化粧品売り場が嫌いだ。
デパートの一階。
出鼻くじかれる匂い。
卵のようにつるつるで白い肌。
おでこを出して、顔が露な美容接客員が。
前髪に隠れた私の顔を見て。目を背ける。
顔の真ん中。私の鼻は。
豚の鼻なのだ。
東京ビッグオーバル。
楕円形回転体の大きな展示場で。
cosmic cosmetic なんちゃら。
化粧品展示会はまだ始まる前。
設営は昨日までに終わっていて。
今は、ほとんど人の気配を感じない。
様々なブランドのブースが、
曼荼羅チャートのように並ぶ。
真ん中の文字は、きっと美だ。
その中の一つ。
cologne boost と看板があって、
試着室、フィッテングルームのような、
ものを一回り大きくした透明なものが。
いくつもある。ブースがあった。
「武田さん武田さんっ」
「ワンッ」
ブースの前には、警察犬調教師の、
「やあ、冬鳥君。久しぶり」
とその生徒犬。ポメラニアンの、
「おお、タマ。久しぶり。駄目だぞ。いくら嬉しいからって。お前は警察犬になるんだから。あんまり吠えちゃ。おお、よしよし。タマよしよし」
「やめてくださいよ。武田さん。タマって言うと。なんだか猫みたいじゃないですか」
「警察犬の卵のタマゴ。タマちゃんじゃないか。ああ、可愛いね。まんまる白くてふわふわカット。まるで卵だ」
わたあめのような毛並みを。
一通りわっしゃわっしゃ。
し。なでなでし。
冬鳥君に向き直る。
「それで、冬鳥君。まだまだヒヨッコの。冬鳥雛君。警察犬調教師とも、あろうものが。なんだい? 色気づいちゃったのかい? 香水をプンプンさせて。全く。警察犬調教師調教師の前でよくもまあ」
私の。ツンと上向きに。伸びた鼻。
鼻栓をしていても、ツンと突く匂い。
「プンプンだよ。冬鳥君」
「ちちち違いますようっ」
「冗談だ。知っているよ。そこの箱だろ。事件の匂いがプンプンだ」
「やめてくださいよ。もうっ。でも流石です。豚鼻探偵、武田花。そう呼ばれるだけのことはありますね。匂いで、やっぱり分かりますか?」
「プンプン。その呼び名は、やめてくれよ。冬鳥君。人より、犬より、警察犬より。ちょっと鼻が効くだけさ。事件の概要を言ってくれ。私は、もっとタマちゃんを。なでなでわっしゃしているからさ」
「事件自体は、器物損壊です。私の後ろにある、この透明な箱。というよりかは、部屋。と言った方がいいでしょうか? 『香りの試着室』というらしいです。高さ、」
「おお、わっさわっさ。首が良いの〜?」
「……cmの横幅で。こう見えて、気密性の高い構造になっています。そして、この真ん中に、アロマディフューザー? とでも呼ぶのでしょうか? 卵形で、香水を噴霧する、」
「わしわしわしっ。きゃっ。両手挙げて〜」
「……機械とテーブルは接着されていて、そのテーブルの足も、床に接着されています。これは、非常に強く、」
「なになになに、やっぱお腹が良いの〜?」
「……それを床ごと、外されて。指紋も発見できませんでした。って。聞いてますっ? 武田さん。あと、そんなに甘やかやないでください。警察犬なんですよ。厳しく躾けないと駄目なんですよ。私だって、本当は可愛がりたいのに。ずるいずるいっ。ほら。うーん。柔らかい。ふわふわだあ。わしわしわし。わしわしわし」
「こらっ。冬鳥君。警察犬調教師だろ。君はっ」
と、私は冬鳥君を叱る。
「武田さん。あなた、今まで散々、タマゴを甘やかしたじゃないですか」
「私の本業は、警察犬調教師調教師だ。人に厳しく。君は警察犬調教師だ。犬に厳しく。犬を甘やかして良いのは、私だけだ」
「そんなあ」
「さて。事件に戻ろう」
「クウンッ」
急に。なでられるのをやめられたタマゴが。
悲しそうに声を出した。
