『それからずっと、瀬川くんのことが頭から離れなくてーー』
『瀬川くんは俺の想像以上の、魅力的な人だよ』
後夜祭での音無の言葉を、頭の中でずっと反芻している。こんな風に言われてうれしかったのに、素直に喜べない。だって俺は、一人の生徒を不登校に追いやった人間だ。本当の俺を知ったら、音無はきっと幻滅する。
「ちーくん、そろそろ起きないと遅刻しちゃうわよ」
いつまでもベッドから出てこない俺に、部屋の外から母さんが声をかけてきた。俺は短く返事をして、寝不足のだるい身体を何とか起こして重い足取りで学校に向かった。
「なんでいつもやってこないの? 絶対わざとだよね?」
「課題のことだけいつも頭から抜け落ちてんだよな~逆になんでだと思う?」
「意識してないだけでしょ。今度からちゃんとやってきてよね!」
教室に着くと、真中が下野に課題をみせてもらっていた。下野は呆れて説教を垂れていて、その様子を微笑ましく音無がみていた。いつもならそこに俺も加わるんだけど、今日は静かに窓の外を眺めていた。10月も下旬になり、校庭の木々が色づき始めている。ずっと半袖で過ごしてきた俺もさすがに肌寒くなり、長袖のカッターシャツと学校指定の紺色のベストを着用するようになった。
風に吹かれてはらはらと落ちる葉っぱをぼんやりと眺める。音無に、どんな顔をして話しかけたらいいかわからない。挨拶ぐらいするべきだったか。今からでも行って、おはようだけ言ってこようか。始業前のざわついた空間の中でそんなことを考えているうちに担任がやってきた。
「瀬川くん」
1時間目がおわると同時に、音無が俺の席までやってきた。どくっと心臓が揺れる。
「大丈夫? 寝不足?」
心配そうに顔をのぞき込んでくる。
「……昨日、ずっとゲームしてて気づいたら朝になってた」
音無の顔を見ていられなくて、ふいっと目をそらしてしまった。声は上ずってなかっただろうか。
「めずらしいね。じゃあ、ゆっくり寝て」
頭をポンポン撫でられた後、すぐに下野のところへ行ってしまった。俺はホッとして胸を撫でおろす。音無に話しかけられて気まずいと思ったのは初めてかもしれない。
その後の休み時間は、用もないのに廊下に出たりトイレに行ったり、教室に留まることを避けた。昼休みはさすがに避けられなくて、いつものように四人で一緒に屋上に向かう。真中と下野がいたので、話をしながら昼飯を食べたけど、パンがなかなか喉を通らなかった。
下校時刻になり、いつも真っ先に帰る真中がなぜか今日は一緒に帰っている。ただの気まぐれだろうが、俺的には助かった。音無と二人きりにならなくて済むから。学校の最寄り駅で下野と別れ(下野の家は俺たちと逆方向)、三人で電車に乗る。音無と真中がぽつぽつとしゃべっているけど、俺はそこに加わらずぼんやりと車窓を眺めていた。そうしているうちに最寄り駅に着いて駅を降りる。
「瀬川くん、大丈夫?」
ホームを歩いていると、前を歩いていた音無が振り返って俺に声をかけた。今朝と同じように心配そうな顔をしている。
「……おう、ただの寝不足。寝たら治る」
少し安心したように音無の顔がゆるんだ。
「今日は早く寝なよ~」
それだけ言って、改札で別れた。ちくっと胸が痛む。無用な心配をかけてしまった。明日はいつも通り、普通にできるだろうか。
***
今朝は昨日よりも早く家を出た。教室に着くと数人の生徒しかおらず、「瀬川、今日早いね。めずらしい」と驚かれた。音無はまだ来ていないようでホッとして席に着く。
(いやいや、なんで安心してんだよ。いつも通りにするだけだ。大丈夫)
しばらくして下野が登校してきた。俺はいつも通り、下野の席へ行く。
「おっす」
「え、瀬川くん早いね! どうしたの?」
