オモテの僕とウラの俺。


 牧野響(まきのひびき)
自称、真面目でみんなに優しい文武両道の優等生。そしてクラスの一軍様。制服は着崩さず、校則は緩いが髪色は好青年の印象を崩さない程度の目立たないダークブラウン。切れ長の目は冷たいと印象を与えやすいため、いつも笑顔を絶やさず・・・・・・。そして先生達の印象をより良くするために積極的に手伝えることは手伝いながらも背筋を伸ばしモデルのような綺麗な歩き方を意識する。話し方も丁寧で聞きやすく、お腹から声を出す―――。
 そんな完璧人間な俺が今まさに人生最大のピンチを迎えている。

「この動画を拡散されたくなかったら・・・・・・俺と付き合って」

 なんでこんな事になった?
俺は数回瞬きをし、コンクリートに足をがっちりと固定されたように動けずにいた。
今まで築き上げてきた『真面目でみんなに優しい文武両道の優等生・牧野響くん!』のイメージが・・・・・・目の前にいる、この冴えない男に(おびや)かされている。
 
 いや、マジで誰か助けて。


 約一時間前―――。
「牧野ー! 数学の課題見せてぇ。俺今日当てられそうなのぉ~」
 甘ったるい声で懇願(こんがん)してくるクラスメイトの篠田(しのだ)に「また? まぁ、良いけど」と微笑み、ノートを渡す。ノートを受け取ると手を擦り合わせ「ありがとう! 神様仏様牧野様~!」と声を上げながら自分の席に戻っていく。僕はその姿を微笑ましく見送ると姿勢を前に戻し、仲の良い高橋昴(たかはしすばる)山本優希(やまもとゆうき)達との会話を再開する。
「まーた篠田にノート貸してんの? マジで響は甘い!」
 ズコーッと音を立て、紙パックのミルクティーを飲み干す昴に「そうかな?」と小首を傾げる。
「何回目だよ。ああいうのは一回先生に怒られれば良いんだよ。やらない方が悪いんだしさ。あれ、また次も来るぜ。よくA組に入れたよな」
「あはは・・・・・・」
 僕の通う高校にはA組からD組まであり、成績順にクラスが振り分けられる。A組はいわば優等生の集まりだ。
昴は紙パックをグシャッと握り潰すと教室の隅にあるゴミ箱に投げ入れる。
「ナーイス。さすが野球部」
 そう(はやし)し立てるのは髪をダークブロンドに染めている優希だ。一年の時からの付き合いで見た目は如何(いか)にも不良って感じなのに僕に劣らず成績上位だ。
「あのぐらい楽勝よ。・・・・・・とにかく、響もホイホイ何でも貸すなよ。良いように使われるだけだぜ?」
 そう呆れた様に話す昴は一年の時はC組だった。勉強を頑張ったのだろう。二年からA組になり、中学が一緒だったという優希との繋がりで話すようになった。今ではこの三人で行動を共にしている。
「うん、そうだね。次から気をつけるよ」
「次からねぇ~・・・・・・」
 僕は笑顔で言うが、そう発した優希は信じていないようだった。
そして四時限目の数学の時、見事篠田は当てられ答えを言い当てた。先生は「この問題、引っ掛け問題だから引っ掛かると思ったのに・・・・・・凄いな篠田!」と篠田を褒めていた。嬉しそうに笑う篠田に昴も優希も首を振ったり、離れていても聞こえるくらいの大きな溜息をついていた。そんな二人と目が合うと僕は曖昧(あいまい)に微笑み、肩を(すく)めた。
 数学の授業が終わるとお昼ご飯だ。各々席を立ち、校内で食べる人もいれば外で食べる人もいる。
「お二人さーん、昼飯一緒に食おうぜ」
 優希がビニール袋を掲げ近付いてくる。僕は母さんが作ってくれたお弁当の入ったランチバックを手に取ると立ち上がった。
「ごめん。先生に呼ばれてるんだ。長くなりそうだから僕はどこかそこら辺で食べるよ。今日は二人で食べててくれる?」
「ご愁傷様。教師の話って長いよな。教室で食べてるから早く終わったら戻ってこいよ」
 昴は片手を上げると手を振る。優希も「委員長も忙しいのなぁ」と残念そうに・・・・・・しかしどこか(あわ)れむように手を振る。そう、僕はこのクラスの学級委員長だ。それもあってかこうしてお昼休憩に先生に呼ばれることはザラにある。僕は背筋を伸ばし、膝を真っ直ぐに伸ばしては(かかと)からしっかり着地し、足裏全体で重心を移動させ爪先で力強く地面を蹴り出す。これが正しい歩き方らしい。廊下を歩く僕に視線が集まる。嫌な視線ではない。むしろ好意的な視線で「牧野くんだぁ~」「今日も格好いいよね」などの声が鼓膜に心地良く響く。体育館まで行くと入り口に設置されている自動販売機でペットボトルの麦茶を購入する。ペットボトルを片手に体育館裏に回った。
