「咲也くん、いい子だったなぁ」
「…………」
「『美味しい』って何回もおかわりしてくれたし、僕に遠慮しないでいつでも呼んでいいからね」
「そんなに気に入った?」
翌朝、寝癖をぴょこぴょこ揺らしながらリビングにやってきたふうちゃん。洗いものをしていた手を止めて、僕のことは気にせず、たまには友だちを家に呼んで騒いだっていいんだよと、そんな意味を込めて話せば真剣な瞳が僕を射抜いた。
「そりゃあふうちゃんと仲良くしてくれてるんだもん、僕からしたら弟が一人増えるようなもんだよ」
「ふーん……」
何かを探るような目で見つめられて内心ドキマギするけれど、何でもない風を装って答えると、ふうちゃんは興味なさげに返事をして冷蔵庫を開けた。
咲也くんはあくまでふうちゃんのお友だち。それ以上でも以下でもない。
——ピンポーン。
と、家のチャイムが鳴る。こんな朝に誰だろう。インターホンの画面を確認せず、パタパタと小走りで玄関に向かっていると、後ろから「うわ、」と声がした。
ふうちゃんが「開けなくていい」と言うのと、僕がドアを開けたのはほぼ同時だった。
「あ、」
「おはようございます」
そこに立っていたのは、朝から爽やかな笑顔を浮かべている咲也くんだった。なんだかピカピカに輝いて見える。太陽のせいかな、本人のオーラなのかな。あまりにも眩しくって、目が眩む。
「お、おはよう」
「冬希を迎えに来ました」
気圧されながら挨拶を返せば、ぺかーっと人のいい笑顔でそう言われて感動する。ふうちゃんのことを迎えに来てくれる友だちがいるなんて……! 弟のことを気にかけてくれる友だちがいるという安心感。つられて僕もにこにこ笑顔になってしまう。
「ちょっと待っててね」
「はーい」
ふうちゃんを呼びに中に戻ると、不機嫌なのを隠そうともしない仏頂面が僕を待っていた。
「咲也くん、迎えに来てくれたよ。もう準備できる? 何か手伝おうか?」
「はぁ……」
「ふうちゃん?」
「先行くように言って」
「でも、」
「約束もしてないのに、勝手に来た奴が悪い」
わざわざ来てくれたのに申し訳ないよ、と説得を試みるけれど、ふうちゃんはそれをばっさり切り捨てる。こうなったふうちゃんは実に頑固だ。対応を間違えたら、しばらく口を聞いてもらえなくなるだろう。吐き出したいため息を飲み込んで、渋々僕は玄関に戻った。
ガチャ、という音を聞いたのか、手に持っているスマホから顔を上げた咲也くんと目が合った。その立ち姿がまるでモデルのようで、きゅっと心臓が跳ねた。あれ? という表情に気まずくなって、ドアから顔だけを出す。
「あー、もしかして反抗期きてます?」
「反抗期……」
ふうちゃんの姿が見当たらないことに気づいた咲也くんはすぐに察したらしい。ふうちゃんと同い年な彼がそう言うのが面白くて、フフッと笑ってしまう。
「ごめんね、まだ準備できてなくて……」
「冬希、朝弱いんだ」
「日によるよ。まぁ、そういうところもかわいいんだけど」
「お兄さんは朝からしっかりしてるんですね」
「これでも、ふうちゃんの兄だからね」
「でも、陽希くんの方がかわいいと思いますよ」
一瞬、何を言われたのか理解が追いつかなくて、えっ……と固まってしまう。名前呼びも、かわいいと言われたことも、あまりにも突然すぎて目をぱちぱちさせたまま見つめ合う数秒。僕はパニックなのに、咲也くんは余裕たっぷり。
登校中の小学生の笑い声が聞こえてきて、現実に引き戻される。思考が一周して、ボンッと火が出るみたいに顔中が熱くなった。きっと今、僕の顔面は真っ赤に染まっている。
恥ずかしくてたまらない。年下の、それも弟の友だちに翻弄されてみっともない。そーっとドアに隠れようとするけれど、咲也くんはそれに気づいて口角を上げる。
「ほら、そういうところもかわいい」
「……ッ」
「準備できているなら、俺と一緒に登校しませんか?」
「……ふうちゃんを置いていけないよ」
ごめんね、ふうちゃん。心臓がずっとうるさくて、これ以上咲也くんのペースに飲み込まれたら、爆発しちゃいそう。弟を盾に断ろうとしていると、後ろからぬっと出てきた手がドアを押し開けた。
「ちょっと、他人の家の前で兄貴を口説かないでくれる?」
「くそ、もうタイムアップか。はえーよ」
「反省したふりぐらいはしろよ」
「なぜ? 邪魔が入って残念なぐらいなのに」
「お前なぁ……」
ふうちゃんが僕を隠すみたいに前に出て、咲也くんと言い合っている。その頭はいつも通りセットされていて、ぴょこぴょこ揺れるかわいい寝癖は消えてしまっていた。
「お兄さんも一緒に行く?」
「はぁ……、兄貴どうする?」
「あ、いや、僕はいいよ。まだやることあるし、二人で先に行って」
「そ、分かった」
人懐っこい笑顔に誘われるけれど、さっきの熱がぶり返しそうで首を横に振る。残念そうにしゅんとしたように見えて、不覚にも咲也くんをかわいいと思ってしまった。
じゃあねと手を振る二人を見送って、ドアを閉める。途端に脱力して、ずるずるとその場にしゃがみこんで手で顔を覆った。
「なにあれ……」
独りごちた言葉は誰にも届かない。あんなの、困っちゃうよ。咲也くんの甘い微笑みが脳裏に焼き付いて離れない。言い慣れた一言に簡単に惑わされる自分。誰にでも思わせぶりなことを言ってるのかも。そう思ったら胸の奥がチクチクして、感情がぐちゃぐちゃになってしまう。
弟の友だちにドキドキするなんて初めての出来事に動揺して、しばらくその場から動けなかった。