「なんか早く目ぇ覚めてさ、せっかくだから早く来てみた」
「そうなんだ。たまには早起きもいいでしょ?」
「めっちゃ電車混んでたんだけど」
「通勤時間とかぶっちゃったんだね」
「おはよー」
下野と話をしていると、音無の声が聞こえてドクッと心臓が揺れる。
「おはよう。音無くんも今日は早いね」
「用事があって早起きしたんだ」
「瀬川くんも今日早く起きたんだって。電車がすごく混んでたみたい」
「あの路線混むよね。瀬川くん痴漢に遭わなかった?」
音無の声がすぐ近くから聞こえるのに、頭の中にはうまく入ってこない。音無がこっちを向いて話しかけられているのはわかっているのに、俺は固まったまま反応できない。
「瀬川くん?」
目の前で音無がひらひらと手を振っていて、下野も不思議そうに俺をみている。
「……え、あ、痴漢の話?」
ようやく口を開くことができたが、まだ心臓はドクドクと揺れている。
「下野ー課題みせてー」
だるそうに教室に入ってきた真中が挨拶より先に課題を要求している。下野は怒りを通り越して呆れ果て、「もう知らない」と真中を突き放した。
「そんなこと言わないで、下野さま~~~。お前だけが頼りなんだよ~~~頼むよ~~~」
下野に手を合わせてお願いしている真中。それでも下野は課題をみせないので、真中は床に座り込んで土下座の体勢に入った。下野は慌ててそれを止め、机からノートを取り出して真中に渡す。真中はにやりとほくそ笑んでノートを自分の席へと持って行った。
「ははっ、アホすぎる」
真中をみておもわずこぼれた一言に、音無が「どうしようもないよね~」と笑った。そうしているうちに担任が入ってきて、みんな自分の席へと戻っていった。俺も自分の席に着いて胸を撫でおろす。意識しすぎて音無と会話ができない。いつもどんな風に話してたっけ。
(かなり、やばいかも……)
結局、昨日と同じように音無とほぼ会話しないまま放課後になってしまった。ただ、昨日と違うところは今日は真中がいないってこと。いつものように真っ先に帰ってしまった。学校の最寄り駅で下野と別れた後、俺と音無は電車に乗った。こういう時に限って車内は比較的空いていて静かだ。席が空いているのに座らないのも不自然なので、適当に腰かける。電車が揺れるたびに隣に座る音無に肩が触れて、それだけで胸がざわついて落ち着かない。音無はスマホをいじっていて、おもしろそうなショート動画を探している。
「ねぇ、これやばくない?」
スマホ画面をみせながら、耳元でこそこそと話しかけてくる。こそばゆくて鼓膜がじんじんする。肩が触れてるだけでもやばいのに、音無の声が至近距離で聞こえて心臓が大きな音を立てる。右半身だけ別の生き物になったみたいに硬直してじわじわと体温が上がっていく。
(マジでやばい、爆発する……)
俺は目の前のスマホ画面に意識を集中させた。そこには、柵に顔を突っ込んで抜けなくなった羊が暴れまくって柵ごと地面から抜けてしまう動画だった。
「ぶふっ!」
ショート動画に集中しすぎたせいか、静かな車内でふきだしてしまった。
「ちょっと、瀬川くん! 笑わないでよ!」
小声で文句を言いながら笑うのを我慢している音無。
「いや、これ笑うなって言う方が無理だから」
笑ってはいけない状況だとなおさら笑いがこみあげてくる。俺たちは口元をおさえたり、下を向いたりしながら、なんとか笑うのを我慢して、最寄り駅に着くと急いで電車を降りた。ホームに着地すると、安心したかのように顔を見合わせて思いっきり笑い合う。同じように電車から降りてきた乗客に、何事かと見られたけど、気にせずに二人で大笑いした。
「も~~~瀬川くんのせいで死ぬかと思った」
「俺も途中で息止めてた。っつか、お前があんなもん電車の中でみせるからだろ」
「だってさ~~」
