レントは、刃先の欠けた工具を机へ置いた。
「これを研ぐ道具まで傷んだら、次は歯で削ることになる」
「その前に私が止める」
ミレイは外れた留め具を指先で転がした。前日の復旧で使った布と金具も、その隣に並んでいる。どれも今すぐ暮らしを止めるほどではない。だが、使えば減り、壊れれば交換が要る。
「町で余っている物を売る」
レントが言うと、ミレイの目が若木の端材へ向いた。
「それなら、これ。軽いし、加工しやすい。普通の木材より高く売れるかもしれない」
「売る物を決める前に、売らない物を決めてください」
工房の入口に立っていたセラフィナが、間を置かずに言った。
「順番が逆じゃないか?」
「高く売れる物から考えれば、生活に必要な物まで値札が付いて見えます」
レントは反論しかけ、机の上を見直した。
端材の向こうには、交換用に残した部材がある。保管場所には果実や加工品もあるが、食料として必要な分まで余っているわけではない。森は採取を休止したままで、新しく切るつもりもなかった。
「生活在庫は売らない。交換部材も売らない。森から追加で採らない」
「町の位置と、巨獣の状態もです」
セラフィナが続ける。
「そこまで商品になるのか?」
「人は、珍しい場所へ行けるというだけで対価を払います」
「嫌な説得力だな」
「先に気づけてよかったですね」
レントは端材を一本取り上げた。
「なら、品物と場所を分ける。売るのは余剰だけだ。町は売らない」
「工具が手に入るなら、端材は多めでもいい」
「多めの基準を決める工具がないだろ」
「今から手に入れる話をしてるの」
ミレイの不満を背に、三人は試験品をまとめた。果実は生活分を除いた少量。加工品も保管に余裕がある分だけ。若木は、すでに加工で生じた小さな端材に限った。
昼前、レントたちは地上側の接点で行商人を迎えた。
荷を背負った男は、町へ続く経路を見上げても驚きを表に出さなかった。代わりに、足場の留め方と案内役の人数を一度ずつ見た。
「初めまして。ユアン・ベルクと申します。こう見えて、珍しい物ほど慎重に扱う商売をしております」
「レント・アシュベルだ。慎重な商人は、自分で慎重だと言うのか?」
「信用していただくには、まず主張から始めませんと」
レントは相手をユアンとして認識した。
「試したいのは単発の売却だ。少量だけ地上へ持ち帰って、売れる物と必要とされる量を確かめてほしい。代わりに、布、金具、工具、薬を探してもらう」
「なるほど。では、こちらで売却を決められるのはレントさんですか?」
「品による」
「供給が止まった場合、買い手への説明は誰が?」
「まだ供給するとも決めていない」
ユアンは笑みを崩さなかった。
「よい返事です。先に数量を約束する方は、たいてい後で足りなくなります」
限定した経路を通り、ユアンを保管場所と工房区画へ案内する。宿泊区画へ続く道には入れず、移動のたびにレントかセラフィナが同行した。
果実を手に取ったユアンは、表面の艶と香りを確かめた。
「生のままなら珍味。加工品なら日持ち次第で贈答品にもなる。こちらの木片は、軽さを求める細工師が欲しがるでしょう」
「値は?」
「品だけなら、十分よい値です」
ユアンは果実を布へ戻し、周囲へ視線を巡らせた。
「ですが、眠る巨獣の背で育った品だと示せれば、値はさらに上がります。町の景観、採取場所への案内、限定見学。品そのものより、物語へ金を払う客は多い」
布も金具も、一度に補えるかもしれない。
傷んだ工具を替え、薬も確保できる。交換部材を惜しみながら使う必要もなくなる。その可能性が、レントの頭の中で素早く形になった。
「見学は、何人くらいなら――」
「何を見せるのですか」
セラフィナの声が割って入った。
強くはない。だが、ユアンの笑みがわずかに浅くなった。
「町の成り立ちや、巨獣の背での暮らしです。無論、危険のない範囲で」
「巨獣の身体を、珍しい足場として見せる根拠はありません。眠りや呼吸を宣伝へ使うことも認められません」
「祭守殿は、取引そのものに反対で?」
「いいえ。売れる品と、売ってはならないものを分けています」
セラフィナは果実を指した。
「生活分を除いた果実と加工品は、少量なら検討できます。すでに生じた端材も同様です。ですが、町の位置、巨獣の状態、採取区画、見学権は売りません。買い手へ伝える必要もありません」
「由来を伏せれば、価値の半分を捨てることになります」
「価値を下げるのではありません。対価へ変えてよい範囲を狭めています」
ユアンの視線がレントへ移った。
「レントさんも同じお考えですか?」
高値は惜しい。
それを否定すれば、嘘になる。レントは工房の工具を見た。ミレイも黙ってこちらを見ている。
「町まで売れば、今の不足は早く埋まる」
「そうでしょうね」
「だから売らない」
レントは端材の束から、大きい物を二本抜いた。それは加工や修理に使える。
「品物と場所は別だ。持っていけるのは、生活に使わない余剰だけ。木材は、もう出ている端材だけだ。追加では採らない。量も約束しない」
