私が死んだ時、貴方は何を言うのでしょうか。
 私が死んだ時、貴方はどんな顔をするのでしょうか。
 私が死んだ時、貴方は何を思うのでしょうか。
 私が死んだ時、貴方はどれだけ笑い飛ばしてくれるでしょうか。
 私はそれを見られないのが酷く残念です。
 私は茹だる夏の夜に、病に侵されて死にます。
 私の散り際は、花のようでしたか。


 貴方が居た記憶の中で、よく覚えているのは、ある春の日です。陽射しが暖かくて、でも冷たい風が肌を舐める。まるで猫を撫でるのと同じような暖かさの、そんな日。丘の入口の、一本の樹の影で眠っている貴方は私が近付くと、ゆっくりと、自身が持つその薄い目蓋を持ち上げました。まだ少しの微睡みを湛えた焦茶の()のせいで、私は恋を知りました。貴方がかわいいと言ったので、私は照れました。身体の傍を風が通り過ぎる度、貴方の頬を染めあげて行くのを、私は密かに見守っていたのですよ。
 大きく空気を吸い込み、花が芽吹くのを鼻腔で感じて、それを一頻り味わった後、花の香り、陽溜りの香り、春の香りの全部が飽和する空気を、呼吸をする度に肺に貯めていく。そうすると自分の血液に春が流れて、巡って、やがて身体中に花が咲くのです。私は、私自身を、散ることに怯える花と、錯覚してしまって、恥じらい。あの時の貴方には内緒ですよ。
 あの樹には、花がよく咲いていましたね。柔らかい風に吹かれて静かに佇んでいましたが、妙に官能的で、まるで女でした。華美な装飾をしなくとも、観客を酷く感傷的な気持にさせるのは、花も女も同じでした。でも、咲いた姿が頬を赤らめた少女のように、散る姿が軽々とした歩幅の、可憐な少女にも見え、女は少女に戻れないので、負けました。貴方は、何を思いましたか。一緒だったら嬉しいし、違うならば、あの時訊くことのできなかった私が憎いです。

 思えばあの日が、花の一番綺麗な日でしたね。満開。本当に、花が満ちていた。花で満ちていた。私の十九年という短い人生の中で、殿堂入りとも言っていいほどあれは、美しかった。きっと一人で見たらなんて事無いのでしょうけど、貴方が傍に居て、同じ風を浴びて同じ空気を吸って、脈拍が揃う感覚が、なんと言いますか、私初めて、過ぎる時間を愛おしいと感じたのです。散りばめられた刹那の光が毎度胸を突いて、たった一瞬の風景を光陰の間捕らえてしまいたくて、印象派画家の気分。この気持を貴方にありありと伝えたいのですが、言葉では物足りないのですよ。言葉如きが紡げないのです。もっと、中のことなのです。だから、貴方と感覚で繋がれないのが、もどかしい。
 あの晩から東雲の時間にかけて大層な雨が降って、花は散りました。花というのは、呆気なく散るもので、また負けました。私もあんな風にひらりと未練なく軽々死ねたら、どれだけ良いのでしょうね。散った花弁はみんな、水溜まりの凪いだ水面に浮かんでいました。死んだ後も目を引くか、ともはや妬ましい。でも花は、数時間で美しさが流れてしまう。茶色く変色して、もっと小さく萎んで、まるで枯葉ね。行き交う人々の足の下、流れる川の流れの下。まるで惨めで、だからそれだけは勝てたのです。

 夏になって、新緑の季節に外れた茶色の葉を見ました。貴方も一緒に見たかと思います。私は、病葉(わくらば)を見たのでした。たった一人浮いた葉に哀れみを寄せた時、周囲から寄せられる私への視線の意味をようやく理解しました。病葉は、彼は、私のようでした。それでも貴方は、貴方だけは、青い葉と同じように私を愛でてくれましたね。蝶よ花よと言って、まるで家族でしたね。お陰で私、少女だった。
 私思うに、人は愛の為に生きていて、愛を知ることが人の意味なのです。だから私は死ぬのです。貴方のせいで早くに愛を知ってしまって、愛することを解ってしまって、その為に死ぬのです。だから貴方のせいですよ。幸せです。

 私、貴方の感性が愛おしかった。貴方は、芸術を鑑賞すると必ず、未完ほど美しいものは無いと仰いましたね。それは例えば、一生進歩を続けるものなのでしょうか。それとも、途中で放棄されたものなのでしょうか。もしくはその両方ですか。
 愛を理解した私は、美しくないですか。作者が未完と題して世に放った作品は、本当に未完でしたか。貴方のその価値観はどこから適応されるのか、夜になると気になってしまうのですが、答えを知るのは野暮だと思うのです。だから私には教えてくださらなくて結構です。
 貴方のことを知ろうとすればするほど、煙に巻かれました。貴方の奥を知るのは至難の業で、どれだけ腕の良いカウンセラーでも必ず苦戦するでしょう。貴方の心は、壁がとても分厚いのか、それとも深海の形をしているのか。私は後者だと嬉しいし、そう思ってこれまで接してきました。私は、その心の、光の届かないところまで潜ってしまいたかった。海底を知ってしまったら私、貴方から離れられなくなる程、大好きになってしまうでしょうから、まだ浅い所で終われるなら幸せだという人も居るかもしれません。私はそうは思いませんが。
「ずっと思っていたんです。貴方、小説を書いてはいかがですか。貴方の思想は、感性は、貴方だけのものにしては勿体無いのですよ」凍てつく冬の日、とある方から貰った言葉をそっくりそのまま送ります。あの日、その方は炬燵でお酒を呑んでいて、気持よく酔っ払ってからそう言ったんです。貴方、憶えていますか。貴方こそ、文章を書くべきなのですよ。

 貴方がこれを読んでいる時、私はもうこの世には居なくて、仏様に駆け寄って、来世を貴方と過ごせるように懇願しているところでしょう。貴方はこれを読んで、ああ死んだか、と、ふふっと口角をあげている。それが私の理想です。これはその、私の死を花と同じように見てくれたら嬉しいという意味。
 ねぇ、もしもう一度出会えたら、何もかも私に教えてくださいね。零から百まで、喜怒哀楽も、酸いも甘いも、享楽も、絶望も。でも愛だけは、少し遅れてからで良いの。でも結局、私が勝手に貴方から愛を知っていくのでしょうけれど。私、この世の全部を、貴方と知りたかった。でも貴方はこの先、もっと素敵な方と出会って生活をするのでしょう。きっとその方が良いのです。貴方程のお方が、たった数ヶ月の女に囚われてはいけません。なので、今まで読んできたこと全部捨て去って、笑ってください。

 さて、私の愛はここで終いにしましょう。花になりたいの、口先だけは未練を捨てます。私は幸せを抱えて天へ昇ります。貴方は遺書を捨て、町へ出るのですよ。