お隣に住む貴公子……じゃない、奇行子の龍太郎にまさかのカーディガンの裏返しを指摘された、うら若き乙女のあたし。
「いいのか? そのままで」
くちびるを噛み締めるあたしに追い打ちをかける龍太郎。
新緑が生い茂る高級住宅街の一角で、カーディガン裏返し問題、乙女のプライドズタボロ事件が起きていた。
どうやらこいつにはデリカシーというものが存在しないらしい。
「うっさいわね。鞄持っててよ」
あたしは肩掛け鞄を彼に押しつけた。
「……っ!」
龍太郎がいきなり鞄を押しつけられ、半歩後ろに下がった。
……ふん! 朝から乙女のファッションに文句をつけるからでしょうが! 言い方ってもんがあるでしょうっ。
ほんとはね、恥ずかしさで、穴があったら入りたい気分よ……。
「…………」
カーディガンを脱いで裏返っている部分を直していると、ふと彼があたしを見ていることに気づく。
な、なに見てんのよ……!
……まさかカーディガンの下に着ている白いブラウスが気になるのか、今度は?
え? どっか汚れてる?
「ね、ねぇあんまり見ないでよ……」
あたしの声が蚊の鳴くような声に変わる。
こ、困るのよ、あんまり見られると!
龍太郎の顔があたしのドストライクなんだよ。だけど性格はNO! イヤよ、こんな意味不明なやつ。
「ご、ごめん」
龍太郎がやけに素直に謝った後、すぐさま顔を逸らした。
え? なに今の……? 顔が赤くない?
「あの、なんかブラウスについてた?」
「……ついてない。ただ、おれならこんなドジは踏まないな、と感心していただけだ。それ以外の何物でもない」
ふっと彼が鼻で笑った。
なっ、なによ! こいつ、やっぱりむかつく……!
「鞄、ありがと。じゃあね」
あたしは龍太郎から鞄を奪い取って、彼に背を向けてズカズカと駅を目指して足を進めた。
「あっ、おい。乗って行かないのかよ」
背後から彼のハスキーボイスが聞こえたけど、無視よ!
風が吹いて木々が揺れる。
ふ~んだ、いいもん。あたしが好きなのは兄の琥太郎のほうだもん。
今日は琥太郎、産婦人科の外来よね……。
会えるかな……ううん、会いたい! こうなったら何度も産科の前を行き来してやるわ。
あたしがふと顔を上げると、大型トラックが走ってきた。
車の振動が全身に伝わる、猛スピードだ。
だめじゃない、こんな街中で……。
「えっ……」
身体から血の気が引いた。
トラックの目の前に白い子犬が立ち往生している。
なんてこと、このままじゃ……。
あたしはなにも考えず、道路に飛び出していた。
手を伸ばし、子犬を抱きかかえる。そしてそのまま反対側の道路に滑り込む。
「……っ!」
アスファルトで膝を擦りむいた痛みが自分でもわかった。
ブレーキ音がして、トラックが止まる。
「バカヤロー! あぶねーだろうが!!」
窓を開けた運転手が、あたしめがけて罵声を浴びせてくる。
そんなものは無視して、腕の中で震える子犬を抱きしめて立ち上がった。
思い切り滑り込んだせいで、膝が痛い。
もしかしたら擦りむいたかもしれないなと思いながら、あたしは反対側の歩道にたどり着いた。
「君、大丈夫か?」
目の前に大きな影ができた。
顔を上げると白ずくめの男性が目を潤ませて、こちらを見ていた。
「大丈夫です」
少し微笑んで見せる。
「うちのメロンを助けてくれてありがとう」
男性が穏やかな口調でいった。
「あ、いえ……」
この人の犬だったんだ。
「僕は黒岩春時っていうんだ。君は?」
黒曜石のような瞳。
きらりと光を放っている目、しかし、その奥には濁りガラスのような部分がある。
それがあたしの視界に入り込んでくる。
「あたしは羽田雪乃です──」
身体が言うことを聞かない。
おかしい……クラクラする。
すでにあたしの身体に異変が起き始めていたのだが、この時は知る由もなかった。
「いいのか? そのままで」
くちびるを噛み締めるあたしに追い打ちをかける龍太郎。
新緑が生い茂る高級住宅街の一角で、カーディガン裏返し問題、乙女のプライドズタボロ事件が起きていた。
どうやらこいつにはデリカシーというものが存在しないらしい。
「うっさいわね。鞄持っててよ」
あたしは肩掛け鞄を彼に押しつけた。
「……っ!」
龍太郎がいきなり鞄を押しつけられ、半歩後ろに下がった。
……ふん! 朝から乙女のファッションに文句をつけるからでしょうが! 言い方ってもんがあるでしょうっ。
ほんとはね、恥ずかしさで、穴があったら入りたい気分よ……。
「…………」
カーディガンを脱いで裏返っている部分を直していると、ふと彼があたしを見ていることに気づく。
な、なに見てんのよ……!
