体育祭がおわってからすぐにテスト週間に入った。高校に入学してから最初の中間テストが迫っている。下野が真中に「家に帰ってもどうせ勉強しないでしょ」と言ったことがきっかけで、四人で学校に居残り、勉強することになった。自習室に行くと既に人がいっぱいで、図書室に行くと意外と人が少なく、四人掛けの机に座って勉強することにした。俺の正面に真中、真中の隣に下野、そして俺の右隣に音無が座っている。問題集を開いた途端、真中は意識を失い机に突っ伏してしまった。下野が呆れて、真中の肩をゆさゆさ揺らすけど反応がない。勉強が嫌すぎて死んでしまったのかもしれない。そんな二人の様子を見ながら音無がフッと口元を緩める。
(そういえば体育祭の日も、変にドキドキしたよな)
あの日はいろいろありすぎた。悔しかったし、殴られそうにもなった。気持ちが高ぶれば、心臓くらい誰だって速くなる。それに音無は誰にでも距離が近い。俺だけが特別なわけじゃない。
そう思うことにして、目の前の問題集に視線を戻す。
「瀬川くん全然進んでないじゃん」
「数学? 教えるよ」
素直に礼を言うと、音無が横からノートを覗き込んで丁寧に説明してくれる。詰まっていた問題が案外すんなり解けた。
「イケメンで優しいうえに勉強までできるのかよ。お前すげーな」
「え、褒めすぎじゃない?」
照れたように笑う音無をよそに、真中はあいかわらず机に突っ伏したまま。四人でいるこの時間が、思ったより悪くないなと思う。
その日は結局、四人でラーメン屋に寄ってから帰った。他愛ない話をしながら歩く帰り道、音無が「今日、教えたとこ、ちゃんと復習しといてよ?」と念を押してくる。
「わかってるって」
「怪しいなぁ」
談笑していたところで音無のスマホが震えた。着信画面を確認すると、眉根を寄せて少し険しい表情になり、画面をタップした。
「もしもし? どうしたの?」
通話する声はいつもと変わらず穏やかなのに、表情は感情が抜け落ちたみたいに堅い。
「……わかった。大丈夫ーーうん。じゃあ」
短く通話を終えると、大きくため息をついた。それからすぐに眉を下げて申し訳なさそうな顔をする。
「瀬川くん、ごめん。ちょっと用事ができたからここで解散していい?」
ちょうど最寄駅から改札をでたところだった。普段ならべつに気にすることなく解散するのだが、音無の様子がなんだかいつもと違う。
「なんかあった?」
音無は軽くふるふると首を振る。
「いや、べつに、たいしたことないから」
笑顔だけど、あの貼り付けたような笑みだ。なにかあったに違いない。着信相手も気になる。
「俺もヒマだし、つきあうけど」
音無は目を伏せて少し考えてから、再びふるふると首を振った。
「弟のことで行かなきゃなんだ。急いでるから、またね」
笑顔で手を振ると、背を向けて急いでどこかへ向かった。そういえば、年の離れた弟がいると言っていたな。家族のことだしこれ以上踏み込むのはよくないとわかっている。けど、遠くから様子を見るくらいならいいよな。俺は静かに音無の後を追った。
改札から出て5分ほど歩いたところでビルに入っていった。見たところ、雑貨屋や飲食店が入っていて、展示場もあるような雑居ビルだ。こんなところに何の用があるのだろう。不思議に思いながら、音無の後を追ってビルに入る。雑貨屋や飲食店の並びを通過して奥まで歩いていくと、ある看板が目に入った。
「若葉保育園……」
音無は入り口にあるインターホンを鳴らし、少し話しをしてから中に入っていった。そして数分後、小さな男の子と手をつないで出てきた。色素の薄い茶色の髪に、二重の大きな目、まつ毛も長く肌の色も白い。雑誌に出てきそうな外国人の子どものよう。目元が音無にそっくりだ。
ビルの柱に隠れて様子をうかがっていると、音無とばっちり目が合ってしまった。やべ、やらかした。急いで柱の陰に隠れたけれどたぶんばれてる。
「なにしてるのかな~瀬川くん」
柱の反対側から音無が現れた。笑っているけど目の奥は笑っていない。怒ってる……?俺は頭をフル回転させて何か言い訳を考えるけど、音無がずいっと顔を寄せてきたので観念したように両手を挙げた。
「……ごめん。ちょっと気になって」
「後つけてきたの?」
