【長編・連載中】正義感がつよすぎるせっかちくんとちょいウザ イケメンなおっとりくん

 ーside 音無ー

 きみを初めて見かけたのは、2年前の中二の時、電車の中だった。
 
 「昨日さ、隣のクラスの女子にまたお前のこと紹介してって言われたんだけど」
 「へぇ~、そうなんだ」
 「もう三人目だよ。モテる奴はいいなぁ~選びたい放題で」
 「はは、そんなことないって。そういえばさー」

 この手の話題になると反応に困る。だから、早々に話を変えるようにしている。俺もモテたくてモテてるわけじゃない。当たり障りなくにこにこしていたらこうなってしまった。

 「あ、電車来た」

 3分遅れで電車が到着した。他の乗客と一緒に乗り込むと、あっという間にすし詰め状態になってしまった。
 新しく発売されたスニーカーを買うために、友達と駅前の大型ショッピング施設まで遠出した。友人はうれしそうにそのスニーカーを買ったけど、俺はイメージと違ったから買わなかった。その帰り、日曜日の午後というのもあって、お出かけ帰りの家族連れやカップルや老夫婦など、いろんな世代の人が乗っていた。俺はなんとか吊革につかまり、自分の居場所を確保した。車窓には都会の象徴のようなビル群が次々と流れていき、大きな川を渡ると景色は一変して、住宅街を映し出している。川を渡るときにゴトンゴトンとリズムよく揺れていたが、今は安定したようで揺れがおさまり、踏ん張っていた足から力が抜けていく。

 「暑くね? のど乾いた」

 隣で吊革につかまる友人がだるそうにつぶやく。

 「人、多いからね」
 「シュワってするやつ飲みたい」
 「コーラとかサイダーとか?」
 「炭酸系」
 
 ふと視界に留まったのは、小麦色の肌の坊主頭の男の子。俺たちと同じくらいの背格好だから中学生だろうか。さっきからチラチラとなにかを気にしている。なにを見てるんだろう。

 「そういえば音無ってさ、」

 友人に話しかけられてそっちを向く。

 「お茶とか水ばっか飲んでるよな。炭酸ジュースとか飲まねぇの?」
 「うん、炭酸苦手なんだよね」
 「マジか」
 「ちょっと辛く感じちゃって、飲めない」
 「へぇ~知らなかった。お前、あんま自分のこと話さないから」
 「え、そうかな?」
 「そうだよ。ミステリアスでステキとか言って女子が騒いでる」
 「ははっ……」

 俺は昔から、自分のことを話すのが苦手だった。適当に笑っていれば人間関係はだいたいうまくいくから、そうやってやり過ごしてきた。

 「すみません、席、譲ってもらえませんか」

 静かな電車内に凛とした声が響く。俺は吸い寄せられるように声の方をみた。さっきの、坊主頭の男の子だ。その子の隣には、妊婦さんが口元にハンカチを当てて、辛そうにして吊革につかまっている。その子の前には、中年男性が足を広げて我が物顔で座っている。
 男の子は、声をかける前に一瞬だけ息を止めたようにみえた。それでも迷いは一瞬で、まっすぐに中年男性を見据えている。

 「あの、席、譲ってください」

 中年男性の反応がなかったからか、男の子は再度声をかけた。さっきよりも強い口調で、声も表情も震えていない。「かわってやれよ」と、どこからか男性の声が聞こえた。「聞こえてないのかしら」「あの子えらいわねぇ」と女性の声も聞こえる。周りの乗客の視線が中年男性に集中し、車内がざわつき始めた。中年男性は周りからの視線に焦りながら眉間にシワを寄せてチッと舌打ちをし、渋々立ち上がった。

 「ありがとうございます」

 男の子は丁寧にお礼を言って、妊婦さんを支えながら席に座らせた。妊婦さんは男の子と中年男性にお礼を言った。席に座ることができて、ホッとしていた。男の子も妊婦さんの様子をみて、安心したように頬をゆるめた。きっと彼が一番、妊婦さんを心配していたんだろう。

