ふたりでいること。
それがいつの間にか当たり前になっていた。
昼休みに屋上階段のところで、暑いな、って言いながら、柏木瑛汰と一緒に、僕の作ったプレイリストを聴くのが、日課になっていた。
夏が近づいている。
教室みたいにクーラーがないから、確かに暑い。
それでも僕たちはこの場所でふたりきりの時間を過ごす。
最初はドキドキしたし、柏木に自分のことを好きだって言われて、気まずい気持ちになったこともあったけど、慣れた。
空気のよう、とは言えないけど、柏木の存在が自分にとって心地がいいんだと最近になって気づいた。
僕の好きなバンドの曲を集めたプレイリストを聴いてもらったとき。
柏木は言った。
「うっわ刺さる」
それだけだったけど、僕は嬉しかった。
その日から僕は柏木のことを好きになった。クラスメイトとしてでも、友達としてでも、恋愛感情でもなかったけど、柏木のことが好きになった。
昼休み。
屋上につづく階段のいちばん上で、ふたり並んで座って、ひとつずつ分けたワイヤレスイヤホンを、僕は左耳で、柏木は右耳で聴きながら、購買で買ってきたパンを食べる。
「今日のプレイリストは元気が出る曲を並べてみた」
焼きそばパンをもぐもぐと食べながら、僕は言った。もごもごと。
「一之瀬、もしかして落ち込んでる? ごめん。気づかなかった」
いつもきりっとしている柏木の眉が悲しそうにゆがむ。
甘く優しく整った顔立ち、意志の強そうな目がとても印象的で、誰とでも仲良くなれる明るい恒星のような存在。それが柏木だ。悲しそうな顔をしたところなんて見たことがない。
それに僕は落ち込んでない。かといって浮かれてもない。と思う。
「落ち込んでるからじゃなくて」
言って、僕はもぐもぐと焼きそばパンを頬張る。
僕よりだいぶ背の高い柏木は座っていても身長差を感じるほどで、僕は左隣に座った柏木の顔を見上げるようにして、つづける。
「柏木くんに楽しい気持ちになってほしかったから」
もごもごと言った僕を見下ろして、柏木が照れたようにくしゃりと笑う。
僕の心臓がまたとくんと音を立てて高鳴る。なんだこれは。
「かわいいな、一之瀬」
とろけるような甘い顔で、とろけるような甘い声で、とろけるような表情で、かわいい、と言われて僕はまた心拍数を上げてしまう。
か、かわいい……?
なにを見て、どう見て、どうして僕をかわいいとか言えるんだろう。焦る。
「な、なにが!」
「なにがって一之瀬が」
「なんで!」
「焼きそばパン食べてるところがリスみたいでかわいい。ほっぺたが」
と言って柏木が長い人差し指を僕のほっぺに突き刺す。
ふぐっ。
急に触れられた僕はびっくりして、焼きそばパンを頬張ったまま硬直した。
「ごめん、一之瀬。勝手に触った」
僕のほっぺに刺していた右手を引っ込めて、柏木は傍らに置いていたビニール袋から菓子パンを取り出して、がさがさと封を開ける。クリームパン。
前を向いてクリームパンをかじる柏木の頬が心なしか赤くなっているように見える。
なにに照れているのだろう。
「いいよ。ちょっと驚いただけ」
そう言って僕は頬張っていた焼きそばパンを咀嚼して、それからペットボトルのお茶を飲む。
気をつけよう。あんまり口の中に食べものを詰め込みすぎるとからかわれるんだな。
「一之瀬、無防備すぎる」
無防備。はじめて言われた単語。べつに僕は誰かに対して警戒心を持たなきゃいけないほど、人に関心を持たれることがない。柏木がどうして僕を好きになったのか、というか、どこで僕のことを知ったのかということでさえ、僕には見当がつかない。
「柏木はどこで僕のことを知ったの」
思わず浮かんだ疑問を口に出していた。
「えぇ、いや、おなじクラスだし!」
驚いたように声を張り上げる柏木。反応が面白い。
「俺、一之瀬の斜め後ろの席で、授業中とかよく見えるんだよ」
「なんで柏木に僕が見えたのかわからない。誰も僕のことなんて見てないよ。目立たないし、存在感ないし」
「そういうところが好きなんだけど」
また好きって言った……!
