聴かせてよ、君の声を。


 カフェを出て、人通りの多い駅前を歩く。いつもなら弥玖の方から話しかけてくれるので、詩音はそれに対して拙いながらも一生懸命答えていたつもりだった。

 よくよく考えてみれば、さすがにイライラしていた可能性だってある。顔に出さないだけで、本当はうんざりしていたのかもしれない。

「ちゃんと前見て歩かないと危ないよ?」

 手を引かれ、詩音は一気に現実に戻された。目の前に一瞬見えた人影から逃れる代わりに、弥玖の声がすぐ上の方から聞こえてくる。気付けば、背中に自分のものとは違う体温を感じた。

「……ご、ごめんな、さい」
「謝らなくてもいいよ。全然気にしてないから。むしろご褒美というか」
「え?」
「心配だから、このまま俺の近くにいて?」

 繋がれたままの左手が心地好い。女の子だったら、きっとみんなが好きになってしまうだろう。優しくて、格好良くて、自然とこんな風に立ち回れる弥玖が、同情だけで自分のような面白くない人間と一緒にいてくれるのはなぜなのか。

 夕暮れ時。染まった頬。眼鏡の奥で視界が歪んだ。優しくされればされるほど、勘違いしてしまう自分が浅はかで、恥ずかしい。顔が上げられない。手を引かれるままついて行った先。

 そこはいつも行く駅前のカラオケ店だった。

 受付を済ませ、エレベーターに乗り、あの時と同じ六号室の扉を開ける。促されるまま座り、微かに聞こえるBGMと隣の部屋から漏れてくる女性の歌声が耳に届く。

 懐かしい曲。
 ふと、あの日のことを思い出す。

「水無月レオ」

 弥玖の口から突然発せられた聞き覚えのある名前に、詩音は言葉を失う。

「俺が一年の時に怪我で部活を辞めて少し経った頃。偶然見つけた歌い手Vチューバー。あの日から俺は、レオの歌声に救われてる人間のひとり」

 スマホの画面を表にして置き、そこに映し出された【水無月レオ】に視線を落として小さく笑った弥玖。なにを言わんとしているのか、ここまできてわからないはずもなく。

 あの日。
 ドリンクバーの前で話しかけてくれた時から。
 詩音がレオであることを知っていたのだ。

「店の前で男の人に絡まれているように見えたから、心配で後をつけた。なにもなければ帰ろうと思って、隣の部屋にいたのは事実。水沢の歌声を聴くまで、知らなかったのも事実。ドリンクバーの前で声をかけたのは、偶然じゃない」

「……毎朝、僕に声をかけてくれたのも、お昼に一緒にいてくれたのも、今日のことも、ぜんぶ……僕がレオだって知ってたから?」

 詩音を見てくれていたのではなくて、詩音にレオを重ねて見ていたから?

「最初は興味本位で近づいた。いつも下ばかり見ている水沢の顔を正面から見てみたくて。いつも最後まで聞けない言葉を、ちゃんと聞いてみたくて」

 弥玖は話しながらスマホの画面を操作し、ある画面を表示させた。

「登録者数も増えて、たくさんのリスナーに歌声を届けてるレオにとって、その他大勢のリスナーのひとりでしかないけれど」

 そこには【ゆきしろ】というアカウント名で書き込まれたメッセージが表示されており、詩音は「これ……」と無意識に声が漏れる。

 そこには、この前のコラボ配信の後に送られてきたDMが一番上に表示されていたから。

「この数日、一緒にいて気付いたことがある。自分でも驚いてて。それを口にしたらもう、今までみたいに気軽に話せなくなるかもってわかってても」

 周りの変化が焦らせる。
 本当は自分だけが知っていたかった。

 他の誰かが詩音に話しかけている姿を見るだけで、もやもやした黒い感情が自身の中に浸透していくのが怖くて。

「俺は、我儘だから。水沢が笑ったり、一生懸命に言葉を選んで話してくれる姿を、他の誰にも見せたくない。誰かにとられる前に、自分の気持ちを伝えたいって思った」

 弥玖が詩音と一緒にいるせいで、クラスのみんなが詩音に興味を持ってしまった。自分だけに見せて欲しい表情、かけてくれる言葉。ずっと見てきたレオとは真逆の、水沢詩音という同い年の同級生。

 いつの間にか隣に腰を下ろし、弥玖は詩音の顔を横から覗き込むように見つめてくる。

 近すぎる距離感に逃げ出したくなるかと思ったが、できなかった。触れられた手が先ほどまでとは違いひんやりと冷たくて、弥玖が緊張しているのが伝わって来たからだろう。

「俺は水沢が好きかもしれない」

 それでも、躊躇うことなく口にした告白。
 重なった視線を、逸らすことができなかった。