聴かせてよ、君の声を。


 高校二年の春。

 二年三組。教室に生徒たちの明るい声が響く。会話をしながら仲良く入ってくる子たちもいれば、教室に入ってくるなり近くにいた同級生に声をかけている子もいる。

「おはよ~」
「おはよ。昨日の〇〇の動画見た? めっちゃ面白かった」
「うんうん、あの嘘っぽいリアクションがまたいいよね」

 進路に応じたクラス替えがあり、馴染みのある顔も数人いるが、まったく関わりのない同級生ももちろん多い。そもそも一年の時からほとんど会話を交わしていないこともあって、色んな意味ではじめましてだったりもする。

(もう一ヶ月経つのに、まだ挨拶さえまともにできてない……少しは自分に自信も持てるようになったと思ってたけど、やっぱり対面だと上手く言葉が出てこない)

 教室の扉はすでに開かれており、こそこそと詩音(しおん)はなるべく気配を悟られないように背中を丸めて、目立たないように静かに足を踏み入れようとしたその時、

「おはよ、水沢」

 後ろの上の方からめちゃくちゃ優しい王子様ボイスが降ってきた。振り返らずともその声の特徴を知っていた詩音は、思わず足が止まってしまう。

「お、お、お……おは……」

 162センチと男子高校生にしては背の低い方の詩音は、背中を丸めるとますます小さく見えてしまう。そこに突然の同級生からの挨拶によって動揺しまくり、挙動不審な状態に陥ってしまった。頑張って挨拶を返そうと口を動かそうとするも、おはようの四文字すら上手く言葉にできない。

「あ、おはよ~結城! 今日もマジでイケメンだな」
「それはどうもありがとう」

 慣れた様子でその男子生徒はにっこりと笑顔で返す。結城(ゆうき)弥玖(みく)。身長190センチの高身長、二年生で彼を知らない生徒はいないというくらい超有名な、国宝級の顔面を持つイケメン。

 芸能人やアイドルと言われたら信じてしまうくらいのその顔面偏差値と、王子様のような優しい性格と声、欠点など探しても見つからなそうな完璧すぎる立ち振る舞いから、詩音とは高級食材と水道水くらい格差のある存在である。

 せっかく声をかけてもらえたというのに、緊張しすぎて顔を見ることすらできず、挨拶すら返せないまま、詩音の横を通り過ぎて他の男子生徒と一緒に自分の席に行ってしまった。

(……はあ。めちゃくちゃ焦った……結城くんに初めて挨拶された……)

 たまたま教室の入り口付近にいたせいだとはわかっていても、せっかく声をかけてもらえたというのに、無視したような感じになってしまったかもしれない。特にそれに対して彼が何かぼやくこともなかったが、印象は良くなかったはずだ。

(結城くんに限らず、他のみんなの顔もまだまともに見れてない……こんなんじゃまた、ぼっちで一年過ごすことになるかも)

 視線を合わせるのもかなりのハードルの高さで、会話なんて続くはずもない。挨拶もまともにできないなんて、このままじゃ絶対にダメだとわかっているけれども。

(配信だとコメントしてくれるみんながいて、話題も尽きないっていうか。リアルだと頭が真っ白になってなにも思い浮かばないし、なによりも反応が怖い……やっぱりこのまま、ひとりで静かに過ごすのが一番だよね)

 はあ、と何度目かのため息をつきながら自分の席に座り、詩音はカバンを机の上に置いた。朝一でイレギュラーは起きたが、その後は通常通りの日常が保証されていた。

 授業を真面目に受け、昼休みは賑やかなクラスのみんなの会話をBGMにひとりで弁当を食べ、授業を受け、気付けば放課後になっていた。

(あれ? (あき)兄からだ……なんだろ)

 カバンからスマホを取り出して画面を見ると、メッセージアプリのアイコンの通知が出ていたので首を傾げる。今日は月曜日で、特に何も予定は入れていないはずだ。詩音は不思議に思いながらアプリを開いて内容を確認してみる。

『昨日話したコラボ配信の件だけど、佐々原が顔合わせがてら詩音と打合せしたいって言ってて、なんにもなかったら放課後にいつもの場所でって言ってるけどどう?』

 佐々原(ささはら)(ひかる)。兄、彰人の知り合いで、【如月らいと】の中の人(・・・)である。詩音は【水無月レオ】として一緒にコラボ配信をしたり歌の動画を出したことがあるが、詩音として会ったことは実はなかった。

