眠る巨獣の背中で町づくり――夢の景色は消せないので、仲間と動かせる暮らしを始めます

 ユアンが差し出した紙には、薬と工具を確実に得られるだけの額が書かれていた。

「ただし、条件があります」

 工房側の作業台を囲んだ全員の視線が、数字の下へ移る。

「木材を前回以上に出せないなら、巨獣の夢から採れた品だと証明すること。それから、買い手本人に町を見せること」

「見学権まで付けろと?」

「向こうの言い分では、希少な由来を自分の目で確認したいそうです。承諾すれば、薬も工具も希望した範囲で揃えられるでしょう」

 レントは紙から顔を上げた。

 工具があれば、傷んだ部材を今より正確に直せる。薬は、必要になってから探しても遅い。布もまだ足りない。

 喉から手が出るほど欲しい条件だった。

「出発前の最終確認をする」

 レントはまずガルドを見た。

「食品は?」

「今回分は出せる。住民の食事も家畜も草地も削っていない。ただし増やせと言われても増やさん」

「端材は?」

「もう分けたわ」

 ミレイは作業台へ数本の木片を並べた。長さも幅も揃い、切断面は滑らかだった。

「交換部材と修理分と試作分は別。ここにある物だけなら出せる。追加で切る気はないし、採取区画も休止のままよ」

 最後に、レントはセラフィナへ視線を向けた。

「公開条件は?」

「拒否します」

 答えは紙を読み終えるより早かった。

「町の位置、巨獣の状態、採取区画は公開しません。見学権も商品ではありません」

「証明の方法を狭めることはできます」

 ユアンが食い下がる。

「遠くから見るだけ。採取区画へは近づけない。同行者も限定する。それでも駄目ですか、セラフィナ殿」

「駄目です」

 セラフィナは声を荒らげなかった。ただ、譲歩を探す余地も残さなかった。

「巨獣の身体と眠りは、商品の価値を上げるための見世物ではありません。場所を教えず、近づけず、状態を語らない。それが条件です」

 レントはもう一度、紙の額を見た。

 ここでセラフィナの判断を覆せば、先日の協議で決めた停止権は、高値を見つけるまでの飾りになる。

「見学権は付けない」

 紙をユアンへ押し戻した。

「由来の証明もなしだ。見せなければ売れない相手には売らない」

「薬と工具を逃す可能性があります」

「分かっている」

「町が必要としている物でしょう」

「必要だからこそ、何と引き換えにするかは選ぶ」

 ユアンは笑わなかった。

「ずいぶん高価な原則ですね、レントさん」

「安く決めた原則は、高値が付いた時に壊れる」

 一瞬、工房に沈黙が落ちた。

 ユアンは息を吐き、紙を折り畳む。

「では、大口の買い手は捨てます」

「随分あっさりだな」

「あっさりではありません。かなり腹が立っています」

「顔に出てないぞ」

「商人が損失のたびに顔を歪めていたら、値切られますので」

 言葉は穏やかだったが、折り畳んだ紙の角はきっちり潰れていた。

「ただし、断るだけでは薬も工具も手に入りません。売り方を変えます」

 レントは並べられた端材の一本を持ち上げた。

「由来じゃなく、使い道で売る」

「短い木片ですよ」

「短いから修理に使える。ミレイ、同じ寸法で揃っている理由を説明できるか」

「切れ端を並べただけに見える買い手には売りたくないわね」

「薬と工具が遠ざかる言い方はやめろ」

 ミレイは肩をすくめ、木片を二本重ねた。厚みも幅もほとんどずれていない。

「軽い。加工しやすい。寸法を揃えてあるから、留め具や補修板の交換に使いやすい。同じ形を必要なだけ選べる。夢がどうとか知らなくても、部材として役に立つわ」

「耐久性を大げさに言わず、加工精度と用途だけを示す」

「大げさに言ったら、次の修理で買い手の夢が壊れるもの」

「食品は?」

 ガルドは包みの一つを手に取った。

「今回の分は保存状態を見てある。味と保存の目安は言える。だが、次も同じ量を出すとは言わん」

「少量を継続的に、とは?」

「約束しない。家畜と草地が先だ。今回ある物を、今回売る。それだけだ」

 ユアンの眉がわずかに動く。

「売り文句が減る一方ですね」

「増やして嘘になるよりいい」

 セラフィナが加工品と端材を順に見た。

「公開できるのは、加工方法、保存状態、寸法、重さ、用途です。巨獣の夢、町の位置、採取場所、巨獣の身体状態へつながる説明は認めません」

「セラフィナ殿は、私に商売をさせたいのか、させたくないのか、時々分からなくなります」

