ぬい変身 ~高校生サバイバルオーディションに参加したら、消えた推しVと再会した件~

 今、ミツキは狭いところに押し込められている。
 ユウにいいようにぬいの身体を撫でまわされたとき、小さな身体に対してかなり大きなもので、強い力で触られたけれど、人間に戻ったとき身体に痣や傷は残っていなかった。だから、この綿の身体は意外と丈夫なんだと思った。
 けれど、自分の発案とはいえ狭いところに押し込められるのは、ぎゅううと身体を丸めて縮こまっているみたいで、長く続けるのはしんどい。それでも、がんばらなくては。

「行きますね」

 鈴木が小さな声でミツキに宣言した。続いて、コンコン、とノックの音がする。
 しばらくの間があって、ガチャガチャと鍵を開ける音がした。

「きみか。入れ」

 ノブナガの声だ。
 島に家のあるノブナガと数人の実行委員も、夜間の緊急対応や夜遅くまでの編集作業のため、この合宿所に泊まり込んでいる。

「失礼します」

 鈴木が応えて、部屋の中に入る。ミツキの世界は彼女の歩幅に合わせて数度揺れて、止まった。

「どうした? なんだ、それは」
「夜食をお持ちしました。そろそろ合宿もクライマックスですし、夜遅くまで根を詰めて、お疲れではないかと思いまして」
「……ありがとう」
「ここに置いていきますね」

 鈴木の言葉とともに、またミツキの世界が揺れる。カタン、と音がして、揺れはおさまった。

「すぐには召し上がれないかもしれないと思って、保温のために下のボウルにお湯を張っています」
「ああ」
「それでは、失礼します」

 鈴木の足音が遠ざかる。扉を閉じる音がして、大柄な人の気配がそちらへ向かい、ガチャガチャと内側から鍵を閉める。
 それからまた、人の――ノブナガの気配が近づいてきた。
 彼は、「なにかな」と独り言を言いながら、ミツキの隠れた夜食の蓋を開けた。
 カパ。

「……なんだ、これは。牛丼とかじゃないのか」

 それは、つぶあんの汁粉だった。

「この真夏に、どんぶりいっぱいの熱い汁粉だと? 僕がこしあん派であることは委員会のみんなが知っているはずだが……」

 ノブナガは乱暴にどんぶりの蓋を元に戻した。ガチャン、と瀬戸物の鳴る音がする。それからしばらく、部屋にはキーボードを叩く音と、ペンを走らせる音だけが響いた。
 ミツキは綿の身体に締めつけられながら、ホッと息を吐いた。
 ノブナガは、どうやら汁粉に手をつけないようだ。よかった。想定通りにいった。
 もし万が一、彼が汁粉に手をつけたら……その汁粉がぬるかったことにも、保温のためのボウルには水も湯も張られていなくて、代わりになぜかミツキにそっくりのぬいぐるみが敷かれていることにも、気づかれてしまっただろう。
 どれほど時間が経ったのか――ギシリと木の軋む音がした。ノブナガが椅子から立ったらしかった。そのまま彼の気配は遠ざかり、部屋の電灯が落ちた。
 ミツキは漆黒の闇に包まれた。真っ暗ななかで、柔らかなものに全身を包まれ、身動きができない――なんだか懐かしい感じがした。覚えていないはずの、生まれる前の記憶に触れているみたいだ。
 やがて、部屋の外が明るくなってきた。ミツキの世界にも光が差してくる。
 ガラン、とどんぶりが机の上から転がり落ちた。なんとか割れずに済んだが、汁粉が床にこぼれる。
 続いて、ステンレスのボウルが落ちて、グワングワンとやかましい音を立てる。その下の木の盆も、バン! と床に落ちた。
 ミツキは、必死に声を殺したまま、その上に倒れこんだ。人間の姿で。

