音をなぞって君とつながる

 誰も僕のことなんて知らない。
 僕の本当の気持ちなんて誰も分かってくれない。
 そんなの分かっているけど、でも。

 君には分かって欲しかったんだ。

 君には聞いて欲しかったんだ。


 高校二年生、春。


 クラス替えがあって、知らないクラスメイトが出来て、知らない先生が担任になった。
 聞いたことのない英単語を覚えたり、興味のない古文を暗記したり、難しすぎる数学の公式と格闘したりしながら、僕の日々は淡々と過ぎていく。

 僕には友達がいない。

 なんでも話せる相手というのがいない。

 だからというわけでもないけど、僕はいつも昼休みは屋上につづく階段で過ごしている。屋上一歩手前の階段。屋上は立ち入り禁止だから、階段を上ってくる生徒もいない。僕は逃げるようにこの場所で、ひとり菓子パンをもぐもぐと食べながら、イヤホンで音楽を聴いている。

 ロックバンドの曲。いろいろ。
 好きだ! って誰にも話したことはないけど、誰にも共感されなくても好きなものは、好き。

 協調性がないとか、社交性がないとか、そんなことを言われることもあるけど、僕はひとりでも平気だった。教室で騒いでいるクラスメイトを羨んだり、馬鹿にしたりすることもない。ただ眩しいなぁとは思う。僕にはないものを持っているクラスメイトがどうしようもなく遠い存在に思えて。彼らが恒星なら、僕は自分では光ることの出来ない惑星みたいなものだ。

一之瀬(いちのせ)、こんなところで何してんの?」

 昼休み。いつものようにスマホと同期したワイヤレスイヤホンを耳につけて音楽を聴きながら、いつものように菓子パンを食べようと思って封を開けようとしたところで、声をかけられた。一之瀬は僕の名字だ。

 びくっと身体が震える。

「あ、ここで昼飯食べてたんだ。ごめん。邪魔した。って、イヤホンつけてるから、聞こえてないか」

 イヤホンをつけていてもまわりの音はそれなりに聞こえる程度の音量で音楽を聴いているから、その通りのいい澄んだ声ははっきりと僕の耳にも届いた。

 うつむけていた顔を上げると、クラスメイトの柏木瑛汰(かしわぎえいた)が立っていた。恒星だ。自分で光ることの出来る星。背が高くて、顔立ちだって甘く優しげに整っていて、誰からも好かれている明るい柏木。誰よりも眩しい恒星だった。

「柏木くん」

 思わず名前を呼んでいた。

 柏木は階段の踊り場で引き返そうとしていた身体をくるりとこちらに向けて、階段の最上段に座っている僕を見上げる。柏木の手には購買で買ったらしいパンの入ったビニール袋があった。僕は思わずイヤホンを外して、柏木に向かって声を張り上げる。らしくないなぁって思いながら。

「柏木くん、ここでお昼食べようとしてたの?」

 一瞬、驚いたような顔をしたあと、柏木がくしゃりと笑顔を見せる。

「うん。みんなと食べるのがめんどくさくなって」

 今度は僕の方が意外な気持ちになる。いつもみんなと楽しそうに話している柏木が、ひとりでご飯を食べたくなることがあるなんて、想像していなかったから。

「一緒に食べていい?」

 踊り場にいる柏木がすこし遠慮がちに聞いてくる。

「いいよ。でもひとりになりたいんじゃないの?」

 僕がそう言ったそばから、柏木は嬉しそうな顔で一歩踏み出して、階段を一段一段上ってくる。

「一之瀬だけは別」

 どういう意味だろう、と首を傾げている僕の横に、柏木がすとんと腰を下ろした。
 ビニール袋からパンを取り出して、柏木がもしゃもしゃと食べはじめる。メロンパン。

「なに聴いてたの?」

 柏木が口にメロンパンを入れたまま問う。
 僕の手の中のワイヤレスイヤホンがシャカシャカ鳴っている。
 慌ててスマホを操作して音楽をとめる。その流れでズボンのポケットにイヤホンを突っ込んだ。スマホは僕と柏木のあいだに置く。
 学校の喧噪が遠くに聞こえる。
 ここには僕と柏木しかいない。そんな当たり前のことにドキドキした。

「いろいろ」

 答えて僕も菓子パンの袋を開けて食べはじめる。ジャムパン。

「いろいろ?」
「うん。好きなバンドの曲。いろいろ。プレイリスト作って聴いてる」
「あ、俺も聴きたい。一之瀬のプレイリスト」

 柏木に物欲しげな顔でスマホを見つめられて、僕は困ってしまう。

 僕の好きなバンド。好きな曲。好きな順番。僕だけの世界に他人が踏み込んでくることに躊躇ってしまう。

「柏木くんの好きな曲とか教えてくれたら、プレイリスト作ってくるよ」

 困った末にそんなことを言ってしまった。さらけ出せない。僕のお気に入りのプレイリストを聴いて柏木がどんな反応をするかはわからないけど、好きなものを否定されるのが怖い。