「……うん。悪かった」
音無は呆れたようにため息を吐いた。
「ストーカーじゃん。近くに交番あるけどいく?」
「え!? いや、そんなつもりはーー」
俺が必死に首を振っていると、音無は「冗談だよ」とおかしそうにクスクス笑う。
「……気になったからって、黙って後つけてこられたら嫌だよな。ごめん」
改めて頭を下げる。音無も改まったようにゴホンと咳払いした。
「瀬川くんに気にしてもらえたのなら、それはそれでうれしかったけどね」
うれしかったのか?意外な言葉が返ってきて、俺はわけがわからず首をかしげる。音無はまた呆れたようにため息をついて俺を置いてさっさと行ってしまった。慌てて音無の後を追いかけ、隣に並ぶ。
「りーくんのおともだち?」
大きな目が俺を見上げる。近くで見ると女の子にもみえる。
「お友達じゃなくてストーカーだよ」
「おい!!」
「ストーカーさん??」
「ちがう! 瀬川だ。せがわ」
「せがわさん??」
「そうだ。おまえは?」
「ぼくはね、おとなしはやと。6さいです。すきな食べ物はみかんで、大きくなったらパンどろぼうになるの」
人懐っこい笑顔を浮かべて一生懸命話す姿がかわいらしい。パンどろぼうというのは音無の弟の好きな絵本で、パンが好きすぎるネズミがパンに変装してパンを盗むパンどろぼうになる話だそうだ。どろぼうになるなんて如何なものかと思いつつ、絵本の世界観がよくわからないのでつっこむのはやめておいた。
音無が自己紹介ができた弟を褒めて頭を撫ででいる。弟もうれしそうに得意げに鼻を膨らませて笑っている。微笑ましい兄弟の姿に俺も顔が緩む。
弟と手をつないだ音無と、駅に向かって並んで歩く。
「さっきの電話は母親からで、今日は会議が長引きそうだから代わりに迎えに行ってって言われたんだ」
俺が気になっていることを一言で簡潔に教えてくれた。電話の相手が母親なのに、緊張しているようにみえた。厳しい家庭なのだろうか。気になって音無に聞こうとしたら、弟が無邪気な声で話し始めた。
「さいきんずっと、りーくんがおむかえだね」
「ごめんね? 隼人も寂しいよね……」
「いいよ。ぼく、つよいから平気!」
音無はきゅっと口元を引き締めて、ぽんぽんと優しく弟の頭を撫でた。音無のせつなげな表情から、弟のことをとても大切に想っているのが伝わってくる。
「お母さん、忙しいんだな」
「うん。まぁ昔からずっとこんな感じだから慣れてるけどね」
どこか達観したような言い方と、”隼人も”寂しいよねという言葉が引っかかる。
「他に頼れる人とかいないのか?」
音無は弟とつないだ手をゆっくりゆらゆら動かしながら宙を見て少し考えている。
「うーん……あ、叔父さんがいるよ。小さいころはよくお世話になったし、今でも時々連絡くれるし」
「叔父さん?」
「うん。母さんの弟なんだけどね。俺が困ってる時、いつも声かけてくれるんだ」
母親とは少し距離があるように感じたけれど、頼れる人がちゃんといるんだな。懐かしむように微笑む音無をみて、少し安心した。
「……お前は、寂しくなかったのか?」
思わずこぼれた質問に、音無は一瞬だけ表情を止めた。
「え?」
「さっき、隼人も寂しいよねって言ってただろ。お前も、だったんじゃないのか」
音無はしばらく黙って、それからふっと笑った。
「……瀬川くんって、やっぱりすごいな」
「は? なにがだよ」
「ふふっ、そういうところだよ」
それ以上は、笑ってはぐらかされてしまった。
ほんのわずかな駅までの道のりを、三人手をつないでしりとりをしながら帰った。その時間は心地よかったけれど、さっきの音無の表情が、なぜか頭から離れなかった。
数日後、テストの結果が返却された。数学は危うい点数だったが、なんとか補習は免れた。音無に教えてもらった問題が、そのまま何問か出ていたおかげだ。
「音無が教えてくれたおかげで数学の補習まぬがれたわ。ありがとう」
素直に礼を言うと、音無は一瞬きょとんとした後、みるみる顔を赤くした。
「……そんな、大したことしてないのに」
「いや、マジで助かった」
考えてみれば、困った時に自然と頼れる相手が増えたのは、これが初めてかもしれない。真中には昔から気を許しているけど、それとはまた違う。音無は「頼っていいよ」というオーラをいつも出している気がする。だからこっちも変に構えずに頼れるんだろうか。
