聴かせてよ、君の声を。


 春。二年になり、クラスの顔ぶれも変わった。一年の時からの同級生や中学の時の友だちも何人か一緒だったので、話し相手に困らないことは救いだろう。放課後は週に四日ほど塾に通うようになり、時間を持て余すこともなくなった。

 陸上部の連中とも普通に仲良くやれていると思う。心の内を悟られないように、いつもの笑顔で本音は覆い隠したまま。

 けれども頑張って、とかける言葉に嘘偽りはなくて。走ろうと思えば走れるが、それでは自分自身が納得できない。もう未練はないと思っていながらも、やはりグラウンドが目に入ってしまう。

「わぷっ」

 ぼんやりと廊下で窓の方を見つめていたら、背中に誰かがぶつかってきた。こんな場所で立っていたせいだろう。首だけ軽く後ろに回すと、頭だけが見える状態で。弥玖(みく)はここ数ヶ月でさらに三センチくらい身長が伸びたため、その生徒とは三十センチくらいの身長差があった。

「ご、ごめんなさい……っ」
「いや、俺の方こそごめん。こんなところで立ってたら邪魔だよね」
「そ、そんな! 僕の方こそ、下ばっかり見てたせいで……えっと、その、怪我とかして、ない?」
「俺は立ってただけだからなんともないよ? それより水沢のそれ、」

 女子かと思ったら普通に男子生徒で、しかも同級生だった。水沢詩音。長い前髪と俯いているせいで表情がほとんど見えない。少し眼鏡がずれているのが気になって、弥玖は屈んでそっと直してやった。

 本人はいっぱいいっぱいなのか、顔を真っ赤にして必要以上に動揺しており、眼鏡がずれていることにも気付いていないようだったからだ。

「これで大丈夫?」
「あ、えっと、えっと……あ、ありが、とう」
「どういたしまして」

 ぎゅっと目を瞑って、一生懸命に絞り出した台詞。何の変哲もないその「ありがとう」に、自然と笑みがこぼれた。同じクラスの生徒なのにまともに話したことがなかったかもしれない。そもそも、彼が誰かと話している姿を目にした記憶があまりない気もする。

「顔上げて、前を見て歩くといいよ。俺が言うのもなんだけど、下ばかり見ていたらまた誰かにぶつかっちゃうかもしれないし」
「……う、うん! 頑張る」
「いや、頑張らなくてもいいんだけどね」
「…………ご、ごめんなさい……」
「いや、そんなに絶望したような顔で落ち込まなくても大丈夫だから」

 自分の言葉でころころと変わる表情に、なんだか癒された。

 それは今まで女の子たちから向けられていた表情でもなく、友だちから向けられる表情でもない。なんだか放っておけない小動物? そんな印象。

 一週間後。

 たまたまいつもより少しだけ遅くなった朝。たまたま教室の入り口にいるのを見つけて、このクラスになって初めて挨拶をしてみた。おはよう、と声をかけてみたものの、突然すぎて動揺してしまったのか、返事がなかなか返っては来ず。

 その間に中学からの友だちである中野に声をかけられ、そちらに移動した。離れた頃になにか聞こえた気がしたが、会話をしていたこともあってそれ以上のやりとりはできなかった。

 水沢詩音は教室で誰かと一緒にいるイメージはなく、現にいつもひとりで行動している。お昼も休み時間も放課後も。

 いじめられているわけでも仲間外れにされているわけでもない。特に誰かとの会話で名前が出ることもない。そんな地味で目立たない生徒。

(なんで俺は水沢が気になるんだろう?)

 なんとなく、初めの頃の【水無月レオ】みたいで。今ではたくさんの視聴者の前で楽しそうに会話をしている推しだが、数ヶ月前に出会った頃はもっとおどおどしていたのだ。数人の視聴者を相手に歌を歌っていたあの頃。

(俺ってもしかして過保護なのかな?)

 そういう子を守ってあげたいと思ってしまったり、助けてあげなきゃと思ってしまうのは、心配性だから? 相手は同性なのに?

(性別はあんまり関係ないのかもしれない。そういう子がほっとけないだけで)

 放課後。

 弥玖は塾に行くため、中野たちは駅前のゲームセンターに立ち寄るため、途中までこの四人で歩いていた。いつもの特に中身のない会話をしながら時間を潰していたその時、中野が首を傾げる。

「あれ? あの眼鏡くん、水沢じゃね?」

 中野はカラオケ店の方を指さして、そこにいる同じ制服の男子生徒を遠目で見ているが、他の同級生たちは特に興味もない様子だった。

「誰? あんなやついたっけ?」
「一緒にいる奴……イケメンだけどなんかガラ悪くないか? 友だち? なわけないよな。大学生くらい? もしかして絡まれてるんじゃ」
「年上の友だちか知り合いなんじゃないか? ほっとけって」

 その数軒隣にあるゲームセンターが目的地なこともあって、中野以外のふたりは「行こうぜ」とさっさと先に行ってしまう。足を止めていた中野も気にはしていたものの、特別なにか行動するわけではなかった。

「俺はこっちだから」
「おう、じゃあまた明日な」

 弥玖が反対方向に視線だけ向けてそう言うと、中野もそのまま同級生たちの方へと駆けて行った。

(大丈夫かな? 知り合いっていう感じの雰囲気でもなさそうだけれど)

 中野が言うように、絡まれている可能性だってある。そうこうしている内に、ふたりはカラオケ店の中に入って行ってしまった。スマホの時計表示とカラオケ店の入り口を何度か交互に見た後、弥玖は歩き出す。

 向かう先は、塾ではなくカラオケ店。

(知り合いなら別にそれでいい。でもなにかあってからでは遅いし、見て見ぬふりなんてできない)

 迷っている場合ではない。

 弥玖はふたりを追ってカラオケ店に入る。店員の後ろにパネルがあり、部屋番号とそれぞれの室内写真が並べられていた。明るいパネルは空室で暗くなっているのがすでに使用中の部屋なのだろう。

 気付かれないようにふたりがどの部屋を選んだのかを確認し、エレベーターに乗ったところで受付に声をかける。

「七号室は空いてますか?」

 ただ心配だったから?
 それともなにかが引っかかるから?
 その理由の答えはある?

 部屋に入り、とりあえず六号室側の壁際に座った。歌っている様子はなく、逆になんのためにいるのか不思議でならない。ただ会話を楽しんでいるようにも思えないが、特に心配するようなことは起こらないまま、少し経った頃。

「……え? なんで?」

 スマホをいじっていた指先がぴたりと止まる。壁越しに聴こえてきたその歌声は、もう何百回と聴いてきた歌声にそっくりで。

「それに、もうひとりの声も……聞いたことある」

 スマホの画面に視線を落とし、ちょうど開いていた動画投稿サイトのとある歌みた動画のサムネをタッチした。カラオケ画面から流れている音を下げ、スマホから流れてくる音を上げる。

 その動画は、【水無月レオ】と【如月らいと】が歌みた動画でコラボした、再生回数八十万回以上を記録しているオリジナルMVだった。