ひとしきり笑って落ち着いた後、音無はふらふらとホームに設置してあるイスに腰かけた。俺も吸い寄せられるように隣に座る。
「だって、瀬川くん……ずっと元気なかったから」
目元を拭いながら苦笑する音無。笑うのを我慢していたから涙がでてきたのだろうか。俺は胸がきゅっと痛くなるのを感じて下を向いた。昨日からずっと、音無には心配をかけている。俺が音無を避けているせいだ。たぶん音無も、なんとなく気づいている。
「……悪かった、心配かけて。ここ最近、いろいろ悩んでてーー」
いじめのことを言うべきだろうか。音無ならきっと、ちゃんと真剣に聞いてくれるだろう。でも、嫌われる可能性が少しでもあるなら、俺は言いたくはない。今のこの関係性が壊れるのが怖い。
「……それってさ、俺も関係あったりする?」
小さな声は少し震えていた。俺は反射的に音無の方を向く。ちょうど西日が差して逆光でよくみえないけれど、とても寂しそうに泣いている気がした。
「……音無は悪くない。俺自身の問題だから」
膝の上でぎゅっと拳を握る。これを伝えるのが精いっぱいで、いじめのことなど到底口にできない。
「関係はあるんだ……」
ぽつりと呟いた後、膝の上で硬直している俺の拳に、そっと手を置いた。
「もし、俺のせいで悩ませてるなら本当にごめん。でも、これだけは言いたくて……」
俺の拳を包むように力を込めて手を重ねる。
「俺はなにがあっても瀬川くんの味方だし、いつだって瀬川くんの力になりたいって思ってる。これだけは忘れないで」
寂しそうだった顔は、いつの間にか穏やかに笑って、夕陽に照らされてオレンジに染まっていた。やっぱり俺はこいつが好きだ。胸があたたかくなると同時に息苦しくなる。
「……っ、どこまでお人好しなんだよ」
鼻の奥がツンとする。なにかがこみ上げてきそうで、ぎゅっと口を引き結ぶ。
「え~俺の激重感情をお人好しっていう言葉で片付けないでほしいな」
ふふっと小さく笑う声が聞こえて、身体から少しずつ力が抜けていく。次の電車が到着し、まだ駅のホームにいることを思いだした。ゆっくりと立ち上がって、音無に手を差し出す。音無は力いっぱい俺の手を握り、勢いよく引っ張った。俺はバランスを崩して音無の方へ倒れこむ。音無は俺を受け止めて、ぎゅっと背中に手を回す。電車から降りてきた人の視線が背中に突き刺さり、恥ずかしくて音無の腕から逃れようともがくけど、なかなか解放してくれない。
「おい、人が見てる」
「……うん、大丈夫だよ。ふざけてるだけに見えるから」
「いや、マジでふざけんなよ。離せ」
「ふざけてないから、離さない」
「はぁ?」
しばらくして、ホームに人気がなくなった頃にやっと解放された。
「俺を心配させた罰だよ」
勝ち誇ったような、余裕そうな笑みを浮かべている。音無に対して罪悪感がある俺は何も言い返せなくて、音無を突き放して改札まで走った。これ以上近くにいたら、マジで今度こそ身体が爆発する。
「ちょ、瀬川くん!? ごめん! 怒った!?」
焦った様子で音無が追いかけてきて、改札を出たところですぐに隣に並んだ。
「瀬川くーん」
「うるせー。ついてくんな」
「同じ方向なんだから仕方ないじゃん」
「はぁ? お前はあっちだろ。わけわかんないこと言ってないで早く帰れ」
音無がまたクスクスとおかしそうに笑う。
「瀬川くんが少し元気になってよかった」
じゃあね!と踵を返し、ぶんぶん大きく手を振って逆方向へ帰っていった。
「なんなんだよ……」
俺は自分のことばっかりなのに、お前は俺のことばっかじゃん。やっぱり、これじゃだめだ。音無に、ちゃんと話そう。結果、嫌われることになっても、このまま音無を避けて傷つけてしまうよりはいい。
遠くなっていく音無の背中をみつめながら、ぐっと拳を握った。
