眠る巨獣の背中で町づくり――夢の景色は消せないので、仲間と動かせる暮らしを始めます

 レントが作業台へ置いた紙を見て、ガルドは一行目から顔をしかめた。

「乳加工品の売上は三割を町へ戻す。三割を生産側。残りを次の仕入れへ回す。若木の端材も同じ割合だ」

「同じにしたのか」

「数字が揃っていれば、不公平だとは言われにくいだろ」

「揉める前に暮らしが崩れる」

 工房側へ集まった面々のうち、最初に案を切り捨てたのはガルドだった。

 初回販売の利益を奪い合わず、町へ必要な物を取り戻し、次の取引も続けられる。数日かけて考えた案は、少なくとも紙の上では公平に見えた。

「どこが崩れる」

「乳が少ない時も、その割合を売るのか」

「販売量は余剰から出す」

「余剰を誰が決める」

 ガルドの太い指が紙を叩いた。

「家畜の調子が落ちた。草地の戻りが遅い。町で食う分が増えた。昨日まで余っていた物が、今日も余るとは限らん。金具を買う割合を守るために、住民の食事を削る気か」

「削らないための配分案だ」

「数字が先に立てば、削る理由になると言っている」

 返す言葉を探していると、向かいのミレイが紙を引き寄せた。目を走らせ、すぐに鼻で笑う。

「木材の生産側って誰?」

「採取と加工に関わった側だ」

「端材を切った人間に取り分を渡したら、その端材を修理に使う人間はどうなるの」

「町への還元分から回せば――」

「それも割合でしょう」

 ミレイは作業台の端に積まれた短い木片を一本持ち上げ、傷んだ留め具へ当てた。

「これは今日は余り。でも次の修理では交換部材になる。こっちは試作の厚みを見るのに使える。端材だから同じ価値だなんて、誰が決めたの」

「俺だな」

「だから使えないのよ」

「案を嫌うより厳しくないか」

「嫌いなだけなら直せるもの」

 ユアンが口元を緩めたが、レントが見ると澄ました顔へ戻った。

 公平に分けるつもりだった。だが、食料と修理材を同じ物差しへ乗せた時点で、それぞれが守るものをレントが代わりに決める形になる。

 紙の上では平らでも、責任までは平らにならない。

「分かった。割合は一度捨てる」

 レントは紙を裏返した。

「商品ごとに、町の中で先に守る用途を出してくれ。それから、売却を止める状況もだ」

「止める状況?」

「余った時だけ売る、では曖昧すぎる。誰が見て、何を理由に止めるか決める」

 ガルドは腕を組み、しばらくレントを見た。

「食う分が先だ。住民の食事、家畜の状態、草地の回復。この三つのどれかに無理が出たら売らん」

「前回と同じ量を求められても?」

「出せるなら出す。出せなければゼロだ。買い手の都合で乳は増えん」

「停止判断はガルドが持つ。それでいいか」

「お前が高値を見て覆さないならな」

 遠慮のない言葉だった。しかし、ガルドが守ろうとしているのは自分の取り分ではない。町の食卓と、家畜を明日も飼い続けられる状態だ。

「覆さない。食料については、俺よりガルドの判断を優先する」

 ガルドの眉間の皺は消えなかった。それでも腕を組む力が、わずかに緩む。

「なら引き受ける。足りない時は、俺が止める」

 次にミレイが端材を三つに分けた。

「交換部材。決まっている修理。試作用。ここまでが先」

「それを除いた残りが販売候補か」

「残りがあればね。高値だからって、保管台を直す材まで荷に詰めるなら、荷ごと捨てるわよ」

「ユアンの荷まで巻き込むな」

「私の木材を先に巻き込んだのは市場でしょう」

 レントは苦笑しつつ、紙へ書き加えた。

「端材の停止判断はミレイ。修理予定が増えた時、交換部材が減った時、試作へ必要になった時は販売しない」

「採取区画は休止のまま。売るために追加で採らない」

「分かっている。能力で増やす話もなしだ」

「一応、口にさせただけ」

 ミレイは満足したように木片を元の山へ戻した。

 協議は一度切り、翌日から既存区画の確認を挟んだ。販売は止めたまま、ガルドは食料生産区画で余剰を見直し、ミレイは保管設備の端材を用途別に分けた。初回取引で得た金具と布も、次の荷を増やすためではなく、予定どおり補修と生活へ回された。