「俺は楽しくもないのに笑ってまわりに合わせてひとりになるのを避けてたけど、一之瀬はぜんぜん違って、ひとりでいることが苦じゃなさそうだったし、むしろ知らない曲を口ずさみながら楽しそうにひとりで廊下を歩いてるときもあって」
ちょっと待って。
「僕、口に出して歌ってた?」
「うん。たまに」
「恥ずかしい……」
「かわいかったよ」
「かわいいって言われるともっと恥ずかしい」
「かわいすぎる。一之瀬が許してくれるなら頭撫でたい」
照れる僕に伸ばそうとした手を空中で停止させる柏木がもどかしそうに顔をしかめる。
我慢、してくれてるんだな。
「柏木くんはどこからどこまで僕を見てたの?」
「英語苦手なんだなぁ、とか、理科は得意なんだなぁ、とか、まあ二年に上がってすぐぐらいからずっと目で追ってた」
「だからなんで。みんなの目に僕が映ってるわけないもん」
「日直でもないのに、黒板の字、消してたから」
「それだけ?」
「誰もやりたがらないことやるって偉いなって思って」
「それだけで?」
「そこからずっと見てた」
ずっと見てた。頭にがんがんと響く柏木の真っすぐな言葉。
どうしよう。ドキドキする。ずっと見られていると思うと授業中も緊張してしまう。
それに。だからってどうして僕のことを好きになるのかがわからない。
話したこともなかったのに。
「見てたら、ほんとにかわいくて。難しそうな顔して数学解くときも、古文で先生にあてられてぎこちなく読み上げるところも、率先してゴミ捨てしたり、当番でもないのに放課後に掃除したり、昼休みにここで音楽聴いてるとか知らなかったけど、一之瀬のこと知る度にぜんぶが愛おしく感じた。たぶん一目惚れみたいなものじゃないかと思う」
「一目惚れしてもらえるほど僕は柏木くんみたいにかっこよくもないし、かわいくもないよ」
「かわいいって思うのは俺の主観だから。一之瀬がどう思ってるかとか、他のクラスメイトがどう思ってるかとか関係ない。俺は俺。一之瀬はかわいい」
「かわいくないよ」
「かわいいよ」
これじゃあ永遠にこの不毛なやりとりがつづいてしまいそうで、僕は違う話題を振る。
いたたまれない。かわいいって言われることは嬉しいかと言えば、どちらかというと居心地が悪い。かわいくないから。
「柏木くんって休みの日なにしてるの?」
興味がないわけじゃないけど、話を逸らすための質問として良かったのかどうかわからない。
「一之瀬のこと考えてる」
「ちょっと待って」
「一之瀬、今頃どうしてるかなーとか。一之瀬と遊びに行きたいなーとか。一之瀬の連絡先知ってたら、電話したいなーとか」
「え、や、だから」
「だから連絡先教えて」
「それはいいんだけど、もうなんか……僕……駄目だ……」
「なにが駄目なの?」
伏せた顔を柏木に下からのぞき込むようにされて、僕は慌てて顔を膝に埋めた。顔が熱い。こんな風に自分に興味を持ってもらったことがはじめてだから。どうしていいのかわからない。
左耳からアップテンポな恋の歌が聞こえる。
好きって伝えたいって歌っている。
前向きになれるような真っすぐな恋の歌。
おなじ曲が柏木の右耳にも届いているはずだ。
「一之瀬は好きなひと、いる?」
緊張でこわばった声だった。僕は顔を伏せているから、柏木がどんな表情をしているかわからない。真剣な声音だ。たぶんここははぐらかしたら駄目だ。
「いままで恋したこともないし、僕は好きとかそういう気持ち、あんまりわからなくて」
顔を上げると切なそうな顔をしている柏木と目が合った。
ドキドキする。柏木はやっぱりかっこいいなって思う。思ったら余計にドキドキしてくる。
「初恋」
柏木がぽつりと言った。
「ん?」
「一之瀬の初恋」
「うん?」
「俺がもらいたいなって」
前向き! いまイヤホンから耳に流れてきている曲とおなじくらい前向きな柏木!