『瀬川くんは俺の想像以上の、魅力的な人だよ』
後夜祭での音無の言葉を、頭の中でずっと反芻している。こんな風に言われてうれしかったのに、素直に喜べない。だって俺は、一人の生徒を不登校に追いやった人間だ。本当の俺を知ったら、音無はきっと幻滅する。
「ちーくん、そろそろ起きないと遅刻しちゃうわよ」
いつまでもベッドから出てこない俺に、部屋の外から母さんが声をかけてきた。俺は短く返事をして、寝不足のだるい身体を何とか起こして重い足取りで学校に向かった。
「なんでいつもやってこないの? 絶対わざとだよね?」
「課題のことだけいつも頭から抜け落ちてんだよな~逆になんでだと思う?」
「意識してないだけでしょ。今度からちゃんとやってきてよね!」
教室に着くと、真中が下野に課題をみせてもらっていた。下野は呆れて説教を垂れていて、その様子を微笑ましく音無がみていた。いつもならそこに俺も加わるんだけど、今日は静かに窓の外を眺めていた。10月も下旬になり、校庭の木々が色づき始めている。ずっと半袖で過ごしてきた俺もさすがに肌寒くなり、長袖のカッターシャツと学校指定の紺色のベストを着用するようになった。
風に吹かれてはらはらと落ちる葉っぱをぼんやりと眺める。音無に、どんな顔をして話しかけたらいいかわからない。挨拶ぐらいするべきだったか。今からでも行って、おはようだけ言ってこようか。始業前のざわついた空間の中でそんなことを考えているうちに担任がやってきた。
「瀬川くん」
1時間目がおわると同時に、音無が俺の席までやってきた。どくっと心臓が揺れる。
「大丈夫? 寝不足?」
心配そうに顔をのぞき込んでくる。
「……昨日、ずっとゲームしてて気づいたら朝になってた」
音無の顔を見ていられなくて、ふいっと目をそらしてしまった。声は上ずってなかっただろうか。
「めずらしいね。じゃあ、ゆっくり寝て」
頭をポンポン撫でられた後、すぐに下野のところへ行ってしまった。俺はホッとして胸を撫でおろす。音無に話しかけられて気まずいと思ったのは初めてかもしれない。
その後の休み時間は、用もないのに廊下に出たりトイレに行ったり、教室に留まることを避けた。昼休みはさすがに避けられなくて、いつものように四人で一緒に屋上に向かう。真中と下野がいたので、話をしながら昼飯を食べたけど、パンがなかなか喉を通らなかった。
下校時刻になり、いつも真っ先に帰る真中がなぜか今日は一緒に帰っている。ただの気まぐれだろうが、俺的には助かった。音無と二人きりにならなくて済むから。学校の最寄り駅で下野と別れ(下野の家は俺たちと逆方向)、三人で電車に乗る。音無と真中がぽつぽつとしゃべっているけど、俺はそこに加わらずぼんやりと車窓を眺めていた。そうしているうちに最寄り駅に着いて駅を降りる。
「瀬川くん、大丈夫?」
ホームを歩いていると、前を歩いていた音無が振り返って俺に声をかけた。今朝と同じように心配そうな顔をしている。
「……おう、ただの寝不足。寝たら治る」
少し安心したように音無の顔がゆるんだ。
「今日は早く寝なよ~」
それだけ言って、改札で別れた。ちくっと胸が痛む。無用な心配をかけてしまった。明日はいつも通り、普通にできるだろうか。
***
今朝は昨日よりも早く家を出た。教室に着くと数人の生徒しかおらず、「瀬川、今日早いね。めずらしい」と驚かれた。音無はまだ来ていないようでホッとして席に着く。
(いやいや、なんで安心してんだよ。いつも通りにするだけだ。大丈夫)
しばらくして下野が登校してきた。俺はいつも通り、下野の席へ行く。
「おっす」
「え、瀬川くん早いね! どうしたの?」
「なんか早く目ぇ覚めてさ、せっかくだから早く来てみた」