 数日後、工房側へ再び集まると、ガルドは確認結果を紙の横へ置いた。

「今の状態なら、少しは出せる。ただし草地を余計に使う前提ではない」

「草地だけではありません、ガルド殿」

 セラフィナが静かに言った。

「食料に余裕があっても、活動区画を広げることで巨獣への負担が増すなら、販売は止める必要があります」

「乳を出すのは家畜だ。巨獣への負担だけ見て止められれば、町の食料が足りなくなる」

「巨獣への負担を無視して続ければ、食料生産そのものを置けなくなる可能性があります」

 二人の視線が正面からぶつかった。

「では祭守殿は、どこまでなら許す」

「現在使っている範囲を越えて草地を広げないこと。家畜の移動によって巨獣の皮膚や呼吸への影響が見えた場合は、量に余裕があっても停止することです」

「家畜の状態が悪ければ、そちらに異変がなくても俺が止める」

「それで構いません。食料と家畜の判断はガルド殿へ任せます。ただし巨獣への影響を私が止めた場合、利益のための妨害とは扱わないでください」

 ガルドはしばらく黙ってから、紙の条件を指でなぞった。

「理由もなく止める人ではないことは分かっている。巨獣側は祭守殿が見る。食料側は俺が見る。どちらかが無理なら出さない」

「はい。反対が出た時は、相手の範囲へ口を出す前に条件を見直しましょう」

「それなら話は早い」

 譲り合ったわけではない。互いの責任を曖昧にせず、どちらの判断も後回しにしない形を選んだのだ。

 セラフィナは次に、記された数量より先にユアンへ目を向けた。

「量を減らすだけでは、同じ問題が繰り返されます」

「需要が増えれば、という意味でしょうか」

「巨獣に由来する品だと強調すれば、品そのものではなく、巨獣へ近づく権利まで求める者が出ます」

 ユアンの笑みがわずかに薄くなる。

「売り文句として由来を弱めれば、価格は下がります」

「承知しています。ですが、町の位置、見学権、巨獣の状態、採取区画は出しません。眠りや身体の様子を、神秘的な物語として膨らませることも認められません」

「禁止事項だけでは、買い手へ説明しにくいところです」

「では、出せる範囲を示します」

 セラフィナは加工品の包みへ視線を落とした。

「味、保存性、加工方法。木材なら、材の軽さと加工のしやすさ。商品そのものについて確認できる特徴は説明して構いません。巨獣へ結びつけなければ売れない品なら、売らない選択をしてください」

 ユアンはすぐには答えなかった。利益が落ちる。その損失を計っているのだと、レントにも分かった。

「境界が毎回変わらないのであれば、商談条件にはできます」

「私が巨獣への影響や公開範囲に問題があると判断した場合、販売を止めます」

「レントさんの承認を待たずに?」

「待ちません」

 セラフィナの答えは静かだったが、曖昧さはなかった。

「分かりました、セラフィナ殿。公開できる特徴と、伏せる情報を分けて買い手へ示します。売れなくなる可能性も含めて」

「その線を守っていただけるなら、限定した商品の交渉はベルク殿へ任せられます」

 二人の間に残っていた警戒が消えたわけではない。ただ、越えてはならない線と、任せられる範囲が具体的になった。

 問題は最後に残った。

「停止条件が三つあるなら、最終的な調整は俺がする」

 レントが言うと、ガルドとミレイが同時に顔を上げた。

「まだ持つ気か」

「全部手放したら、商品同士の釣り合いを誰が見る。食品は出せる、端材は出せないとなった時、町へ戻す分や交換品の優先順位は必要だ」

「それは調整であって、売るかどうかの決定ではありません」

 ユアンの一言で、レントは口を閉じた。

「全員が納得するまで待つ仕組みでは、売る時だけでなく止める時も遅れます。食料に問題が出たのに、他の責任者を集めるまで販売を続けるのですか?」

「続けない」

「なら、責任者が単独で拒否できる形にすべきです。私は拒否、減量、条件変更を前提に買い手と組み直します」

「商人が、売らない権利を勧めるのか」

「売れない物を売れると約束するより、よほど利益になります。次の取引が残りますので」

 レントは裏返した紙を見た。自分が最後に判を押せば、形は整う。だが、それでは結局、全資源の決定が自分へ戻ってくる。

「俺の最終決定権はなしだ」

 紙の中央に引いていた線を消した。

「食品はガルドが止める。建築端材はミレイ。巨獣への影響と公開範囲はセラフィナ。誰か一人でも止めたら、減らすか中止する。俺は町へ戻す物の使い道と、分野同士の調整をする」

「ようやく、自分で全部背負うのを諦めたか」

 ガルドの口調は厳しかったが、その目には以前のような疑いだけではないものがあった。

「諦めたんじゃない。押しつけ先を三つに増やした」

「そういう言い方をするうちは、まだ任せられる」

 最終的に、次回へ出せる品は現在ある余剰の範囲だけに絞られた。量は固定せず、ユアンの出発前に各責任者がもう一度確認する。食品は生活、家畜、草地を損なわない分だけ。端材は交換部材、修理、試作を確保した残りだけ。宣伝は商品の性質に限り、町と巨獣の内側へ買い手を近づけない。

 大量注文への答えも決まった。

 追加採取はしない。固定量の供給も約束しない。出せる時に、出せる分だけ。停止の理由を買い手へ隠さない。

 ユアンは紙を読み返し、静かに頷いた。

「売る量より、断る条件の方が多い商談になりました」

「不満か?」

「逆です。何を約束してはいけないかが分かる商談は、扱いやすい」

 初回取引で得た金具と布は少ない。工具も薬も、まだ手に入っていない。継続した取引になる保証もなかった。

 それでも、前回までとは違う。

 町にある物が高く売れるから出すのではない。誰が何を守り、どこで止めるのかを、町の側で決められる。

「では、次はこの条件で持っていきます」

 ユアンが紙を畳む。

「持っていく前に確認だ」

 ガルドが即座に言った。

「当然です」

「端材も私が見るから」

「承知しております」

「公開する言葉もです、ベルク殿」

「三方向から止められる商いは初めてですね」

 ユアンはそう言いながらも、困った顔はしなかった。

 レントは、自分の名が最終決定者の欄から消えた紙を見た。不思議と、権限を失った感覚はない。

 むしろ、町が一人分だけ広くなったように思えた。