「僕はまだ柏木くんのことそんな風に見られない」
「うん。知ってる。でもどんなときも可能性ってゼロじゃないから」
「前向きだなぁ」
僕が苦笑いすると柏木がくしゃりと笑う。
この笑顔を見ると胸がとくんと高鳴る。
その感情の名前を僕はまだ知らない。
それからふたりでパンを食べて時間差で教室に戻ったら、柏木がクラスメイトの男子に不満そうな声をかけられていた。
「瑛汰、昼休み、どこでいたんだよ」
「あー言えないわ」
「なにそれ。最近つきあい悪くない?」
「ごめんごめん」
さらりとかわしているように見えるけど、実はその笑顔が作り笑いだって知ってしまったから、僕はなんとなく複雑な気持ちになる。僕はまるで柏木とは何も接点がないですよ、というふりして黙って席につく。
「一之瀬、なんか知ってる?」
柏木と話していたクラスメイトが僕の背中に声をかける。
びくっと震えてしまった。
「なにも知らない」
僕は嘘をついた。なぜだかわからないけど、僕とふたりで昼休みを過ごしていることを誰にも知られたらいけないような気がした。
「あんまり一之瀬に絡むな」
背後で柏木がいらだったような声でクラスメイトを牽制する。
「はいはい。瑛汰の大好きな一之瀬だもんな。俺が話しかけるだけで嫉妬しちゃうよな」
茶化すようにクラスメイトの男子が言っているけど、たぶん柏木が本気で僕のことを好きだなんて誰も思っていない。それくらい僕は何の取り柄もない。
柏木がどんな顔でクラスメイトとやりとりしているのかわからなかったけど、きっと楽しくないんだろうな。
自分で光ることのできる恒星だと思っていた柏木が実はひとりになりたくないがためだけにまわりに合わせていたなんて、いまも信じられない気持ちだけど、よくよく柏木の声や表情を見ていると、クラスメイトと一緒のときと、僕とふたりきりのときではぜんぜんやわらかさが違う。確かに眩しい。どんなときも眩しいけど、でも僕といるときはさらに温かささえ感じるのだ。
「本気なの?」
女子が柏木に聞いている。
「本気ってなにが?」
柏木がはぐらかす。
こんなことがしょっちゅうあって、僕はいたたまれなくてどうしようもない。
そこでちょうどチャイムが鳴って先生が教室に入ってきたから、みんな席について大人しくなったけど、柏木が僕を好きだと匂わせるのがみんなは気に入らないらしいことがわかる。それがわかるから、僕は教室に居づらくてどうしようもないのだ。
柏木はどう思っているのだろう。
僕のことをかわいいとか好きだとか言ってくれるのは、嘘じゃないはず。
同性同士だから、みんなが受け止めてくれることのほうが難しいのかもしれないけど、でもそれ以前に僕だから気に入らないんだろうなって思う。それがつらい。
柏木はどんな思いで僕のことを好きだってみんなに言ったんだろう。
その日の夜。
珍しく僕のスマホが音を立てて電話の着信を知らせた。
画面には「柏木瑛汰」と表示されている。
昼休みに連絡先を交換したことを忘れていた。
僕はメッセージアプリを入れていないから、必然的にメールか電話かどちらかで連絡を取ることになる。柏木は電話を選んでくれたみたいだ。
「もしもし」
慣れない電話に声がうわずる。
「一之瀬? いま話できる?」
跳ねた柏木の声が聞こえる。なぜだか、ほっとした。
「大丈夫」
「一之瀬、明日って予定ある?」
明日。あ、そうか、明日は土曜日か。もちろん何も予定はない。
「ないよ」
「じゃあ一緒にどっか行かない?」
「いいけど、みんなに僕と一緒にいるところ見られたら、なんて言い訳するの」
思わず不安が口に出た。
「言い訳とかいらないし」
「なんで柏木くんは僕のことを好きだってみんなに言ったの」
「気持ち抑えられなかった。それだけ」
後先考えずに言ってしまっただけ、ということだろうか。
