あの後、拍子抜けするほど何もなかった。
五時限目は移動教室で六時限目が体育だったから「一緒に行こう」とか運動前の二人一組での準備運動で「一緒に組もう」とか、はたまた「一緒に帰ろう」とか言われるのかと身構えていたのだがアイツはこちらに一切目もくれず、いつもと変わらない態度・・・・・・というか午後だった。俺は少し困惑したが安堵もした・・・・・・がモヤモヤもする。
頬杖をつき唸っていると、篠田がまた傍にやってきた。横から昴と優希のあからさまな溜息が聞こえた。
「牧野~。今日もノート貸してくんない?」
昨日と同じように手を擦り合わせる篠田を見上げる。チラリッと二人を見ればスマホを弄って我関せずといった態度だったが表情は険しい。
『嫌ならはっきり言いな』
『相手のためのもならない』
ふっとアイツの言葉が頭を過った。
そりゃあ出来れば貸したくない。俺が頑張って解いた答えをあたかも自分が解いたかのように鼻高々と答える篠田の姿に不満がないといえば嘘になる。ていうか、むしろ気に入らない。でも貸した方が優しい人だと思われる。
『良い子ちゃんぶってたってみんなに好かれるわけでもない』
「・・・・・・・・・・・・ははっ、ごめん。もう無理かな。そろそろ自分でやったらどう? 篠田は卒業したら大学志望なんだろ? 人にばっか頼ってたら落ちるよ」
高校二年生といえど受験に『落ちる』は禁句だ。俺はそれをオブラートにも包まず冷たく言い放った。昴と優希は目を丸くし、俺と篠田のやりとりを見ている。周りからは微かな笑い声も聴こえた。篠田は顔を真っ赤にし何も言わず自席に戻っていった。ホッと胸を撫で下ろすと髪の毛をグシャグシャッと掻き回された。この大きくてゴツゴツとした手は昴だ。
「よく言った!」
「響も言う時は言うじゃん」
優希の腕が首に回され「ぐぇっ」と間抜けな声が出る。
「やーめーろ! 僕だって言うときはちゃんと言うよ」
虫を払うように手を振ると二人は「ひでぇ~!」と言いながらも笑っていた。
フンッと鼻を鳴らし視線を斜向かいに向けると、蓮之助と目が合った。蓮之助は頬杖をつき、こっちを見ていた。何だよっという意味も込めて見返すと蓮之助は小さく笑った。
―――ドキッ。
ドキッ? 俺は胸に手をあて首を傾げる。視線を戻すと、アイツはもうこっちを見てはいなかった。
学校からの帰り道、俺は少し反省していた。
『落ちる』は、ちょっと言い過ぎだったかもしれない。言いたい事を言えてスッキリはしたが一応篠田も一生懸命勉強してA組にいるわけだし・・・・・・。もっと言葉選べば良かったな。
頭の中に靄が立ち込めるようにモヤモヤとする。俯きアスファルトに転がる小石を蹴り上げた。
「響」
名前を呼ばれ振り返ると数メートル離れた場所に蓮之助がいた。俺は思わず「げっ」と口から出てしまい辺りを見渡す。周りには多分、俺と同じ帰宅部の生徒達が数人歩いていた。
「れ、蓮之助。僕に何か用かな?」
蓮之助は呆れた表情で傍に来る。
「まだその良い子ちゃん演じてんの? 学校終わったんだし、俺の前では―――むぐっ!」
咄嗟に蓮之助の口を手で塞いだ。
「周りを見ろよ! みんないるだろ!」
俺は小声で声を荒げた。蓮之助は目だけで周りを見渡し、目を細めた。察したらしい。
「ぷはっ。・・・・・・なるほどね。二人きりじゃないとあの怖い響は見れないわけだ」
「しっ! つか、お前なんで此処にいんの? 帰宅部だっけ?」
近くに人が歩いていないことを確認し小声で尋ねる。
「うん、帰宅部。だから一緒に帰ろう」
「だからって何だよ。ていうか帰る方向同じなん?」
「うん、同じ。一年の時からよく鉢合ってたから響の後ろ、よく歩いてたんだけどな・・・・・・気付かなかった?」
「えっ、キモっ」
「俺に遠回りして帰れってか」
ストーカーまがいの発言に鳥肌が立つ。俺が左右の腕を寒い寒いと温めるように両手で擦り上げた。
「あっ。牧野くん、今帰り?」
途端、女子の声が聞こえ笑顔を作り、振り返る。・・・・・・うん、誰だ?
