世界一かわいいのは弟であって、僕ではない


 いつもなら家で晩ごはんの支度をしている時間。僕は学校の近くの公園に設置されたブランコに座っていた。ゆらゆらと漕いでみるけれど、あんまり楽しく感じないのは緊張しているからだろうか。ギィギィという錆び付いた音が静かな住宅街に響いていた。

「あ……」

 不意に漏れたであろう声が聞こえて顔を上げると、公園の入口に咲也くんが立っていた。目と目が合った瞬間にUターンしようとするものだから、その背に「待って!」と呼びかけた。

「話がしたいんだ」
「…………」
「ふうちゃんを使って騙したのはごめん、僕からの誘いだと断られるんじゃないかと思って……」

 咲也くんに今日この場所で待っていると伝えたのは、ふうちゃんだ。誰がとは言っていないと思うけれど、騙し討ちみたいになったのは事実。罪悪感でどんどん尻すぼみになっていく言葉を黙って聞いていた咲也くんは、すたすたとこちらにやってきた。

「正直、陽希くんが待ってるんじゃないかなって思ってました」
「でも、来てくれたんだね」

 ブランコの前にある安全柵に腰掛けた咲也くんが熱っぽく僕を見つめる。

「謝りたいって気持ちはあるのに、時間が経てば経つほどどんな顔をして会えばいいのか分からなくなっちゃって……」
「…………」
「さっきもつい逃げ出そうとしちゃったんですけど、冬希に誘われたときにもし待ってるのが陽希くんだったらちゃんと謝ろうって決めてたんです」

 そこで言葉を区切った咲也くんが立ち上がって、僕の前に立つ。そして、深々と頭を下げた。

「すみませんでした。一番大事にしたい人を傷つけて、嫌な気持ちにさせて、」
「待って、違うんだ」
「え?」
「あのね、僕……」

 謝罪の言葉を求めて呼び出したわけじゃない。あのキスを過ちだと思ってほしくない。震える声で制止すると、咲也くんは顔を上げて僕を見つめる。縋るように制服の裾を掴むと、その手を取られて、彼の大きな手に包み込まれた。

「僕……嫌じゃなかったんだ」
「……うん」
「咲也くんが僕を好きだって言ってくれたことも、キスも……ほんとは全部嬉しかった」

 じんわりと頬が火照っていく。恥ずかしくって、目が見れない。どんな顔をして聞いているのか分からないけれど、息を飲む音が聞こえた。

「それってさ、都合のいいように解釈しちゃうんだけど」
「してよ、勘違いでもなんでもないから」
「っ、」

 繋がれた手を引かれて、彼の胸に飛び込んだ。遠慮なくぎゅうっと抱きしめられて、その思いの強さを切に感じる。

「好きです。俺に陽希くんの一番をください」
「こんな僕からでよければ……」
「っ、陽希くんがいいんだよ」

 少し乱暴に、体を離した咲也くんがじいっと僕の瞳を見つめて真剣に言う。本気なのがその瞳から伝わってくる。目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、じわじわと愛されていることの実感が湧いてきて、熱いものがこみ上げてくる。

「咲也くん」
「はい」
「僕ね、世界で一番かわいくて愛されるべき存在は弟なんだって思って、ずっと生きてきたんだ」

 物語なら、きっとふうちゃんが主人公。僕は彼に付随した、ただの兄。スポットライトを浴びるべきは僕じゃないと思っていた。

「多分それは間違いではなかったんだと思う。……でも、咲也くんが僕を見つけてくれたから。君の世界の真ん中に置いてくれたから。僕の常識にヒビが入って、閉じこもっていた殻を破ることができたんだ」
「…………」
「僕の世界を変えてくれてありがとう。僕の進む道を太陽みたいに照らしてくれる咲也くんが大好きです」
「っ、」

 今言わなきゃ、きっとずっと伝えるのを後回しにしてしまう。ここで全て吐き出すと決めたんだ。思いの丈をぶつけると、咲也くんは再び僕を抱きしめた。今度は僕からも手を回す。胸の中がくすぐったくて、だけどとてもあったかくて。ほわほわと幸せの羽根が舞い降りてきているみたい。

「言っとくけど、俺の中で世界で一番かわいいのは陽希くんだからね」
「うーん……」
「ちょっと、何でまた煮え切らない態度になるんですか」
「言われ慣れてないから、実感がないというか……」
「ふーん……それじゃあ今から陽希くんのかわいいところをひとつずつ解説していこうか?」

 咲也くんに囁かれて、「ひゃっ」と変な声が漏れ出る。くすりと笑う悪い男は優しく僕の頬を撫でた。

「ほら、もうひとつめが見つかったでしょ」
「っ、なんかずるい」
「ふふ、世界で一番幸せにするって決めたので。疑いようのないぐらい、俺からの愛を受け止めてもらわないと」

 恥ずかしげもなく宣う彼からのとてつもなく大きな愛に
、僕は耐えられるのだろうか。勘弁してと両手で顔を覆えば、くすくすと笑う声が聞こえてくる。

 でもやられてばっかりなのは、それはそれでちょっぴり不満。背伸びをして、油断している咲也くんの唇を奪うと、彼は驚きに目を丸くした。

「僕だって、負けないからね」
「……ちょっとそれは反則だって」

 顔を真っ赤にした咲也くんがあたふたしているのを目を細めて見守る。じーんと胸に広がる多幸感。恋に浮かれて馬鹿になるのも悪くはない。

「あ、そうだ、ふうちゃんに報告しないと」
「怖ぇなぁ……」
「親じゃなくて、ふうちゃんなのに?」
「……一発は覚悟しておきます」
「大丈夫だと思うけどなぁ……」

 そんな僕の予想はどうやら甘かったらしく……。ふたりで僕の家に帰り、玄関で待ち構えていたふうちゃんに「お兄さんを俺にください」と会って早々言ってのけた咲也くんが無言でぶっ飛ばされたのはまさかの展開だった。

「兄貴を幸せにしなかったら潰す」
「絶対幸せにするって約束する」
「…………兄貴が傷つくところ、見たくないからね」
「「ふうちゃん……!」」
「咲也までそう呼ぶな」

 うんざりした顔をするふうちゃんだけど、その口角は少し上がっている。世界で一番かわいい弟は、恋のキューピットだったみたい。

 ・
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 自己犠牲はほどほどに。
 弟離れはまだまだできそうにない。

 だけど、少しずつ変わっていこうと思う。だって隣には咲也くんがいてくれるから。正しい道に進めるように、優しい光で照らし続けてくれるから。

 僕は僕をちゃんと大事にする。
 そして、それ以上に咲也くんを一番幸せにするんだ。
 これが僕の、僕なりの決意表明。


 【完】