「さて。そこの『香りの試着室』。これは、気密性が高いと言っていたが、」
「ええ、部屋の真ん中にある、ディフューザーから出る香水。その匂いを外に逃さないように。扉はピッタリと閉まるようになっています」
「こんなペラペラな作りなのにか?」
「技術の進歩ですね。軽い透明なプラスチックの新素材を使用しているそうです」
「で。その部屋の真ん中に、」
「これです。部屋の中にもありますが、写真の方が良いでしょ。部屋の中には、まだ匂いが充満していますから」
「ふん。なるほど。床から伸びた。豆もやしみたいだな。細いテーブル。その上に卵型の機械。それと。今。部屋の中に匂いが充満していると言ったが、」
「ええ、昨晩設営が終わった後。cologne boost 。この会社の人達がセッティングをしているんです。そのときに電源を入れて、部屋の中を香りが満たすかどうか。きちんと確認をしています」
「その後は?」
「設営の人も、展示会社の人も、この会場から出ているはずです。正直裏を取っておらず。会場もスタッフなら、自由に出入りはできたということですので……」
「なるほど。で、朝、確認をしてみると、」
「ええ、朝。この会社の社長と秘書が直々に確認して。ディフューザーがテーブルごと、床ごと、引き抜かれていた。ことを発見したんです」
「容疑者は、簡単に絞れるだろう?」
「ええ、もちろん」
「なにしろ、この部屋は、香りの密室だったわけだから」
「ええですので。私とタマゴで捜査。臭跡追跡を行ったんです」
「それで?」
「……それが。セッティングをしたときの人達と。朝、ディフューザーが抜かれていたことを確認した社長と秘書。その人達。だけなんです。匂いがあったのは」
「ほう。なるほど。分かったよ」
「ええっ!」
「犯人は、」
「犯人は?」
「この中に、いないっ」
「いるんですっ。だってその四人しか、この部屋には入っていないんですもん。部屋に入ったら、絶対に匂いは取れませんっ」
「トップノート、」
「ミドルノート、ラストノートでしょ。武田さん。香水は時間によって匂いが変わる。初めの数十分。続く数時間。そして、一日を過ごした後の香り。ちゃんと。考慮してます。お風呂に入って、香料ありのシャンプーでもボディーソープでも使ったとしても。タマゴは分かりますっ」
「まだまだ卵だな」
「朝食のハムエッグは二人前食べますっ」
「半人前だよ。犯人を前にしているのに」
「えっ、武田さんが犯人?」
「違うよ。匂いさ。私の嗅覚では、鼻の先目の先。目の前さ。タマちゃんも、分かるはずだよ。君がちゃんと訓練をしていればね」
「そんな、私が。私の捜査が悪いっていうんですか?」
「そうさ。良いかい。人と犬。人犬一体となって、事件捜査に臨まなければ、真実は見抜けないよ」
「どうすれば、良いんですか?」
「冬鳥君。タマちゃんを。肩車しなさい」
「えっ? 肩車、ですか?」
「そうだ、頭の上に乗っけるんだ」
「はあ……。タマゴ、こっちおいで、こら。暴れないです。痛い痛いっ」
「クウンッ」
タマちゃんは、冬鳥君の頭にしがみつき。
高いのが怖いのか、怯えている。
「よし。それじゃ、もう一度。その『香りの試着室』に入って。天井の匂いを嗅がせるんだ」
「天井? 犯人は天井から侵入したんですか? だから、犯人の匂いが? いやでも、天井に穴なんてないですし。侵入した形跡も」
「犯人は天井から。侵入しなかったんだよ。御託は良いから。さっさと捜査を続けよう」
「……分かりました」
冬鳥君は、渋々。
香りの試着室の扉を開ける。
んぐわぁ。あまりの匂いにクラクラする。
室に入った冬鳥君は、タマちゃんを。
高い高いして。
天井の匂いを嗅がせた。
試着室から出てきたタマちゃんが。
私の顔の前。鼻の先に飛び降りる。