「そうなんだ。たまには早起きもいいでしょ?」
「めっちゃ電車混んでたんだけど」
「通勤時間とかぶっちゃったんだね」
「おはよー」
下野と話をしていると、音無の声が聞こえてドクッと心臓が揺れる。
「おはよう。音無くんも今日は早いね」
「用事があって早起きしたんだ」
「瀬川くんも今日早く起きたんだって。電車がすごく混んでたみたい」
「あの路線混むよね。瀬川くん痴漢に遭わなかった?」
音無の声がすぐ近くから聞こえるのに、頭の中にはうまく入ってこない。音無がこっちを向いて話しかけられているのはわかっているのに、俺は固まったまま反応できない。
「瀬川くん?」
目の前で音無がひらひらと手を振っていて、下野も不思議そうに俺をみている。
「……え、あ、痴漢の話?」
ようやく口を開くことができたが、まだ心臓はドクドクと揺れている。
「下野ー課題みせてー」
だるそうに教室に入ってきた真中が挨拶より先に課題を要求している。下野は怒りを通り越して呆れ果て、「もう知らない」と真中を突き放した。
「そんなこと言わないで、下野さま~~~。お前だけが頼りなんだよ~~~頼むよ~~~」
下野に手を合わせてお願いしている真中。それでも下野は課題をみせないので、真中は床に座り込んで土下座の体勢に入った。下野は慌ててそれを止め、机からノートを取り出して真中に渡す。真中はにやりとほくそ笑んでノートを自分の席へと持って行った。
「ははっ、アホすぎる」
真中をみておもわずこぼれた一言に、音無が「どうしようもないよね~」と笑った。そうしているうちに担任が入ってきて、みんな自分の席へと戻っていった。俺も自分の席に着いて胸を撫でおろす。意識しすぎて音無と会話ができない。いつもどんな風に話してたっけ。
(かなり、やばいかも……)
結局、昨日と同じように音無とほぼ会話しないまま放課後になってしまった。ただ、昨日と違うところは今日は真中がいないってこと。いつものように真っ先に帰ってしまった。学校の最寄り駅で下野と別れた後、俺と音無は電車に乗った。こういう時に限って車内は比較的空いていて静かだ。席が空いているのに座らないのも不自然なので、適当に腰かける。電車が揺れるたびに隣に座る音無に肩が触れて、それだけで胸がざわついて落ち着かない。音無はスマホをいじっていて、おもしろそうなショート動画を探している。
「ねぇ、これやばくない?」
スマホ画面をみせながら、耳元でこそこそと話しかけてくる。こそばゆくて鼓膜がじんじんする。肩が触れてるだけでもやばいのに、音無の声が至近距離で聞こえて心臓が大きな音を立てる。右半身だけ別の生き物になったみたいに硬直してじわじわと体温が上がっていく。
(マジでやばい、爆発する……)
俺は目の前のスマホ画面に意識を集中させた。そこには、柵に顔を突っ込んで抜けなくなった羊が暴れまくって柵ごと地面から抜けてしまう動画だった。
「ぶふっ!」
ショート動画に集中しすぎたせいか、静かな車内でふきだしてしまった。
「ちょっと、瀬川くん! 笑わないでよ!」
小声で文句を言いながら笑うのを我慢している音無。
「いや、これ笑うなって言う方が無理だから」
笑ってはいけない状況だとなおさら笑いがこみあげてくる。俺たちは口元をおさえたり、下を向いたりしながら、なんとか笑うのを我慢して、最寄り駅に着くと急いで電車を降りた。ホームに着地すると、安心したかのように顔を見合わせて思いっきり笑い合う。同じように電車から降りてきた乗客に、何事かと見られたけど、気にせずに二人で大笑いした。
「も~~~瀬川くんのせいで死ぬかと思った」
「俺も途中で息止めてた。っつか、お前があんなもん電車の中でみせるからだろ」
「だってさ~~」