 「すげぇな、あいつ」
 「……うん」

 一緒に様子を見ていた友人が感心した声を上げる。俺は、彼の行動に衝撃を受けて頷くことしかできない。
 マンガやドラマでは見たことがある。困っている人をかっこよく助ける場面。俺もそれをみて憧れたりするけれど、作り物の中だから成立するものだと、どこか冷めた目でみていた。
 実際にその場面に遭遇してみると、驚きで頭の中がいっぱいになった。知らない人のために、なんでこんなにまっすぐ動けるんだろう。彼の行動は、偽善からくるものじゃない。そうしなければならないからした、という感じで、迷いや恥じらいは感じられなかった。
 その後、特に得意げにすることもなく吊革につかまってまっすぐに車窓をみつめていた。時折、ちらちらと妊婦さんの様子を確認していたから、本当に優しい子なんだなと感心した。

 「すごいなぁ……」

 遠目から彼をみているうちに最寄り駅について、俺と友人は慌てて電車を降りた。なんと彼も同じく電車を降りて、改札に向かってホームをまっすぐに歩いていた。

 「同じ駅なんだ」

 おもわずつぶやいてしまった。隣にいた友人が首を傾げたので適当にごまかした。
 また、どこかで会えたらいいな。そんな淡い想いを抱きながら、俺は胸が少しあたたかくなるのを感じて、その男の子の後姿を見送った。

 改札を出たところで友人と別れた。一人になった帰り道、夕方の住宅街はオレンジ色に染まっていて、電柱の影がやけに長く伸びていた。さっきの光景が、頭の中で何度も再生される。あんな風に、誰かのために迷わず動けたらどんな気分だろう。偽善で動いている俺には想像もつかない。

 いつからこんな自分になってしまったんだろう。幼いころは、けっこうおしゃべりだったと思う。
 小学生になると両親が共働きになり、俺は学童に入った。夕方、迎えに来た母さんの車で、その日あったことをよく話した。テストで百点を取ったことも、逆上がりができたことも。でも、母さんはいつも疲れた顔で、「そう……」と相槌を打つだけだった。それでも、話を聞いてもらえるだけで寂しさが紛れたから、それでよかった。そのうち、俺の話なんて興味ないんだろうな、と思うようになった。
 年の離れた弟が生まれると、両親の目はますます弟に向いた。甘えれば「お兄ちゃんでしょ」と言われ、俺は少しずつ、甘えることそのものを諦めていった。
 それでも、母の弟である叔父だけは、時々思い出したように連絡をくれた。「元気にしてるか」というだけの、他愛のないメッセージ。それだけで、少し救われる気がした。
 なるべく両親に負担をかけたくなくて、学校でも家でも愛想笑いをして本音を隠すようになった。本音を言って拒絶されるよりも、笑顔を貼り付けていた方がうまくいく。心は疲れるけど、それでよかった。

 家が近づくにつれ、玄関でどんな顔をして「ただいま」と言おうか、いつも通り考えている自分に気づいた。疲れてそうな母さんに心配かけないように、今日も適当に元気よく振る舞おう。そう決めた途端、さっきまで浮かれていた気持ちが、すっと引いていくのがわかった。
 帰宅してからも、湯船につかっている時や、ベッドの中で、その子のことがぼんやりと頭に浮かんだ。いいなぁ、俺もあんな風になれたら……なんて思いながら眠りに就いた。
 翌日、俺は学校で友人にその男の子の話をしようとしたけれど、やめておいた。あの子は俺だけの憧れの存在にしておきたくて、誰にも言わなかった。

 それから、俺はたびたびあの子のことを思い出すようになった。学校で誰かが困っている場面に出くわすと、あの子ならどうするだろうと考えた。妊婦さんやお年寄りをみかけると、あの毅然とした声を思い出した。電車に乗るたびに、無意識に坊主頭を探すようになった。もちろん、一度も見つからなかったけれど。

 そして2年後の春、俺は自分の目を疑った。高校の入学式の日、桜が舞う校門で、俺はきみに再会した。坊主頭だった髪は長く伸びていて少し大人っぽくなっている。小麦色に焼けていた肌は、少し白くなっていた。意志の強そうな眉と大きな目は、あの頃と変わっていない。首元まで締まったネクタイを窮屈そうに緩めたと思ったら、隣にいる母親らしき女性にすぐに直されて、少し鬱陶しそうに眉をひそめた。

 神様なんて、信じたことはなかった。
 でも、もし本当にいるなら。
 ありがとう。
 もう一度、あの子に会わせてくれて。
 今度こそ、ちゃんと話しかけよう。

 緊張と興奮で高鳴る胸をおさえ、ゆっくりとあの子に歩み寄っていく。

 「あの、すみません」