「そのくらい一之瀬が好きなの!」
きっぱりと言い切る柏木の声が右耳に触れて、それが僕の身体の中心を震わせる。
もしもこの感情に誰かが名前をつけてくれるとしたら、どんな名前なんだろう。
甘くて、痛くて、叫び出したくなるような、この感情。
柏木だって僕とおなじ高校二年生で、そこまで大人でもなくて、気持ちを隠したり、ごまかしたり、そういうことができるほど器用でもなくて、だからみんなの前で言ってしまっただけ。その感情が恋だと言うなら、僕のこの感情は……
「うん。わかった。明日、どこ行く?」
僕はドキドキする胸を左手で撫でながら、素っ気なく言った。
「どこでもいい! 一之瀬の行きたいところ行こ!」
柏木が嬉しそうに声をぴょんぴょんと跳ねさせる。
ああ、そうか。
僕は柏木が喜ぶと嬉しいんだ。
だから柏木のためにプレイリストを作る。
そして昼休みにそれを共有して、また柏木が笑ってくれるのを待っている。
ただそれだけのこと、と周囲は切って捨てるかもしれない。
それでも僕にとって柏木は喜びを分かち合える大切なひとなんだ。
「ねえ、柏木くん、僕は柏木くんの行きたいところ行きたい」
柏木の喜ぶ顔が見たい。くしゃりと笑う笑顔が見たい。それだけじゃ柏木の気持ちに応える理由にならないだろうか。
「柏木くん」
僕も君が好きだ。
それはまだ言えない。言えないけど。
「明日楽しみにしてるね」
そう僕が言うと柏木が電話の向こうで息をのんで、それから感極まったような声で答えた。
「俺も」
それがいつの間にか当たり前になっていた。
昼休みに屋上階段のところで、暑いな、って言いながら、柏木瑛汰と一緒に、僕の作ったプレイリストを聴くのが、日課になっていた。
夏が近づいている。
教室みたいにクーラーがないから、確かに暑い。
それでも僕たちはこの場所でふたりきりの時間を過ごす。
最初はドキドキしたし、柏木に自分のことを好きだって言われて、気まずい気持ちになったこともあったけど、慣れた。
空気のよう、とは言えないけど、柏木の存在が自分にとって心地がいいんだと最近になって気づいた。
僕の好きなバンドの曲を集めたプレイリストを聴いてもらったとき。
柏木は言った。
「うっわ刺さる」
それだけだったけど、僕は嬉しかった。
その日から僕は柏木のことを好きになった。クラスメイトとしてでも、友達としてでも、恋愛感情でもなかったけど、柏木のことが好きになった。
昼休み。
屋上につづく階段のいちばん上で、ふたり並んで座って、ひとつずつ分けたワイヤレスイヤホンを、僕は左耳で、柏木は右耳で聴きながら、購買で買ってきたパンを食べる。
「今日のプレイリストは元気が出る曲を並べてみた」
焼きそばパンをもぐもぐと食べながら、僕は言った。もごもごと。
「一之瀬、もしかして落ち込んでる? ごめん。気づかなかった」
いつもきりっとしている柏木の眉が悲しそうにゆがむ。
甘く優しく整った顔立ち、意志の強そうな目がとても印象的で、誰とでも仲良くなれる明るい恒星のような存在。それが柏木だ。悲しそうな顔をしたところなんて見たことがない。
それに僕は落ち込んでない。かといって浮かれてもない。と思う。
「落ち込んでるからじゃなくて」
言って、僕はもぐもぐと焼きそばパンを頬張る。
僕よりだいぶ背の高い柏木は座っていても身長差を感じるほどで、僕は左隣に座った柏木の顔を見上げるようにして、つづける。
「柏木くんに楽しい気持ちになってほしかったから」
もごもごと言った僕を見下ろして、柏木が照れたようにくしゃりと笑う。
僕の心臓がまたとくんと音を立てて高鳴る。なんだこれは。
「かわいいな、一之瀬」
とろけるような甘い顔で、とろけるような甘い声で、とろけるような表情で、かわいい、と言われて僕はまた心拍数を上げてしまう。
か、かわいい……?