「俺はあんまり音楽とか聴かないけど、強いて言うなら落ち着ける曲!」

 音楽を聴かないのに僕のプレイリストは気になるのか。どういう思考だろう。

「落ち着ける曲……わかった。また作ってくる」
「楽しみにしとく」

 約束、してしまった。

 翌日、昼休みに屋上階段のところでパンを食べながら、僕はひとりでプレイリストを聴いていた。

 お気に入りのバンドの曲を並べたプレイリストではなく、柏木のために選曲した落ち着ける曲を集めたプレイリスト。洋楽にしようか、クラシックにしようか、いろいろ考えたけど、最終的には邦楽の優しいバラードで揃えた。

「一之瀬! 一緒にパン食べていー?」

 二、三曲聴いたところで、柏木が踊り場から階段を駆け上がってくるのが、見えた。

 とくにここで会うことを約束してはいなかったけど、柏木はまた来るような気がしていた。みんなと昼休みを共有することに疲れたなら、僕とふたりでパンを食べることもめんどくさそうに思えるけど、それとこれとは違うのか、柏木は人懐っこい笑みを見せながら僕のとなりに座る。僕の返事を待たずに。

「なに聴いてるの?」
「柏木くんのために作ったプレイリスト」
「え! もう出来た?」
「昨日、作った。聴く?」
「聴く!!」

 僕の右耳にはめていたワイヤレスイヤホンを左隣に座った柏木に渡す。
 ありがと、と言って嬉しそうに受け取った柏木が右耳にそれをはめる。

 僕には友達がいない。

 柏木だって友達じゃない。

 クラスメイトだっていうことは分かっていた。クラスの中心でいつも笑っている眩しい存在だっていうことは分かっていた。昨日、はじめて話して、一緒にお昼を食べて、急に距離が近づいた気がするけど、僕はこの距離感になじめずにいる。

 いま僕は左耳だけで音楽を聴いていて、それとおなじ音を柏木の右耳の鼓膜が拾っているんだと思うと、くすぐったくてドキドキして、どうしようもなく居心地が悪いような、この瞬間がずっとつづいて欲しいような、複雑すぎる感情になる。

 たまに柏木は指でリズムをとっていた。

 それから遠くを見るような目をしたり。

 ふっと微笑んだりしていた。

「ぜんぶいい曲だった」

 チャイムが鳴ったから、柏木は僕にイヤホンを返しながら、穏やかな陽だまりのような笑顔で僕に言った。嬉しい。柏木の笑顔は心臓に悪いのか、僕はとくんと速くなる鼓動にまたドキドキした。

「あと十曲くらいあるけど」
「明日も来ていい? 聴きたい」

 僕はこくりと頷いて、ケースにワイヤレスイヤホンを戻す。それから言った。

「僕といて疲れない?」
「なんで?」
「昨日、友達といるのめんどくさいって」
「あーでも一之瀬は友達じゃないし」

 ぐさっと何かが胸に刺さった気がした。

 柏木は笑っている。楽しそうに笑っている。

 それが余計に苦しくて。

 ズキズキと心が痛む。

 一之瀬は友達じゃない。

 僕だって柏木のことを友達だなんて思ってない。

 思ってないけど、なぜか苦しくてどうしようもなくなる。

 なにかを期待していたわけじゃないのに。

 その夜は眠れなかった。

 眠れなかったせいか、頭がちゃんと働かなくて、翌日、うっかりスマホを忘れて登校した。
 スマホがないことに気づいた僕は焦った。
 柏木は僕のプレイリストに期待して、また昼休みに屋上階段のところに来るかもしれない。来たとしても、スマホがないからプレイリストは再生できない。それなら友達でもなんでもないただのクラスメイトの僕といる意味がない。がっかりされるくらいなら、逃げてしまいたい。柏木が残った十曲を聴けなくてもいいから僕は柏木の前から消えてしまいたいとすら思った。
 どうしよう。昼休み。どこか別の場所で……

 僕のこんな気持ちは誰も知らない。
 知られたくない。話せない。

 午前の授業がぜんぶ終わって、ざわざわする教室で僕はひとり席に座ったまま動けないでいた。
 あの場所には行けない。スマホがないから。友達でもなんでもない僕に柏木と一緒にいる資格なんてない。柏木はプレイリストが聴きたかっただけ。そこにどんな理由があったって、僕に興味なんてあるはずない。自分から光ることの出来ない星は誰の目にもうつらない。