「それでは買い手が増えた時、供給できません」
「増えたから採る、にはしない」
ミレイが腕を組んだ。
「工具は欲しい。でも、完成した設備を削って売るのは違う。修理用の材も残す。持っていくなら、この大きさより小さい物だけ」
「祭守殿より条件が細かいですね」
「作った側だから」
セラフィナは端材を確かめた。
「既存の加工で生じた物に限るなら、異論はありません。ただし、森へ入る理由に使わないでください」
「分かった。森は見せない。場所も教えない」
レントは果実と加工品も取り分け直した。最初に用意した量より、少なくなった。
ユアンは並べられた試験品を見比べ、指で数を確かめた。
「正直に申し上げれば、惜しい条件です。町を含めれば、もっと鮮やかな商いになります」
「鮮やかすぎる商いは、後始末が面倒だ」
「では、地上で説明できる範囲を決めましょう。珍しい環境で得られた品。ただし、産地と採取方法は非公開。見学も不可」
「巨獣の身体や状態を推測させる言い方も避けてください」
「承知しました、セラフィナ殿」
ユアンは試験品を包み直した。
「価格は売れた後に報告します。買い手の反応も分けてお伝えしましょう。交換物資は、布、金具、工具、薬。すべてが揃うとは約束できません」
「こちらも次の供給は約束しない」
「公平です」
レントは最後に来訪条件を確認した。町へ入れるのは日中だけ。今回と同じ経路を使い、必ず案内を付ける。自由な移動も宿泊も認めない。
ユアンは条件を一つずつ聞き、反論できる余地を探すように指先で包みを撫でた。やがて荷へ収め、紐を結ぶ。
「ベルク殿。境界を越えた場合、次の協議はありません」
「厳しい決定権者ですね、祭守殿」
「守る対象があるだけです」
「では、その境界ごと売れる方法を考えます」
「境界は売り物じゃない」
レントが言うと、ユアンは初めて声を立てて笑った。
「レントさんとは、長い説明が必要になりそうです」
「次があればな」
「そのための試験販売でしょう」
ユアンは日が傾く前に、限定経路を戻っていった。荷の中には、町が手放してよいと決めた物だけが入っている。
布も金具も、まだ増えてはいない。工具も薬も届いていない。試験品が売れる保証さえなかった。
それでもレントは、軽くなった保管籠を見て、悪くないと思った。
外へつながるために、町を明け渡す必要はない。
何を売るかより先に、何を売らないかを決めた。その境界を持ったまま、町は初めて外の市場へ一歩を出した。
「これを研ぐ道具まで傷んだら、次は歯で削ることになる」
「その前に私が止める」
ミレイは外れた留め具を指先で転がした。前日の復旧で使った布と金具も、その隣に並んでいる。どれも今すぐ暮らしを止めるほどではない。だが、使えば減り、壊れれば交換が要る。
「町で余っている物を売る」
レントが言うと、ミレイの目が若木の端材へ向いた。
「それなら、これ。軽いし、加工しやすい。普通の木材より高く売れるかもしれない」
「売る物を決める前に、売らない物を決めてください」
工房の入口に立っていたセラフィナが、間を置かずに言った。
「順番が逆じゃないか?」
「高く売れる物から考えれば、生活に必要な物まで値札が付いて見えます」
レントは反論しかけ、机の上を見直した。
端材の向こうには、交換用に残した部材がある。保管場所には果実や加工品もあるが、食料として必要な分まで余っているわけではない。森は採取を休止したままで、新しく切るつもりもなかった。
「生活在庫は売らない。交換部材も売らない。森から追加で採らない」
「町の位置と、巨獣の状態もです」
セラフィナが続ける。
「そこまで商品になるのか?」
「人は、珍しい場所へ行けるというだけで対価を払います」
「嫌な説得力だな」
「先に気づけてよかったですね」
レントは端材を一本取り上げた。
「なら、品物と場所を分ける。売るのは余剰だけだ。町は売らない」
「工具が手に入るなら、端材は多めでもいい」
「多めの基準を決める工具がないだろ」
「今から手に入れる話をしてるの」
ミレイの不満を背に、三人は試験品をまとめた。果実は生活分を除いた少量。加工品も保管に余裕がある分だけ。若木は、すでに加工で生じた小さな端材に限った。
昼前、レントたちは地上側の接点で行商人を迎えた。
荷を背負った男は、町へ続く経路を見上げても驚きを表に出さなかった。代わりに、足場の留め方と案内役の人数を一度ずつ見た。
「初めまして。ユアン・ベルクと申します。こう見えて、珍しい物ほど慎重に扱う商売をしております」
「レント・アシュベルだ。慎重な商人は、自分で慎重だと言うのか?」
「信用していただくには、まず主張から始めませんと」
レントは相手をユアンとして認識した。
「試したいのは単発の売却だ。少量だけ地上へ持ち帰って、売れる物と必要とされる量を確かめてほしい。代わりに、布、金具、工具、薬を探してもらう」
「なるほど。では、こちらで売却を決められるのはレントさんですか?」