「よーしよしよし。タマちゃん。この匂いだぞ。コロンの匂いだ。いけるな?」
「ワンッ」
「ゴー。タマ、ゴー」
タマちゃんは短い足で駆け出した。
捕まえた犯人は、フードを被ったまま。
項垂れる、顔の真ん中には。
私と同じような豚の鼻がついていた。
何も言わない犯人。
冬鳥君は、私に尋ねる。
「どうして、タマゴは犯人が分かったんですか?」
「コロンブースの卵。いや、コペルニクス的転回。かな。単純な発想の転換だよ」
「はあっ、そうですか」
「……ねえ、犯人さん」
「……………………」
「黙秘権ですか。まあいいでしょう。そういうのは、警察の仕事ですからね」
「いや武田さん。犯人が言わないんだから、説明してくださいよう」
「はあ、簡単だよ。犯人は、『香りの試着室』をひっくり返したんだ」
「! びっくりを返した方が良いですか?」
「いらないよ。天井は床に。床は天井に。コロンブースの卵は、テーブルに。テーブルは床に固定されているから。宙吊りになっている形だね」
「あっ。なるほど。分かりましたよ。犯人はテーブルを床ごと引っこ抜いたのではなく。床をテーブルごと。試着室をひっくり返して、天井から、外から、貫いたんですね」
「早いな。推理が」
「ええ、そうですかあ」
「褒めてないよ。早すぎる。と言ったんだ」
「どういうことですか?」
「君の推理は当たっているけど。犯人は、部屋をひっくり返した後。待ったんだ」
「待った?」
「そう。待った。ただ。待った。数時間待った後。君の推理通り。天井から、床を破壊したんだ」
「どうして、そんなことを?」
「トップノート、」
「ミドルノート、ラストノートでしょ?」
「ボトムノート。さ。香水の成分には、重いものと、軽いものがあるんだよ」
「トップとボトム。上と。下と。あっ」
「気がついたかい? 早い早い。犯人は、部屋を逆さまにして、待つことによって、香水の軽い成分を天井に集めた。天井を破壊し、コロンブースの卵を壊して。そしてまた、『香りの試着室』をひっくり返したんだ。元通りに戻すようにね」
「犯人は、軽い香水しか、浴びてないっ」
「そう。君の捜査ミス。冬鳥君。君は、床から抜かれたものだと、早合点して、タマちゃんに、床の方の匂いしか、嗅がせなかったんだろう。タマちゃんは、重い香水。そして、その時間経過によって、移りゆく香り。そいつを追ってしまったんだ。その香りの行き着く先は、当然。香水の機械をセッティングした人達と、朝、試着室を開けて確認をした、社長と秘書の二人だけだろう」
「そうか。それで。天井の匂いをタマゴに嗅がせたのは、」
「軽い香水の匂い。そして、その時間経過によって移りゆく香り。訓練を、ちゃんと。優秀な警察犬調教師のもとで、受けているタマちゃんにとっては、朝飯前だろうね」
「うっうう。朝食のハムエッグ食べる前。卵ですら。私はなかったんですね」
「そう。がっかりするな。殻を破って、人は大きくなるもんだろう?」
「武田さんっ」
「おや、冬鳥君。警察のお出ましだ」
私は、警察に犯人の身柄を引き渡した。
「ふう。やれやれ一件落着だ。しかし。警察犬調教師や警察犬調教師調教師に捜査をやらせるなんて。まったく事件が多すぎるのか。人手不足なのか」
「そうですね。武田さん。人手が足りずに猫の手も借りる。猫に交番の時代ですからね。でも、豚に真実の時代でもあるんですから」
「ふがおっと。よしなよ天狗になっちゃう」
「ふふ、豚鼻探偵が天狗になっちゃ、駄目ですよね」
「どうだろうね。増長して象の鼻も。嗅覚が鋭いというよ。でもまあ、邪魔だろうね。さて。それじゃ、事件ない所に探偵は。長居は無用の長物。フランクフルトでまた会おう」
私は四本の足で。
東京ビッグオーバルを後にした。