「っ……!」

 急いで顔をあげるが、ベッドの上のノブナガは微動だにしなかった。疲れ果てて深い眠りのなかにいるのだろう。一人で部屋を使っているから、間仕切りのカーテンは閉められていない。
 ミツキは揺れるボウルを手で押さえて、音を止める。ようやく夜明けの静けさを取り戻した部屋を、目当てのものを探して見回した。
 それは、何度か部屋に入ったことのある鈴木の証言どおり、机上にあった。先ほどまでミツキが――夜食の汁粉が置かれていた机の上に。
 ミツキは足音を立てないように、けれどトップスピードで机に駆け寄った。
 そして、三人のスマートフォンを握りしめる。
 すぐに踵を返そうとして、ふと、そばで開かれたままのノートが目に留まった。
 ノブナガが、この合宿に関するアイデアを書き留めているノートらしかった。もう枚数はそんなに残されていなさそうだ。ページいっぱいに広がった走り書きの筆跡は、あちこち掠れて擦れて滲んでいる。

「……」

 ミツキは、しばらくノートを見つめ、部屋の鍵を開けて出て行った。

*

 ミツキとユウとルイ、それから鈴木は、食堂で朝食をとっていた。
 ミツキだけでなく、帰りを心配して待っていた三人も一睡もしていなかったので、全員がとにかく眠かった。しかし安堵したために腹も減っていた。
 四人は祝賀ムードというよりも、どこか鬼気迫る雰囲気でトーストを口に運んでいた。無言で、空いた片手ではようやく取り戻したスマホをいじりながら。
 オーディションの参加者でない鈴木が、参加者と一緒に朝食を食べていることに、周囲のスタッフたちは戸惑っているようだった。しかし、ただならぬ空気を感じ取ったのか、誰も何も尋ねなかった。
 おそらくノブナガのヤラセに関与していた一部の者たちは、葬式のような顔をして突っ立っている。
 鈴木が「カメラを止めろ」と言ったので、ここ数時間、配信は停止していた。
 早足の、大きな足音が食堂に近づいてくる。やがて足をもつれさせながら、駆けてきた。

「きみたち……!」

 ノブナガは食堂の観音開きの扉を開け放ち、怒鳴りかけたが、四人の姿を見て口をつぐんだ。
 ——正確には、四人がスマホを手に持ち、その画面を自分に向けている姿に。
 「はよっす」とルイ。
 「すみません、全部バレちゃいました☆」と鈴木。
 「とりあえず、一連の出来事を告発する記事を今書き終えて、投稿できる状態にしてたとこ」とユウ。
 ノブナガがわなわなと肩を震わせる。しかし、ヤケになったように笑い出した。

「ハ、ハハ、ハハハハハ! いいぞ、構わない、書けばいい。証拠はどこにもない。きみたちの証言だけで、本当にヤラセが行われたと信じる者が、どれほどいるか……」
「証言だけじゃないんです」

 ミツキが、テーブルの上に置いたノートを指し示した。

「……あなたがこれまでの計画を練ったノートも、ここにあります。全ページ写真を撮りました」

 ノブナガが、目を見開いた。これまで余裕の表情を崩さなかった彼の、眼鏡の奥が動揺に揺れる。
 ミツキは、ゆっくりと立ち上がった。

「やり方は最悪でしたけど、このノートを見て、あなたがこのオーディションにどれだけ情熱を傾けているのか、よくわかりました。それは俺たちも同じです」
「同じなわけがないだろう」

 ノブナガが吐き捨てた。

「このオーディションが終われば都会へ帰っていくきみたちにとって、このオーディションは人生の通過点に過ぎない。でも、僕や、この島の人間にとっては……」

 鈴木を含めた周囲の実行委員——島出身の高校生たちが、暗い顔をしてうつむいた。

「はは……プロデューサーごっこも、もうおしまいだな。楽しい夢を見せてもらったよ……」

 床に膝をついてしまったノブナガに、ミツキは一歩、歩み寄る。

「あの、俺たちは、ヤラセを告発したいわけじゃないんです」
「……え?」
「……真剣勝負を、やりなおしませんか?」

 ノブナガが顔をあげて、いぶかしげに眉根を寄せた。

*

 合宿最終日。
 ミツキは競泳水着とラッシュガードを身に着け、ボートの上で揺られていた。目指す陸地は霞んで見える。
 予報どおり、台風は日本列島に上陸しなかった。はるか遠くの海域で温帯低気圧となり、やがて消滅するだろう。
 ノブナガが、隣に立つ鈴木と目を合わせる。鈴木がうなずくと、彼はおごそかに宣言をした。