ひとしきり笑って落ち着いた後、音無はふらふらとホームに設置してあるイスに腰かけた。俺も吸い寄せられるように隣に座る。
「だって、瀬川くん……ずっと元気なかったから」
目元を拭いながら苦笑する音無。笑うのを我慢していたから涙がでてきたのだろうか。俺は胸がきゅっと痛くなるのを感じて下を向いた。昨日からずっと、音無には心配をかけている。俺が音無を避けているせいだ。たぶん音無も、なんとなく気づいている。
「……悪かった、心配かけて。ここ最近、いろいろ悩んでてーー」
いじめのことを言うべきだろうか。音無ならきっと、ちゃんと真剣に聞いてくれるだろう。でも、嫌われる可能性が少しでもあるなら、俺は言いたくはない。今のこの関係性が壊れるのが怖い。
「……それってさ、俺も関係あったりする?」
小さな声は少し震えていた。俺は反射的に音無の方を向く。ちょうど西日が差して逆光でよくみえないけれど、とても寂しそうに泣いている気がした。
「……音無は悪くない。俺自身の問題だから」
膝の上でぎゅっと拳を握る。これを伝えるのが精いっぱいで、いじめのことなど到底口にできない。
「関係はあるんだ……」
ぽつりと呟いた後、膝の上で硬直している俺の拳に、そっと手を置いた。
「もし、俺のせいで悩ませてるなら本当にごめん。でも、これだけは言いたくて……」
俺の拳を包むように力を込めて手を重ねる。
「俺はなにがあっても瀬川くんの味方だし、いつだって瀬川くんの力になりたいって思ってる。これだけは忘れないで」
寂しそうだった顔は、いつの間にか穏やかに笑って、夕陽に照らされてオレンジに染まっていた。やっぱり俺はこいつが好きだ。胸があたたかくなると同時に息苦しくなる。
「……っ、どこまでお人好しなんだよ」
鼻の奥がツンとする。なにかがこみ上げてきそうで、ぎゅっと口を引き結ぶ。
「え~俺の激重感情をお人好しっていう言葉で片付けないでほしいな」
ふふっと小さく笑う声が聞こえて、身体から少しずつ力が抜けていく。次の電車が到着し、まだ駅のホームにいることを思いだした。ゆっくりと立ち上がって、音無に手を差し出す。音無は力いっぱい俺の手を握り、勢いよく引っ張った。俺はバランスを崩して音無の方へ倒れこむ。音無は俺を受け止めて、ぎゅっと背中に手を回す。電車から降りてきた人の視線が背中に突き刺さり、恥ずかしくて音無の腕から逃れようともがくけど、なかなか解放してくれない。
「おい、人が見てる」
「……うん、大丈夫だよ。ふざけてるだけに見えるから」
「いや、マジでふざけんなよ。離せ」
「ふざけてないから、離さない」
「はぁ?」
しばらくして、ホームに人気がなくなった頃にやっと解放された。
「俺を心配させた罰だよ」
勝ち誇ったような、余裕そうな笑みを浮かべている。音無に対して罪悪感がある俺は何も言い返せなくて、音無を突き放して改札まで走った。これ以上近くにいたら、マジで今度こそ身体が爆発する。
「ちょ、瀬川くん!? ごめん! 怒った!?」
焦った様子で音無が追いかけてきて、改札を出たところですぐに隣に並んだ。
「瀬川くーん」
「うるせー。ついてくんな」
「同じ方向なんだから仕方ないじゃん」
「はぁ? お前はあっちだろ。わけわかんないこと言ってないで早く帰れ」
音無がまたクスクスとおかしそうに笑う。
「瀬川くんが少し元気になってよかった」
じゃあね!と踵を返し、ぶんぶん大きく手を振って逆方向へ帰っていった。
「なんなんだよ……」
俺は自分のことばっかりなのに、お前は俺のことばっかじゃん。やっぱり、これじゃだめだ。音無に、ちゃんと話そう。結果、嫌われることになっても、このまま音無を避けて傷つけてしまうよりはいい。
遠くなっていく音無の背中をみつめながら、ぐっと拳を握った。