……まさかカーディガンの下に着ている白いブラウスが気になるのか、今度は?
え? どっか汚れてる?
「ね、ねぇあんまり見ないでよ……」
あたしの声が蚊の鳴くような声に変わる。
こ、困るのよ、あんまり見られると!
龍太郎の顔があたしのドストライクなんだよ。だけど性格はNO! イヤよ、こんな意味不明なやつ。
「ご、ごめん」
龍太郎がやけに素直に謝った後、すぐさま顔を逸らした。
え? なに今の……? 顔が赤くない?
「あの、なんかブラウスについてた?」
「……ついてない。ただ、おれならこんなドジは踏まないな、と感心していただけだ。それ以外の何物でもない」
ふっと彼が鼻で笑った。
なっ、なによ! こいつ、やっぱりむかつく……!
「鞄、ありがと。じゃあね」
あたしは龍太郎から鞄を奪い取って、彼に背を向けてズカズカと駅を目指して足を進めた。
「あっ、おい。乗って行かないのかよ」
背後から彼のハスキーボイスが聞こえたけど、無視よ!
風が吹いて木々が揺れる。
ふ~んだ、いいもん。あたしが好きなのは兄の琥太郎のほうだもん。
今日は琥太郎、産婦人科の外来よね……。
会えるかな……ううん、会いたい! こうなったら何度も産科の前を行き来してやるわ。
あたしがふと顔を上げると、大型トラックが走ってきた。
車の振動が全身に伝わる、猛スピードだ。
だめじゃない、こんな街中で……。
「えっ……」
身体から血の気が引いた。
トラックの目の前に白い子犬が立ち往生している。
なんてこと、このままじゃ……。
あたしはなにも考えず、道路に飛び出していた。
手を伸ばし、子犬を抱きかかえる。そしてそのまま反対側の道路に滑り込む。
「……っ!」
アスファルトで膝を擦りむいた痛みが自分でもわかった。
ブレーキ音がして、トラックが止まる。
「バカヤロー! あぶねーだろうが!!」
窓を開けた運転手が、あたしめがけて罵声を浴びせてくる。
そんなものは無視して、腕の中で震える子犬を抱きしめて立ち上がった。
思い切り滑り込んだせいで、膝が痛い。
もしかしたら擦りむいたかもしれないなと思いながら、あたしは反対側の歩道にたどり着いた。
「君、大丈夫か?」
目の前に大きな影ができた。
顔を上げると白ずくめの男性が目を潤ませて、こちらを見ていた。
「大丈夫です」
少し微笑んで見せる。
「うちのメロンを助けてくれてありがとう」
男性が穏やかな口調でいった。
「あ、いえ……」
この人の犬だったんだ。
「僕は黒岩春時っていうんだ。君は?」
黒曜石のような瞳。
きらりと光を放っている目、しかし、その奥には濁りガラスのような部分がある。
それがあたしの視界に入り込んでくる。
「あたしは羽田雪乃です──」
身体が言うことを聞かない。
おかしい……クラクラする。
すでにあたしの身体に異変が起き始めていたのだが、この時は知る由もなかった。