「それでは、今から最終課題の『オープンウォータースイミング』を行う」

 高校生の遠泳行事の平均距離と同じ、一.五キロ。その距離を、今回は速さを競いながら泳ぎ切る。
 これは、あらかじめ決まっていた五つめの最終課題と同様の内容だった。
 けれどノブナガが当初描いたシナリオと異なるのは、これが実質四つめの課題であること。ハンデが導入されたこと。参加者が三人であること。
 ノブナガのヤラセを暴いた朝。ミツキは、彼のアイデアノートを指し示しながら、提案をした。

「今日は合宿の八日目。四つめの課題の審査日です。でも俺たち三人はあなたの悪事を暴くために全員寝不足で、とてもじゃないけど創作ダンスをするコンディションにない」

 だから、四つめの課題をキャンセルし、最終課題で全員が競い合う形式にしてほしい、と。
 「だが……」とノブナガはためらいを見せた。

「最終課題の内容はどうする? あらかじめ企画していたオープンウォータースイミングは、きみには厳しい課題だろう」

 ミツキは苦笑した。それこそが、ノブナガが「偽台風」を生み出してまでルイを脱落させようとした理由だったと、彼のアイデアノートは示していたからだ——「カナヅチVSいじめのトラウマ、劇的な展開!」。
 「ハンデをつければ?」とルイが言った。

「泳力に合わせてスタート位置を変えればいいんじゃね? それでもじゅうぶん勝負になるだろ」
「カナヅチとは言ったけど、俺もまったく泳げないわけじゃないし、それに賛成。……ミツキは? 嫌なら無理すんなよ」
「俺も、長く潜れないだけで、泳ぐのは一応できるんだ。だから……」

 ノブナガは提案を呑み、ミツキとユウ、ルイ、鈴木の四人は、ようやくゆっくり眠りにつくことができた。
 公正を期すために、その翌日、合宿九日目には合宿所のプールでそれぞれの泳力を測り、ハンデが決定された。
 同時に、企画変更までのいきさつをまとめた文書が公式サイトにアップされた。
 ただし、ノブナガのヤラセについては伏せておくことになった。ヤラセを明らかにすれば、このオーディションは終わる。けれど、影響範囲はそれに留まらないだろう。
 ヤラセに関わっていない実行委員の若者たちにまで悪いイメージがつくかもしれない。元々存在したNPO団体からの支援も引き上げられるかもしれない。島のアンバサダーを決めて観光客を誘致したかったはずなのに、それも叶わないとなると、島での暮らしはますます苦しくなるだろう。
 それは、()()の望むことではなかった。
 ダイチが脱落した時点からヤラセは始まっていた。ソウタも同じように、公正な条件でオーディションに参加できたわけではない。それなら、ふたりも敗者復活して、この最終課題に参加すべきだ。ミツキ、ユウ、ルイの三人はそう考えた。
 けれど、ふたりに連絡を取り、これまでの事情を説明すると、ふたりのほうが復活を辞退したのだった。

「俺たちは薄々ヤラセに勘づいてたけど、なにもできずに帰ってきたんだ。でも三人は、行動を起こして問題を解決した。最終課題は、三人が掴んだチャンスだ。三人で競うべきだよ!」

 ソウタはそう言った。
 ダイチは「俺も同じ考え」と同意したあとに、「そもそも、もう別の予定入れちゃったしね」と付け加え、変わらぬマイペースさを発揮していた。
 しかし、「オーディションの選考を公正にするため、参加者からの抗議によって課題を見直した」ことは、公式サイトへ掲載する文書に明記してもらうことになった。