「……そんなに褒めても、なんも出ないよ」
「べつに何か出るの期待してねぇよ」
「ふふ、そっか」
なんだかんだ、素直に頼れる相手がまた一人増えたことが、俺の方も少し嬉しかった。
(そういえば体育祭の日も、変にドキドキしたよな)
あの日はいろいろありすぎた。悔しかったし、殴られそうにもなった。気持ちが高ぶれば、心臓くらい誰だって速くなる。それに音無は誰にでも距離が近い。俺だけが特別なわけじゃない。
そう思うことにして、目の前の問題集に視線を戻す。
「瀬川くん全然進んでないじゃん」
「数学? 教えるよ」
素直に礼を言うと、音無が横からノートを覗き込んで丁寧に説明してくれる。詰まっていた問題が案外すんなり解けた。
「イケメンで優しいうえに勉強までできるのかよ。お前すげーな」
「え、褒めすぎじゃない?」
照れたように笑う音無をよそに、真中はあいかわらず机に突っ伏したまま。四人でいるこの時間が、思ったより悪くないなと思う。
その日は結局、四人でラーメン屋に寄ってから帰った。他愛ない話をしながら歩く帰り道、音無が「今日、教えたとこ、ちゃんと復習しといてよ?」と念を押してくる。
「わかってるって」
「怪しいなぁ」
談笑していたところで音無のスマホが震えた。着信画面を確認すると、眉根を寄せて少し険しい表情になり、画面をタップした。
「もしもし? どうしたの?」
通話する声はいつもと変わらず穏やかなのに、表情は感情が抜け落ちたみたいに堅い。
「……わかった。大丈夫ーーうん。じゃあ」
短く通話を終えると、大きくため息をついた。それからすぐに眉を下げて申し訳なさそうな顔をする。
「瀬川くん、ごめん。ちょっと用事ができたからここで解散していい?」
ちょうど最寄駅から改札をでたところだった。普段ならべつに気にすることなく解散するのだが、音無の様子がなんだかいつもと違う。
「なんかあった?」
音無は軽くふるふると首を振る。
「いや、べつに、たいしたことないから」
笑顔だけど、あの貼り付けたような笑みだ。なにかあったに違いない。着信相手も気になる。
「俺もヒマだし、つきあうけど」
音無は目を伏せて少し考えてから、再びふるふると首を振った。
「弟のことで行かなきゃなんだ。急いでるから、またね」
笑顔で手を振ると、背を向けて急いでどこかへ向かった。そういえば、年の離れた弟がいると言っていたな。家族のことだしこれ以上踏み込むのはよくないとわかっている。けど、遠くから様子を見るくらいならいいよな。俺は静かに音無の後を追った。
改札から出て5分ほど歩いたところでビルに入っていった。見たところ、雑貨屋や飲食店が入っていて、展示場もあるような雑居ビルだ。こんなところに何の用があるのだろう。不思議に思いながら、音無の後を追ってビルに入る。雑貨屋や飲食店の並びを通過して奥まで歩いていくと、ある看板が目に入った。
「若葉保育園……」
音無は入り口にあるインターホンを鳴らし、少し話しをしてから中に入っていった。そして数分後、小さな男の子と手をつないで出てきた。色素の薄い茶色の髪に、二重の大きな目、まつ毛も長く肌の色も白い。雑誌に出てきそうな外国人の子どものよう。目元が音無にそっくりだ。
ビルの柱に隠れて様子をうかがっていると、音無とばっちり目が合ってしまった。やべ、やらかした。急いで柱の陰に隠れたけれどたぶんばれてる。
「なにしてるのかな~瀬川くん」
柱の反対側から音無が現れた。笑っているけど目の奥は笑っていない。怒ってる……?俺は頭をフル回転させて何か言い訳を考えるけど、音無がずいっと顔を寄せてきたので観念したように両手を挙げた。
「……ごめん。ちょっと気になって」
「後つけてきたの?」
「……うん。悪かった」
音無は呆れたようにため息を吐いた。
「ストーカーじゃん。近くに交番あるけどいく?」
「え!? いや、そんなつもりはーー」
俺が必死に首を振っていると、音無は「冗談だよ」とおかしそうにクスクス笑う。
「……気になったからって、黙って後つけてこられたら嫌だよな。ごめん」