デパートの一階。
出鼻くじかれる匂い。
卵のようにつるつるで白い肌。
おでこを出して、顔が露な美容接客員が。
前髪に隠れた私の顔を見て。目を背ける。
顔の真ん中。私の鼻は。
豚の鼻なのだ。
東京ビッグオーバル。
楕円形回転体の大きな展示場で。
cosmic cosmetic なんちゃら。
化粧品展示会はまだ始まる前。
設営は昨日までに終わっていて。
今は、ほとんど人の気配を感じない。
様々なブランドのブースが、
曼荼羅チャートのように並ぶ。
真ん中の文字は、きっと美だ。
その中の一つ。
cologne boost と看板があって、
試着室、フィッテングルームのような、
ものを一回り大きくした透明なものが。
いくつもある。ブースがあった。
「武田さん武田さんっ」
「ワンッ」
ブースの前には、警察犬調教師の、
「やあ、冬鳥君。久しぶり」
とその生徒犬。ポメラニアンの、
「おお、タマ。久しぶり。駄目だぞ。いくら嬉しいからって。お前は警察犬になるんだから。あんまり吠えちゃ。おお、よしよし。タマよしよし」
「やめてくださいよ。武田さん。タマって言うと。なんだか猫みたいじゃないですか」
「警察犬の卵のタマゴ。タマちゃんじゃないか。ああ、可愛いね。まんまる白くてふわふわカット。まるで卵だ」
わたあめのような毛並みを。
一通りわっしゃわっしゃ。
し。なでなでし。
冬鳥君に向き直る。
「それで、冬鳥君。まだまだヒヨッコの。冬鳥雛君。警察犬調教師とも、あろうものが。なんだい? 色気づいちゃったのかい? 香水をプンプンさせて。全く。警察犬調教師調教師の前でよくもまあ」
私の。ツンと上向きに。伸びた鼻。
鼻栓をしていても、ツンと突く匂い。
「プンプンだよ。冬鳥君」
「ちちち違いますようっ」
「冗談だ。知っているよ。そこの箱だろ。事件の匂いがプンプンだ」
「やめてくださいよ。もうっ。でも流石です。豚鼻探偵、武田花。そう呼ばれるだけのことはありますね。匂いで、やっぱり分かりますか?」
「プンプン。その呼び名は、やめてくれよ。冬鳥君。人より、犬より、警察犬より。ちょっと鼻が効くだけさ。事件の概要を言ってくれ。私は、もっとタマちゃんを。なでなでわっしゃしているからさ」
「事件自体は、器物損壊です。私の後ろにある、この透明な箱。というよりかは、部屋。と言った方がいいでしょうか? 『香りの試着室』というらしいです。高さ、」
「おお、わっさわっさ。首が良いの〜?」
「……cmの横幅で。こう見えて、気密性の高い構造になっています。そして、この真ん中に、アロマディフューザー? とでも呼ぶのでしょうか? 卵形で、香水を噴霧する、」
「わしわしわしっ。きゃっ。両手挙げて〜」
「……機械とテーブルは接着されていて、そのテーブルの足も、床に接着されています。これは、非常に強く、」
「なになになに、やっぱお腹が良いの〜?」
「……それを床ごと、外されて。指紋も発見できませんでした。って。聞いてますっ? 武田さん。あと、そんなに甘やかやないでください。警察犬なんですよ。厳しく躾けないと駄目なんですよ。私だって、本当は可愛がりたいのに。ずるいずるいっ。ほら。うーん。柔らかい。ふわふわだあ。わしわしわし。わしわしわし」
「こらっ。冬鳥君。警察犬調教師だろ。君はっ」
と、私は冬鳥君を叱る。
「武田さん。あなた、今まで散々、タマゴを甘やかしたじゃないですか」
「私の本業は、警察犬調教師調教師だ。人に厳しく。君は警察犬調教師だ。犬に厳しく。犬を甘やかして良いのは、私だけだ」
「そんなあ」
「さて。事件に戻ろう」
「クウンッ」
急に。なでられるのをやめられたタマゴが。
悲しそうに声を出した。