「品による」
「供給が止まった場合、買い手への説明は誰が?」
「まだ供給するとも決めていない」
ユアンは笑みを崩さなかった。
「よい返事です。先に数量を約束する方は、たいてい後で足りなくなります」
限定した経路を通り、ユアンを保管場所と工房区画へ案内する。宿泊区画へ続く道には入れず、移動のたびにレントかセラフィナが同行した。
果実を手に取ったユアンは、表面の艶と香りを確かめた。
「生のままなら珍味。加工品なら日持ち次第で贈答品にもなる。こちらの木片は、軽さを求める細工師が欲しがるでしょう」
「値は?」
「品だけなら、十分よい値です」
ユアンは果実を布へ戻し、周囲へ視線を巡らせた。
「ですが、眠る巨獣の背で育った品だと示せれば、値はさらに上がります。町の景観、採取場所への案内、限定見学。品そのものより、物語へ金を払う客は多い」
布も金具も、一度に補えるかもしれない。
傷んだ工具を替え、薬も確保できる。交換部材を惜しみながら使う必要もなくなる。その可能性が、レントの頭の中で素早く形になった。
「見学は、何人くらいなら――」
「何を見せるのですか」
セラフィナの声が割って入った。
強くはない。だが、ユアンの笑みがわずかに浅くなった。
「町の成り立ちや、巨獣の背での暮らしです。無論、危険のない範囲で」
「巨獣の身体を、珍しい足場として見せる根拠はありません。眠りや呼吸を宣伝へ使うことも認められません」
「祭守殿は、取引そのものに反対で?」
「いいえ。売れる品と、売ってはならないものを分けています」
セラフィナは果実を指した。
「生活分を除いた果実と加工品は、少量なら検討できます。すでに生じた端材も同様です。ですが、町の位置、巨獣の状態、採取区画、見学権は売りません。買い手へ伝える必要もありません」
「由来を伏せれば、価値の半分を捨てることになります」
「価値を下げるのではありません。対価へ変えてよい範囲を狭めています」
ユアンの視線がレントへ移った。
「レントさんも同じお考えですか?」
高値は惜しい。
それを否定すれば、嘘になる。レントは工房の工具を見た。ミレイも黙ってこちらを見ている。
「町まで売れば、今の不足は早く埋まる」
「そうでしょうね」
「だから売らない」
レントは端材の束から、大きい物を二本抜いた。それは加工や修理に使える。
「品物と場所は別だ。持っていけるのは、生活に使わない余剰だけ。木材は、もう出ている端材だけだ。追加では採らない。量も約束しない」
「それでは買い手が増えた時、供給できません」
「増えたから採る、にはしない」
ミレイが腕を組んだ。
「工具は欲しい。でも、完成した設備を削って売るのは違う。修理用の材も残す。持っていくなら、この大きさより小さい物だけ」
「祭守殿より条件が細かいですね」
「作った側だから」
セラフィナは端材を確かめた。
「既存の加工で生じた物に限るなら、異論はありません。ただし、森へ入る理由に使わないでください」
「分かった。森は見せない。場所も教えない」
レントは果実と加工品も取り分け直した。最初に用意した量より、少なくなった。
ユアンは並べられた試験品を見比べ、指で数を確かめた。
「正直に申し上げれば、惜しい条件です。町を含めれば、もっと鮮やかな商いになります」
「鮮やかすぎる商いは、後始末が面倒だ」
「では、地上で説明できる範囲を決めましょう。珍しい環境で得られた品。ただし、産地と採取方法は非公開。見学も不可」
「巨獣の身体や状態を推測させる言い方も避けてください」
「承知しました、セラフィナ殿」
ユアンは試験品を包み直した。
「価格は売れた後に報告します。買い手の反応も分けてお伝えしましょう。交換物資は、布、金具、工具、薬。すべてが揃うとは約束できません」
「こちらも次の供給は約束しない」
「公平です」
レントは最後に来訪条件を確認した。町へ入れるのは日中だけ。今回と同じ経路を使い、必ず案内を付ける。自由な移動も宿泊も認めない。
ユアンは条件を一つずつ聞き、反論できる余地を探すように指先で包みを撫でた。やがて荷へ収め、紐を結ぶ。
「ベルク殿。境界を越えた場合、次の協議はありません」
「厳しい決定権者ですね、祭守殿」
「守る対象があるだけです」
「では、その境界ごと売れる方法を考えます」
「境界は売り物じゃない」
レントが言うと、ユアンは初めて声を立てて笑った。
「レントさんとは、長い説明が必要になりそうです」
「次があればな」
「そのための試験販売でしょう」
ユアンは日が傾く前に、限定経路を戻っていった。荷の中には、町が手放してよいと決めた物だけが入っている。
布も金具も、まだ増えてはいない。工具も薬も届いていない。試験品が売れる保証さえなかった。
それでもレントは、軽くなった保管籠を見て、悪くないと思った。
外へつながるために、町を明け渡す必要はない。
何を売るかより先に、何を売らないかを決めた。その境界を持ったまま、町は初めて外の市場へ一歩を出した。
