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美味しくなぁれ、なんて心の中で愛情を込めて念じながらお玉をぐるぐると回す。すっかり料理のレパートリーが増えて、新しいレシピに手をだすのが楽しくなってきた。最初は絆創膏だらけの指をふうちゃんに心配そうに見られたっけ。今では包丁さばきもお手の物。慣れってすごい。
新学期が始まって、あっという間に数週間が経った。僕の日常は変わらないけれど、ふうちゃんはバスケ部に入って忙しくしている。新入生なのに既にベンチ争いに参加しているようで、「期待のイケメン新入生」の話を聞く度にどんどん鼻が高くなっていく。
壁にかけられた時計の針がチクタクと時を刻み、もうすぐふうちゃんの帰宅する時刻を指そうとしている。初めて作ったスープカレーの匂いは、きっと家の外まで漂っているだろう。
——ガチャ。
ドアを開ける音がして、慌てて火を止めた。ふうちゃんを出迎えるためにパタパタと玄関に向かいながら、声をかける。
「ふうちゃん、おかえり。ご飯にする? お風呂にする? それともお兄ちゃんとおしゃ、べ……り……」
いつも通りの玄関に、見慣れない長身イケメンの姿が目に入ってどんどん言葉が小さくなっていく。ただただ困惑。そんな僕を見たふうちゃんは大袈裟に「はぁ……」と息を吐いた。
ふうちゃんにも友だちができたんだね、なんて。そんな現実逃避をすることすらできない。つるっと手から滑り落ちたお玉が音を立てるのを、黙って見ていることしかできなかった。
今はただ穴があったら入りたい。弟を可愛がるのは日常だけど、それを知らない人、それも弟の友だちに見られるのは違う。恥ずかしくて、ぷしゅーっと顔から火が出そう。固まったまま動けない僕を見かねて、ふうちゃんが僕の代わりにお玉を拾った。
「兄貴、メッセージ見てなかったの?」
「ふうちゃん……」
「俺は連絡したからね」
「ご、ごめん」
「……別に怒ってるわけじゃないから」
ふうちゃんからの連絡を見落としていたなんて、一生の不覚。ガーンとショックを受ける僕の隣を通り過ぎて、ムッと口を尖らせたふうちゃんがそのままリビングに入っていく。取り残されたのは、僕とふうちゃんのお友だち(仮)。ぎこちなく振り向くとニコニコしたまま笑顔を崩さない彼と目が合って、思わず「ひぇ……」と声が出た。
ふうちゃんだって負けないぐらい顔が整っているけど、初対面のイケメンにはさすがにビビってしまう。年上の威厳なんてものはない。すると眉を下げたまま動かない僕を見た彼は、ふっと吹き出した。完璧に計算された表情が崩れて、年相応の笑顔が生まれる。
「急にお邪魔してすみません。冬希と同じクラスの平山咲也っていいます」
「深川陽希です。あ、ふうちゃんと……冬希と仲良くしてくれてありがとう」
ちゃんと挨拶してくれるなんていい子だ。ぺこりと頭を下げると、くしゃりと頭に優しい感覚。えっと戸惑うけれど、そのままゆっくりと撫でられて、されるがままになってしまう。
あ、撫でられるのって気持ちいいんだ。年下が何やってるのって振り払うべきかもしれないのに、その優しい手を受け入れてしまう。こんな風に撫でられたのはいつぶりだろう。深川家でかわいがられるのはふうちゃんで、いつしか誰かに褒められることも甘えることもなくなっていた。それが長男だって受け入れていたし、何かを我慢していたわけではないけれど、ピンと張り詰めていた糸が少し弛んだ気がした。何を思って彼がこんなことをしているのかは分からないけれど、気の済むまでそのままにしておこうと大人しく撫でられたままでいると、全然上がってこない僕たちを不思議に思ったのか、ふうちゃんがリビングからひょこっと顔を出す。
「兄貴……何やってんの、お前」
「ん? 愛でてただけ」
「手出すなって言ったよね」
「……俺が本気だったら?」
「は?」
「冗談。そんな睨むなって」
初めて聞くふうちゃんの冷たい声に、家の温度が少し下がった気がする。どういうやりとりなのかは理解できないけれど、せっかくできた友だちにそんな態度取ったら駄目でしょう。それを注意する前に、パッと両手を上げた咲也くんがへらっと笑う。
「お兄さん、急に来てすみません。今日のところは帰ります」
「一生来んなよ」
「もうふうちゃんったら、お友だちに意地悪言わないの。咲也くん、よかったら家で晩ごはん食べていく?」
「えっ」
「あ、でも親御さんが待ってるよね」
「いいんですか!」
せっかく来てくれたふうちゃんの友だちをもてなしたいと思って誘ったけれど、咲也くんのご両親だってご飯を作って彼の帰りを待っているだろう。断りにくいかと思って取り消そうとするけれど、嬉しそうな大声にかき消されてしまった。
「お口に合うか分かんないけど……。ふうちゃん、洗面所に案内してあげて。二人とも、ちゃんと手は洗うんだよ」
「はーい。ほら、ふうちゃん、早く」
「次そう呼んだら潰す」
「お兄さんの前ではそんなこと絶対言わないくせに」
「最悪、連れてくるんじゃなかった」
「シュート勝負の賭けに負けたのは冬希だろ」
「チッ……何でよりによって兄貴なんだよ」
「さぁ、一目惚れじゃない?」
「こんな軽薄なヤツ……やっぱり今ここで潰す」
「こわ。お兄さーん、手伝えることありますか?」
「あ、お前っ」
ヒソヒソと言葉を交わしながら洗面所に向かう背中を見送って、用意していたお皿を増やすためにキッチンに戻る。ギロリと睨みつけるふうちゃんに、飄々とした咲也くんがウインクを返していたことを僕は全く知らなかった。