なにを見て、どう見て、どうして僕をかわいいとか言えるんだろう。焦る。
「な、なにが!」
「なにがって一之瀬が」
「なんで!」
「焼きそばパン食べてるところがリスみたいでかわいい。ほっぺたが」
と言って柏木が長い人差し指を僕のほっぺに突き刺す。
ふぐっ。
急に触れられた僕はびっくりして、焼きそばパンを頬張ったまま硬直した。
「ごめん、一之瀬。勝手に触った」
僕のほっぺに刺していた右手を引っ込めて、柏木は傍らに置いていたビニール袋から菓子パンを取り出して、がさがさと封を開ける。クリームパン。
前を向いてクリームパンをかじる柏木の頬が心なしか赤くなっているように見える。
なにに照れているのだろう。
「いいよ。ちょっと驚いただけ」
そう言って僕は頬張っていた焼きそばパンを咀嚼して、それからペットボトルのお茶を飲む。
気をつけよう。あんまり口の中に食べものを詰め込みすぎるとからかわれるんだな。
「一之瀬、無防備すぎる」
無防備。はじめて言われた単語。べつに僕は誰かに対して警戒心を持たなきゃいけないほど、人に関心を持たれることがない。柏木がどうして僕を好きになったのか、というか、どこで僕のことを知ったのかということでさえ、僕には見当がつかない。
「柏木はどこで僕のことを知ったの」
思わず浮かんだ疑問を口に出していた。
「えぇ、いや、おなじクラスだし!」
驚いたように声を張り上げる柏木。反応が面白い。
「俺、一之瀬の斜め後ろの席で、授業中とかよく見えるんだよ」
「なんで柏木に僕が見えたのかわからない。誰も僕のことなんて見てないよ。目立たないし、存在感ないし」
「そういうところが好きなんだけど」
また好きって言った……!
「俺は楽しくもないのに笑ってまわりに合わせてひとりになるのを避けてたけど、一之瀬はぜんぜん違って、ひとりでいることが苦じゃなさそうだったし、むしろ知らない曲を口ずさみながら楽しそうにひとりで廊下を歩いてるときもあって」
ちょっと待って。
「僕、口に出して歌ってた?」
「うん。たまに」
「恥ずかしい……」
「かわいかったよ」
「かわいいって言われるともっと恥ずかしい」
「かわいすぎる。一之瀬が許してくれるなら頭撫でたい」
照れる僕に伸ばそうとした手を空中で停止させる柏木がもどかしそうに顔をしかめる。
我慢、してくれてるんだな。
「柏木くんはどこからどこまで僕を見てたの?」
「英語苦手なんだなぁ、とか、理科は得意なんだなぁ、とか、まあ二年に上がってすぐぐらいからずっと目で追ってた」
「だからなんで。みんなの目に僕が映ってるわけないもん」
「日直でもないのに、黒板の字、消してたから」
「それだけ?」
「誰もやりたがらないことやるって偉いなって思って」
「それだけで?」
「そこからずっと見てた」
ずっと見てた。頭にがんがんと響く柏木の真っすぐな言葉。
どうしよう。ドキドキする。ずっと見られていると思うと授業中も緊張してしまう。
それに。だからってどうして僕のことを好きになるのかがわからない。
話したこともなかったのに。
「見てたら、ほんとにかわいくて。難しそうな顔して数学解くときも、古文で先生にあてられてぎこちなく読み上げるところも、率先してゴミ捨てしたり、当番でもないのに放課後に掃除したり、昼休みにここで音楽聴いてるとか知らなかったけど、一之瀬のこと知る度にぜんぶが愛おしく感じた。たぶん一目惚れみたいなものじゃないかと思う」
「一目惚れしてもらえるほど僕は柏木くんみたいにかっこよくもないし、かわいくもないよ」