 うん、誰もいない。
聞こえるのは早々お昼ご飯を食べ終えた生徒達が体育館で遊んでいる声と音だけだ。ボールを床に叩きつける音。何か試合でもしているのか「パスパス!」「シュート!」「イェーイ!」等のかけ声や歓喜の声。体育館がこれらの声や音で埋まると外部の声はほぼ聞こえないと言っても良い。改めて辺りを見回し人がいないことを確認すると僕は体育館の壁を思い切り蹴った。脚にビリビリと衝撃が走るが気にしない。気にもならない。
「クッソ篠田が。毎回毎回「課題見せて」ってウゼぇんだよ! 課題ぐらい自分でやってこいよ! どんだけこっちが家で勉強してると思ってんだ。出来ねぇんならB組かC組にでも行けよ!」
 僕は無我夢中で湧き上がる怒りを壁にぶつけていた。だから気付かなかったんだ。人がいることに―――。
「響?」
 名前を呼ばれ我に返る。声がした方に振り返ると、そこには黒髪ボブウルフの知らない男が立っていた。
 ・・・・・・誰だ? いや、その前に今の見られた?
 僕は冷や汗が噴き出るのを感じつつも深呼吸をし笑顔を作る。
「え、えーっと・・・・・・。ごめん、誰かな?」
「え。同じクラスの蓮之助だけど。伊坂蓮之助《いさかれんのすけ》。一年の時も同じクラスだったんだけど覚えてない?」
『同じクラス』という言葉に余計に汗が噴き出る。心臓がドキドキと高鳴りつつも平常心を保つ。そして伊坂蓮之助と名乗る男を思い出そうと頭をフル回転させた。
 蓮之助・・・・・・伊坂蓮之助・・・・・・。
一瞬、教室の隅で文庫本を読んでいる男の姿が頭の中を過った。
「・・・・・・あ。えっ? 伊坂ってあの? なんか雰囲気変わった?」
 伊坂蓮之助。あまり記憶にはないが確か一年の時にはショートボブで目も前髪で隠れていた気がする。まさに絵に描いたような陰キャの容姿しか思い出せない。
俺や昴、優希と違い、これといって目立つタイプでもなかった気がする。むしろ大人しいイメージ。同じA組だったが成績もクラス内では標準だったはず。会話も用がある時にしか交わしたことがなかったから存在が頭から消えかかっていたのだろう。でも髪型を変えただけで人はこんなにも変わるものなのか。・・・・・・目は相変わらず前髪に隠れてるけど。
「あー・・・・・・。髪型変えたからかな」
 蓮之助は指の腹で毛先を弄りながら言う。
「い、いつも此処でお昼食べてるの?」
「うん。暑い時は教室で食べてるけど涼しい時は此処。意外と人いないし」
「そ、そっかぁ~」
 確かに今日はいつもより涼しい。異なタイミングで鉢合っちゃったな、と後頭部を掻くも蓮之助の素振りからはどうやらさっきの僕の姿は見られていないようだった。ホッと胸を撫で下ろし「じゃあ、また教室で」と笑顔を向け、(きびす)を返す。
「教室とは随分違うんだね。良い顔ばっかしてるのはさすがに疲れる?」
「え?」
 足を止め振り返る。引き攣ってるであろう笑顔で蓮之助を見据えた。涼しい風が首筋を撫でる。涼しいはずなのに額からは汗が滲み出てくる感じがした。蓮之助は体育館のシャトルドアの前にある三段ばかりコンクリートの階段に腰掛け持参していたビニール袋から菓子パンを三個と紙パックの牛乳を取りだした。
「・・・・・・パンだけじゃ栄養偏るよ」
 話題を変えようと目に付いた菓子パンに話を振る。
「腹持ちは良い。それに男子高校生は食べ盛りなんで」
「あはは、そうだね・・・・・・」
 蓮之助は袋から取り出したメロンパンに(かぶ)りつくと、視線をメロンパンから俺に移す。
「篠田は毎回響から数学のノート借りてるよな。隠してるつもりなんだろうけど、笑顔引き攣ってるよ。漫画だったら『ピクピク』って効果音と怒りマークが頭に描かれてるな」
 ―――見られてた。しかも俺が完璧に作っていた笑顔が偽物だといことも見破られている。