「さて。そこの『香りの試着室』。これは、気密性が高いと言っていたが、」
「ええ、部屋の真ん中にある、ディフューザーから出る香水。その匂いを外に逃さないように。扉はピッタリと閉まるようになっています」
「こんなペラペラな作りなのにか?」
「技術の進歩ですね。軽い透明なプラスチックの新素材を使用しているそうです」
「で。その部屋の真ん中に、」
「これです。部屋の中にもありますが、写真の方が良いでしょ。部屋の中には、まだ匂いが充満していますから」
「ふん。なるほど。床から伸びた。豆もやしみたいだな。細いテーブル。その上に卵型の機械。それと。今。部屋の中に匂いが充満していると言ったが、」
「ええ、昨晩設営が終わった後。cologne boost 。この会社の人達がセッティングをしているんです。そのときに電源を入れて、部屋の中を香りが満たすかどうか。きちんと確認をしています」
「その後は?」
「設営の人も、展示会社の人も、この会場から出ているはずです。正直裏を取っておらず。会場もスタッフなら、自由に出入りはできたということですので……」
「なるほど。で、朝、確認をしてみると、」
「ええ、朝。この会社の社長と秘書が直々に確認して。ディフューザーがテーブルごと、床ごと、引き抜かれていた。ことを発見したんです」
「容疑者は、簡単に絞れるだろう?」
「ええ、もちろん」
「なにしろ、この部屋は、香りの密室だったわけだから」
「ええですので。私とタマゴで捜査。臭跡追跡を行ったんです」
「それで?」
「……それが。セッティングをしたときの人達と。朝、ディフューザーが抜かれていたことを確認した社長と秘書。その人達。だけなんです。匂いがあったのは」
「ほう。なるほど。分かったよ」
「ええっ!」
「犯人は、」
「犯人は?」
「この中に、いないっ」
「いるんですっ。だってその四人しか、この部屋には入っていないんですもん。部屋に入ったら、絶対に匂いは取れませんっ」
「トップノート、」
「ミドルノート、ラストノートでしょ。武田さん。香水は時間によって匂いが変わる。初めの数十分。続く数時間。そして、一日を過ごした後の香り。ちゃんと。考慮してます。お風呂に入って、香料ありのシャンプーでもボディーソープでも使ったとしても。タマゴは分かりますっ」
「まだまだ卵だな」
「朝食のハムエッグは二人前食べますっ」
「半人前だよ。犯人を前にしているのに」
「えっ、武田さんが犯人?」
「違うよ。匂いさ。私の嗅覚では、鼻の先目の先。目の前さ。タマちゃんも、分かるはずだよ。君がちゃんと訓練をしていればね」
「そんな、私が。私の捜査が悪いっていうんですか?」
「そうさ。良いかい。人と犬。人犬一体となって、事件捜査に臨まなければ、真実は見抜けないよ」
「どうすれば、良いんですか?」
「冬鳥君。タマちゃんを。肩車しなさい」
「えっ? 肩車、ですか?」
「そうだ、頭の上に乗っけるんだ」
「はあ……。タマゴ、こっちおいで、こら。暴れないです。痛い痛いっ」
「クウンッ」
タマちゃんは、冬鳥君の頭にしがみつき。
高いのが怖いのか、怯えている。
「よし。それじゃ、もう一度。その『香りの試着室』に入って。天井の匂いを嗅がせるんだ」
「天井? 犯人は天井から侵入したんですか? だから、犯人の匂いが? いやでも、天井に穴なんてないですし。侵入した形跡も」
「犯人は天井から。侵入しなかったんだよ。御託は良いから。さっさと捜査を続けよう」
「……分かりました」
冬鳥君は、渋々。
香りの試着室の扉を開ける。
んぐわぁ。あまりの匂いにクラクラする。
室に入った冬鳥君は、タマちゃんを。
高い高いして。
天井の匂いを嗅がせた。
試着室から出てきたタマちゃんが。
私の顔の前。鼻の先に飛び降りる。