 コラボ配信はオンラインでやったし、歌の方は個々で自分のパートを録音して提出しただけだった。実は彰人と一緒にいるのを事務所内で目撃したことはあるのだが、手を振られたので慌てて頭を下げたくらいで、会話は交わしていない。

(彰兄もいるならなんとかなる、かな? いつもの場所……駅前のカラオケボックスのことだよね)

 詩音は場所と時間を確認するメッセージを送り、軽い気持ちでOKを出した。ひとりだったら絶対に無理と断るが、彰人がいてくれるなら問題ないだろう。しかし学校を出て駅前のカラオケ店の近くまで歩いてきたところで、学校指定の茶色い学生カバンの中で着信が鳴る。

「もしもし……、彰兄? もう少しで着くけど」
『あ、ごめん詩音! 急に外せない用事が入って一時間くらい遅れそうなんだ。佐々原には先に連絡入れたんだけど、もう店の近くにいるらしくて。悪いけど、ふたりだけで始めててくれるか? 俺も終わったら必ず行くから!』
「え⁉ む、無理! ちょ……彰兄⁉」

 詩音が周りの視線を気にするように囁き声で必死に訴えるも、彰人は本当に慌ててかけてきたのだろう、用件を伝えてすぐに通話が切られてしまった。絶望的なオーラを纏ってスマホを握りしめていた詩音の正面方向から、「あ、いたいた!」と声をかけてくる人物がいた。

「彰人の弟くんだよな? あいつと全然似てねーから声かけるの一瞬びびった」

 はきはきとした聞き取りやすい良い声と台詞の軽さから、「全然そんな風には見えませんが?」と返したかったが、そんな高等テクニックは持ち合わせておらず、詩音はその顔を認識するのでいっぱいいっぱいだった。

「佐々原輝。そっちは水沢詩音で間違いない? こうやって話すのは初めて、だよな。ちなみにさっきの全然似てねーは、あっちが社長似でお前がアイラさん似だからってことで、他意はないから」

 社長とは詩音の父、界人(かいと)のことで、アイラとは母、(あい)の昔の芸名である。父は元大手芸能事務所の社員で、数年前に独立し自身の事務所を開業した。【水無月レオ】と【如月らいと】を含むVチューバーや配信者五人が所属する「サティオ」の社長で、母は事務作業やその他の雑用などをすすんでやってくれている。

 ちなみに兄彰人は配信者たちのマネージャー的な仕事をこなしながら、本業のWEBデザイナーやMIX師として事務所に貢献していた。詩音にはもうひとりきょうだいがおり、五歳上の姉の寧々(ねね)は、絵師としてV体のデザインやサムネ用イラスト、歌の動画などを手掛けている。

 つまり、水沢家全員で事務所を支えているといっても過言ではない。

 輝は【如月らいと】としてVチューバーをしてはいるが、元々は顔出しもしているゲーム実況者。ASMRや雑談配信、歌、口元だけ隠した実写動画など、基本なんでもやっているイメージである。

 メロいと定評のあるイケボと面白トークのギャップで視聴者を魅了し、動画サイトの登録者数は五十万人以上。

 実際の見た目は、男性ボーカルグループにいそうなお洒落な韓国系のメンズファッションでまとめた黒系の服装。指輪にピアス、高そうなアクセサリー。それがちゃんと似合う背の高いすらっとした体系。真ん中分けのクセがついた黒髪、襟足長めというチャラさと、整った顔立ちが周囲の目を惹く。

「じゃあさっさと入ろうぜ」

 一方は普通高校の制服。地味眼鏡。輝と並んだら透けてしまうほどの存在感の薄さ。詩音は肩に置かれた手に気付かないくらい脳の処理が追いついておらず、いつも以上に頭が真っ白になっていた。

(ど、ど、ど、どうしよう!)

 そんな詩音の心の声など届いているはずもなく、輝はスムーズに受付を終わらせ、ドリンクバーのグラスと部屋番号が入った小さなバインダーを手に戻って来るのだった。