですか」

「得意だろ」

「得意だからといって、無償で増やさないでください」

「次の取引条件に入れる話は、次にする」

「先送りの仕方だけは商人らしくなりましたね」

 初日の受け渡しは、地上側でほとんど終わった。

 町へ上がったのは、持ち込んだ品を実際の設備へ合わせて確認する必要がある二人だけだった。日中の短い時間に限り、入口から見える範囲を越えない。水も食事も出さず、荷物はユアンが示した場所へまとめる。

「ここから先は住居と作業区画です」

 セラフィナが足場の境を示す。

「許可なく移動しないでください。森の方向も立入禁止です」

「見える範囲だけでも十分珍しいですね」

 来訪者が辺りを見回す横で、レントは品と設備の寸法を確認した。見ること自体を禁じれば、仕事にならない。だが、仕事に必要な視線と、暮らしを眺め回す視線は同じではなかった。

 その時、白い毛の塊が入口の奥から現れた。

 モフルは来訪者ではなく、ユアンの荷へ鼻先を向けている。旅埃、布、香料。いくつもの匂いを選り分けるように、ゆっくり近づいてきた。

「おや」

「モフル。荷には触るな」

 レントが呼びかけると、ユアンが荷の前へ半歩出た。

「初めまして。残念ですが、こちらは商品です」

 モフルの耳が、その声へ向く。

 次いで、ユアンの顔と荷を見比べた。名前に応じたというより、欲しい物を隠した人間の声を覚えようとしているようだった。

「触らないんだな」

「触れば許される距離ではありません。それに、近づいている理由は私への好意ではなく荷物でしょう」

 ユアンは笑顔のまま、モフルの鼻先が向いた包みを背後へずらした。モフルも横へ回る。ユアンもずれる。

「ふる」

「駄目です」

 もう一度、モフルが右へ回る。ユアンは左手で別の荷を押さえながら進路を塞いだ。

「ずいぶん真剣ですね」

 セラフィナがわずかに目を細める。

「盗まれた物が高価とは限りませんからね。基準が読めない相手は厄介です」

 次の瞬間、モフルは商品ではなく、端に置かれていた柔らかな梱包布をくわえた。

「あ」

 ユアンの手が届く前に、モフルはくるりと身を翻す。数歩離れた場所で布を抱え込み、得意げに毛を膨らませた。

「一番価値の低いものを持っていきましたね」

「価値で選んだとは限らないぞ」

「それが困るのです。次に高価な物を選ばない保証がない」

 モフルはユアンを見たまま、梱包布へ鼻先を埋めた。

「モフル君。それは差し上げますが、次も同じとは思わないでください」

「むぅ」

「返事だけは商談成立のようですね」

 相互理解にはほど遠い。それでもモフルは、荷の匂いを運ぶ人間としてユアンを識別し始めていた。ユアンもまた、珍しい生き物ではなく、自分の商品を狙う個体としてその視線を読んでいた。

 初日の試行は、大きな混乱なく終わった。

 問題が起きたのは、別の日だった。

 人数は上限内だった。入場理由も、品の受け渡しと設備寸法の確認で通っている。だが、来訪者たちは入口付近で話を始め、荷物を足場の両側へ置いた。

 通れる幅は残っている。人間なら、体を横へ向ければ抜けられる。

 モフルは足を止めた。

 耳が伏せられ、毛が一回り大きく膨らむ。

「モフル?」

 レントが手のひらを見せたが、モフルは近づかなかった。来訪者と荷物の間を見て、低く「むぅ」と鳴く。

「通れるだろう?」

 一人が荷を寄せようとした。その動きで、反対側の隙間がさらに狭くなる。

 モフルは突然走り出した。

 置かれていた包みへ体当たりし、一つを横へ押す。続けて軽い荷を鼻先で退け、空いた方向へ駆け抜けた。少し先で止まり、振り返る。

「待て、モフル」

 レントは追いかけず、まず押された荷をさらに脇へ寄せた。入口から奥へ、何にも塞がれない道が一本通る。

 モフルは戻ってこない。だが毛の膨らみは少し収まり、退路から視線を外さなくなった。

「人数は守っていました」

 ユアンが荷の配置を見回す。

「人数だけだな。長居して、両側へ物を置けば同じだ」

「巨獣が嫌がっている、ということですか」

 来訪者の問いに、セラフィナは首を横に振った。

「そうは言えません。モフルが、自分の通る場所を塞がれることを拒んでいます」

「では、あの個体が通る時だけ退けば――」

「違う」

 レントは空けた道を指した。

「通りたくなってから空けるんじゃ遅い。逃げ道は、必要になる前から空いていなければ意味がない」

 見学者を減らすだけでは足りない。人数が少なくても、入口を占有し、荷を広げ、話し込めば生活圏を塞ぐ。モフルが押し退けたから見えただけで、人間の作業や移動でも同じ問題は起きる。

 その日の入場は、予定より早く切り上げた。

 試行の最後の日、レントは入口付近でユアンとセラフィナを前に、自分の案を撤回した。

「見学区画は作らない」

「未練は?」

 セラフィナに問われ、レントは入口の外へ目を向けた。

「ある。関心を交易へつなげる場所にはなると思った。だが、見せること自体が目的になれば、ここは入口から生活の場所じゃなくなる」

「では、通常の受け渡しは地上側ですね」

 ユアンが確認する。

「ああ。町へ入れるのは、仕事、設備確認、居住を検討するための確認。目的が先に決まっている者だけだ。人数と時間も事前に決める」

「公開範囲と立入禁止区画は、こちらで指定します」

 セラフィナが続けた。

「入口と退路を塞がない。荷物を放置しない。指定外へ移動しない。滞在を延ばさない。守れない場合は、その場で地上側へ戻っていただきます」

「宿泊は?」

「認めない」

 レントは即答した。

「水も食事も住居も、来訪用には割り当てない。見物だけなら入れない。取引品の受け渡しだけなら地上で終える」

 ユアンは条件を指で数えた。

「目的、人数、場所、時間、行動、退去条件。外では私が先に説明します。ただし、規則を守れば入れる場所だと宣伝するつもりはありません」

「それでいい。入場は商品じゃない」

 次の受け渡しでは、その規則がそのまま使われた。

 荷は地上側で確認し、町へ上がったのは設備を見る必要がある一人だけ。入口では片側へ寄せ、退路を空けたまま短い確認を終える。指定された場所から外れず、用が済むと滞在を延ばさず戻っていった。

 モフルは少し離れた場所から荷を眺めていた。

 ユアンが包みを一つ持ち上げると、鼻先がそちらへ向く。

「これは駄目ですよ、モフル君」

「ふる」

 近づきはしたが、退路には何もない。モフルは人と荷の間へ入り込まず、その場へ座った。いつでも別の方向へ走れる距離を保ったまま、ユアンの手元を値踏みしている。

「今日は盗まないのか?」

「油断させている可能性があります」

「随分評価が上がったな」

「警戒が上がったのです」

 受け渡しは混乱なく終わった。町へ入った者も、生活者も、進路を譲るために作業を止めなかった。

 見物人を入れる場所は作らなかった。人気を広げる機会も、利益へ変えられる余地も狭めた。

 その代わり、誰を、何のために、どこまで入れるかを町の側で選べるようになった。

 レントは空いた入口と、そこから動かず荷を見張るモフルを眺めた。

 人が集まることより、人が来ても暮らしを明け渡さないこと。

 町が大きくなる前に必要なのは、入口を広げることではなく、開け方を決めることなのだ。