「うん、今帰る所だよ。えっと・・・・・・この通り車多いから気をつけてね」
隣からぶふっと噴き出す声が聞こえ、女子生徒の死角から蓮之助の横っ腹を軽くつねった。
「痛って!」
「あっ、大丈夫? 今日体育で足傷めたもんね。ゆっくり帰ろうか。・・・・・・それじゃあ、また月曜日に」
頭にハテナマークを浮かべた女子に手を振り、怪我人に手を貸すように蓮之助の腕を自分の肩に回した。
「痛ってぇ~。誰が足を痛めたって?」
「蓮之助だよ。はははははっ!」
俺は抑揚をつけず機械のように笑った。
俺のイメージを崩そうとしたお前が悪い。
しばらく歩き、女子がいないことを確認すると肩から腕を離した。
「・・・・・・昨日あの後、声かけられるかと思った。『付き合って』とか言うしさ・・・・・・今日も何もなかったし」
「あぁ。もしかして期待してた?」
「してねぇよ! むしろ声かけられなくて清々したわ!」
蓮之助は肩を竦め「いきなり声かけたら、お前の取り巻きがなんか言いそうだろ」と言った。
取り巻き・・・・・・昴と優希のことか。確かにそうかもしれない。悪い奴らじゃないが、あの二人は人を見下すところがある。親しくもないクラスメイトが急に「やぁ!」なんて来たら驚くだろう。コイツの言うとおり話の話題にもなる。
ちなみに俺も見下すところはある。自分の事だ、それぐらい自覚してる。心の中じゃ何を思っても許されるだろ。
「あっ。そういえば今日よく言えたじゃん」
「え?」
「篠田に。ノートの事」
「ああ!」と大きな声を上げると俺は鼻高々に「まぁ、それぐらい言えますから」と自慢げに自分の胸をポンッと叩く。
「ははっ、よく出来ました」
蓮之助はまるで小さな子供を褒めるかのように頭を撫でた。ぶわっと全身の血流が顔に集中した気がした。心臓がドキドキッと五月蠅い。昴に頭を撫でられた時はなんともなかったのに・・・・・・。俺は顔を逸らし手を払い除けると「じゃ、じゃあ俺こっちだから!」と三叉路の右側を足早に歩いていった。
なんだよ、アイツ。いきなり頭撫でてきやがって―――。
謎の恥ずかしさにわしゃわしゃと髪を掻き回すとセットした髪の毛が乱れた。俺は我に返ると手櫛で乱れた髪を直す。それから深く深呼吸をする。目の前には自分が住んでいる賃貸マンション上部が木々の間から見えていた。
俺が住んでるマンションは築十五年とやや古いマンションだ。同じマンションが二棟並んでいて階数は六階まである。
「顔真っ赤」
にゅっと横から現れた顔に俺は「うおぉぉぉ⁉」と悲鳴をあげた・・・・・・と思えば瞬時に口を真一文字にし左右を見渡す。ここは閑静な住宅街でもあるから大声なんて出したら迷惑極まりない。
「おまっ! 驚かすなよ! つか帰ったんじゃねぇの⁉」
「うん。今帰宅中」
そう言いながら蓮之助は楽しそうに俺の頭を撫でたり、頬をぷにぷにと触ってくる。触れられるたびに治まっていた心拍数が上がっていくのが分かる。俺はさっきと同じように「やめろ!」と手を払い除けた。
「どの辺りに住んでんだよ、お前は」
「あそこ」
そう指差したのは俺が住んでいるマンションだった。
「・・・・・・マジ?」