「境界の中で成立させられるなら、お任せします」

「失敗した場合は?」

「境界を越えなかったことまで失敗とは扱いません」

 ユアンはしばらく彼女を見た後、畳んだ紙を荷の底へ押し込んだ。

「分かりました。神秘を欲しがる相手ではなく、実用品を欲しがる相手を探します。値は落ちます」

「そこは隠さなくていい」

「レントさんも、少しは惜しそうな顔をしてください」

「十分惜しんでる。工具箱が紙の向こうに見えていた」

「それでも断るから扱いにくいのです」

「扱いにくいまま、頼む」

 ユアンは不満げに息を吐いたが、商談を畳むとは言わなかった。

 その日のうちに荷は封じられた。食品はガルドが最後に包みを確認し、端材はミレイが寸法ごとに束ねた。セラフィナは説明に使える事項と伏せる事項を紙へ分け、レントは交換希望の優先を薬、工具、布の順に整理した。

 翌朝、ユアンは限定した荷だけを持って地上側へ下りた。

 町では、その間も販売分へ手を伸ばさず、残した食料と修理材で普段どおりの暮らしを続けた。森の採取区画は閉じたまま、根と盛り上がった土の観察も変えなかった。

 最初の大口買い手との話は、予想どおり決裂した。

 後日ユアンが語ったところによれば、見学も証明も付かないと分かると、相手は値を下げるどころか、端材そのものへの興味を失ったらしい。

 そこでユアンは、荷を持ち帰らなかった。

 短く揃えられた端材を、修理用の素材を探していた相手へ見せた。由来ではなく、軽さと加工精度を示し、同じ寸法を次回も保証できるとは言わなかった。

 保存食品も、大量に仕入れたい相手ではなく、少量でも状態の揃った品を求める相手へ切り替えた。次回量は未定。町の事情で販売しない場合もある。その条件まで先に出した。

 交渉には数日かかった。

 ユアンが戻った時、保管設備の前には町の面々が集まった。

「先に言っておきますが、最高額ではありません」

「顔を見れば分かる」

「私の顔は損失を隠すためにあるのですが」

「今日は隠れてないわよ」

 ミレイの指摘を無視し、ユアンは荷を一つずつ下ろした。

 最初に出てきたのは、布だった。前回より厚みの違うものが数枚。次に、包みへ収められた薬。最後に、刃先と柄が分けて納められた工具が姿を現した。

 ミレイが工具を取り上げ、刃先を光へ傾ける。

「これなら使える」

「褒め言葉として受け取っておきます」

 ガルドは薬の包みを確認し、セラフィナは記された扱い方へ目を通した。レントは工具の柄を握った。手に馴染む重さが、紙の上の利益よりずっと確かなものに思えた。

「生活在庫は削っていない」

 ガルドが言う。

「修理材も残ってる」

 ミレイが続ける。

「公開範囲も守られています」

 セラフィナの言葉に、ユアンが頷いた。

「町の場所も、巨獣の状態も、採取区画も伝えていません。見学を条件にした相手とは取引を打ち切りました」

「その後も商談を捨てなかった」

 レントが言うと、ユアンは肩をすくめた。

「損をしたまま帰るのが嫌だっただけです」

「別の買い手を探す手間まで契約に入っていたか?」

「入っていません。次からは入れたいところです」

「次の条件はまだ決めないぞ」

「でしょうね」

 ユアンは苦笑してから、少しだけ真顔になった。

「買い手には、条件の厳しい供給元として覚えられました。量は読めない。由来は語らない。見学もできない。ただし、出すと言った品の状態は揃っている」

「悪評か?」

「商人によっては。別の商人には、条件が明確な相手です」

 最高額は失った。大口の買い手も戻らないだろう。次の取引時期も、連絡方法も、まだ決まっていない。

 それでも、薬と工具と布は、今ここにある。

 レントは新しい工具を作業台へ置いた。

「断っても、取引は終わらなかったな」

「私が終わらせなかったのです」

「そこは認める」

「珍しく素直ですね」

「次も頼むとは言ってない」

「扱いにくさまで安定供給しないでください」

 セラフィナが小さく息を漏らし、ミレイはさっそく工具を自分の側へ引き寄せた。ガルドは薬を保管する場所を確かめている。

 町を見せず、巨獣の眠りを売らず、出せない量を約束しない。

 そのせいで失った物は大きい。

 だが、守った境界の内側へ、必要な物資はきちんと届いた。

 レントは最終決定者のいない取引条件と、目の前の工具を見比べた。

 高値を断ったことより、断った後にも次の道を選べたことの方が、ずっと町らしい成果に思えた。