 血の気が引くとはまさにこういう事をいうのだろう。僕は喉を鳴らすと拳を握る。
「いつから見てたの? さっき、の・・・・・・」と念には念をと探りを入れる。
「んー。壁蹴りながら『毎回毎回「課題見せて」ってウゼぇんだよ!』って言ってた辺りから」
 いや、ほぼ序盤から見られてるじゃん!
 笑顔がどんどん引き攣っていく。口裂け女になりそうだ。けど、こびりついた笑顔は簡単には剥がれ落ちない。
そろりとメロンパンを頬張る男に近付く。
 見られた以上、もう隠せない。ならば頼むしかない。―――そう思った。
近付いてくる俺に気付いた蓮之助が伸びた前髪からこちらをジッと見つめてくる。
「えっと、えーっと・・・・・・」
 口をモゴモゴとさせ、相手に視線を移すと蓮之助の射貫くような視線に軽く(ひる)む。俺に負けず劣らず目付きが悪い。そんな視線から逃れるように目線を逸らす。
「さ、さっきの秘密にしててくれるかな?」
蓮之助は「さっきの?」と小首を傾げると目の前の広葉樹(こうようじゅ)に目を向ける。しばらくすると思い出したように「あっ」と声をあげた。チューッとストローから牛乳を吸い上げると口を離す。
「壁蹴って暴言吐いてた事ね。確かに『真面目でみんなに優しい優等生の響くん』像が崩れるもんな」
「・・・・・・・・・・・・っ」
「いつも良い子なのに蓋を開けたら暴言吐きまくりの男だったって分かったら、みんなショック受けそう。特に女子とかさ」
 コイツ・・・・・・っ。
 口角がピクッと動く。先生に怒られた子供のようにその場で俯き棒のように立ちつくす。何も口を挟まず、ただひたすら「秘密にするよ」という承諾の言葉を待つ。ここは下手に出ない方が良い。
「高橋と山本は気にしなさそうだけど」
 ふわふわと波打つにように動く糸がピンッと張り詰めた気がした。それと同時にグググッと上下に引っ張られる。握りしめた手に親指の爪が食い込む。下唇を血が滲み出るんじゃないかってくらい噛み締める。
 落ち着け、落ち着け。ここは我慢・・・・・・我慢・・・・・・我慢・・・・・・。
「印象は変わるよな、ウケる」
 ―――プツンッ、と糸が切れる音が聴こえた。
「うっざ。さっきからなんなん? お前。嫌みたらしい根暗野郎だな!」
「は?」
 目を丸くし唖然(あぜん)と見つめる男の胸ぐらを掴み引っ張り上げる。俺は力任せに壁に叩きつけた。
「痛っ」
「言いたい事ばっか言いやがって・・・・・・満足したか? そんなに言いたいならみんなに言えば? けど『根暗なお前』と『真面目で優しい優等生の響くん』だったら、どっちの話を信じる?」
 自分より五センチほど背の高い相手を睨む。俺だって目付きの悪さには自信があるんだ。
「どう考えても俺だよなぁ⁉」
 嫌味たっぷりに言い放つ。今、この状況を他の生徒が見たら百パーセント、俺がコイツをいじめてるように捉えられてしまうだろう。けど今はそんな事、頭にない。すると全身が凍るような冷たさが全身を駆け巡った。それは蓮之助が俺を見下ろす冷たい目だ。俺は思わず胸ぐらから手を離し後ずさる。ワイシャツの皺を伸ばすと「あっ。メロンパン落ちてる」と元いた場所に座る。
「~っ」
 落ちたメロンパンを袋にしまうとスマートフォンを取りだし、何やら操作をしている。すると画面をこちらに向けてきた。
『~毎回「課題見せて」ってウゼぇんだよ!』
『出来ねぇんならB組かC組にでも行けよ!』
 画面には暴言と共に俺が体育館の壁を蹴り上げている動画が映し出されていた。
「確かに俺が言っても誰も信じてくれないかもな。でも証拠があったら?」
 ―――マズい。さすがにその動画を拡散されたら俺が今まで築き上げてきたイメージが音を立てて崩れる。
 さっきまでの威勢の良さが嘘のように消え、崩れるように地面に膝をついた。朝の篠田のように手を擦り合わせる。
「いや、あの・・・・・・ごめん。つい頭に血がのぼっちまって・・・・・・さっきの事は謝るから。メロンパンも弁償するし・・・・・・だから」
「交換条件」
「は?」
 今度は俺が目を丸くする。「交換条件?」と、か細く訊き返した。
「この動画を拡散されたくなかったら・・・・・・俺と付き合って」