ドリンクバーで烏龍茶を選択した後、先に選び終えて待っていた輝の後ろを数歩離れてついて行く。詩音の足取りは正直めちゃくちゃ重かった。何を話したらいいのか。そもそも会話は成り立つのか。
(お願いだから、彰兄早く来て!! 一分でも早く!! なるべく急いで!!)
すでにキャパオーバーな詩音の目は虚ろだった。
【水無月レオ】と【如月らいと】としてオンラインでコラボしたことはあれど、リアルではほぼ初対面といっても過言ではないため、不安しかない。
フロントから狭いエレベーターに乗り込み、二階のボタンを押すと、ほんの数秒で扉が開いた。
「えっと、ここだな」
エレベーターから降りてまっすぐ続く通路。左右交互に番号がふられた扉を確認しながら、『6』と書かれている扉の前で輝は立ち止まる。
一階がフロントで二階と三階がカラオケルームになっているタイプの店で、ここは二階。どうやら手前の部屋まですでに人が入っているようだった。
輝が詩音を先に中に入れ、開いていた扉をそのまま閉める。四人くらいで歌うには丁度よさそうな広さの部屋で、照明は点いていなかったが通路側の明かりもあるためじゅうぶんだった。
「微妙に音もれしてるけど、ここんちの防音設備どうなってるんだ?」
「……こ、このあたりはここくらいしか、カラオケ店、ない……から、」
自分に対して問いかけてきたのだと思った詩音は、もごもごとしながらもなんとか答える。いつもは兄の彰人か姉の寧々が付き添ってくれて、歌の練習をする場所でもある。
確かに音もれは完全には防げておらず、無音になると隣の部屋の歌声が聞こえてきたりするのだが、歌っている時は集中しているためか今まで特別気にしたことはなかった。
「そっか。俺の住んでる所、ここから二つ先の駅なんだけど。そこにあるカラオケ店だと防音しっかりしてるから、今度一緒に行ってみる? マイクもいいヤツ使ってるから歌いやすいし」
「え? そうなんですか? 行ってみたいかも……」
はっ!? と途中まで言いかけて、詩音は時間差で何かに気付く。輝の素敵すぎるお誘いに簡単に頷いてしまったことに、自分でもびっくりしていた。
こんなに自然に他人を誘う言葉がすらすらと出てくるなんて、さすがトークが上手い配信者は違うなぁと感心してしまう。
「ええっと……その、いつか……という意味で」
「はは。おもろー。彰人から聞いてたけど、思ってたのと違うかも」
それは良い意味で? それとも悪い意味で?
詩音がさあぁあと真っ青になって棒立ちしていると、すでに座ってメニュー表を見ていた輝に「早く座りなよ」と促される。
「激甘なの食べたい気分。詩音はなんかいる?」
「だ、大丈夫です……」
L字の一番狭い方の端にちょこんと縮こまるように座り、画面のちょうど正面にいる輝とはしっかり距離をとって様子を窺っていた。なんかいる? と急に言われても、心の準備が追いつかず欲しい物も上手く答えられない。
「じゃあ適当に頼むから、責任もって食べろよ?」
「え? 僕がですか?」
「当然。ほら、早く決めないと適当に頼んじゃうぞ~。なに食べたい?」
けらけらと笑いながら輝はメニュー表を詩音に渡し、内線に手をかける素振りをしながら焦らせてくる。兄と同い年の二十五歳。いつも穏やかで周囲に気を遣う彰人。一見意地悪そうに見えるが、遠回しに詩音の自主性を引き出そうとしてくれているのだろう輝。なんだかもう一人兄が増えたかのような錯覚を覚えた。
「……えっと、じゃあ……苺パフェを」
「お、いいね! 甘党仲間じゃん。あ、苺パフェとふわふわパンケーキひとつずつで。はい、お願いしまーす」
オーダーを内線で頼み終え、数分後に店員さんが運んできてくれた。その間、輝はタブレット端末を操作しながら、興味があるのかないのかわからない定型文のような質問を詩音にしていて、詩音は詩音で言葉に詰まりながらも真面目に答えていた。そのおかげで無言という気まずい地獄は回避できたわけだが。
「とりあえずコラボ配信は歌枠にして、繋ぎは俺が上手くやるから任せろ。あとは選曲をどうするか、だけど」
「えっと、前に一緒に歌った曲は入れたい、です」
「それは俺も思った。どっちのリスナーも聴きたいだろうし、期待してると思う。あとは流行りの曲も入れときたいな。歌い手界隈で定番の曲も外せないから、共通で動画出してる曲ある?」
お互いに頼んだデザートを食べながら、コラボ配信の話を始める。
気が付けば会話にも慣れてきて、本番を想定したセットリストを作ってふたりで練習する流れになった。配信は二時間程度。合間にトークもすることになるが、なにを話すかも大体決める。最終的にはアドリブが多くなるだろうが、そこは輝がフォローしてくれることになった。
そして一曲目の歌い出し。詩音がマイクを握り、最初の一音を出したその瞬間。薄暗い部屋の雰囲気が、一瞬にしてキラキラとした明るい空間に変わったかのような、不思議な感覚を覚えた。輝はそれに引っ張られて自分のパートを危うく歌い損ねるところだったが、なんとか気を取り直して歌い出す。
(歌うと別人になる、って変わりすぎだろ。表情まで違うとか、面白すぎ)
輝は輝で持ち前の器用さで難しいフレーズを難なく歌い上げる。
(如月らいとの声だ……生歌もやっぱり上手い! 話してる時よりちょっと高めなのも、声音を自由自在に操れるのも、本当にすごい)
全く違う色の声音が重なって、まるで心地好い音楽を奏でているような気分になる。本番はこのカラオケ音源ではなく、配信しても良い音源を使ってやるのだが、この感じなら全然問題ないだろう。
一曲目、二曲目と連続で歌い、ワンフレーズごとだったりちょうどいい区切りで交互に歌ってみたり、曲の終了に合わせて適当にトークを挟んでみたりと、一時間くらい歌った頃。
「……あ、僕、ドリンク持ってきます」
「オッケー。じゃあ俺はトイレ行ってこよっと」
詩音は空になったグラスを手に、エレベーターの前に用意されていたドリンクバーに向かい、輝はその途中にあるトイレの方に入って行った。
すでに二階の部屋は満室になっているようで、すべての扉が閉まっている状態だ。確かに輝が言っていたように、歌っている声とカラオケの音が各部屋から混ざって聞こえてくる。
(歌う、は……僕にとって一番大切な時間)
昔から歌や音楽に触れる機会があった。母親の影響もあって、小さい頃から家族の前限定だったが下手なりに自信満々で歌っていた。いつからか、他人の前でなにかをするのが怖くなって、歌うことを止めた時期もあったけれど。
色々あって、ライブ配信という世界に飛び込んだ。きっかけは彰人の「やってみたらいい」のひと言だったが、あの時踏み出すことすらしなかったら、今の自分はいないだろう。
「水沢?」
え? と詩音は背中に投げかけられたその声に思わず指を止める。注がれていた烏龍茶も同時に止まり、代わりに心臓がびくんと大きな音を立てた気がした。固まったまま動かない詩音を心配したのか、その声の主は隣にやって来て……。
「やっぱり水沢だ。こんなところで会うなんて奇遇だね」
直視できないレベルの眩しい笑顔をその端正な顔に浮かべながら、アニメでよく聞く王子様のような優しく爽やかな声で、結城弥玖は詩音に微笑みかけるのだった。