「よーしよしよし。タマちゃん。この匂いだぞ。コロンの匂いだ。いけるな?」
「ワンッ」
「ゴー。タマ、ゴー」
タマちゃんは短い足で駆け出した。
捕まえた犯人は、フードを被ったまま。
項垂れる、顔の真ん中には。
私と同じような豚の鼻がついていた。
何も言わない犯人。
冬鳥君は、私に尋ねる。
「どうして、タマゴは犯人が分かったんですか?」
「コロンブースの卵。いや、コペルニクス的転回。かな。単純な発想の転換だよ」
「はあっ、そうですか」
「……ねえ、犯人さん」
「……………………」
「黙秘権ですか。まあいいでしょう。そういうのは、警察の仕事ですからね」
「いや武田さん。犯人が言わないんだから、説明してくださいよう」
「はあ、簡単だよ。犯人は、『香りの試着室』をひっくり返したんだ」
「! びっくりを返した方が良いですか?」
「いらないよ。天井は床に。床は天井に。コロンブースの卵は、テーブルに。テーブルは床に固定されているから。宙吊りになっている形だね」
「あっ。なるほど。分かりましたよ。犯人はテーブルを床ごと引っこ抜いたのではなく。床をテーブルごと。試着室をひっくり返して、天井から、外から、貫いたんですね」
「早いな。推理が」
「ええ、そうですかあ」
「褒めてないよ。早すぎる。と言ったんだ」
「どういうことですか?」
「君の推理は当たっているけど。犯人は、部屋をひっくり返した後。待ったんだ」
「待った?」
「そう。待った。ただ。待った。数時間待った後。君の推理通り。天井から、床を破壊したんだ」
「どうして、そんなことを?」
「トップノート、」
「ミドルノート、ラストノートでしょ?」
「ボトムノート。さ。香水の成分には、重いものと、軽いものがあるんだよ」
「トップとボトム。上と。下と。あっ」
「気がついたかい? 早い早い。犯人は、部屋を逆さまにして、待つことによって、香水の軽い成分を天井に集めた。天井を破壊し、コロンブースの卵を壊して。そしてまた、『香りの試着室』をひっくり返したんだ。元通りに戻すようにね」
「犯人は、軽い香水しか、浴びてないっ」
「そう。君の捜査ミス。冬鳥君。君は、床から抜かれたものだと、早合点して、タマちゃんに、床の方の匂いしか、嗅がせなかったんだろう。タマちゃんは、重い香水。そして、その時間経過によって、移りゆく香り。そいつを追ってしまったんだ。その香りの行き着く先は、当然。香水の機械をセッティングした人達と、朝、試着室を開けて確認をした、社長と秘書の二人だけだろう」
「そうか。それで。天井の匂いをタマゴに嗅がせたのは、」
「軽い香水の匂い。そして、その時間経過によって移りゆく香り。訓練を、ちゃんと。優秀な警察犬調教師のもとで、受けているタマちゃんにとっては、朝飯前だろうね」
「うっうう。朝食のハムエッグ食べる前。卵ですら。私はなかったんですね」
「そう。がっかりするな。殻を破って、人は大きくなるもんだろう?」
「武田さんっ」
「おや、冬鳥君。警察のお出ましだ」
私は、警察に犯人の身柄を引き渡した。
「ふう。やれやれ一件落着だ。しかし。警察犬調教師や警察犬調教師調教師に捜査をやらせるなんて。まったく事件が多すぎるのか。人手不足なのか」
「そうですね。武田さん。人手が足りずに猫の手も借りる。猫に交番の時代ですからね。でも、豚に真実の時代でもあるんですから」
「ふがおっと。よしなよ天狗になっちゃう」
「ふふ、豚鼻探偵が天狗になっちゃ、駄目ですよね」
「どうだろうね。増長して象の鼻も。嗅覚が鋭いというよ。でもまあ、邪魔だろうね。さて。それじゃ、事件ない所に探偵は。長居は無用の長物。フランクフルトでまた会おう」
私は四本の足で。
東京ビッグオーバルを後にした。