 誰も僕のことなんて知らない。
 僕の本当の気持ちなんて誰も分かってくれない。
 そんなの分かっているけど、でも。

 君には分かって欲しかったんだ。

 君には聞いて欲しかったんだ。

「一之瀬」

 自分の席で動けないまま固まっていたら背後から声をかけられた。
 声で分かる。柏木だ。
 僕は振り返ることができない。

「今日はあの場所に行かないの?」

 何も言わない僕に柏木が問いかける。

「あれ、瑛汰って一之瀬と仲良かったっけ?」

 背後で誰か知らないクラスメイトが柏木に問うている。

「仲良いってわけじゃないけど」

 やっぱりそうだ。そうやって否定する。僕は絶望に似た感情を持て余して涙が出そうになった。

「俺が一方的に好きなだけ」

 柏木の声がそう言った。

「え? 一之瀬を?」
「そう。一之瀬を」
「なんでまた」
「なんでとかないし」

 クラスメイトと柏木のやりとりを背中で聞きながら、僕は心臓がバクバクするのを抑えられなかった。

 す、好きって……

 どういう意味……?

 僕は顔が熱くなるのを感じる。うつむいて、なんだか恥ずかしくて、それでも動けなくて。

「そういう意味で好きなの?」

 女子が非難めいた声音で柏木に聞く。

「そういう意味ってどういう意味?」

 柏木が毅然として問い返す。

「だって相手は一之瀬だよ?」

 女子にそう言われて僕は耐えきれなくなって席を立つ。がたんと派手に椅子の音がして、自分で立てた音なのにびっくりした。
 そのまま振り返らずに教室を飛び出す。誰かの足音が追いかけてきたけど、僕は無視して走り続けた。行く当てなんてない。ただ逃げるように走った。

 気がつくと屋上階段の最上段にいた。くせなのかもしれない。もう自分の逃げ場はここしかないと無意識に足を向けてしまったのかもしれない。

「待って、待って一之瀬」

 屋上扉の前に立って振り返る。
 階段の踊り場に柏木がいた。
 僕を追いかけてきてくれたらしい。
 息を切らしている。僕だって息を切らしている。

「今日はなんでここに来なかったの?」

 真剣な眼差しで僕を見上げる柏木がまた問いを重ねる。

「スマホ忘れたから」

 僕は素直に答えた。

「柏木の友達でもなんでもない僕はプレイリストがなかったら一緒にいる意味がないだろ」

 僕が動揺のままに本心をあらわにすると柏木は何かに気づいたように目を丸くした。

「ごめん。昨日のそういう意味じゃなかったんだけど」

 どういう意味かわからない。

 僕のことが好きと言う柏木。

 はぐらかすようにクラスメイトに受け答えしていた柏木。

 それでも友達じゃないと言われる。どうしたらいいかわからない。

「俺は一之瀬と友達以上になりたいと思ってて、それであんな言い方になった」

 友達以上。いままで話したこともなかったのに。自分で光ることの出来ない星は誰にも見つけてもらえないんじゃないのか。

「俺は一之瀬が好き」

 ふざけているわけでもなく一直線に向けられた柏木の気持ち。

「プレイリストがなくたって一之瀬とふたりきりになりたい」

 柏木が一段一段確かめるように階段を上ってくる。
 僕に逃げ場はない。
 確かに僕だって嬉しかった。プレイリストを一緒に聴いてくれて、いい曲だったって言ってもらえて、嬉しかった。ずっと柏木のことを眩しいと思っていた。それは恋じゃないとしても、それでも柏木の告白に、嫌だ、と即答できるような感情はない。

 つづき、聴いて欲しかった。

 プレイリストのつづきを聴いて欲しかった。

「返事、待ってもらえる?」

 そう僕が言うと、僕に追いついた柏木が嬉しそうに笑う。屋上扉の前で。

「いくらでも待つから。また残りの十曲、聴かせて欲しい。一之瀬のこと、いろいろ教えて。英語と古文と数学が苦手なこと以外も。ロックバンドが好きなこと以外も。クラスのやつらは知らないようなことも俺には聞かせて欲しくて」

 誰も僕のことなんて知らない。
 僕の本当の気持ちなんて誰も分かってくれない。
 そう思っていた。だけど。

 柏木の笑顔を見ているとそんなこともないんじゃないのかなぁって思える。

「僕も柏木くんに聞いてもらいたい。いろんなこと。プレイリストも。僕の作ったロックバンドのプレイリストも」

 君には分かって欲しかったんだ。

 君には聞いて欲しかったんだ。

 僕のプレイリストのつづきを聴いて欲しかったんだ。

 だから傷ついた。友達じゃないと言われて傷ついた。たぶんそのときから僕は柏木のことをただのクラスメイトとは思えていなくて。

「プレイリストのつづきはまた明日」

 僕は笑う。にこにこしている柏木につられるように。
 そうしたら何故か柏木が顔を真っ赤にして視線を逸らすものだから、僕はまたどうしていいかわからなくなって。

 これが恋じゃないとしても、柏木のその横顔がかわいいと思った。

 もうすこし君のことを知りたい。

 僕のことも知って欲しい。

 これが恋じゃなくても。