改めて頭を下げる。音無も改まったようにゴホンと咳払いした。
「瀬川くんに気にしてもらえたのなら、それはそれでうれしかったけどね」
うれしかったのか?意外な言葉が返ってきて、俺はわけがわからず首をかしげる。音無はまた呆れたようにため息をついて俺を置いてさっさと行ってしまった。慌てて音無の後を追いかけ、隣に並ぶ。
「りーくんのおともだち?」
大きな目が俺を見上げる。近くで見ると女の子にもみえる。
「お友達じゃなくてストーカーだよ」
「おい!!」
「ストーカーさん??」
「ちがう! 瀬川だ。せがわ」
「せがわさん??」
「そうだ。おまえは?」
「ぼくはね、おとなしはやと。6さいです。すきな食べ物はみかんで、大きくなったらパンどろぼうになるの」
人懐っこい笑顔を浮かべて一生懸命話す姿がかわいらしい。パンどろぼうというのは音無の弟の好きな絵本で、パンが好きすぎるネズミがパンに変装してパンを盗むパンどろぼうになる話だそうだ。どろぼうになるなんて如何なものかと思いつつ、絵本の世界観がよくわからないのでつっこむのはやめておいた。
音無が自己紹介ができた弟を褒めて頭を撫ででいる。弟もうれしそうに得意げに鼻を膨らませて笑っている。微笑ましい兄弟の姿に俺も顔が緩む。
弟と手をつないだ音無と、駅に向かって並んで歩く。
「さっきの電話は母親からで、今日は会議が長引きそうだから代わりに迎えに行ってって言われたんだ」
俺が気になっていることを一言で簡潔に教えてくれた。電話の相手が母親なのに、緊張しているようにみえた。厳しい家庭なのだろうか。気になって音無に聞こうとしたら、弟が無邪気な声で話し始めた。
「さいきんずっと、りーくんがおむかえだね」
「ごめんね? 隼人も寂しいよね……」
「いいよ。ぼく、つよいから平気!」
音無はきゅっと口元を引き締めて、ぽんぽんと優しく弟の頭を撫でた。音無のせつなげな表情から、弟のことをとても大切に想っているのが伝わってくる。
「お母さん、忙しいんだな」
「うん。まぁ昔からずっとこんな感じだから慣れてるけどね」
どこか達観したような言い方と、”隼人も”寂しいよねという言葉が引っかかる。
「他に頼れる人とかいないのか?」
音無は弟とつないだ手をゆっくりゆらゆら動かしながら宙を見て少し考えている。
「うーん……あ、叔父さんがいるよ。小さいころはよくお世話になったし、今でも時々連絡くれるし」
「叔父さん?」
「うん。母さんの弟なんだけどね。俺が困ってる時、いつも声かけてくれるんだ」
母親とは少し距離があるように感じたけれど、頼れる人がちゃんといるんだな。懐かしむように微笑む音無をみて、少し安心した。
「……お前は、寂しくなかったのか?」
思わずこぼれた質問に、音無は一瞬だけ表情を止めた。
「え?」
「さっき、隼人も寂しいよねって言ってただろ。お前も、だったんじゃないのか」
音無はしばらく黙って、それからふっと笑った。
「……瀬川くんって、やっぱりすごいな」
「は? なにがだよ」
「ふふっ、そういうところだよ」
それ以上は、笑ってはぐらかされてしまった。
ほんのわずかな駅までの道のりを、三人手をつないでしりとりをしながら帰った。その時間は心地よかったけれど、さっきの音無の表情が、なぜか頭から離れなかった。
数日後、テストの結果が返却された。数学は危うい点数だったが、なんとか補習は免れた。音無に教えてもらった問題が、そのまま何問か出ていたおかげだ。
「音無が教えてくれたおかげで数学の補習まぬがれたわ。ありがとう」
素直に礼を言うと、音無は一瞬きょとんとした後、みるみる顔を赤くした。
「……そんな、大したことしてないのに」
「いや、マジで助かった」
考えてみれば、困った時に自然と頼れる相手が増えたのは、これが初めてかもしれない。真中には昔から気を許しているけど、それとはまた違う。音無は「頼っていいよ」というオーラをいつも出している気がする。だからこっちも変に構えずに頼れるんだろうか。
「……そんなに褒めても、なんも出ないよ」
「べつに何か出るの期待してねぇよ」
「ふふ、そっか」
なんだかんだ、素直に頼れる相手がまた一人増えたことが、俺の方も少し嬉しかった。