「かわいいって思うのは俺の主観だから。一之瀬がどう思ってるかとか、他のクラスメイトがどう思ってるかとか関係ない。俺は俺。一之瀬はかわいい」
「かわいくないよ」
「かわいいよ」
これじゃあ永遠にこの不毛なやりとりがつづいてしまいそうで、僕は違う話題を振る。
いたたまれない。かわいいって言われることは嬉しいかと言えば、どちらかというと居心地が悪い。かわいくないから。
「柏木くんって休みの日なにしてるの?」
興味がないわけじゃないけど、話を逸らすための質問として良かったのかどうかわからない。
「一之瀬のこと考えてる」
「ちょっと待って」
「一之瀬、今頃どうしてるかなーとか。一之瀬と遊びに行きたいなーとか。一之瀬の連絡先知ってたら、電話したいなーとか」
「え、や、だから」
「だから連絡先教えて」
「それはいいんだけど、もうなんか……僕……駄目だ……」
「なにが駄目なの?」
伏せた顔を柏木に下からのぞき込むようにされて、僕は慌てて顔を膝に埋めた。顔が熱い。こんな風に自分に興味を持ってもらったことがはじめてだから。どうしていいのかわからない。
左耳からアップテンポな恋の歌が聞こえる。
好きって伝えたいって歌っている。
前向きになれるような真っすぐな恋の歌。
おなじ曲が柏木の右耳にも届いているはずだ。
「一之瀬は好きなひと、いる?」
緊張でこわばった声だった。僕は顔を伏せているから、柏木がどんな表情をしているかわからない。真剣な声音だ。たぶんここははぐらかしたら駄目だ。
「いままで恋したこともないし、僕は好きとかそういう気持ち、あんまりわからなくて」
顔を上げると切なそうな顔をしている柏木と目が合った。
ドキドキする。柏木はやっぱりかっこいいなって思う。思ったら余計にドキドキしてくる。
「初恋」
柏木がぽつりと言った。
「ん?」
「一之瀬の初恋」
「うん?」
「俺がもらいたいなって」
前向き! いまイヤホンから耳に流れてきている曲とおなじくらい前向きな柏木!
「僕はまだ柏木くんのことそんな風に見られない」
「うん。知ってる。でもどんなときも可能性ってゼロじゃないから」
「前向きだなぁ」
僕が苦笑いすると柏木がくしゃりと笑う。
この笑顔を見ると胸がとくんと高鳴る。
その感情の名前を僕はまだ知らない。
それからふたりでパンを食べて時間差で教室に戻ったら、柏木がクラスメイトの男子に不満そうな声をかけられていた。
「瑛汰、昼休み、どこでいたんだよ」
「あー言えないわ」
「なにそれ。最近つきあい悪くない?」
「ごめんごめん」
さらりとかわしているように見えるけど、実はその笑顔が作り笑いだって知ってしまったから、僕はなんとなく複雑な気持ちになる。僕はまるで柏木とは何も接点がないですよ、というふりして黙って席につく。
「一之瀬、なんか知ってる?」
柏木と話していたクラスメイトが僕の背中に声をかける。
びくっと震えてしまった。
「なにも知らない」
僕は嘘をついた。なぜだかわからないけど、僕とふたりで昼休みを過ごしていることを誰にも知られたらいけないような気がした。
「あんまり一之瀬に絡むな」
背後で柏木がいらだったような声でクラスメイトを牽制する。
「はいはい。瑛汰の大好きな一之瀬だもんな。俺が話しかけるだけで嫉妬しちゃうよな」
茶化すようにクラスメイトの男子が言っているけど、たぶん柏木が本気で僕のことを好きだなんて誰も思っていない。それくらい僕は何の取り柄もない。
柏木がどんな顔でクラスメイトとやりとりしているのかわからなかったけど、きっと楽しくないんだろうな。