* 

 一番最初に海へ入るのは、ユウだ。
 泳ぐ距離の短い人から先に海へ入り、ボートは次第に沖へと離れていく。
 ユウが緊張した面持ちで、ボートの梯子を降りていく。ミツキと目が合うと、彼は黙ったまま、うなずいた。
 「だいじょうぶだから」「がんばろうな」「俺が勝つ」「約束のこと、忘れるなよ」——さまざまな感情のこもった仕草だと思った。
 ミツキも黙ったまま、力強いうなずきを返した。
 視界の外で、ユウが海へ飛び込んだのが音でわかる。浮き具を持ったスタッフに誘導されながら、スタート位置へと移動していく。
 やがて、フォグホーンが鳴る。
 ミツキはたまらず立ち上がって、船べりに寄った。波間に見えるユウは、犬かきと平泳ぎを足して二で割ったような、ぎこちない泳ぎ方で、ゆっくりと進んでいる。彼にとっては体力を消耗せずに泳ぎ切ることが、最大の課題だろう。
 しばらく眺めていたけれど、自分もこのあとに備えて少しでも休んでおこうと決め、ミツキはふたたびルイの隣に腰を下ろした。ボートが動き出す。
 ミツキはスマートフォンを取り出した。ぬいになってノブナガの部屋に侵入したあの日から、ずっと手元にある。
 このオーディションの、配信画面を開く。画面のなかでは、ユウが今ようやくスタートを切ったところだった。完全なリアルタイム配信ではないので、タイムラグがある。けれど、すぐそばで防水アクションカメラから撮影されたユウの姿を見ることができる。
 それに――本物の、視聴者からのコメントも。
 スマートフォンを取り戻して、ミツキは、ノブナガが印刷して貼り出すコメントを選別していたと知った。彼は、参加者のあいだに波乱を呼びそうなコメントばかり選んでいたようだ。
 実際にリアルタイムで書き込まれるコメントの大半は、もっと素直で、単純で、だからこそ温かかった。「ユウ、がんばれ」という、それだけのコメントがいくつも流れていく。ミツキも心のなかで「がんばれ」とつぶやいた。
 隣で同じようにスマホを見ていたルイが、「ダイチとソウタが来れないのは残念だったな」とつぶやいた。
 ミツキもルイに同意した。やっぱり、ふたりがいればよかった。
 正直に言ってしまえば、五人でフェアに闘いたかったというよりは――この合宿の締めくくりに全員が揃っていたなら、きっと最高に楽しかっただろうなと感じたのだ。

「……ミツキとユウには、本当に感謝してる」

 ルイが言った。

「おまえらがいなかったら、たぶん、こんな満足のいく結末は迎えられなかった。おまえらがいなかったら、ひょっとしたらオレはぶっちぎりでグランプリを獲ったかもしんねえけど……きっと、なにかがおかしいってことには気づかなかったし、気づいたところでそれを解決する手段も思いつかないままだった。最悪、見て見ぬふりをしてたかも」

 ヤラセのことを、カメラの前で口には出せない。ルイは曖昧な表現をした。
 けれど、ミツキにはすべて伝わった。ルイは照れくさそうに笑った。

「おまえらと一緒に参加できて、よかった」
「ルイさんみたいな人が、そう言ってくれて本当にうれしい。……俺も同じ気持ちです」

 ルイの笑顔は、やっぱりキラキラしていて眩しい。だけど、ルイが感謝を伝えてくれたことで、ミツキは自分自身も輝きをまとっているような気がしてきた。ルイと同じじゃない、自分だけのキラキラを。
 そのとき、ミツキの名が呼ばれた。スタートの時間だ。
 ルイと視線を交わしてうなずき、梯子を降りて、真夏でもひんやりと冷たい海に入る。
 当たり前だけれど、底に足が付かない。これからの一.五キロ、地に足を付けて休むことができない。その事実に身体の底から恐怖が這い上がってくる。気にすれば気にするほど恐ろしくなるから、考えないようにする。
 フォグホーンの音が響いた。



【配信コメント】
〈運営より:諸事情により、配信を停止しています。再開まで今しばらくお待ちください〉
〈運営より:昨日の配信停止のお詫びと、企画変更のお知らせがございます。公式サイトをご覧ください〉
お、BAN解けたww
もうコメント消すなよ
ソウタくんとダイチくんも呼んでほしかった
↑二人ともSNS更新してるよ
ユウ、がんばれ
無理すんなよ
ルイくんこういうとこ信用できる