自分で光ることのできる恒星だと思っていた柏木が実はひとりになりたくないがためだけにまわりに合わせていたなんて、いまも信じられない気持ちだけど、よくよく柏木の声や表情を見ていると、クラスメイトと一緒のときと、僕とふたりきりのときではぜんぜんやわらかさが違う。確かに眩しい。どんなときも眩しいけど、でも僕といるときはさらに温かささえ感じるのだ。
「本気なの?」
女子が柏木に聞いている。
「本気ってなにが?」
柏木がはぐらかす。
こんなことがしょっちゅうあって、僕はいたたまれなくてどうしようもない。
そこでちょうどチャイムが鳴って先生が教室に入ってきたから、みんな席について大人しくなったけど、柏木が僕を好きだと匂わせるのがみんなは気に入らないらしいことがわかる。それがわかるから、僕は教室に居づらくてどうしようもないのだ。
柏木はどう思っているのだろう。
僕のことをかわいいとか好きだとか言ってくれるのは、嘘じゃないはず。
同性同士だから、みんなが受け止めてくれることのほうが難しいのかもしれないけど、でもそれ以前に僕だから気に入らないんだろうなって思う。それがつらい。
柏木はどんな思いで僕のことを好きだってみんなに言ったんだろう。
その日の夜。
珍しく僕のスマホが音を立てて電話の着信を知らせた。
画面には「柏木瑛汰」と表示されている。
昼休みに連絡先を交換したことを忘れていた。
僕はメッセージアプリを入れていないから、必然的にメールか電話かどちらかで連絡を取ることになる。柏木は電話を選んでくれたみたいだ。
「もしもし」
慣れない電話に声がうわずる。
「一之瀬? いま話できる?」
跳ねた柏木の声が聞こえる。なぜだか、ほっとした。
「大丈夫」
「一之瀬、明日って予定ある?」
明日。あ、そうか、明日は土曜日か。もちろん何も予定はない。
「ないよ」
「じゃあ一緒にどっか行かない?」
「いいけど、みんなに僕と一緒にいるところ見られたら、なんて言い訳するの」
思わず不安が口に出た。
「言い訳とかいらないし」
「なんで柏木くんは僕のことを好きだってみんなに言ったの」
「気持ち抑えられなかった。それだけ」
後先考えずに言ってしまっただけ、ということだろうか。
「そのくらい一之瀬が好きなの!」
きっぱりと言い切る柏木の声が右耳に触れて、それが僕の身体の中心を震わせる。
もしもこの感情に誰かが名前をつけてくれるとしたら、どんな名前なんだろう。
甘くて、痛くて、叫び出したくなるような、この感情。
柏木だって僕とおなじ高校二年生で、そこまで大人でもなくて、気持ちを隠したり、ごまかしたり、そういうことができるほど器用でもなくて、だからみんなの前で言ってしまっただけ。その感情が恋だと言うなら、僕のこの感情は……
「うん。わかった。明日、どこ行く?」
僕はドキドキする胸を左手で撫でながら、素っ気なく言った。
「どこでもいい! 一之瀬の行きたいところ行こ!」
柏木が嬉しそうに声をぴょんぴょんと跳ねさせる。
ああ、そうか。
僕は柏木が喜ぶと嬉しいんだ。
だから柏木のためにプレイリストを作る。
そして昼休みにそれを共有して、また柏木が笑ってくれるのを待っている。
ただそれだけのこと、と周囲は切って捨てるかもしれない。
それでも僕にとって柏木は喜びを分かち合える大切なひとなんだ。
「ねえ、柏木くん、僕は柏木くんの行きたいところ行きたい」
柏木の喜ぶ顔が見たい。くしゃりと笑う笑顔が見たい。それだけじゃ柏木の気持ちに応える理由にならないだろうか。
「柏木くん」
僕も君が好きだ。
それはまだ言えない。言えないけど。
「明日楽しみにしてるね」
そう僕が言うと柏木が電話の向こうで息をのんで、それから感極まったような声で答えた。
「俺も」
